第18話 ピアノ

「おかしいですね……」




 城の中で落ちていたと言うシズクの髪留めを手に持ちじっと見つめながら、おかしい、ともう一度アッシュは小さく呟いた。


 エドワルドとアッシュは場所を移動して近衛騎士団団長の部屋、アッシュの仕事部屋にやってきた。


 アッシュの部屋であれば、しっかりと魔法で部屋の防音防犯対策もされている。決まった人間しか入る事ができないし、外に声が漏れる心配もないので安心して聞き集めた証言を話す事ができるからだ。


 部屋に到着するとまず、まだ少し落ち着かないエドワルドへアッシュが手ずから紅茶を入れてくれた。紅茶の香りは心を落ち着かせ穏やかにしてくれる効果もある。ふわりと立ち込める優しくもすっきりした香りに包まれ、それを何度か紅茶を口に含むと、気が立ちすぎていたエドワルドの神経も若干安らいだのか、先ほどよりもずっと頬に赤味が差したようにアッシュには見えた。


 そしてアッシュはと言えば、どうしてもまだ気になって紅茶を飲みながらも髪留めを手放せないまま、魔力の痕跡を探してしまう。


 シズクには外部放出されるような魔力はないと以前エドワルドも言っていたのだから、この髪留めから魔力を感じることはできないはずなのに……。どうしてうっすらと魔力を感じるのか……。おかしいと思いながらも、しばらくアッシュは痕跡を追い続けたが、何度挑戦しても薄く何重にも偽装されているその魔力の元には届かず、もどかしく悔しい。


 こんなことでは……、近衛騎士団団長となってから決して図に乗っていた訳ではありませんが、もっと魔法の鍛錬をしなくてはいけませんね。


 悔しくはあるが決意も新たに、一度髪飾りを机の上に置いてまた後で仕切り直すことにした。


「そろそろ集めた証言をまとめてみましょうか」

「はい」


 エドワルドが一番初めに聞いたメイドの証言によれば、『どこかの家の執事らしい男に話しかけられているのを見たが、流石にどこの家の執事だったのかはっきりとわからなかった』と言っていたはずだった。


 しかしアッシュとエドワルドがシズクを探していると話を聞いて回り始めると、それまでは名前も分からなかった執事らしい男はゲパロが当主のサライアス家の者だと言う、はっきりとした証言が急激に増えたのだ。


 さらに不思議だったのは、執事と思われる男を見た時間である。執事を見た時間は全ての証言で同じ時間なのに、目撃した場所がそれぞれ違うのだ。もしかしたら魔法への抵抗が低い者たちが幻覚を見せられた可能性も否めない。


 そして人を攫ったと言うならば、今の状態が明るみに出ることが好ましくないことは分かっているはずだ。しかしゲパロは気にすることなく普通に社交に勤しんでいた。


 どれもこれもなんともきな臭い話ばかりである。


「なんとも変ですね」

「へん、ですか?」

「えぇ、ゲパロ様がセリオン家……というよりロイルド様へ一方的にライバル意識を持っている事は、ユリシス王国にいる貴族なら誰しも知っている事です。どう考えてもあからさまに自分に疑いがかかるようなことをするでしょうか」


 ゲパロはセリオン家に……というよりはアッシュの言うように、傍から見れば誰でもわかるほどにロイルド本人に強いライバル意識を持っている。もし今回のようなことがあれば自分自身が疑われることなど分かり切っているだろうし、普通であればこうも堂々とわかりやすく行動に起こすことなどないだろう。


「確かにそうですね……。ゲパロ様も父上が関わっていなければ基本的にはいい人ですし、こんな所業に出るなんて思えませんね……」

「宴中は普通に皆さんと楽しそうにお話しされていましたしね……。まぁ相変わらずロイルド様にだけは異様に厳しい表情をされていましたが」

「なんでそんなに目の敵にするのか、理由は父上も教えてくれないんです。学生の頃に何かひと悶着あったみたいですけど」

「それは僕もいずれ聞いてみたいお話しですが、ね」


 今はシズクの行方を早く探さなくてはいけない。ゲパロとロイルドの確執についてはいずれ聞く機会を待つことにして……。アッシュは先ほどから感じている違和感をエドワルドに伝えた。


「エドワルド。シズクは魔力を外部放出、出来ませんでしたよね?」

「えぇ、ロイ様もそうおっしゃっていましたよね」

「では、これはいったい誰の魔力なのでしょうか」


 ぽつりとアッシュが呟きながら、先ほどから手に持っていた可愛らしい髪留めを差し出しエドワルドに手渡す。


「え? あ……」


 魔力の残滓を追っていくことが行方不明者を探す際の捜査の基本である。少なくても魔力が感じられればそれを追うことが出来るのだ。しかしシズクは外部出力できるような魔力はないので、本当であれば髪留めからはシズクの魔力は、欠片も検出されることはないはずだなのだ。


 だから初めからからあんなにアッシュは髪留めを気にしていたのかとようやくエドワルドは合点がいった。


 始めに髪留めを渡された時は、シズクが攫われたと気が立ちすぎていて、魔力の残滓を追う事も攫った犯人の魔力が残っている可能性にもエドワルドは気がつけなかった。


 捜査の基本中の基本を忘れてしまうほど、とても動揺していたのだ……。


 そしてこの髪飾りに残された魔力の残滓はかなり薄い。この薄くかすかに残る魔力を探ったとしても、エドワルドでは辿り着くことは出来なかったと思うとさらに悔しさが増したが、今はその悔しさを横に置く。


「シズクの魔力ではないとしたら、やはり攫った誰かの魔力という事でしょうか」

「うん。そうだね。ただ可能性の話なんだけれど……。もう一度今度は本気で探ってみるから集中させてください」

「わかりました」


 エドワルドはアッシュに言われた通り物音を立てることなく静かに待った。


《偉大なる水の王に願い奉る 彼の者闇に足枷をされた者なり あなたのすべてを映す清らかな水面にその無事を映したもう》


 アッシュは騎士団団長して剣の腕も確かだが、魔法の腕も一級品だ。髪留めに残っていたかすかな魔力の残滓を探って、今度は先ほどよりももっと深く、残されていた魔力を持つ人物がどこにいるのかを探る魔法の詠唱を行った。


 ぽちゃん……、と紅茶のカップの中で水が鳴ったかと思うと、髪留め全体がぼんやりと薄く光って数回点滅して消えた。しばらく髪留めをじっと見つめてからもう一度小さく詠唱を頷くのを見てエドワルドはいてもたっても居られず声をかけた。


「団長、どうでしたか?」

「……もう少し、待ってくださいね」


 大事な友達が攫われたのだ。無事を祈りたいし早く助けたい。


 友達だから当たり前だ……。そう自分自身に言い聞かせエドワルドは拳を握り次の言葉を待った。


「本当の魔力の主は巧妙に隠されていますね。これでは流石に特定するのは難しい」


 アッシュが本気の魔法の詠唱を行っても、得られたシズクの現状は今いる場所と麻袋に入れられていたという事だけ。


「アッシュ団長でも難しいのですか」


「えぇ。悔しいですが相手の方が一枚上手というか、僕もまだまだ鍛錬しなくてはいけませんね。さて、一体誰が故意にこの髪留めに魔法の痕跡を残したのか……理由もさっぱり分からないんですが、シズクの今いる場所だけはわかりました。もしかしたらこれも誰かに誤誘導されている可能性もありますがね」


「シズクはどこにいるんですか? 何か酷いことをされたりしていませんか。生きてますよね? 俺……俺……早くいかなくちゃ」

「エドワルド」


 アッシュが場所がわかったというや否や、エドワルドが逸る気持ちを抑えきれず部屋を出ていきそうな勢いで立ち上がった瞬間、アッシュがいつもと変わらない穏やかな声でエドワルドの名前を呼ぶ。


 近衛騎士団での訓練のたまものだろうか、反射的にびくりと身体を反応させてその場に直立する。


「落ち着きなさい、エドワルド。シズクは……少し酷いことをされたようですが今はまぁ安全な場所にいるようですし大丈夫そうです」

「酷いことって何をされたんですか!」

「ほら、行きますよ」

「え? は、はい!」


 シズクの身に危険が迫っているのではないかと大きな声を出してしまったが、それは気にもぜずアッシュは気軽に買い物に出かけるような物言いでエドワルドに声をかける。これから救出に向かうというのにあまりにも普通過ぎてこれからエドワルドの方が動揺してして声が裏がえってしまう。


「君は本当に、何というかシズクの事が好きなのですね」

「それはもちろん大事な……、……友人ですから」


 さらにその質問には、少しだけ間を開けてにエドワルドが答えた。


「ふふ。友人、そうですね。まぁいいでしょう」


 何故かアッシュがそう言って笑った。


 退院してすぐ後、エドワルドが治療院へ付き添った事があった。


 行きの道すがらシズクと話をしていると、悩んでいたことに関しての答えを見つけたのか嬉しそうな顔をして急に走り出した。その時転んでは危ないからと、シズクの手を掴んで走り出すのを止めた。


 手を掴んだ反動で自分の腕の中にすっぽりと入りこんで、エドワルドを見上げてはにかんで笑ったシズクは『大事な友人』で、『間違いないはず』だ。それなのに自分で友人だと言った事にもやもやするこの感情がいったい何なのかわからなくて、もやもやとしたものを感じる。


 勿論シズクの事は嫌いではない。その他大勢と同じかと言われればはっきり違うと言える。さらに好きかと聞かれれば好きだと答えるだろう。


 大事で、大切で、ずっと一緒にいたいなと思って……。


 そう考えれば考えるほど、急に膨らんでしまった自分自身の感情にエドワルドが追いつけなくなって直立不動になっていると、穏やかに微笑みながらアッシュが声をかけてくる。


「さぁ、百面相は終わりにして、そろそろ行きましょうか」

「え? 俺なんか変な顔してましたか?」

「変な顔ではありませんでしたが、なかなかに面白いものが見れた気がしますよ」

「え? えー??」


 何とも蒼い。そこにある淡い気持ちの種が芽吹いたばかりなのだろう。しかし目の前の青年はその芽吹いたものに少し戸惑いを見せているようにも思える。


 アッシュは、もう一度小さく微笑んだだけでそれ以上何も言わずに歩き出した。

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