第25話 おでん
この世界にある食べ物は、大体美味しいのだがたまにそうでないものもある。煮込み料理はあまり多くないし、残念ながら美味しいものも少ないと感じていたシズクが、この冬屋台にぴったりのメニューに行き着くのは至極当然の事だった。
日本にいた頃よりもこのセリオンは寒さが沁みる。
そう思うと、おでんが無性に恋しくなるわけで……。
大根と卵は今世も問題なく手に入る。豆腐はないので手作りになるわけだが、この世界にはにがりのない今世は豆腐は断念するしかなかった。こんにゃくも手作りできないためこちらも断念。
ちくわぶは小麦粉で試作をして問題なさそうなので採用して……と揃えられる具材を考えたのだが、試行錯誤の末どちらかと言うと洋風おでんやポトフに近いものになった。
純和風のおでんを目指したが、やはり中々にむずしい。それでもこの世界の人達の冬の五臓六腑に染みわたるおでんを食べてもらうためにと腕によりをかけ、今日めでたく屋台での販売を開始することとなったのだ。
出汁は港町から入ってきた昆布とカツオに似た魚を使って作った。出汁をたっぷり吸った大根と卵をおすすめするが、基本は好きに五品を選んでもらうようにしてラインナップは基本的に十五種類ほどを揃え、無事に今朝お披露目を迎えたのであった。
大きく背伸びをして盛大に息を吐くと、白い息が周りの空気に吸い込まれるように消えた。
「朝も寒くなってきたから、やっぱおでんはしみるよなぁ」
出汁の香りがふんわりと優しく香るだけで、ほんの少しだけ寒さが和らぐような気がする。あくまでシズクがそんな気がするだけ、だが。
ちなみにおでん鍋はもちろんリグに作ってもらった。
「お? これまたいい匂いですね」
「おはようございます。シャイロさん。随分お久しぶりですね」
おでんの出汁の香りに惹かれて、やってきたのは、シャイロ。期間限定でうどんを試した初日に出会った自称探偵の男性だ。初めてうどんを出した日からおよそ一月ほどしか経っていないのだが、その間一度も顔を見なかったのだから久しぶりと言っても間違いではないだろう。
「お元気でしたか?」
「色々ありましたが、元気にしてましたよ。シャイロさんもお仕事どうです?」
「仕事はまぁ、ぼちぼちです。それにしても今日も良い匂いですね」
くんくんとおでん鍋に顔を寄せて匂いを嗅いで、ほっとしたように顔をほころばせたシャイロは、その鍋の中に入っているおでん種に見入った。
「これはリットラビアのコロじゃないか」
「流石探偵さんですね! そうなんです。この前ドラゴンの調査で色々な国の方々いらっしゃったじゃないですか。収穫祭の時に出ていたキャラバンで見つけたんですよ」
コロ、とは前世日本でいうところの里芋である。里芋よりもねっとりとした口当たりでなかなかに美味しい。里芋を見つけた瞬間シズクがぴょんぴょん飛び上がって喜んでしまったのはお店の人との秘密である。
「これがね、おでんの出汁が染みて美味しいんですよ。食べていかれますか?」
「じゃぁ、コロと他はおすすめでお願いします」
「ありがとうございます!」
里芋もといコロと、おすすめの大根と卵。シズクの好きなちくわぶと人参をチョイスして菜箸で盛り付ける。箸を使う様子を摩訶不思議なショーを見るような顔でシャイロが見つめる。
「いや、ちょっとそんなにみられるほど凄いことしてないんで……」
「その細長い棒で……」
盛り付けが終わり器にほかほかのおでん出汁を注ぎ込むと、ごくりとシャイロが喉を鳴らして早く早くと手を伸ばしてきた。そうでしょうそうでしょう。おでんの魅力にハマるが良いぞとにやりとしながら手渡す。
「結構熱いので、少しだけ冷ましながら食べてくださいね」
「わかりました。これは……?」
「お行儀なんて気にせず、好きに食べてくださいよ」
シズクがそう言うと、シャイロはフォークで大根を丁寧に四つに綺麗に割って、その一つをそっと口に運ぶ。
「わふっ、ふーふー」
まだまだ熱いであろうトロトロアツアツのおでんの大根を口に一気に入れたとなれば、それは熱いに決まっている。水を用意したのだが受け取らなかったので、仕方なくシズクは大根の熱さと戦うシャイロを見守ることにした。
ほふほふと口を大きく開けたりすぼめたりしながら、熱さをうまく外に逃がしながらアツアツを味わうように涙目になりながら食べている。熱さに慣れてきたのか、はたまた和らいできたのか……。今度は初めて食べるであろうその味を堪能するかのように目を閉じ、口から息を吸い込み堪能するように鼻から吐き出しながら香りを堪能している。
いや、これおでんだからね。高級ワインみたいな味わい方は似合わないから。
屋台でおでんを食べているとは思えない程の優雅な動作で、次はちくわぶに的を定めたようだった。
「シズクさん、もしやこれは……うどん?」
「残念。材料はほぼ同じなんですけれど作り方が違うんです。これはちくわぶって言うんですよ」
それはそれは興味深い、といいながら大根と同じようにフォークでいくつかに割ろうと試みているのだが、あまりうまく行かないようだ。何度もつるりと逃げられているのが見える。
別にかぶりついても良いと言ったのだが、シャイロはフォークを刺してかぶりつこうとはしなかった。あまりにも埒が明かないので、シズクは助け舟を出すことにする。
「ちょっと貸してください」
おでん鍋の横に置いていた菜箸で四つほどに分ける。先ほど食べていたときにも四つに割っていたのでなんとなくそれに倣っただけなのだが、それを見たシャイロが満足そうな笑みを浮かべ礼を言ってからゆっくりと口に運び食べる様を見る限りお気に召したようである。
「ぶっちゃけ好きなように食べるのが一番美味しいと思ってるんで、かぶりついても大丈夫ですから」
「自由に食べてもいいと?」
「程度にはよりますけど、楽しく食べた方がもっと美味しいですからね」
あくまで自論だと言っておくことを忘れず、自分自身もつまみ食いで大好物のちくわぶをフォークで一差しして頬張ると、熱々のおでんに口の中を火傷しそうになる。フーフーと直接冷ますとそのしぐさにシャイロが目を真ん丸にしてびっくりしている。
リグとエリスも食事をする時にも同じように冷まして食べることもあるし、この世界でも特に気にしないのだと思っていたのだが、もしかすると熱いものをフーフーと冷ましたりすることはユリシス以外ではマナー違反になりうるのだろうかと不安が頭をよぎる。
「やっぱりあまり行儀は良くない感じですかね」
「いや、そんな食べ方があるのかと思って、だな」
そう言うとシズクの真似をして、まだまだ殺人的な熱さを誇るちくわぶにフーフーと息をかけ、ぱくりと食べると妙に興奮したような面持ちで顔を上げた。
「これは美味しくなる魔法のようだな! 丁度いい温度で口に入れることが出来る」
「いえいえ、自分で冷ましてるだけですからね」
初めて会った時、シャイロは最近リエインの街からやってきた私立探偵だと言っていた。忌避感もなさそうなのでマナー違反といった事ではなく、もしかしたらリエインでは息をかけて冷まして食べるという風習はないだけなのかもしれないとシズクは思った。
フーフーと楽しそうに冷ましながら今度は人参にかぶりつき、次に狙いを定めたのは王道の卵である。
程よく出汁が染みたおでんの卵程美味しいものはないとシズクは常々思っていたのだが、この世界でもおでんの卵を普及できる機会に感謝しつつ、シャイロの動向を見守った。
一旦卵を割るかどうかじっと見つめていたが、さすがに大きかったのかフォークで二つに割った。
するとそこそこ時間がかかっていたにもかかわらず、割れたその間からほわりと湯気が立つ。昨日の夜から準備していた卵は、一晩じっくり出汁に漬け美味しいを体現してくれている。
「これは、まるで宝石のような煌めきだね」
「大げさ!」
中身の色鮮やかな黄身を褒めたたえじっくり観察した後それを口に入れると、しっかり咀嚼して飲み込みすぐにもう半分を口に入れて食べ始めた。
そしてメインディッシュと言わんばかりにコロに狙いを定めた。
「ここは、こうして」
先ほどまで囚われていたかのように絶対にフォークで一刺しなどしなかったのに、目を離したすきにすでにコロを一刺し。得意げに息を吹きかけご満悦で一齧りすると、目を細め息を小さく吐き出した。
「さっくりと……、ほっこりと……、ねっとりと……」
うっとりとした顔でコロを堪能すると、まだお腹に余裕があるのかおでん鍋の中を物色し始めた。食べたものの中で美味しかったものをもう一度食べるか。はたまた別の具材に挑戦するかのせめぎあいの果てに、心が決まったようである。
「なんだかわからないけれど美味しそう」
シャイロが選んだのはウインナー巻きだ。このユリシスにもウインナーがあったので魚のすり身で巻いて油で揚げて作った、簡単ながらもこの世界ではとりわけに珍しい逸品である。その横にある牛に似たボルス肉の串には目もくれずこちらを選ぶとはなかなかにいい嗅覚をお持ちだと思わざるを得ない。
「では」
とフォークで端を刺して、覚えたての冷ますしぐさでウインナー巻きを食べるシャイロの表情がなんとも真面目で面白いとは口が裂けても言えないシズクであった。
「ふぅ。これもまた美味ですね」
「美味だなんて照れますね。好きな具材を出しで煮込むと美味しくなるだけなのでお出汁さまさまですよ」
「その好きな具というのがまたいいんですよ。例えば入れてはいけないものはあるんですか?」
ふむとシズクは考える。
おでんに禁止事項なんてあっただろうか。
入れる具材は家ごとでも特徴があって、東雲家では焼売が入っていたり餃子を入れたものだ。鍋の底に張り付いて中の具が出てもなお美味しかったし、初めてエリの家でおでんを食べた時はロールキャベツやたこ焼きが入っていてびっくりしたものだ。
「自分が好きなものは入れてもいいと思います。鍋系の料理は結構自由ですから」
「鍋系?」
「好きな味のスープに色々な具を入れて煮込む料理の総称……、みたいな感じですかね」
スーパーに売っていた鍋の素なんてお出汁ベースのド定番ものから変わり種までびっくりするほどさまざまな種類があったものだ。
「鍋は好きなものを入れて食べるんです。おでんも鍋の一種でお出汁で食べるのが定番なんですよ」
「ほほう。興味深いね」
「みんなで鍋を囲んで突っついて食べたら、もっと楽しくて美味しいですよ」
興味深いと聞いていたシャイロの目が、それを聞いた途端またもや大きく見開かれた。
おでんを試している時も、家庭用の鍋がないのでリグとエリスの三人で鍋を囲んだことはなかったから気が付かなかったが、もしかしたらこちらの世界は大皿料理のようなものはないのか?
しかし屋台でお惣菜は買っていく時に結構な量を買っていくこともある……。いや、量が多いからと言って一皿に盛り付けるとは限らないと考えたところでシャイロを見ると、くすくすと何故か笑っているではないか。
「随分と目まぐるしく表情が変わるなと思ってね」
「えー、そんなに顔に出ちゃってました?」
それはもう、と楽しそうに笑うとシャイロのタレ目がちな目尻がさらに下がる。
「家族で同じ皿から取り分けながら、その味をみんなで楽しむ」
皿に残るウインナー巻きを口に入れ、しっかりと味わいながら咀嚼し終わるとシャイロは口を開いた。
「考え方が素敵だなと、思ったんです。考えたこともありませんでした」
「こっちはやっぱりそう言う文化はないんですねー。私の故郷は寒い時期には鍋は定番で、うちなんておでんは三日ぐらい煮込んで……」
「こんな美味しい料理がたくさんあるシズクさんの故郷はどちらで?」
屈託なく聞いてきたのだとわかるのだが、シズクはどきりとする。
この世界に、故郷などない。
自分の家族もこの世界にはいない……。
そしてこの世界に来てからずっと気になっていたあること……。
先ほどまでの楽しい気持ちが一気に寂しさに飲み込まれそうになるのを、シズクは奥歯を噛んでなんとか踏みとどまって微笑んだ。
「故郷はとても遠くて、多分二度とは戻れない、と思います」
絞り出すようなシズクの声を聞くと、シャイロもそれ以上踏み込んでこようとはしなかった。
「そうですか……。人には色々と事情があると思いますが、今のシズクさんにはベルタ夫妻もエドワルドもいらっしゃる。不安なことがあってもきっと包み込んでくれますよ」
そうだ。今は自分の事を気遣ってくれつつも温かく包んでくれるリグとエリスがいて、何かあるといつも手を伸ばしてくれるエドワルドがいるのだ。
「へへ、そうですね」
「では僕はこの辺で失礼しますね。ごちそうさまでした。また寄らせていただきますね」
「はい! お待ちしています」
ひらひらと手を振るシャイロの後ろを見送りながらなんだか先ほどの寂しいと思った気持ちも、雪が解けるように温かいものに変わっていくようだった。
「おはよう。お? 今日は新しいメニューかい?」
シャイロが去った後すぐ、匂いにひかれるように良く店に寄ってくれる常連の警ら隊員がやってきた。
「おはようございます。私の故郷の料理でおでんっていうんですよ。食べていかれますか?」
「体があったまりそうだなー」
「心も体もぽっかぽかですよ」
家族と会えなくなってしまったのは寂しいし、二度と帰ることなど出来ないけれど、私は今ここで大事な人達と共に第二の人生を生きている。
ぽかぽかと心が温まるのを感じて、じわりと広がった不安が心の奥の方に引っ込んでいくような気がしたのだった。
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