第3話 朝の見送り

 久しぶりにあの夢見たなぁ。




 目の端に溜まる涙をぬぐって、シズクはベッドから這い出るように起き出し身だしなみを整える。


 鏡の前にいる自分の姿にも、ようやく慣れてきた。




 今や年齢は恐らく前世よりは少し若いと思われる。東雲雫として死んだのは二十三歳。


 ショートカットの黒髪に黒い瞳の見間違いなど全くできないほどの日本人だったシズクは、亜麻色の髪色に朝焼けのような茜色の瞳の持ち主となった。年の頃は少し若く十八~二十歳ぐらいだろうか。




 この世界で初めて意識を持ったのは街外れにある教会のそばで、行き倒れていたところをリグとエリスに出会った。出会ったというよりはシズクが倒れていたらしいところを保護してもらったので、助けてもらったと言う方が正解かもしれないがそんな出会いを経て今に至る。




 あれから一年。


 


 この世界のことを何も知らないシズクを助けてくれたばかりか、行く当てのない赤の他人にこのまま家に住めば良いと言ってくれた。


 何の恩返しもできていないが、二人がいいと言うのでなんだかんだと甘えっぱなしだ。


 何故か過保護すぎるのがたまに傷だが。




『……知り合いに……似ていて、つい助けたくなったのよ』




 なんてエリスが言っていたのだが、シズクが幼く見えるから心配してくれているのかもしれない。




「よし。こんなもんだな」




 起きた時に夢見が悪かったからか、汗で額に少し張り付いていた髪の毛を、手先の器用な鍛冶師のリグに作ってもらった櫛で整えてから部屋を出て一階のリビングに向かう。




「おう、おはよう。シズク」


「おはよう」


「おはよう! リグ、エリス」




 それぞれやる事があるし、鍛冶職人のリグは徹夜仕事になる事もある。朝食は一緒に摂れないこともあるが、それでも顔を合わせて朝の挨拶だけはしようと一緒に暮らし始める時に三人で約束をした。


 


「今日は二人はどうするの?」


「俺達はいつもと変わらないな。シズクのおかげで例の櫛の売れ行きが結構良くてな。でもオレ櫛野職人じゃなくて鍛冶職人なんだけどな……」


「鍛治仕事の合間に作るのも大変だね。でもさ、リグもエリスも本当に貴族嫌いだよね。なんかあるの?」




 上手くまとまらない細い髪を何とかしたくて、前世で使っていたブラシを再現できるようにリグと一緒に作ったものだ。この世界には櫛はあるが獣毛を使ったブラシはまだなかったようで、髪の艶が全然違うと限定で作ったものが口コミで広がり、貴族からオーダーメイドで注文が入るほどになってしまったのだ。




 シズクがリグに聞くと、口を数回ハクハクとさせたが貴族嫌いについてはかなり話したくないのか、話題を別のものに変えられてしまった。




「それは、なんにもなくはないが……、あ、あれだ、もうな、夏もそろそろ終わりだし、去年はまだ部屋で静養してたから音しか聞こえなかっただろうけど、ニヶ月後は収穫祭があるぞ」


「収穫祭? 一番大きなお祭りだっけ? 確かに遠くで音楽聴こえたりしてたよね」


「そうよー。この国で一番大きなお祭りで凄い賑わいなのよ」




 以前屋台の仲間達にも二人の貴族嫌いの理由についてそれとなく聞いてみたことはあったのだが、渋い顔をして本人達から聞いてと言われるだけだった。


 本人達に聞いても、基本的に今回のようにはぐらかされる事が多いので、やはり余程のことがあったんだろうと、今回もシズクはこれ以上は話すことはしないで強引にすり替えられた会話に乗ることにした。




「たくさん人が来るの?」


「それはもうたくさん来るわよ! あの屋台街一帯ももっと賑わうし!」


「なら、私もお祭り用のメニュー考えなくちゃ! 腕がなるわー!」


「いつもと違うメニューを出すの?」


「え? だってお祭りって言ったらさ、買い食いして食べるものの方が良くない? 基本うちは店先で食べてもらうか、持ち帰りのお弁当だからさ。もっと手軽に食べながらお祭り堪能しながら出来たほうがいいじゃん」


「いや、なんか汁物とかだと歩きながら食べられないだろ? 祭りの日はベンチは撤去だぞ?」




 エリスとリグはあまり買い食いにピンときていないようだった。確かに屋台の文化があってそこで食べていい環境があれば屋台で食べていくのだが、屋台で買ったものを手に持って食べ歩きをしている人をあまり見たことがない。


 


「その場で焼いたり揚げたりしてさ、歩きながら食べても邪魔にならないようにするんだよ。お祭りの時にはさ、専用のゴミ置き場とか沢山設置されるの?」




 日本の祭りだと、屋台のそばには店ごとにちゃんと専用のゴミ箱が設けられているところも多かったし、大きな祭りになるとゴミ置き場がいくつか設けられているところもあった。


 今世このユリシスも大きな城の城下街だけあって普段からも街の景観を守る為に綺麗にされている。前世には数は劣るにしても、公園や街中にもゴミ箱がちゃんと設置され国によって管理されており、市民による清掃活動も盛んだ。 




「そうだな。祭りの時は中央公園近辺で飲み食いするやつらが多いから、そこには専用の場所があるぞ。当日は清掃員がきっちりしてくれるからな。しかも警ら隊も一緒に配置されるから悪いことするやつはすぐ捕まるしな」


 


 ただ声を掛けられたり世間話するぐらいなら問題ないが、シズクは前世の死の理由もあり知らない男の人に急に触られたりするのは、まだ拒否感というか恐怖感がある。


 しかしこの前みたいに変な輩に絡まれてもちゃんと警ら隊も見回りしてくれて公園近辺もしっかり警備が出るならば、すぐ助けてくれる人がいると思うと大きな祭りでも安心である。




「それは心強いね」


「この国の警ら隊はかなり優秀よ」


「この前もエドワルドに助けてもらったし、優秀なのは分かってるよ」


「あー、エドワルドな」




 悪い奴じゃないのは分かってるんだが、どうにも貴族って言うのがな……。とリグがぼそぼそ言っているとそろそろリグとエリスは仕事を始める時間が近づいてきてしまった。


 


「エドワルドは悪い人じゃないし、うちの弁当屋の常連さんでもあるんだから。今度会ってもあんまりいじめないでよね」


「いじめたりなんかしねぇよ」


「ほらほら、リグ。そろそろ行くわよ。今日シズクはどうするの?」




 屋台街には特に休みなどの規定もないので自分の好きな時に好きなように店を出していいのだが、やはり固定客がいる店はほぼ毎日店を出している。


 シズクの営むヴォーノ ボックスも最近常連が付き始めたので店を出したいのはやまやまなのだが、今日は屋台のメンテナンスをしに魔法技師に見てもらう予約を入れているのでお休みだ。




「今日はロイのところで屋台のメンテナスしてもらうの」


「そっか、俺の紹介とはいえあいつがお前の屋台を見てくれるなんてな。あの屋台よっぽど変わったものなんだなぁ」




 魔法技師とは、魔道具や魔法の武器を作ったりメンテナンスをしたりする職人で、シズクの屋台を見てくれているぱっと美形見た目無愛想なただのお兄ちゃんなのだが、ユリシスの魔法技師の中でもトップクラスの腕を持つ技師である。




 転生して身体が動くようになった頃、屋台を掃除しているところをたまたま遊びに来たロイに見つかって根掘り葉掘り聞かれるうちに自分自身でメンテナンスをしたいと申し出があったのだ。


 確かにどういう道理で動いているのかは不明だが、屋台についていた冷蔵庫は発電機もないのに動いているし、ガスコンロもガスも引かれていないのに普通に使える。




 ロイ曰く『これが君の魔力で動く魔道具だからだ』とのことであった。




 自分に魔力なんてないと思うのだが、魔力で繋がっているから盗難されても自分のところに戻ってくるし、元々動いていた原理と似たような形で動いているのだ、ととも言われている。


 自分の魔力で発電してるってことかな?と何だか不思議に思ったのを覚えている。




「なので、夕飯には帰ってくるね」


「ロイのヤツ、シズクの屋台いじると他の仕事しなくなるからちゃんと見張っておくんだぞ」


「そうだね。お昼ご飯ぐらいは食べさせてあげることにするよ」


 


 ロイが屋台のメンテナンスをしている間、何かあった時に声をかけないといつまでもいじっているので、叩いたりして正気に戻さねばならないのが面倒なのだが、作業を見たりメニューを考えたり、本を読んだりして時間は潰せるし、たまに面白いものが見れたりするので飽きる事は全然ないのだ。




「お昼は作って置いておくね。二人とも行ってらっしゃい!」




 二人を見送ることもあれば、自分も見送ることもある。


 今日はリグとエリスを見送って、昼食の準備をしながら先ほど話をしていた収穫祭の屋台メニューも考える。




 フライドポテト、アメリカンドッグ。


 寒くなければかき氷もいいかもしれない。




 日本独特の屋台メニューは何あるだろうか。




 この世界は、日本にあった食材が大体あって、米、ゴボウ、大葉もあるし納豆のような食べ物もあったりする。


 そのどれもこれもがこの世界では穀物扱いのようなもので、初めはリグとエリスに物凄く反対されたのだが今では二人共お米が大好物でもある。




 そして味噌を見つけた時はそれはそれは嬉しかった。が、その使われ方が食用ではなく美容パックだったことにあまりにも驚いて、かなり大きな声を出して周りを驚かせたのは今はもう笑いのネタのような思い出だ。




 ちなみに塩分が少なめの本当に食べられる豆味噌なので、だしを少し濃いめにとって味噌汁にしたりするなど、自分で工夫すれば美味しくなるので腕の見せ所でもある。




「メニューは後でまた考えよっと……」




 今日のお昼は、契約している養鶏農家が倉庫にある屋台の上に置いて行ってくれた卵をたっぷり使った卵のサンドイッチにしよう。




「うわ、今日はいいことありそうな予感!」




 シズクが家のドアを開けると、外はびっくりするほど晴れ渡り気持ちの良い風が吹いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る