(一)荒寺の素浪人

「いやぁ~」

若い女の叫ぶ声が薄暗くなった林の中にこだまする。街道から少し奥に入った

小さな荒寺である。

「何も、命まで取ろうとは言うてへんがな」

「お嬢さまぁ~」

お付きの女だろうか、必死で娘を守ろうとしている。

「お嬢様か、こりゃご馳走やなぁ」

毛むくじゃらの手が娘の足首を掴んだ。白い太腿が露わになる。

「誰かぁ~」

「呼んだかて、こんなところに誰も来るかいな」

男たちの下卑た笑い声が堂内に響いた。


生憎あいにくだったな」

驚いて声のする方に目をると、御堂の入口に汚い身なりの侍が立っている。

「何じゃ、ワレは」

「お前たちこそ何をしておる」

「野郎、俺たちの楽しみを邪魔するつもりか」

男たちが侍を囲んで威嚇してきた。どうやら三人組のようである。

「痛い思いせん内にね」

「痛い思いをするのは其の方らだと思うがな」

侍が飄々として近づいてくる。


「いてまえ」

ボスとおぼしき毛むくじゃらの男が二人に命令した。

手下の一人が突進してくる。侍は難なく体をかわすと、後ろに回って男の尻を蹴り

飛ばす。男はもんどり打って御堂の外に転がり落ちた。

二人目の男が侍を組み伏せようと襟に手を伸ばす。その腕を取って後ろに捻ると、

ボキッという大きな音がした。

「ぎゃぁ~」

男が悲鳴を上げて床を転げまわる。どうやら肩が外れたようだ。

「舐めた真似しやがって」

娘に覆い被さっていた男が身構える。しかし先ほどまで膨らんでいた男の股間は、

今はすっかり縮み上がっている。

侍がじりっと間合いを詰める。男は壁伝いに回り込むと床に倒れている仲間を引き

ずり起こし、

今度遭うた時は覚悟せえや」

精一杯の強がりを吐いて暗くなった山道を駆け下りていった。


「もう大丈夫だ。怪我は無いか」

助かったと分かると、娘は恐怖から解放されて気を失ってしまう。

「やむを得ぬ。それがしが負ぶって進ぜよう」

侍が娘を背負って、侍女の後について街道を西に向かって歩き出した。

京の三条大通りに出ると、

「お嬢さまぁ、お嬢さまぁ~」

手分けして娘を探している声が聞こえてくる。

「番頭さん、こっちよ、こっち」

侍女が大声で呼んだ。

「あっ、お嬢様。どうなされました」

見れば、ぐったりとした娘を怪しげな浪人者が担いでいるではないか。

「おい、お嬢様をこっちへ渡せ」

二~三人が駆け寄ってきて、娘を奪い取るように連れて行ってしまった。

「やれやれ、せめて晩飯ぐらい食わしてもらえるかと思ったのだがな」

侍は苦笑いを浮かべながら、今来た道を戻って行った。


鴨川の西を三条から少し下った辺り、ここは京で一二を争う大店おおだな、油問屋の奈良屋である。

「何でそのお武家様をお連れせなんだ」

娘と侍女より事情を聞いたあるじから番頭が責められている。

「何分にも、怪しげな汚い身なりをしておりましたもので・・・」

「娘を助けてくれて謝礼も求めないとは、さぞかし立派なお方に違いない。何としても探し出してお連れせよ。見つけるまで帰ってくるでない」

親として礼を言いたい気持ちと、店の主として礼を失して変な噂でも立てられては困るという思いとの半々であった。

「唯一の手がかりは荒寺か、その辺りを探すしかないな」

名前も分からず、何分にも暗かったので顔もよく見ていない。お嬢様やお付きの女に聞いても、恐ろしさのあまり何もはっきりとは覚えていないという。


あくる日、朝から荒寺の周りを捜索してはみたものの、昼を過ぎてもかんばしい手がかりは見つからない。途方に暮れていると、街道の方から小ざっぱりとした出で立ちの

若侍がこちらに向かって歩いてくる。

   ・・・・・ どう見ても昨日の浪人者とは思えないが、まぁ声だけは掛けて

   みるか

「もし、昨日この辺りでならず者を退治して頂いたお武家様を探しているのですが」

「あぁ、あの娘御のお身内でござるか」

「では、貴方様が・・・」

「うむ、娘御は災難であったな。元気になられたか」

「お陰さまにて。主人が是非ともお礼を申し上げたく、お連れするように申し遣っております」

「いやいや、当たり前のことをしたまで。礼など不要でござれば、そうお伝えくだされ」

爽やかな笑顔で手を振る。

「そうおっしゃられては困ります。貴方様をお連れしないことには、私も店には戻れませんので」

番頭は引きずるようにして、若侍を店まで連れて帰った。


  ※『国盗り物語』では油問屋の奈良屋は東洞院二条にあるとされているが、

  本稿では現在の三条河原町あたりにあったと想定している。明確な根拠は

  無いのだが、京都の地図を細かく見ていくと、河原町通りを三条から少し

  下った辺りに奈良屋町と山崎町が隣り合っていることに気が付いた。

  つまらない発見かもしれないが、ただの偶然として片付けたくはなかった。

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