第20話 朝ごはんと片恋慕

「いや、だからなんでお前がいんの?」


 シズクと朝の挨拶を交わすと、当然自分が一番乗りでやって来たと思っていたヴォーノ・ボックスに先客がいるのを確認して、あからさまに不機嫌な顔を向けながらエドワルドはその本人に話しかけた。


 屋台街のメインストリートの忙しい時間帯は朝の出勤前、昼食の時間、仕事帰りの夕方の三回。


 しかしずっと忙しいわけではない。


 周りの屋台の店の人達と交代で買い物に行ったり、自分の屋台が見える店に集まっておやつを食べながら井戸端会議をしたりと、メルカド・ユリシスの屋台街はいつの時間もなかなか賑やかである。


 そんないつもと変わらない賑やかな朝だったが、今日は初めてのしかも屋台街が似合わなさそうなお客様がシズクの店に訪れていた。


「シズク殿の店では、朝食を出してくれるのだろう。弁当も買えるというので出勤前に寄らせてもらったのだ。エドにどうこう言われる筋合いはないだろう」


 朝シズクが店の準備を終えるとすぐ、先日すったもんだがあったクレドが現れたのだった。


「そうだけどさ……」

「なんだ、何が納得いかないといった顔だな」


 城での宴でシズクはセリオン家の料理や給仕を手伝っていたのだが、突如何者かに攫われた。髪留めに残った魔力を頼りに行方を追っていると、エドワルドの父ロイルドを目の敵にしているゲパロ・ディ・サライアスの家を指し示していた。


 アッシュとエドワルドはそのままサライアス家に向かい、シズクの救出に向かったのだが、そこにいたのはゲパロの息子 クルド。話を聞いてみると見知らぬ男たちに麻袋に入れられ、サライアスの屋敷に連れてこられたと言う。


 蹴られたり髪を掴まれたりと痛い思いはしたようだったが、幸いシズクに大きな怪我はなく無事であったことにアッシュもエドワルドも大きく安堵した。


 今回は犯人である何者かが執事と当主のゲパロを装い、伝書用の魔法で料理人が来ることを装って知らせたと言うシナリオを描いたようだった。


 シズクを確保した後アッシュが城に戻って事情聴取をしたところ、ゲパロも執事もそのような知らせは天に誓って送ってなどいないと言い切った。それに攫われたシズクが安全に保護されたことを知り、本当に安堵したゲパロと執事の表情に嘘はなさそうで……。


 髪飾りに残っていた魔力はサライアス家を指してはいたが、さすがにそんな犯人にすぐ行きつくような見え見えの誘拐などはしないだろう。


 報告を聞いたロイルドに至っては、ゲパロは人を攫ったり善良なものを貶めるようなことをするような男ではないとアッシュに断言していた。普段あんなに仲が悪いが見えないだけで、お互いにそれなりの信頼関係があるのかもしれない。


 そして髪飾りに残った魔力の残滓はほぼ消えてしまい、これ以上魔力の残滓を残した本人を追う事は難しくなってしまったので今回の調査はこれにて終了となってしまった。


 また今回唯一の証拠品のシュシュは、魔力がほぼ消えてしまったとはいえ何かあると危険なため近衛騎士団で預かることとなった。


 その後もほぼ消えてしまった魔力の残滓をアッシュがしつこく探ってはみているものの尻尾を掴むことはできず、今も犯人である誘拐犯の首謀者は結局のところ分からずじまいである。


 さて、エドワルドがなぜクルドにこんなにも怒りを露わにしているのかというと……。


 家に踏み入った際クルドがシズクの手を取って何かをしようとしたところを、エドワルドは自分の目でしっかり見たのだ。


 あの奥手のクルドが、シズクの目をじっと見て手を取っていた……。


 幼い頃から一緒にいることが多かったし、エドワルドと士官学校も一緒に通った。

 昔から気難しいところがあって、騎士よりも騎士らしい喋り方をする魔術師団所属の幼馴染がである。

 士官学校時代も良く交際を申し込まれたり、見合いの話もあったはずだがすべて断ってきた男が、自分の目の前でシズクの手を取って、あろうことか頬を染めていたのだ。


 だからあの時クレドの手首を掴んでシズクから引き離し、シズクの体を自分の後ろに隠すように移動させた。何故だか自分の中で黒いものが腹の奥に渦巻いているような気分になってしまったからだ。


「だって、シズクの手を握ってニヤニヤしてたし、店まで来るなんて下心丸出しじゃないかよ」

「おれはそんなやましい気持ちなど持ち合わせてはいな……い」

「なに最後自分で濁してんだよ」


 幸いにしてエドワルドとクルドの会話は、物凄くひそひそ声で展開されている為揚げ物をしているシズクには聞こえることはない。


「お前こそ、この店には良く来るのか?」

「俺はさ、専用の弁当箱も持ってるぐらい常連だしー」


 先ほどのクレドの告白を聞いて少しだけ挙動がおかしかったエドワルドだが、ヴォーノボックスのロゴ入りの弁当箱をクレドに見せびらかすようにしていると、揚げ物が終わったシズクが二人に声をかけた。


「エドワルドはクレドさんと仲いいんだね」

「あぁ、まぁ、幼馴染だし、な?」

「なんで疑問形?」


 けらけらと笑うシズクは、出来立ての朝ごはんの乗った皿をエドワルドとクレドに出す。


「はい、今日はちょっとツナマヨのおにぎりと百日芋のコロッケにサラダ。お味噌汁です」

「オミソシル?」

「えっと、味噌を使ったスープなんですけれど。抵抗があるならこちらのお惣菜から一品選んでもらっても大丈夫です」

「俺はミソシル飲む!」

「具は百日芋とポワロだよ」


 ミソシルと聞いて意気揚々と返事をしたばかりか、百日芋と聞いて飛び跳ねる勢いで喜ぶエドワルドをクレドは二度見してしまった。にこやかにシズクがちらりと見せたミソシルが、口にしてもいいものなのか疑う程に、見事な茶色だったからだ。


 そもそも味噌は美容パックに使われることが多い。そもそも口に入れても大丈夫なのだろうか。それに茶色すぎやしないか。それに旨くもない百日芋など具に入れるなど!


 いやしかし、シズク殿が作ってくれたのだから……。


 どうにもこうにも不の感想ばかりが増えて頭を抱えているクレドとは正反対に、ほくほく顔のエドワルドは上機嫌で味噌汁を飲む。


「うわ……。百日芋とポワロのミソシルって、こんなに優しい味がするんだね。どのミソシルも好きだけど、これが一番好きかもしれない。やっぱりシズクの茶色い食べ物は絶対に期待を裏切らないね」


 エドワルドの言葉で満面の笑みになるシズクを見ていると、これは負けてはいられぬと、クレドもミソシルを頼むことにした。


「シズク殿、おれもミソシルとやらをお願いしたい」

「あんまり無理しなくても良いですからね。あまり好きじゃなかったらエドワルドに残りを食べてもらってくださいね」

「残してもいいぞ。俺が食べるから」


 ミソシルの残りを貰う気満々の顔で、反応を窺うように自分のミソシルを食べるエドワルドに、クレドはふんと鼻を鳴らてやる。


 残したりするものか!クレドは強くそう思いながら差し出されたミソシルにスプーンを入れ、具と一緒に口に入れた。


 クレドがミソシルを初めて口にした印象は、先ほどエドワルドも言っていた通り『優しい』味だった。好き嫌いがあるとは思うが、芋独特のほくほくとした食感の百日芋と、煮込まれることによってとろりとした触感で甘みの増したポワロの相性がとてもいい。


 茶色いサラサラとしたスープに、ミソが含まれているのだろうか。昔誤ってミソが少しだけ口に入ってしまった事があるのだが、その時よりも段違いの旨さである。さらに独特の香りと味ではあるが、嫌いではなく寧ろ百日芋とポワロを包み込むようなコク深い味わいが癖になりそうだ。


 これは旨いの一言に尽きる!


 さて、そしてこれもまた百日芋だと言うまた茶色い塊。コロッケという名で、先ほどシズクが油に入れていたのを横目で見ていたの揚げていることは分かっている。


 フォークで突くと、外側がカリカリとしている。端の方を割ると中から湯気と共にまたほのかに甘い匂いがクレドの鼻腔をくすぐる。ほのかに甘いその香りの正体は百日芋だろうか。百日芋をつぶして、何かの肉と混ぜものを揚げた逸品の様だ。一口放り込むと、ほくほくとはしているがミソシルに入っているものと同じとは同じではないほくほく感が堪らない。


 横を見るとエドワルドが行儀などはまったく気にしていないように、米で握ったおにぎりと言うものを手で掴んで食べているではないか。


 そうか……。おにぎりは手で掴んで食べればいいのだとそれに倣ってむんずと掴む。


 柔らかいのに、絶妙な力加減で形を保っているようである。また米自身に塩っけがありこれだけでも良いのだが、これはもしやミソシルと物凄く相性がいいのではないだろうか。


 そう思って、行儀は悪いが先ほどのエドワルドを見習って米がまだ口に少し残してミソシルを口にすする。


 旨いの相乗効果だ。


 そして、おにぎりを食べ進めると丁度中心部あたりに何かの魚とこっくりとしたソースが合わせ混ざった具が入っていた。これがつなまよというものなのか。これはいかん。いかんな……。


「おい、クレド。お前さっきから全部口に出ちゃってる。まぁ、シズクのご飯は美味しいからしかたないけどな」

「全部!? どこからだ」

「残したりするものかっ! から、いかんな。まで」


 大体全部である。心の声がすべて表に出てしまったのかと思うとかなり恥ずかしさはあるが、クレドは本当にどれもこれもが旨いと感じたわけで、その感想に嘘偽りはない。


「ちょっと褒められ過ぎで恥ずかしいですね。それにしてもクレドさん食レポ上手くないですか?」

「しょくれぽ?」

「あ……、えっと食べたもの味の感想とかを伝えることですかね」


 クレドが一人シズクの作った朝食を心の中で(しかし全部口に出して)大絶賛しながら味わっている間に、エドワルドは全て食べ終えて、弁当の中身を慎重に選んでいた。


「お前、慣れ過ぎてないか?」

「常連だからね。それに弁当の中身は真剣に選びたい」

「そう、エドワルドはいつでも真剣勝負挑んでくるから、私も作り甲斐ある!」

「じゃぁ、俺ももっと真剣に選ばせてもらうね!」

「どんとこい!」


 今日の総菜でおすすめはピマンの肉詰めである。エドワルドはそれをドンブリにするといい、さらに卵焼きを選ぶ。これはほんのり甘くてすごく美味しいのだとクレドに自慢げに言いながら、持っていた弁当箱エドワルドがシズクに渡す。


「プラス一品は、どれにしようっかなぁ。あ、これ新作?」

「そうだよ。えっとねキャロッテを卵と和えたものなんだけれど美味しいよ?」

「じゃぁ今日はそれを一品追加で!」

「オッケー! 肉詰めサービスしておくねー」

「おねがいしまーす!」



 エドワルドが手渡した弁当箱は、よく見るとシズクの店のロゴマークがついている。


 弁当箱にシズクが頼んだものを詰めているのをじっと見つめていたエドワルドが、目を細め頬を緩め微笑んだのが見えた。そのしぐさを見て、もしや、とクレドは思う。


「そろそろ時間か。エド、遅刻するぞ」

「え? もうそんな時間? シズク、朝ご飯ごちそうさまでした。行ってきます!」

「へへ、お粗末様でした。クレドさんもエドワルドも行ってらっしゃい! 収穫祭遊びに来てね!」


 絶対にくるね、と言って歩き出したエドワルドの横顔は、この世の幸せが溢れだしたような笑顔だ。クレドはエドワルドのこのように屈託なく笑う、晴れやかな顔を見たことは一度もなかった。


「あれだぞ? シズクが優しいからって変にちょっかい出すなよ」

「何故だ。好ましく思う女性に恋慕の情を抱いて何が悪いというのだ。少しでも親しくなりたいと思う方が普通だろう」

「恋慕! シズクの事好きになったって事か?」

「一目惚れと言うやつだな」

「ダメダメ絶対ダメだからな」

「何故お前に駄目と言われなければならん。それに駄目だというその理由はなんだ」


 クレドに駄目だと言いながらも何度も振り返ってはシズクに手を振るエドワルドは、シズクに懸想しているだとはっきりと分かる。


 だからこそ物凄く焦ったように強く駄目だというエドワルドに、クレドは牽制されるのだと思って身構えたのだが……。


 帰ってきた答えは、なんとも自信のない一言で一気に気が抜けてしまった。


「シズクはっ! ……、絶対にダメだから!」


 仕事も今後出世が見込める近衛騎士団で、見目麗しく人柄も実直で家柄も申し分なし。舞踏会や夜会では常に女性たちの視線を集め、士官学校の成績も常にトップクラスだったその人エドワルドは、口を尖らせ大切なものが取られないようにと駄々をこねる子供のようにもう一度クレドに振り向きながら、絶対に駄目だと言って先を歩いて行ってしまった。


「そうか。お前もおれと同じか……」


 ぽつりとクレドが言った言葉は、朝の市場の喧噪にかき消され誰の耳にも届かなかった。

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