第8話 ベルタ家

「先日話した通り、今日で退院にしましょう。よく頑張りましたね。おめでとう!」


「いやったー!!」


「あぁ、リハビリのために少しずつ動くのはいいですけれど、めいっぱい仕事をするのは半月後ぐらいまで様子を見ましょうかね」


「半月ですか? 一週間にまかりませんか……」


「おまけして差し上げたい気持ちはありますが、この後の経過観察次第です。三日に一度は通院してくださいね。もしも気になる症状があれば夜中でも早朝でも治療院にいらしてください」


「それでは三日後、お菓子作ってきますね。元気になった姿を見せつけて早急に仕事復帰を勝ち取りたいと思います」


「えぇ、お待ちしていますね」




 あの日城下町に戻ってエドワルドが治療院のドアを叩くとすでに治療の準備がされており、アッシュの先ぶれのおかげで脇腹の縫合とそのケアが丁寧にそして迅速に行われた。




 その後、状況説明の為リグとエリスが呼ばれた。


 慈善事業の畑仕事の最中にドラゴンに遭遇。一緒に来ていた仲の良い貴族令嬢をシズクが逃がしたタイミングで、たまたまドラゴンの爪に引っかかってしまったという事を聞かされた。ドラゴンなどそんな御伽噺に出てくるような生き物とシズクは遭遇し、あまつさえその爪を体に受けたと思うとリグもエリスも背筋が凍る思いだった。




 シズクの意識が戻ったのは、運ばれてきてから三日後。


 治療院の医院長他、実力者と言われる面々がシズクに付きっきりで治療と治癒にあたりさらに三日後に容体が安定。


 一人で歩けるまで回復したシズクに退院の許可が出たのは治療院に入ってから十二日目の朝であった。


 


 意識が戻ってからのシズクは順調に回復を見せ、今日まで家族以外は面会謝絶だった日々から解放されようやく退院のお許しが出たことに大喜びのシズクとは反対に、リグとエリスの顔はあまり晴れない。




 治療院では縫合までに時間を要しただけでなく、ドラゴンの爪痕だったことから傷跡が残る可能性が残ると治療院に呼ばれていた保護者でもあるリグとエリスに事前に伝えられていたからだ。




「……」




 まだ若いシズクの体には恐らく傷が残るであろうことをリグとエリスは唇をかみしめて聞いた。いずれ誰かに嫁ぐ日が来た時にそれを理由に断られる可能性があったからだ。




 本人に告げたなら恐らく悲しむだろうとなかなか告げることもできなかったのに、退院の日に傷口の消毒をしている時に自ら傷跡を見て『名誉の証だぞ』などと言って傷を気にする様子はあまりなかった。


 ある程度傷はふさがったとはいえ白い肌に痛々しく一筋の傷跡が残る脇腹をリグとエリスに見せびらかしてきたのには心底びっくりした。


 乙女が不用意に肌を晒すものではないとリグに怒られたのだが、家族みたいなものなんだからとあまり気にした様子がなかったことに、かなりシズクが気を許してくれているのだとリグとエリスは怒りたいのに少しだけ嬉しさを感じながら帰路に就いた。




 家に着くと久しぶりにそこそこの距離を歩いて帰って来たのであっと言う間に体力が削られてしまい、シズクはすぐに座り込んでしまった。




「めちゃくちゃ疲れた……」


「だから相乗り馬車に乗って帰ろうって言ったのに」


「だって歩きたかったんだもん」


「だもんって……、子供じゃねぇんだから。ほら、もう部屋に入ってしばらく寝てろ。夕飯になったら起こしてやるから」




 二週間近くも寝込んでいたのだから体力が落ちているのか、治療院から家までの道のりだけでシズクは息も絶え絶えである。見るに見かねてリグが抱きかかえて二階のシズクの部屋に運んでくれた。




 自分のベッドに横になると、久しぶりの自分の部屋の匂いに安心してうつらうつらとしてくる。




「ねぇ、まだ体力が戻り切ってないからやっぱり一人で外に出るのはちょっとまだ危ないかなぁ……」


「そうね……。シズクの店は人気もあるし常連さんに顔を見せて安心してもらいたい気持ちはわかるけど、一人で出歩くのは私達も心配よ」


「うん……。わかったぁ……」


「おやすみ。ゆっくり寝ろよ」




 そう言うと、疲れからなのかシズクはすぐに寝入ってしまった。


 そっとシズクの部屋のドアを閉めて、リグとエリスが一階に降りお茶を飲むためにお湯を沸かす。




 しばらくするとシュッシュとお湯が沸く音がする。




 お湯が沸く音がしただけでリグもエリスも何故だか嬉しく感じた。シズクが治療院にいた間からっぽに感じたこの家に、シズクが帰ってきてようやく色も音も戻ったような気がしたからだ。




「何にしても無事に退院出来て良かったわ」


「傷跡、残っちまいそうだけど本人もあんまり気にしてないみたいだったな。まぁ、若けぇから時期に消えるかもしれないが、あんな風に見せびらかすなんてびっくりしたぜ」


「どうかしら。シズクだってやっぱり女の子なんだから、いざとなったら気になるんじゃないかしら……」


「いざってなんだ、いざって」


「年頃なんだから、いざって時がやってくるでしょ! 彼氏が出来たりとか」


「はぁ? 許せるわけないだろうがー!!」




 二人でおかしな会話の流れになりそうになったその時、その時家の呼び鈴が鳴った。




「はーい。今出ます」




 エリスが玄関を開けるとそこにはエドワルドが立っていた。その後ろには見たことのないシズクと同年代ぐらいの女の子と、自分達よりも少し年上であろう紳士と貴婦人が立っている。エドワルドもそうだが皆身なりが良い。これは三人とも貴族だろう、とリグは身構えた。




「こんにちわ」


「おぅ、エドワルドじゃないか。どうしたこんな昼間に」


「あの、シズクが退院したって治療院で聞いて……。迷惑になるって言ったんだけどさ、どうしてもって聞かなくて……」




 そう言うと、エドワルドは後ろに立っている三人を困った目で見てから、リグとエリスに紹介してくれた。




「姉のベルディエットと、両親……です」




 治療院に入院した時から、ベルディエットもエドワルドも毎日治療院には足を運んでいたのだが、面会謝絶の状態が続き会うことを許されなかったのだ。今日は両親と共に治療院に足を運んだところ、先ほど退院したと聞いてそのままリグの家までやってきた、という事のようである。




「は……?」




 リグは自分のものとは思えないような素っ頓狂な声が口から出てたことにもびっくりした。しかし、思いがけないような声が出ても誰もそれを咎めることはできないだろう。




 エドワルドはセリオン家の三男坊である。そしてセリオンと言えばこのユリシスの超名門貴族。




 現セリオンの当主ロイルド・アブソリュー・セリオン。確かにエドワルドと同じアッシュブルーの髪を上品に後ろに撫でつけ、口を一文字に閉じている。夫人はマリエット。瞳の色が姉と呼んでいたベルディエットと同じ色で顔立ちがとても似ていた。




 超名門貴族の現当主と夫人が、ある程度人気はあるとはいえ街のいち鍛冶屋夫婦の前で悲痛な面持ちで立っている。




「ベルタ殿。この度は……、ご息女シズク嬢に我が娘ベルディエットを助けていただき大変感謝している。感謝してもしきれないほどだ。しかし貴殿の大事なご息女が傷を負ってしまった事、深く深くお詫び申し上げたい」




 そう深く頭を下げるロイルドの後に、さらにマリエットが続ける。




「年頃の娘の体に傷がつくなどと……。本当にどのような償いをすればよいのか……」




 沈痛な面持ちで大貴族の当主夫妻に頭を下げられる下町の鍛冶屋夫婦の狼狽は、シズクが見ていたなら面白がって揶揄っていただろうが、生憎本人は疲れ切って今頃の夢の中だ。




「そんな! あの頭を上げてください。それにシズクは……。うちの娘ではなくてですね……。いや、娘みたいには思ってはいるのですが……。あと傷の事はあまり気にしていないようで、名誉の負傷なんて言って笑っておりまして……」


「あははは。シズクらしい、っ、いってぇ」




 シズクがリグとエリスの娘ではない、と言うくだりについてはエドワルドの一言でかき消された。変わりにのんきに笑っていたエドワルドの頭にロイルドが強烈な拳の一撃が落とされる。なかなかに聞かない音が部屋に響き渡るとさらに大きな声でお小言が始まった。




「馬鹿者っ。そんな簡単なことではないだろうがっ!」


「そうです! お嬢さんの肌に傷など今後の婚姻などに……」




 両親二人からくどくどとお小言が漏れ出てくると、抑えが聞かなくなってきたのかエスカレートしてきてどんどん声が大きくなってきてしまった。




「父上も母上も少し落ち着いてください……」


「えぇ、先ほど疲れて寝たところでしたので、お二人共出来ればお静かに……」




 見かねたベルディエットが仲裁に入り、エリスがおずおずと声をかけたが時すでに遅し。階段をとっとっとと誰かが降りてくる音が聞こえる。降りてくる人物が姿を見せるとベルディエットは破顔するがすぐにぎゅっと表情を引き締めた。




「ふあぁぁ……。なんかめちゃくちゃうるさくって眠れないから降りてきちゃった……。お客様?」


「シズク!」


「ベルディエット! いらっしゃい。元気だった?」


「元気だった? じゃありませんわ。あなたの方こそもういいのですか?」




 平気平気、とシズクは手をひらひらとさせてベルディエットに笑いかける。




「ベルディエット、紹介を……」


「あ、はい。シズク。こちらは私の両親と弟のエドワルドです」




 ベルディエットとエドワルドのご両親というならば、ユリシスの名門貴族の家長である。この世界で物凄く偉い人に会うのは正直初めてだったので、前世での仕入れ先や得意先の偉い人と話すような口調を思い出しながらロイルドとマリエットに話しかけた。丁寧に相手の目をまっすぐ見て、下手に出過ぎないように。




「幾分庶民なもので、何か作法に不敬があってもご容赦ください。初めまして。シズク・シノノメです。ベルディエット様とは教会の慈善事業で大変お世話になっております。またエドワルド様におかれましてはありがたいことに、私が営んでおります弁当屋をご贔屓にしていただいております。ベルディエット様と今後もよい友人でありたいと思っておりますので、えっと……、身分の差は重々承知しておりますが大目に見てもらえればと思います」




 一瞬言葉に詰まってしまったがロイルドだが見た目に反してかなり丁寧な挨拶と、名門と言われるセリオンの当主を前にしても動じないその度胸にとても好感を持った。




「あぁ。こちらこそ娘のベルディエットを助けていただいて大変感謝している。その時に負った傷は……」


「それは気にされることはありません。何と言ってもベルディエットを守った名誉の傷ですから。あと……変わらずエドワルド様とも懇意にさせていただくことが出来れば幸いです」




 そういって笑うと、シズクは今度はエドワルドに話しかけた。




「エドワルド、この前は助けてくれてありがとうね。エドワルドが助けに来てくれて本当にうれしかったよ。ほんと命の恩人だね。お店再会したらめちゃくちゃサービスするから、また来てね」


「シズク、ずっと面会できなかったから……。元気になってよかった」


「なーに? らしくないなー」




 先ほどまでの豪快さは少し鳴りを潜めしおらしく目を逸らしながらシズクに声をかけたが、エドワルドの背中を叩きながら大笑いしだした。釣られてエドワルドも声を上げて笑ってしまった。




「何というか、かなりの肝の座ったお嬢さんだな」


「まぁ、なんとも困ったやつですみません……。それから、先ほども話しましたがシズクは俺達の娘ではありません。娘のように思ってはいますが……。一年ほど前に縁あって一緒に暮らしているだけなのです」


「そうだったのか。事情は深く聞かぬが、血が繋がっていようがいまいがいいではないか? 縁あって一緒に暮らすことになったのなら、それはもう家族だと言って良いと、私は思う」




 ロイルドから思わぬ肯定の言葉が帰って来て、リグは正直驚きを隠せなかった。貴族からそのような言葉をかけてもらえるとは思わなかったからだ。




「あ……、ありがとうございます」


「ベルタ殿、そのように畏まらなくてもいい。我が娘の命を救ってくれた恩人の親御さんだ。もっと普通に接して欲しい」


「そいつは……、その、善処いたします」


「そうしてもらえるとありがたいな。そうだ。今度一緒に酒でも……」




 父親達の内緒話は周りの人に聞こえることはなく、子供たちの笑い声にかき消されていった。




「でも本当に心配したのですよ。あなたは戦う術などない普通の娘だというのに」


「いや、だって古井戸にベルディエットを蹴り飛ばした直後だよ? それに襲われるなんて思ってもみなかったし不可抗力だし。まぁ生きてるだけでラッキーだったよね」




 シズクとベルディエットの出会いをエリスとマリエットが聞きたがるので、慈善事業で初めて出会った時の話をすると、マリエットが感極まったように泣き出してエリスがなだめるという謎の自体に発展している。




 貴族が庶民の家で和気あいあいと話をしている風景を、エドワルドはなんとも嬉しい気持ちで見ていた。


 しかし、その先に見えるシズクの笑顔を見ると、あまりうまく説明できない気持ちが込み上げてくる。


 


「危ないから……俺の目の届かないところで無茶しないでよ。シズク」




 エドワルドのつぶやきも誰に聞こえることなく、楽し気な会話にかき消されていった。

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