第19話 一方その頃
「なんでここにいるんだろ……」
誰かに攫われて、麻袋の中で大汗かいて、やんややんやしていたらこんな事になるなんて誰も思わなくない?
急に膨らんでしまった自分自身の感情にエドワルドが追いつけなくなって直立不動になっていた一方その頃。
シズクは広々とした食堂で、ひとりごちながら大きくため息をついた。
城での歓迎の宴でセリオン家の料理や給仕を手伝っていたら、急に知らない貴族に話しかけられて、気がついたら麻袋に入れらてしまっていたのだ。さすがのシズクも攫われたのだと思いはしたが、ただの一介の弁当屋である自分を攫う理由などまったく心当たりなどない。
さらに目の前にいたクルドと言う青年は何かを勘違いしているのか、シズクのことを自分の父親が招待した料理人なのだからまずは家に上がってくれなどと言うではないか。
自分は料理はあなたの父親に雇われたわけでもないし人違いだとシズクは強く主張した。しかしクルドは全くひるむことなく侍女に何かを指示したあと、爽やかに微笑みさっとシズクに手を伸ばす。
「大丈夫だ、シズク殿。手違いがあったようで申し訳なかった。まずは少し休むといい。こちらへ」
「は、はい……」
と真っすぐにシズクを見つめ、謎の強引さと押しの強さを見せるクルドの見事なエスコートを受けしまっては……。
流石のシズクも、この大きなお屋敷の扉をくぐらざるを得なかった。
強引さとは裏腹にシズクの歩調に合わせようとしてくれているのか、手を引きながらゆっくり歩いてくれる。しかしシズクはせかせか歩くタイプなので、実際のところはかなりもどかしく感じながら、勢い勇んで前に出ないように気をつけて進む。
玄関に入ると豪華ではないが品の良い調度品が並び厳格な雰囲気の漂うセリオン家の玄関ホールとは真逆。恐らくサイラス家歴代当主の自画像と思われる絵が沢山飾られており、豪華なシャンデリアがキラキラと光るかなり華やかなホールだ。
汗で髪もべたべた。さらに支給されていた給仕服も攫われたときにかなり汚れてしまっている。この玄関ホールの煌びやかさがあまりにも不釣り合いすぎるのだが、逃げられるわけもない。
そんな事を考えているとクルドが部屋の前で立ち止まった。
「さすがに汗と埃で気持ち悪いだろう。着替えを準備させたのでここで着替えてくるといい。おれは着替えが終わるまで食堂で待つから、侍女に手伝ってもらってゆっくり着替えるといい」
「いえ、あの見知らぬ方にそこまでしていただくわけには」
「シズク殿はもう見知らぬ他人ではありませんよ」
そう言い残し、すたすたとどこかに歩いて行ってしまったではないか。
おいおい、逃げるか? 自分は所詮一般庶民である。さすがに服を借りるのもどうかと思うしここで姿をくらませても問題ない、とは思う。思うのだが、あのクルドのまっすぐな眼差しを思い出すと勝手にいなくなってしまうのは失礼なのかもしれないと思いとどまることにした。
案内された部屋は誰か客人が来た時に寝泊りするような部屋のようで、玄関の煌びやかさから想像できるような客間もキラキラしたシャンデリアと天蓋付きのベッドが目に飛び込んでくる。さらに準備されていたであろう服は、何の変哲もない真っ白いコックコートだった。
「よかった。普通の服で……」
「クレド様からコックコートを準備するようにと伺いましたが、本当によろしいのでしょうか」
「寧ろこれで良かったです。あ、一人で着替えられるのでお手伝いは不要です」
そう言って脱衣所に駆け込み、フリフリのドレスでなかった事をこころから喜び、準備されていたタオルを水でぬらして体を一旦拭き顔も洗う。髪の毛は乾かすのが大変なので諦めたが、体がさっぱりしただけでもありがたい。
その後すぐに次女と共に食堂へ向かうと、何故だがそこにクレドはおらず広い部屋にポツンと一人で座って足をぶらぶらとさせる。
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「なんでここにいるんだろ……」
誰かに攫われて、麻袋の中で大汗かいて、やんややんやしていたらこんな事になるなんて誰も思わなくない?
シズクは広々とした食堂で、ひとりごちながら大きくでため息をついた。
しばらくしても誰もやってくる様子もなく、本当にどうしようかと考えて始めると、ようやく誰かが来てくれたようで、カタカタと歯車のような音と共に扉が開くと、慣れない手つきで恐々とティーワゴンを運ぶクレドが現れた。
ティーワゴンに乗っているのでひっくりかえったりすることはないとは思うが、やや心配な手つきではある。
「あぁ、シズク殿。遅くなってすまなかった。慣れないことをすると時間がかかるな。菓子はうちの料理人に準備をしてもらったから味は保証する。安心してくれ」
物凄くなれない事をしているのがわかるのだが、本人が一生懸命なのであまり手出しはしてはいけないだろうと見守りに徹しようと思う
「む? そろそろ頃合いだろうか。うまくできていたらいいのだが」
ティーポットを開けたり閉めたりしながら独り言を呟き、今だなと言って真っ黒い色の恐らく香りからして紅茶であろう液体をカップに注いだのを見たなら……、シズクももう手を出さざるを得なってしまう。しかし初めて入れてくれたと言うので、一緒に味わうことにしたのだが、無論感想はお互い《苦い》しかなかった。
「茶を淹れることがこんなに難しいとは思わなかったな」
「あんまり難しいことはないんですけどね〜……」
クルドの出してくれたお茶は、凶悪なほどに苦い。紅茶を煮だしに煮だしてお茶っ葉からはもう一滴も色も香りも出ませんと言われてもおかしくない程に全部出尽くし過ぎた味である。お湯を足して薄めたからと言ってどうにもできない残念な感じではあるが、何とかシズクもクレドも飲み干すことに成功した。
「ポットにお湯が残ってるんで、お茶入れなおしましょう!」
茶葉の瓶を開けるとふわりと爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。あの煮立ったお茶からは想像するのは難しかったが、アールグレイのように茶葉にオリンジの香りのフレーバーが付けられていた。
シズクは出がらしの茶葉を捨てて新しい紅茶の葉っぱを透明なティーポットに入れた。保温ポットのお湯はさすがにもう沸騰したてではないので、出来るだけ茶葉がポットの中で熱対流するようにお湯を勢いよく注ぐ。
「おぉ、これは面白いな」
「ジャンピングと言ってこれで紅茶の香りと旨味が引き出されるんです。これが終わって少し蒸らしたら飲み頃ですね」
シズクもそこまで紅茶には詳しいわけではないが、何かの雑誌か何かの特集で読んでから自分でもティーポットやティーサーバーなどを買って色々試していたことがこんな異世界の地でいかされるとは思ってもみなかったわけではあるが、役になった事はなかなかに嬉しいものである。
「そろそろ頃合いです」
カップを一度残りのお湯ですすぎ、新しい紅茶を注ぐとこれまた透明感のあるオレンジ色の水色で、先ほどの物凄く濃く抽出されたエキスのような匂いではなく、瑞々しく爽やかな香りが部屋に広がる。
美味しそうに入れることが出来た紅茶をクレドの前に置くと、感激したように紅茶の香りを楽しんでいる。
「おれが淹れたら、あんなに真っ黒だったのに……。シズク殿が淹れてくれた紅茶はこんなにも高貴な香りと色で楽しませてくれている。いったいどんな魔法を使ったというのだ」
ただ紅茶を淹れただけだというのに、かなり感激されてしまった。
口に少しだけ含み、鼻から抜ける香りを楽しみつつその味も堪能するようにクレドは紅茶を味わっている。
「普通の手順で、普通に淹れれば美味しくなりますよ」
「いや、家の料理人や執事が淹れてもここまでは旨くない。これからはシズクがうちの料理人になってくれるなら毎日この旨い紅茶を飲むことが出来るな」
ついついなごんでしまっていたシズクだが、今のクレドの言葉で頭を殴られたように目が覚めた。
そう、シズクはクレドの父親が招いたこの家の料理人になる人物であるという間違いを正さねばならない。危うく流されるところであった。
しかし危ない危ないと思いつつも、目の前にあるお茶とお菓子には罪はないのでしっかりと味わいながら間違いを正すこととする。
「クレドさん、先ほども言いましたが私はあなたの父親から頼まれた料理人ではありません。多分、さっきの人達に間違えられて拐われたみたいなんです」
「しかし、父からは新しい料理人が行くと連絡があったぞ」
「そこはちょっとわからないですけど、人違いだと思いますよ? 私はただのお弁当屋ですし」
弁当屋も料理人には間違いはない。しかし貴族の家に雇われるような腕は残念ながら持ち合わせていないのだ。城での宴に出すために考えた料理も基本的には家庭料理で、貴族が好むようなメニューについてはセリオン家お抱えの料理人の手によるものだ。
「そうか……、人違いだったのか」
酷く残念そうなクレドを見ると、なぜだか罪悪感が生まれてしまうが、本当に間違いなのだから申し訳なくてもそこは仕方ないと切り替えるしかない。
「きっと来てくださる料理人の方も良い人ですよ! あぁ、私メルカド・ユリシスの屋台街でお店も出してるので、もしよかったら来てくださいよ」
「あぁ、そうだな! 伺うとしよう」
「まだ怪我から復帰して間もないので午前中しかやってないんですけれど、是非」
「怪我……?」
あっ! と思った時には口から出てしまっていた。
ドラゴンに出会ったことがあると言ったら……さすがに驚くだろうか。いや、それよりも一応ドラゴンの事は機密事項なのかもしれない。怪我について触れることが出来ないと思うと余計に気になって脇腹をさすってしまう。そう思ってオロオロしていると、心配そうな顔でクレドが横にやってきた。
「もしかしたら、そこがまだ痛むのか?」
「え? もうずいぶんよくなって、あとは傷だけなんで……」
「傷が残っているのか!」
「はい、でもですね、友人に治療してもらったり治療院で治療もしてもらったんでその内消えますよ」
それを聞くとさらにクレドの顔が苦くゆがむ。
その後にすぐ、シズクの手を取って提案を始めた。
「もしよければおれがもう一度治療をしようか。こう見えても回復の詠唱は得意なのだ」
「いえ、これ以上は魔法では良くは……」
良くはならないと聞いている……、と口にする前に、クレドはシズクの手を恭しく取り真っ直ぐに見つめてきた。
え?なに、急に魔法の詠唱が始まるの?
手を振り払えずにもだもだとそう思っていると、バタバタと複数の足音と案内をしてくれた侍女の切羽詰まった声が聞こてくる。
その声はどんどん近くなって、とうとうこの食堂の扉を力強く開けた。
「シズク? っっ!?」
そこにはエドワルドとアッシュが立っていた。
立っていたはずなのだがエドワルドはシズクを視界に入れた途端、瞬間移動かと思うほどの速さで横までやってきて、クレドの手首を掴んでシズクから引き離し、シズクの体を自分の後ろに隠すように移動させる。
「クルド、お前シズクに何かした?」
背中が冷え冷えするような冷たい声で、今にもクルドにつかみかかる勢いでそう聞くエドワルドに、いつもの温和な雰囲気はない。
「エド、そんな物騒な声を出すな。シズク殿もびっくりしているだろう」
「お前本当になんにもしてないだろうな」
「していない。先ほどは……その、シズク殿の傷を癒そうとしていただけだ。アッシュ団長、この状況何か事情があるのですよね? 説明をお願いします」
対してエドワルドやな突き飛ばされたクルドは、やや歯切れが悪くはあったが何があったのかを聞く耳をもっているようで、そばにいたアッシュにこの状況説明を求めた。
「クルド殿、突然の訪問失礼いたしました。実は城での宴の最中にここにいるシズクが何者かに攫われてしまいまして……。いえ、黒幕があなたの父君ではないことはわかっていますが、痕跡がこの家を示しておりましたのでやってきた次第です」
そう言ってアッシュがシズクが攫われてから今に至るまでの経緯を話し始め、さらにシズクがそれを補強する形で攫われてからこの屋敷に来るまでの出来事とクルドの知っている事を繋ぎ合わせる。
結果、何者かが何かの理由でサライアス家がセリオン家と関わりがある者を攫った、という話を作り上げたかったのだろうことはわかった。
そう思うと給仕の格好をしていたシズクを間違えて攫ってきてしまったのが、この混乱の原因なのかもしれない。
シズクは自分自身が攫われる理由などに全く心当たりもないのだし、弁当屋の一般民を攫ったのではなくただセリオン家につながるものであれば誰でもよかったと思えば……。
「シズクを攫った、と言うよりセリオン家に近いものであれば誰でも良かった。緻密に見えてそうでないのか……? あまりセリオン家とサライアス家に近くない人間が仕組んだ事……という感じですか。魔力残滓に手が込んでいたので、あまり腑に落ちないですがね」
独り言のような言葉に続いて、引き続き今回の首謀者を探しますと言ったエドワルドとクレドが力強く頷いた。
当のシズクはと言えば、こんなことに自分が巻き込まれるなんて、さすがにもうないだろうと能天気に考えながらアッシュの言葉に頷きながらも、リグとエリスにまた怒られて過保護が加速するのではと戦々恐々としていたのであった。
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