第27話 いくらと焼き鳥と……。
セリオン家がいの一番に予約をしたと言うシズクのおせちの噂は、瞬く間に年の瀬近づくユリシスの街中を駆け抜けた。
作るとは決めたがまだ商品として何も決まっていないというのに、セリオン家の人気も手伝ってか噂を聞きつけた人々からの問い合わせが相次いだ。
嬉しい悲鳴ではあったが一人ではさすがに作りきれない程の問い合わせすべてを対応することは流石に難しく、大変おこがましいとはシズクも思ったのだが抽選とさせてもらう事にした。
そして色々と試行錯誤しつつ出来上がったおせち料理は全部で三十セット。
本当はもう少し作れたけれど……。言い訳が許されるならば声を大にして言いたい。
いや、恥ずかしいものなんて出すつもりはまったくないんだがっ!
でも、なんか……、噂に尾ひれがついて言われてた割には大した事ないって言われるかもしれないのいやで……。
弱気の弱気もいいところであったが、リグの工房にもリグのお得意様の貴族の執事が問合せに来たりと大変だったのだ。
軽い気持ちでおせちを作りたいと思ったわけではないし少しでも家事の負担を減らしたいと思ったのは嘘ではないのだが、あまりにも反響が大きすぎて散々ビビり散らかした結果の三十セットである。
ちなみにベルディエットから頼まれていたものについては、話が大きくなる前に頼まれていたので抽選分とは別に誂えた。
そして厳選な抽選の結果貴族の家でおせちを射止めたのは、なんとサライアス家のクルドが申し込んだ分だけで、それを届けにシズクはこの年の瀬にサイラス家にやってきたのだった。
玄関で待つこと数分。ゆったりとした足取りで笑顔のクレドがやってきた。
「こんにちは。お祝い膳をお届けにあがりました」
「シズク殿。わざわざ寒い中届けてもらってすまない。良かったら中で茶でも飲んで……」
「行きませんーっっ!」
この世界の貴族の中では恐らく一番初めにおせちを手に取った家になったサライアス家にやってきたシズクのその後ろには、クルドも見慣れた男が一人。アッシュブルーの髪を揺らしてシズクの後ろで不機嫌な顔をして仁王立ちしているエドワルドが立っていた。
「お前、なんでまたシズク殿と一緒にいるのだ」
「別に一緒にいたっていいだろっ。なんか文句ある?」
今日は城下街で当たった当選者は屋台に取りに来てもらって一人一人に中身の説明をして手渡した。しかし貴族のサライアス家とセリオン家には、屋台街に取りに来てもらうとなると騒ぎになりかねないので自分でお届けするようにしたのだ。一度家に戻り屋台を置いてサライアス家に向かう途中、仕事帰りのエドワルドがシズクに声をかけ今に至る。
「ウチには一番最後に来てくれるんだよね。シズク」
クレドには先ほどから鋭い視線を投げかけているというのに、シズクの横に並ぶと急にへにゃりと笑う。そのエドワルドの豹変ぶりがいっそ清々しいとクレドは思う。
「文句など言う立場には……。しかし折角祝い膳を頂いたのだからその説明を直接受けてもいいだろうか。それぐらいの時間構わんだろう。エドワルド」
「そうですね……。一応中に説明書きを入れていますが、やっぱりご説明できた方がいいです。ね、少し寄って行ってもいい?」
横に並ぶエドワルドを少し見上げるようにシズクが聞くと、とてもとても嫌そうな顔をしつつも口をむっと結んでしぶしぶと言った風ではあったがこくりと頷いた。
「不貞腐れおって……。ではシズク殿どうぞ。あぁ、エドは玄関で待っていてもいいのだぞ」
「俺も行くに決まってるだろっ」
どたどたと珍しく足を取を大きく立ててエドワルドはサライアス家の玄関を歩いていく。
その後ろをクレドが、さらに後ろから笑いをこらえながらシズクが続く。
「もう! なんでそんなに笑ってるの?」
「ちょっとエドワルドが可愛かったからー」
噛み殺していても漏れてしまう小さな笑い声に気がついたのか、ようやくエドワルドが後ろを振り返ってシズクをみる。
シズクはくすくすと小さく肩を震わせて笑っていたが、堪えきれず大きな声でひとしきり笑ってから、両手を顔の前で合わせ首を傾けごめんね、と苦笑いを浮かべた。
その苦笑いがふわりと満面の笑みに変わる。
エドワルドに向けたその笑顔を見ると、なんとも言葉にできないむず痒いような、くすぐられているような気持ちが込み上げてきて、先程までのもやもやした気持ちがどこかに行ってしまった。
************
「こちらが今年のお品書きです」
そう言うとあらかじめ作っておいたお品書きをテーブルの上に置き、シズクは重箱を開けて説明し始めた。
一番上になる一の重には祝い肴になるユリシスでも手に入る食材で使った縁起物になりそうなものを奇数詰めた。
「たたきごぼう、黒豆、伊達巻、錦玉子、栗きんとん、きのこの甘煮、イキュアです」
順番にどのような縁起物なのかを説明していく。
中でもこの世界で一番高い通貨の金貨の色にあやかった栗きんとんはエドワルドとクレドに大好評で、珍しく二人で肩を叩きながら笑っていたのだが、最後のイキュアと言った途端に虚無の顔になってしまい、いったいどんな縁起物なのかを聞いていないようだった。
探せばやっぱりあった。『いくら』。
話を聞くとユリシスでいくらは『イキュア』と言うらしく昔からすじこの状態でオイル漬けされたものが土産物屋で細々と売られているだけの、全く人気のない食べ物だったのだ。少しだけ食べてみたがびっくりするほど残念な食べ物だった。
シズクは試しに加工している工房にお邪魔して、すじこの状態で貰ってきて醤油で漬けてみた後、リグとエリスにご飯と共に出したところ大好評で……。これが本当にあのいくらなのかと何度も聞かれるほどだった。地元の人間によほど人気のない食べ物だったようだ。本当に残念でならないがこれを機に好きな人が増えてくれると嬉しいと、おせちにいれることにしたのだ。
「イキュア……、だと?」
「イキュアです」
昔から食べられてきている食べ方しか知らないのだから、あのオイル漬けの味を想像したのかもしれない。油の匂いとなんとも言えない味しかせず、皮部分もぐにゃりとして触感もあまり良くないものが、今まで何故土産として残って来たのか不思議なほどだった。
話を聞くと昔々創業者がこれまたユリシスの近くの川で取れる鮭に似たサルモーという魚を見つけた。その魚と魚から取れる卵を加工しようと試行錯誤した結果今に至る。
なんとか人気の土産にしようと試行錯誤したが創業者の熱意だけが受け継がれ、されど売れることはなく、無論サルモーという魚自体も人気が全くないようだ。
「これは油じゃなくて醤油で漬けたものなんで、ご飯と合うんですよ」
「白米に合うのか」
「お茶を入れてお茶漬けにするのも美味しいですよ」
怪しいしかないっ、みたいな顔を向けてくる二人を他所に続けて二の重の説明に入る。
「では次のこちらの説明を始めますね」
大根とキャロッテの酢の物、菊花かぶ、キャナールのロース、牛肉のローストビーフ、コロとユリシスで取れる野菜の煮物、クリームチーズの生ハム包み、ヤム芋とゴボウの豚肉巻き。
二の重については、酢の物と菊花かぶ、煮物以外はあまり由来などはない。
ベルディエットはお腹に優しいものをと言っていたが、外出先であまり食べられない日もあるかもしれないとボリュームのあるメニューも入れてみたのだ。
「なんっていうか、どこかで食べるコース料理よりずっとおいしそうだね」
「何日か食べるから、色々と口にできる方が楽しいしね」
「あ、ヤム芋の豚肉巻きにゴボウが入ってるんだ。これ絶対美味しいやつじゃん! うちのにも入ってる?」
屋台で出すレパートリーの中でエドワルドの好きなもの上位に食い込むヤム芋の豚肉巻きにさらにゴボウが入っているのだが、実はキャロッテも入っている豪華版なのだ。
「これはね、実はキャロッテも入ってるんだよ。タレも甘辛にしたからエドワルドは絶対好きな奴だと思う。えっと、クレドさんも多分好きだと思います。おうちの皆様のお口に合えばいいんですけれど」
エドワルドやセリオン家の人達はおそらく面白がってくれるとは思うのだが、サライアス家に関してはクレドしか知らない。味にはもちろん自信があるのだが、貴族の家の食事としてふさわしいかは甚だ疑問だ。
「うちもセリオン家には及ばないとはいえ年の終わりと始まりは結構他家に呼ばれるからな。さっと一口で食べることが出来るのもいいし、口直しの二つも目にも鮮やかだ。どれもうまそうだ。イキュア以外は……」
「全体的に肉の入ってるお重は茶色いから絶対に美味しい奴だと思うけど、初めに出てきたお重も美味しそう。イキュア以外は」
クレドもエドワルドもイキュアを警戒しすぎである。
リグとエリスも食べるまで本当にめちゃくちゃ警戒していたので、屋台に取りに来てくれた人たちには念のためスプーン一掬いと一口分のご飯と一緒に試食をしてもらっていた。
もちろんここにも持ってきてる。
「そんなに言うならば、試食してみてよ。じゃじゃーん! 実はここに試食用のイキュアお持ちしております!」
高らかに小瓶を掲げると油に浸かったイキュアの少しだけ濁ったような赤ではなく、宝石のような赤が煌めいた。
「これがイキュア? 宝石みたい……」
「あぁ、今までおれ達が見てきたイキュアとは違うようだ。だがまだ安心は出来ん」
「まぁまぁそう言わずに。この一口おにぎりに少し乗せて……」
持ってきていた一口おにぎりに小瓶からイキュアの醤油漬けを少しだけ乗せて、シズクはあからさまに嫌そうな顔をしているエドワルドとクレドに向けて言う。
「もちろん人それぞれ好き嫌いはありますから無理しなくてもいいですけど、もし良かったら一口だけでも試食してみてください。やっぱりダメな時はこっちに変更しますから」
「あ! あれ? これ焼き鳥?」
そう、変更するのは焼き鳥だ。
もう一度言おう。焼き鳥だ。
ユリシスでも普通に食べられている鶏肉だが、屋台でも家庭でも揚げ焼きが多いのでシズクが出すように一口ほどに切った鶏肉をあぶり焼いたものはあまりない。さらに塩味が多いこの国で、甘めのタレに絡まっている焼き鳥は屋台で売る時もあっという間に売れてしまう売れ行き商品でもある。
「でも、俺はイキュア試してみる。シズク自信満々だもんね」
「おれも試してみよう」
嫌々なのが分かるのだがそっと一口おにぎりを半分だけ口に入れる。恐る恐る咀嚼をしていると、すぐに二人共目を輝かせ、残り半分も口の中に放り込んだ。
「これは、ちょっと知ってるイキュアとは違う食べ物だね。おかわりはないの?」
「馬鹿か、これはシズク殿が試しにと言っていただろう」
存外二人も気に入ってくれてお代わりを出してあげたい気持ちも大いにあるのだが、あいにくとお試し分の一口おにぎりが今の二つで在庫切れになってしまった。
「残念だけど、イキュアは少しあるけど今のでおにぎりが終わっちゃったんだよね。ごめんね。変わりに焼き鳥食べていいよ」
「え、ほんと! シズクの店の焼き鳥なんて今や幻みたいな扱いなのに、本当にいいの?」
「ふふふ。何それ。大げさ」
「大げさなんかじゃないよ。朝ごはんで食べてさ、お昼にもう一回食べたいって思って屋台に行くともうないしさ」
「そんなにもか!」
「そう! そんなにも!」
美味しいと思うものは人それぞれだし無理して嫌いなものを食べなくてもいいとは思うけれど、自分が美味しいと思って作ったものを出来れば美味しいと食べて欲しいと、どうしても願ってしまう。
さらに好きな人や家族だったなら、なおさらだ。
「鶏にはなにか、いわれなどはあるのだろうか」
「えっと、確か……、二本足で立つから地面に手をつかないって言うので勝負事の縁起ものみたいな感じですね」
「それは興味深いな」
クレドがもう一つ焼き鳥を口に入れると、その横でエドワルドももう一つ焼き鳥を口に頬張ってイキュアをちらりと見た。
「さっきびっくりして全然聞いてなかったけれど、イキュアはどんな縁起物なの?」
「無病息災だったかな……家庭円満だったかな……。でも縁起物あんぬんよりも好きな人に美味しいって言われると嬉しいよね」
えへへと照れるように答えるシズクに、エドワルドとクレドがピクリと微かに肩が動いた。
そしてそっか、とにこりとわらって返事をしてから、エドワルドは目の前にあったイキュアを口に放り込む。それを見たクレドも続いて同じようにイキュアを急いで口にした。
「イキュア、美味しいね。俺、これ好きだな」
「お、おれも好きだぞ。そうだ、イキュアと焼き鳥は一緒に入れてもらえるのだろうか。どちらも美味かったのでな」
「おい、ずるいぞ! シズク、俺も」
「は? ずるくなどないっ」
「変なところで張り合わないの。あ、私ももちょっと食べていい? イキュア好きなんだよねー……」
エドワルドとクレドの二人が少しでもシズクにいい印象を残したくて競い合っているのだとは、のほほんとした顔で仲裁した後、笑ってイキュアを食べようと手を伸ばしほくほく顔でイキュアを味わうシズクには、全く知る由もなかった。
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