第24話 茜色の鳥
秋の冷たい風が、いつもより人通りの少ない朝の屋台街を吹き抜けていく。
収穫祭の翌日は概ねどこの店も休みにするので、昨日までの熱気が嘘のように道行く人も少ない。
シズクの店も、収穫祭三日間で売り切れ続出の大盛況だったというのに、調子に乗って三日目の夜ロイのところで飲んだワインが効いたのか、帰ってくるなり今日は昼まで寝ると豪語して部屋に入っていった。
「あいつは知らないから、まぁ良かったと言えば良かったけど、そのうち話さないとなぁ」
「そうね……」
リグとエリスは、いつもよりも静かな通りを二人しっかりと手を繋いで歩いていた。通り過ぎる昔馴染みの達は、その二人の姿を見ると祈るように自らの左胸の辺りをトントンと叩いて小さく頭を下げる。リグとエリスも同じような仕草をしてそれを返す。
「リグ、エリス。おはよう」
屋台街に数件あるうち、リグの幼馴染が営む花屋のヒューイに声をかけた。
「おぅ、収穫祭のあとなのに相変わらずお前の店はやってくれててありがたいよ」
「何言ってんだよ。ほら。そろそろお前たちが来ると思って綺麗なところ花束にしといたぜ」
そう言うと花屋は白いピンポンマムとシオンを可愛らしくまとめた花束をエリスに渡した。
ピンポンマムの柔らかく丸いフォルムと薄紫の花を沢山咲かせるシオンの可憐な花束を大事に抱え、エリスはありがとうと花屋に告げた。
―君を愛している 君を忘れない―
そんな花言葉を持つ二つの花で作られた花束を持って二人がやってきたのは街外れにある教会だ。
シズクが自分の屋台の食材に使うゴボウや大葉などの野菜がある畑を管理している教会で、その隣には一般市民の為に作られた墓地がある。
「おはようございます。リグ、エリス」
「おはようございます」
「収穫祭の……、今日は私もご一緒してもよろしいでしょうか」
「是非、お願いします」
司祭と一緒に入口から少しだけ歩くと、三人が墓石の前で立ち止まる。
膝を折って花束を墓石に置いて、リグとエリスが『おはよう、ユリア』と声をかけ、持ってきていたグラスに少しだけ葡萄のジュースを入れる。
墓石には《ユリア・ベルタ 享年十歳》と書かれていた。
「葡萄ジュース好きだろ? 今年十五歳だから……成人した時は皆んなでワインだな!」
そう言ってリグがグラスを墓石の前に置くと、この一年会った事を二人で身振り手振りを交えながら話し始めた。
リグの仕事がかなり評判がいいことや、最近はエリスの手仕事もかなり評判が良くて常連客も付き始めている事、リグもエリスも毎日元気にしている事。ユリアの事を忘れたことなどない事。
そして去年の墓参りの後に、シズクという少女を保護して一緒に暮らしている事。
今日はリグとエリスの娘、ユリアの命日。
二人共娘に会うためにこの墓地にやってきたのだ。
「五年、も……というべきか、五年しか、というべきか……。時間の流れが悲しみを癒してくれるとは言いますがその時間は人それぞれ」
リグとエリスと共に墓石のそばにいた司祭がぽつりとつぶやいた。
「お二人とも、去年よりずっとお顔が穏やかです」
悲しみが癒えることなど、一生ないと思っていた。今でも娘のユリアがこの世を去った時の事を鮮明に思い出せる。しかし最近は、枯れることなどないと思っていた涙も最近は流すことも少なくなった。今でも思い出せば悲しく寂しいが、以前のようにもがき苦しみ、激しい痛みや悲しみに襲われることはなくなった気もする。
「そうですね。悲しい気持ちはもちろんあります。ですが悲しんでばかりではあの子も私達の事が心配で、安らかに眠れないかもしれないですから。月並みな言葉ですけれど、あの子には笑っていて欲しいので」
「いなくなった当初はさ、俺達の事心配して戻って来てくれたらいいって本気で思ってたもんな」
当時を思い出したのか、リグもエリスも苦笑いを浮かべてそう司祭に答えた。
今の二人からは想像もできない程、当時を知る者たちはその痛々しい二人にかける言葉が見つからない程憔悴していたのだ。それがここまでの回復を見せたのは二人の心の強さにもよるのかもしれないが、昨年出会ったシズクの存在も大きいのではないかと司祭は思っている。
「今一緒に住んでいるシズクを、今度紹介するからな。きっとユリアも気に入るぞ」
「ちょっとおかしな子なのよー」
先ほどまで少し痛みを隠そうとしていた苦い笑顔から、今は本当に楽しくて笑っているように思える。
「本当にシズクという人物は不思議ですね」
そう牧師が声をかけるのと同時に、ぱきっと枝が割れる乾いた音が聞こえた。収穫祭後のこんな朝早くの街外れの墓地に一体誰がと、リグもエリスそして牧師の三人揃って振り返るとそこにはロイルドが立っていた。一人かと思ったがセリオン家の現当主が一人で来るわけもなく、話を聞かせないようにとの配慮だろうか。この場所から少し距離のある場所に数人見える。
ロイルドのその手には薄紫のシオンの控えめな花束。
いつもリグの家に来るときのような気軽さではなく、心苦しいといった面持ちが見て取れる。
「心ばかりだが、シオンの花束を贈らせてもらってもいいだろうか」
そう承諾を取る前にロイルドはユリアの墓石の前に膝をついた。そこに持っていた花束を置くと自らの左胸の辺りをトントンと叩き、そっと目を瞑り黙礼する。
遠くからこちらにやってきた風が通り過ぎ、木々の葉を揺らしながらまた静かに遠くに向かって行っていくのを見送ってしばらくすると、膝をついて黙礼するロイルドがようやく立ち上がった。
「命日にあたり、あらためて、心よりお祈り申し上げる」
「え、あ、ありがとうございます」
急に顔を向けたロイルドの顔は貴族然としたものだったが、偉ぶっているという事ではなく神妙な面持ちでリグとエリスに向きあう。
「私達のような貴族に大事な思い出を掘り起こされるのは嫌だとは思ったのだ。しかしリグが貴族が嫌いだと言っていたことがどうしても気になって……。調べさせてもらったのだ」
**********
五年前。
収穫祭を楽しんでいたリグとエリス、そして娘のユリアが屋台で夕飯を済ませた。
本日最大の目玉である演劇の演目が始まるのをちょうど目の前で空いた特等席のベンチに座り今か今かと待っていた。
「お母さん、もうすぐお父さんのお誕生日でしょ?」
リグには聞かれたくないのか、エリスの耳元で小さく呟く。
「さっきお店で見たハンカチに、刺繍をしてプレゼントしたいんだけどどうかなー」
「ふふ、いいと思うわ。お父さん泣いて喜ぶんじゃないかしら」
リグに似た真っ赤な髪を可愛いく揺らし、エリスに似た穏やかな面立ちのユリアが、キラキラとした朝焼けのような茜色の瞳をより一層輝かせる。
「じゃぁ帰りに寄っていこうか」
「うん!」
そう小さな約束を交わしている声が、実はリグの耳にも届いており自身も幸せいっぱいに浸っていると、祭りの雑踏とは違うざわめきが広がっているのに気がついた。
「なんでこんなところに?」
「わざわざここで見なくても……」
人々のどよめきが広がる中、そのどよめきの間から身なりの良い家族が姿を現した。どこの誰かは分からないが、仕立ての良い服と周りにいる側仕えの数でそれなりに高位の貴族だとわかる。
周りの声と同様にリグも、何故こんなところに貴族がやってくるのかとその動向を目で追っていたのだが、真っ直ぐにこちらに向かってきているようだ。
粗相があってからでは遅いと、リグがエリスに目で合図するとすっとユリアの手を取りその場を離れようとした。
「あ。わ!!」
しかし、急に手を引かれて驚いてしまったのかユリアがつまずいて転んでしまったばかりか沢山の知らない大人に雰囲気にのまれて泣き出してしまった。
大きな声で泣いているわけではなく、頑張って泣くのを我慢はしているのだが目の前の貴族はそれすらも腹が立つようだ。
「不敬だな。あぁ、せめて余興で楽しませてもらおうか」
どこの誰か知らぬその貴族が何が楽しいのかくすくすと笑ってそう言うと、側仕え数人が転んで立ち上がることのできないエリスを取り囲み持っていたワインを幼いユリアに頭からかけ始めたではないか。
今日は昼頃からどんどん気温が下がり、夕方を回っている今ま結構な寒さだ。
こんな中小さな子供が水浸しのままでは風邪をひいてしまう。
なんとかユリアに走り寄ろうとしたのだが、側仕えに阻まれて近寄る事すらできない。その間も延々とワインを幼い子供に掛け続け、やめてくれと何度もリグが懇願したがそれが受け入れられることはなかった。
いくら腕力があったとしても、沢山の供を連れ最終的には力ですべてを握りつぶせる権力がある貴族の前ではあまりに平民は無力だ。
それは見ていたリグの仕事仲間が警ら隊を呼んでくるまで続いた。
「そこに座りたかっただけなのだが、興が削がれたな。帰るぞ」
座りたかったなどと今の今まで言わなかったそのどこの誰とも知れぬ貴族は、警ら隊が到着する前になんの詫びもないままその場を去っていった。
騒ぎが大きくなってしまったためその日の舞台も中止となった広場から、リグとエリスはユリアを抱えて急いで家に戻り、冷えた身体を温めてから寝かせたがその夜から熱が出てしまった。
熱さましを飲ませても、下がるどころから上がる一方。
どうしても熱が下がらず病院に連れていったその足で入院となった。
病院では帰ってから着替えさせた時には見られなかったが腹部にいくつか打撲痕が見られ、最終的な死因は高熱によるものと、強打された内臓の出血であると判断された。
そして、ユリアは意識を取り戻すことなくこの世を去ったのだった。
**********
平民が集まる場所に何故か気まぐれに貴族がやってきて、楽しもうとしていただけの一家族の一日を台無しにしただけでなく、大事な愛娘を奪う原因を作った。
恨みたくもなるし、貴族全体にいい印象を持つことが出来なくなるには相応の理由だとロイルドは思う。
「すまなかった……」
「あんたが謝る事じゃない。あんたたちじゃないって事も短い付き合いだけどわかってる……。でもあの時の貴族が誰なの分からねぇままなんぁ」
「私の方でも調べてみたのだが、その当時の記録は何者かによってもみ消されたような跡があった」
「まぁ、あれだな。あんたたちみたいに誠実な貴族もいるし、そうじゃない貴族もいるってことだ……」
祭りの騒ぎをもみ消すほどの力を持つとなるとかなり高位の貴族だろう。幼い子供に対する悪魔の所業を昔のことといえど見過ごすことなど、決して許されることではない。
この出来事を知った時ロイルドは必ずこの出来事に関する貴族を捕え、事実を詳らかにすると自らと愛する家族に誓った。
「とても可愛いご息女だと……」
「自分の子供が可愛くない親なんて、そうそういないだろ?」
「……そうだな」
自分の子供が同じ目に遭ったとしたら、五年でこんな顔が出来るだろうか。
貴族然として誰かの上に立つときは出来るかもしれないが、私生活では無理だとロイルドは思えた。
二人が今穏やかな顔で笑えているのは、時間と共に癒されたのかはたまた別の理由からか。
「シズクをこの墓地で保護した時に、とても他人とは思えなかったんです」
「それはどういう……」
「髪の色も面差しも別人なのに、ユリアと同じ茜色の瞳で私達を見たんですよ。これはもう運命だと思って二人で懸命に看病したんですけれどね、シズクあんな感じでしょ? うちのユリアとは全然別で……」
エリスが声を籠らせながらも何か内側から込みあがる何かを口に出そうとしているのだが上手く表現できないようだった。リグは背中をさすりロイルドも次の言葉を待った。
「シズクについては色々知らないことも多いけれどきっと何かの縁だと思うの。ユリアの眠る場所にいたのだから……」
そう言いながらも目に涙を浮かべながらエリスが微笑むと、ユリアの墓石の上に小さい茜色の羽の鳥が一羽止まった。
きょろきょろとあたりを見渡してリグとエリスの姿を見つけると元気よくまるでその通りだと言わんばかりにピィピィと鳴いて、青く晴れ渡る秋の空に吸い込まれるように飛び立っていった。
目にも鮮やかなその茜色の羽を一枚残して。
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