第9話 ピアニッシモ

治療院を退院してから六日。




 散歩に出かけるたびに歩ける距離や立っていられる時間も少しずつ長くなり、体力が少しだが戻ってきているのをシズクは実感している。




 そんな今日は、シズクが退院してから二度目の通院日だ。


 一人で治療院に行くと言った一回目の通院の時はリグもエリスもそれはそれは心配して、着いていく着いてくるなの大攻防戦を繰り広げた、結果工房を少しの時間閉めて二人ともシズクに付き添ってきたほど。


 行き帰りの道中は、あれこれ世話を焼かれながら、やれ少し休もう、やれちょっと顔色が悪いから座ろう、やれ飴食べなさい……、やれおんぶしてやろう……などなど恥ずかしいまでの子供扱いを受けシズクは絶対に次からは一人で行こうと決めていたのだ。


 


 それなのに……。




 散々子供扱いしてきたリグとエリスが今日は何故だか何も言ってこない……。




 それを少し怪しいと警戒しながらも、昨日作っておいた治療院へのお土産用のクッキーを鞄に入れ、さあこれからゆっくり歩いて治療院に向かうぞっと勢い勇んでドアを開けたところで、二人がしつこくついてくると言わなかった理由を知った。




 ドアを開けると、エドワルドが立っていたからだ。


 本人には口が裂けても言えないが、忌々しいほどに眩しい笑顔である。




「おはよう」


「お、はよう」




 エドワルドに挨拶を返すと、朝が似合う爽やかな笑顔で怪訝な顔をするシズクにトドメを刺した。




「ん? リグから聞いてなかった? 今日は俺が治療院に付き添うからね。よろしく」


「エドワルドに頼んでおいたんだ。安心だろう? なー」




 シズクの横でエドワルドの手をがっしりと握って、笑顔で肩を叩き合っている。


 しかしあまりにもシズクがむっとした顔をし過ぎていたのか、エリスが優しく頭を撫でながら諭すように言葉をかけた。




「今日は私達が付いて行くのが難しかったから、無理を言ってエドワルドにお願いしたの。シズクとは知り合いだし、まだ長く歩くのだって心配だし。エドワルドはいい人だし、ちゃんとした護衛が付いていればさらに安心でしょ」


「うん……」




 リグとエリスは、シズクにとってこの世界の保護者のような存在だ。二人に見つけてもらえなければシズクはこの世界で誰の目にも止まることなく死んでいたかもしれなかったのだから……。


 だからと言っていつまでも子供扱いされるのは、元々二十歳過ぎの社会人として働いていたという小さなプライドもあってなんとも気に入らないのだ。




「じゃぁいってきますね」


「おう。よろしく頼むぞ!」




 シズクの持っていた荷物をさりげない仕草で持ってくれて、段差で転ばないように気を付けてと手を伸ばしてくれたエドワルドがニコリとほほ笑む。


 これにはシズクも観念して怒りの矛先を収めるしかなかった。




「行ってきます……」


「気を付けていってくるのよ」




 うん、と小さく頷いて家を後にする。


 とぼとぼと歩くシズクの横を、特に何か話すわけでもなく肩を並べてエドワルドと歩く。




 日本だと夏の終わりにはツクツクボウシやヒグラシが鳴いたものだが、どうやらこの世界の蝉は一種類しかいないようで、ミョンの鳴き声が遠くに聞こえる。


 道に転がっていた石がシズクのつま先にコツンと当てると、少し前に転がっていく。その転がった石をまた爪先で蹴りつつ歩く。




 自分の考えをまとめるために、ただ自分の前にその石ころを蹴る。




 しばらくをそれを続けていると、ようやくうまく言葉にできるような気がして、シズクは独り言のように話始めた。




「わかってるんだけどさ。私二人よりも年下だし? 頼りなく見えるのかもしれないけど、私だって働いて自分でお金も少しは稼いでるし。まぁ住むところを二人に提供してもらってるけど、ちゃんと家賃だって入れてるし」




 ぽつりぽつりと話ながらもテンポよく自分の前に蹴りだしたはずの石が、勢いがつきすぎてエドワルドの横のさらに先に転がって行ってしまった。


 それを見ていたエドワルドが、特に何も言わずにその石を蹴り戻してくれる。




「シズク?」


「……」




 続きをどうぞと言わんばかりに穏やかに微笑まれると、つい話してもいいのだと安心して、考えていたことが溢れてきてしまう。




「まぁ今回はドラゴンとか出てきちゃったから、そりゃ心配してあたりまえかもだけど……、傷だって少しは後残っちゃうかもしれないけど、生きてるわけじゃん。だからあんなに過保護になりすぎなくてもいいんじゃないかって私は思うわけ。エドワルドはどうおも……う?」




 と、また力が入って今度こそ石ころはあらぬ方向に転がって行ってしまった。


 エドワルドはその石を目で追うだけで、今度は拾いには行かず立ち止まったままだ。ふと顔を見ると、今度は困ったような表情でどう返したらいいものかと言った風に腕を組んでシズクを見ていた。




「エドワルド?」


「うーん。死ななかったからいいじゃないかって言うけれど、それは生きていたから言える事だろ? まだ傷だって完全に塞がってないし」




 確かに血も沢山出た気がしたし、退院は出来たが傷はまだ塞がり切っていない。一歩間違えば、いや間違えなかったとしなくても結構……、かなり危なかったと思う。


 正論を叩きつけられてシズクはぐうの音も出ない。




「俺だってシズクの傷を見た時、このまま死んじゃうんじゃないかって物凄く怖かったよ」


「うん……」


「だからさ、俺よりも付き合いの長いリグとエリスが心配になるのは当たり前なんじゃないかな」




 しかしこの一年、この見知らぬ世界でたくさんの優しい人達に触れてきたが、リグとエリスは別格だった。


 二人が何故か愛情にも似た思いを持ってシズクに接してくれていることは痛いほど伝わってきていたのだから。しかし。




 だからこそ対等になりたい。




 そう言ったところがまだまだ子供なのだろうかと、急に恥ずかしくなってきてシズクはうつむいた。


 その様子を見ていたエドワルドは、道の端まで寄って先ほどと同じぐらいの石をシズクの前に蹴りだして言った。




「まぁ、子供扱いされたくないのも気持ちわかるけど、それでも俺は今のちょっと駄々こねてる感じのわがままなシズクも、たまにはいいんじゃないかなって思うよ。心開いてもらってるみたいでさ」




 そう言うとエドワルドは子供っぽくへへっと笑って、シズクが石を蹴り返してくるのを待ってくれている。




「そっか……」


 


 リグとエリスには、素性も分からないシズクを保護してくれたばかりかこんなにも愛情を持って接してくれているのだから、もっと素の部分を出してわがまま言ったりしても良かったんだなと、ようやく気持ちがストンと胸に納まったような気がした。


 それに気付かせてくれたエドワルドに感謝である。




 シズクは目の前に蹴りだされた石をまたエドワルドに蹴り返した。


 


「エドワルド、めちゃくちゃいい男だったんじゃん」


「何、今さら分かっちゃった?」


「うんうん。分かっちゃった、分かっちゃった!」




 夏の始まり。


 遠く響くミョンの合唱。


 真っ白く大きな入道雲。


 道に咲いている鮮やかな色の花。


 たまに間を通り過ぎる、涼やかな風。


 二人のはしゃぐ声。




 少し高く昇ってきた太陽に、戯れ合うシズクとエドワルドの影が少しだけ重なった。




 まるで楽しい夏休みが始まるみたい。




 胸の底から湧き上がるような高揚感があって、シズクが走り出そうとすると、エドワルドに腕を掴まれて引き戻され、勢いでその胸の中にすっぽり納まってしまった。




「うぉっ」


「あ、ごめん……」




 と、シズクはあまり可愛らしい反応とは言い難い声を出してしまったのが気恥ずかしいかったのだが、直後に背の高いエドワルドの声が上から降る様に背中越しに響いてびっくりして見上げると、照れくさそうにはにかんで笑っているのが見えた。




「まだ無理しちゃダメだよ。ね?」




 照れくさそうな表情はお互い様だとは思うし、別に勢いで体が密着してしまっただけで特段意味がない事は分かっているつもりだ。




 そうわかっているつもりでもエドワルドが真っ赤になって照れる顔を見ていると、シズク自身も照れくさくなってきた。




「えっと……」


「うん」




 微笑まれて、こちらもなんだか顔が火照る。




 顔の火照りは夏の終わりで夏休み気分を味わい、少しだけだけノスタルジックな気分だったからだろうか。いや、単に日焼けして熱いだけ、熱いだけだ。




「善処します」




 シズクはそれだけ伝えた。


 エドワルドから離れてまた石を蹴りながら歩き出した。




「あー、なんか、俺も日に焼けたのかなぁ。普段はそんなことないのに」


「私も! 今日は天気も良いからかね」




 遠くにまだミョンの鳴き声が聞こえた。

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