第26話 おせち
「ふーむふむふむ……」
寒さがますます厳しくなってきた。
何故か屋台の周りだけ床暖房が付いているようにそこそこ暖かいおかげで、寒くても営業には支障はない。
屋台は静かな魔道具と言う事にしているので、驚きはされても不審には思われないでいるのでありがたい。
「先ほどからいったい何を悩んでるのかしら?」
そんな寒さの中朝食を食べに来ているベルディエットが、目の前でうんうんと唸りながら何かをメモしているシズクに声をかけた。
「おせちみたいなのを作って売ろうと思ってるんだけど、ユリシスにはそういうお祝い膳みたいなのってある?」
「おせち? お祝い膳?」
「やっぱりないのかー」
がっくりと肩を落としかけたが、はたと思う。
これは商機なのではないかと。
ユリシスの保存食の定番と言えば?とベルディエットに聞けば、簡単に答えが返ってきたがシズクの求めていたものとは違った。
「保存が利く食べ物と言えばジャーキーではなくて?」
「茶色いじゃん」
「シズクの茶色いご飯は美味しくてよ?」
「ありかとう……、なんだけど、なんだけどね」
それはなんとも嬉しい言葉ではあるのだが、コンセプトが違うのだ。作りたいのは新年の喜びを表しながら見た目華やかで保存が利いて、年末年始家事の手間を少しでも省けるおせちなのだ。
家族で美味しいを試行錯誤して作り上げた黒豆と栗きんとんに東雲家秘伝の煮しめ、母方の実家の味である伊達巻は必ず毎年手作りして、他は美味しいと評判のお店からお取り寄せ。東雲家のおせちは、常日頃から忙しい家族が正月ぐらいは料理を出来るだけ作りたくないけど自分の好みの味を沢山食べたいという切実な思いから出来上がる、欲望強めの『好きなもの沢山おせち』だ。
それに諸説ある中で『料理を作る人を休ませるため』という説がシズクは一番好きだ。
だからかは分からないがこの世界でも、せめて年末年始ぐらい出来れば忙しい人のためにほんのひとときご飯を気にせず、それでいて楽しめるものをシズクは作りたくなってしまったのだ。
「出来れば二、三日保存の利く食材で作ったものを大きいお重に入れて売りたいんだよねー」
「そんなに日持ちするものなんてあるのかしら」
「そこはまぁ色々あるけど、お肉なんかも結構保存が利くよ?」
「お肉もですの? キャナールのロースも?」
「いけるいける!」
キャナールとは、いわゆる前世で言う鴨だ。この世界でももちろん鴨は高級で、とてもじゃないが一介の弁当屋が気軽にお弁当に入れて出せるようなコストパフォーマンスを全くと言っていいほど持ち合わせていない食材である。
コスパは最恐だが冷蔵庫に入れて置けば三日ぐらいは日持ちするはずだ。
「お重にこだわる理由は?」
「年始の家事の負担を減らすために作るんだからそれなりの量と種類になるでしょ。せめて二日ぐらいはね。だから沢山のお皿で保存するより大きいお弁当箱みたいなお重に入れておいた方が洗い物も少ないしいいかなって思って」
そう言っては見たもののベルディエットの反応があまりによくないので、もしやこの国には年末年始がないのだろうか。そういえば昨年の今頃はこちらの生活に慣れる事に手一杯で、年の瀬の印象がない……。若干の不安がシズクの頭をよぎる。
「シズクの作る祝賀用のお重はとても興味がありますけど、年終わりに近づくにつれ他家の舞踏会や茶会が増えるし、城の新年祝賀の儀もあります。折角の年終わりと年初めのお休みを家族と水入らずで過ごす時間も少ないですし……。ですので私、年終わりと年初めはあまり好きではありませんの」
「あぁ、そう言う感じ?」
ベルディエットの年末年始のスケジュールはセリオン家の娘としてのものである。一般市民は舞踏会や茶会には参加しないし、城の祝賀にも出席することなんて恐らくない。話を聞く限りはこの世界もとりあえず年末年始は一般的にはお休みのようだ。
「シズクも一緒なら面白いかもしれませんが」
「行けるわけないしっ!」
「ふふふ」
お嬢様らしからぬ冗談だと思うのだが、目が比較的本気っぽいと思うのは気のせいだと思いたい。
さて、おせちについて話を戻そう。
「ユリシスで縁起のいい食べ物ってあるの?」
「縁起のいい食べ物、ですか?」
「うん。これを食べると運が良くなるかもー、とかでもいいんだけど」
「あまりそう言ったものは聞いたことがありませんね」
これまた諸説あるがおせちは古来からそれぞれにおめでたい意味をもった一品一品を、さらに福を重ねるという意味を込めてお重に入れを食べ、一年の無病息災を願うのだ。神に祈るというよりは……。
「験担ぎみたいな感じかな」
「験担ぎ?」
「そう。私の生まれ故郷はね一年の始まりに、縁起のいいものを食べて験を担ぐんだよ」
「縁起物……」
そう言いながら口を少し尖らせながら考えているベルディエットに、まめに暮らせるように豆を食べ、土地や仕事に根を張れるようにとゴボウを食べる。黄色い物を食べて金運をあげ紅白の色の酢の物を食べて邪気を払い不老長寿を願ったりするのだとシズクは話をする。
八百万の神様に語呂合わせの縁起の良さ。験担ぎを受け継いできた日本人の気質がわかるかは賭けだったが、最後には大笑いされてしまった。
「なんだか下手な洒落みたいですのね」
「そう思った時もあったけど、ずっと受け継がれてきてるからさ、きっとそれには意味があると思うんだよね」
そうなりたいと願いそれを体に取り込む。栄養ももちろんあるが、その自分自身が新年に願いながら口にする事そのものが、もしかしたら叶えるための第一歩なのかもしれない。
シズク自身も甘いものが好きだったからというのもあるが、金運上昇のために自ら好みの味になるまで母と一緒に試行錯誤して好みの栗きんとんを作ったものだ。
「そうですわね。先人の教えは教訓の場合もありますもの。シズクの生まれ故郷に根付いていたものをこの地で広めてみるのも楽しそうね」
「ほんと? おせち流行るかなぁ」
「流行るかはわかりませんけれど、私は家用に一つ予約いたしますわ」
ベルディエットの一言に、びっくりして勢い良く息を吸い込んだシズクの喉がひゅっと鳴る。
「天下のセリオン家のおせちだなんて、料理長さんに怒られちゃうよ」
「先ほども少し話しましたが、我が家の年終わりと年初めは他家の茶会や舞踏会でほとんど夜は食事を家で取りませんから、料理人には毎年休暇を出しているんです。怒ったりなどしませんよ」
「え?! じゃぁその間誰が朝ご飯作ってるの?」
「父です」
「は????」
「父です」
同じ調子で二回繰り返されてしまったが、シズクがびっくりするのも仕方がないというものだろう。天下のセリオン家当主ロイルド自らが正月早々家族の朝食を作っているという事実を知ってしまったのだから。
「作ると言っても茶会や舞踏会で食事が出ますから、朝に野菜の入った簡単なスープだけですけれどね」
「ロイルドさんだって舞踏会とか行くんだよね? それなのに家族のためにお腹に優しいお野菜のスープとか作るなんて、私、感動したっっ!」
一人拳を握りしめて感動しているシズクにベルディエットが、だいたいどこの当主もそうしているはずだというのを聞いて一層びっくりした。
「貴族男子の嗜みでしてよ?」
「そうなん?」
家庭ごとに父に教わる秘伝のスープらしい。貴族社会では普通の文化の様で息子に代々引き継がれていくそうだ。セリオン家ではすでに兄二人とエドワルドには伝承済みだという。ロイルドが当主を長兄に譲ったあかつきには、その長兄が作ることになるそうだ。
次男はすでに自分の家族に、エドワルドも伴侶を得たなら正月には作ることになるのだろう。
「ベルディエットは作り方教えてもらってないの?」
「私は、いずれ嫁ぎますから知らなくとも……」
いずれ来るその時を思ったのか、顔を俯け寂しそうに笑ったベルディエットにシズクは言う。
「なんで? 覚えててもいいじゃん。嫁いだって年末年始は嫁いだ先のお義父さんが作ってくれるのを食べればいいし、実家の味を食べたくなったら自分で作って食べたらいいんだよ」
貴族だから色々なしがらみや嫁ぎ先のしきたりもあるのかもしれないとは思うけれど、作ってはいけないなんてそんなことはないはずだ。実際自分の母も嫁いできた後も実家の味と父の家の味両方を大事にしていた。
「思い出の味で元気になれることだってあるんだからさ」
そう言ってにかりとシズクが笑った。
ベルディエットもなんだか釣られて笑ってしまった。
「まぁ、そうですわね。祝賀の儀が終わった後にでも私も父から秘伝のレシピを教わることにいたしますわ。で、それはそうと、シズクはどうしてそんなにお休みしたいのかしら」
「ん-、今までも年の終わりと年の初めには休んでたからその名残かなぁ。で、お休みを使ってリエインにでも行って新しい食材とか探しがてら観光でもしようかと思ってさ。あー、リエインだと行き帰りだけで四日もかかっちゃうから思ったよりも弾丸ツアーになっちゃいそうだけど」
シズクはこの世界にやってきてこの方、ユリシスの城下街しか知らない。シズクが普通に食べていたものでこの世界では食べてこられなかった美味しい食材もあるかもしれないし、港町の料理がどういったものなのかを見て見たい。もしかしたら刺身が食べられるかもしれないという下心付きでもある。
「リエイン? ならば年が明けて祝賀の儀が終わった後でもよろしければ、我が家の
「まいぐれ?」
頭にクエスチョンマークが飛びだしたのではないかというような勢いで声に出てしまったが、聞きなれない謎の単語にびっくりしてしまったので許して欲しいとシズクは思う。
「我が家はいくつかの街に別邸があるのですがリエインにももちろんあって、その別邸とユリシスの家を繋ぐ扉があるのですわ。行先を告げて扉を開ければその目的地に到着できるのです」
「なにそれ、秘密道具じゃん!」
ユリシスの高位貴族の家には必ずあるものですわ、とベルディエットは言うがドアの色がピンクなら、まさにあれじゃないかと思ってしまうシズクであった。
「でもさ、そんな大事なもの使わせてもらっちゃって大丈夫なの?」
「リエインまでは往復四日もかかってしまいますし、道中はそれなりに危険です。私の命の恩人をそんな危険な目にあわせるわけには参りません。
「待って待って! エドワルドにだって仕事があるしそんな無茶振り良くないよ」
「無茶ではなくってよ。仕事の一環でもあるはずですから今から騎士団に話せばなんとかなるはずですわ」
「……」
仕事の一環、と聞くと理由もなくちくりと胸の辺りが小さく痛むのをシズクは感じた。
すぐさま若干の違和感だけを残してその痛みは溶けるように消えてしまった。
その痛みがなんだかわかりそうだったのにな、と思いはするが今はそれを深追いして一人考える時間はない。目の前のベルディエットがさらに話をどんどん進めていこうとするからだ。
「ではメニューはシズクにお任せしますけれども出来るだけさっぱりとして、お腹に優しいものでお願いいしますわ」
「それはわかった。好きなものと苦手なもの教えてよ」
セリオン家だけは特別メニューになりそうだが、それを基にユリシスの郷土料理も踏まえてこの土地に根付くようなおせち料理を考えてみようと思った矢先、勢いよくベルディエットが椅子から立ち上がり綺麗なカーテシーを決めて自信満々に言う。
「そうと決まったなら善は急げですわね。まずはお父様に
「え、なに? ちょっと、まだ使えるって決まったわけじゃないって事?」
「決まったも同然ですけれどもね」
どこから込み上げてくるのかわからない自信を漲らせながら胸を張って言い張るベルディエットに、これはもう諦めてお任せしようとシズクは思う。
「また連絡しますわ。では、ごきげんよーう」
「ば、ばいばい」
善は急げ、思い立ったが吉日だ!と言わんばかりの勢いで足早に去って行ってしまった。そのあとを追うように恐らくベルディエットを護衛していたセリオン家の護衛が数人が物陰から走り出した。
いつもご苦労様です、と心の中で思いながらシズクが浅く会釈をすると、護衛も気がついたのか片手をあげて挨拶を返しそのあとを追って行く。
やれやれ、普通におせちや年末年始の話をしていたと思ったら怒涛のような展開である。
「楽しそうだからがんばろっかね」
面白くないより面白い方がいいに決まってる。
よしっ!頑張りますかね、と一人呟いてシズクはまたおせち作りのメニューを考え始めるのだった。
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