第29話 メゾピアノ

「そぇでね、お父さんもぉお母さんもぉ茜までぇいうわけ! シズクは子供っぽいってー。シズクにエリはもったいないんだから大事にしなしゃいってー」

「……?」


 屋台街のバルでアルコールの低いグリューワインを二人で飲んでいたのだが、女将の出したアルコール高めのグリューワインを飲んで酔いつぶれてしまった舌足らずな喋り方をするシズクを背中におぶって歩く。


 普段できないような話をゆっくりと、いつもとは違う雰囲気でたくさんできたのは本当に楽しかったし、今まであまり聞いたことのなかった遠く離れてしまった家族のことを話してもらえたりして少しだけでも懐に入れてもらえたような、心を許してもらえたように思えて嬉しかった。

 

 シズクをおんぶしていると、寒い風を正面に受けても背中から感じる体温でぽかぽかと心まで温かくなるように気がして、少し心の奥がくすぐったい。

 むにゃむにゃと寝言のように何かを耳元で喋るシズクに、相槌を打ちながらしばらく付き合っていると、自分が何故か若干舞い上がっていることに気付く。


 そりゃ酒を二人で飲んで楽しかったんだから、気持ちが舞い上がりもするか。と一人で考えながら幸せな気持ちでもふにゃふにゃの寝言に付き合っていたところに、突如としてエドワルドに衝撃的な台詞が耳に刺さったのだ。


「……?」


 は!?


「それ、誰?」


 急激に冷たい氷で衝撃を与えられたような気持ちになったエドワルドの問いにシズクは答えることはなく、先ほどまで饒舌に喋っていたのが嘘のように今度は規則正しい寝息が耳元でするばかり……。


 ご両親なら先ほどお父さんお母さんと言っていたし、妹君はアカネと言っていた。エリ……、エリック、エリオット、エリオン……。

 自分に当てはめても『エ』しかあってない。というかお会いした事がないのだから、元々シズクのご両親に認識されていないしこの話に自分は出てくるはずなどない。


 女性の名前だろうか。男性の名前なのだろうか。

 一体誰なのか……。

 悶々とするのに、背中ですやすやと寝ているシズクからの答えはない。


 頭を振り無理矢理もやもやする感情を振り払う。

 そのままリグとエリスの家に送っていくと、酔いつぶれたシズクを心配こそすれエドワルドを変に疑ったりする事なくそのまま家に招き入れてくれ、シズクの部屋に案内してくれた。

 年相応と言うよりは落ち着いた雰囲気の部屋に入り、ベットにそっと寝かせる。

 頭を撫でて今日は楽しかったよ、またねと頬を撫でると気持ちよさそうに自分の手を重ねてすり寄ってくるシズクの側でそっと声をかけた。


「おやすみ……。シズク」


 重なった手がぽかぽかと温かい。心もぽかぽかと温かい。


 いつまでもそばに居たいな。

 何故こんなにも彼女といるとそんな温かな気持ちになるのかわからなくなって、エドワルドはその手を離したくなかったがいつまでも独身女性の部屋にいて良い訳もなく……。

 そのままリグとエリスに挨拶をしてから帰路に就いたのだった。


***********************


「はぁ……」

「おい、いったい何度ため息をつけば気が済むのだ」


 昨日の何とも言えない出来事から一晩が立ち、エドワルドは国王主催の舞踏会に出席していた。

 色とりどりのドレスを身にまとった令嬢達が、壁際に立って物憂げにため息をつくエドワルドを見て黄色い声を上げている。その光景を眺めていたクレドが辟易とした表情で話しかけてきた。


「何回って大袈裟……、え? 俺そんなにため息ついてた?」

「国王陛下の挨拶からずっとだ。何があった。仕方ないから聞いてやってもいい」


 そんなことを言われてもシズクが言っていたエリの正体が分からない事に対してもやもやするだなんて、クレドに相談したからといって解決することなどないと、さらにため息をついて目線をクレドから外す。


「珍しく辛気臭いな……。あの後シズク殿にフラれでもしたか?」

「はっ??」


 持っていたグラスを落としそうになるぐらいにはそのクレドの言葉は衝撃的だった。何をどう勘違いしたらそんな思考になるのかまったくもって理解できない。


「フラれるとかっ!! シズクとはそういうのじゃないって……」

「では一体なんだと言うのだ」


 そう言われても、返す言葉もない。

 ただ仲良くなって、一緒にいると楽しくて、何かあれば守ってあげたいと思っていただけなのに、急にあんなに愛おしそうに自分の知らない自分ではない誰かの名を呼んだのを聞いただけで、正直胸がざわついた。

 そんなことをクレドに言うわけにもいかず、苦肉の策の言い訳を口にする。


「一緒に少しご飯食べて帰った時、昔の知り合いに会いたいって言ってて……」

「あぁ、そうか。モヤモヤするか」


 そういってクレドがふっと息を吐き出した。


「馬鹿にしてんの?」

「そうではない。馬鹿になどせん。お前も少しは前に進んだと言うことだ」

「なにそれ」

「お前に取っては、なぞなぞだな」


 なんだよそれ、とエドワルドは思った。思ったのだがいつもと同じクレドの横顔から見えたその瞳に静かに揺れる炎が違った色が見えて、それ以上、質問をするのが躊躇われた。


「まぁ、思い知ればいい」


 その揺れていた見知らぬ色の炎が消えて、エドワルドが知っているクレドに戻ったように見える。


「思い知る?」

「あぁ、まぁ自覚したとしても……」


 エドワルドとクレドが誰とも踊らず、ずっと二人で話をしていたからか。今まで遠巻き見ていた令嬢達が今なら声をかけられそうだとじりじりと近づいてくる気配を察知し、クレドは白々しく少し大きな声でエドワルドに言ってやる。


「なんだと!? お前にとうとう踊りたいお方が……」

「お、おいっちょっと待てって」

「ほら、やはり踊りたいお方がいるのだな」

「ここには居ないって……」


 にじり寄ってきている令嬢達がピクリと止まりクレドの次の一言を待つ若干の静寂の後、急に会場の一か所がざわつき始める。

 クレドにおかしなことは言われたが、今日の舞踏会はこれでつつがなく誰の手を取って踊らなくてもいいかもしれないと高を括っていたところに、ざわつく令嬢達の間をかき分けてエドワルドは見たことが顔が向かってくるのが見えた。


 その人物はエドワルドの前でピタリと止まり、声をかけてきた。


「エドワルド。お久しぶりです。あの、こんなこと急にお願いするのは気が引けるのですが、お久しぶりついでになんとか匿ってもらえませんか?」


 おかしな場所で、謎のお願いをされているが目の前にいるのは間違いなくシャイロだ。

 何故こんなところにシャイロがいるのか分からずに、若干視線が動くと、クレドの目が大きく驚いたように開いた後、敬意を払うように恭しく礼をとる。


「シャイロン殿下。お会いできて光栄です」

「は!? 殿下?」


 シャイロンと言えばリットラビア公国の第四公子だ。

 先日のドラゴンの調査でリットラビアから来ていた調査団の一員として名前が挙がっていたのはエドワルドも知っていたが、『リットラビア公国の公子 シャイロン』とは面識はない。


 目の前の男とは以前シズクの屋台で知り合った。うどんを一緒に食べ、自分はリエインから来た探偵だと自らを紹介していた。確かにリエインから来たただの探偵と言うには洋服も小綺麗だったし、食べ方も綺麗で立ち居振る舞いがそこはかとなく洗練されていた。洋服も帽子も仕立てがとても良いものだったのはそう言う事だったのかと急に合点がいく。


「お前は近衛騎士団員だというのに知らんのか……」

「いや、俺達シズクの屋台で知り合ってたからさ」

「こちらこそお会いできて光栄です。クレド殿。それから、堅苦しいのは嫌いなので敬語はなしでお願いしますね」


 クレドに腕を小突かれそう返答するのが精一杯のエドワルドだったが、目の前にいるシャイロはシズクの屋台で会った時のように気の抜けたような、人を警戒させない笑顔でクレドに話しかけていた。しかしその直後一度警戒しながらエドワルドとクレドを近くに寄せて小声で話をし始め、人垣の奥にいる人物を目くばせして教えてくれる。


「それでですね、もしかしたらあそこにいる女性に命を取られるかも……」


 命を狙っているわけでもなく、命を狙われているわけでもなく、命を取られそう、とはこれ如何に。

 そしてその目くばせした先にいたのは、エドワルドと同じアッシュブルーの髪色の、姉ベルディエットだ。

 向こうにいるベルディエットも何かを探しているように少しきょろきょろとあたりを見渡しては、探している人物ではない誰かに話しかけられてしまうので人探しもうまく行かないようだ。


 弟のエドワルドが見れば今目の前にいる男性に対して向けているあの微笑みが、最高点の苛立ちと怒りを含んでいることが分かるが、普通の人ではわかるまい。

 あの静かな笑顔がエドワルドには、とにかく本当に怖い。


「ん? なんだ。ベルディエット嬢ではないか」

「本当だ。あの顔、姉上無茶苦茶イライラして怒ってますね」

「はい……。あのう」


 なんとか隠れようと四苦八苦しているシャイロを横目にしばらく思案しても全くそんな理由が見つからないし、かなり手厳しいだけで基本的には自分の姉はそんなことをする人間でもない。十中八九シャイロが何かしでかしてベルディエットを怒らせたといったところか。


「えぇと、見つかったらこっぴどく怒られるかなって思って逃げてたんですけど……、先程ついに見つかってしまいまして」

「何か殺されるかもしれない程、姉上に何かした……の?」


 ふるふると頭を振り、分からないんですと恐怖で肩を震わすシャイロ。

 目の前のシャイロは悪い人間には見えない。そのシャイロがベルディエットに無意識に何をしでかしたのだろうか。


「この前ね、どこかの舞踏会にお呼ばれしたときにですね。シズクの屋台で購入したおでんを持って行ったことがありまして……」

「あ! おでん知ってる! 冬の間はたまにやるって言ってたやつ。俺はね、ちくわぶが好き」

「またお前は! シズク殿の店に行きすぎではないのか? あまり行き過ぎては迷惑になるだろうに」

「は? 仕事前に朝ごはん食べに行ったりしてるだけだし。シズクは迷惑がったりしないよ。気になるならクレドもいけばいいだろ」

「あまり気を使わせるのもいけないかと……」


 言い争いになりそうな手前でシャイロが二人の口を手でふさいだ。


「しっ! 彼女に見つかってしまいます!」


 小声なのに強い口調なのが切羽詰まった感情が透けて見えるようだ。


「それでですね、舞踏会に行く前にシズクの屋台でおでんを買っていってお招きいただいたお宅の東屋で一人で食べていたんです。そこでベルディエット嬢と初めてお会いしました。香りに惹かれて東屋に来た彼女に、屋台街のヴォーノボックスというお店で買った事を告げると、その店は自分の友人がやっている店なのだと、それはそれは自慢げに嬉しそうにしていたのですが……」

「友達自慢したかったんだね。姉上」

「あの時は城下街で出会ったのでとっさにエドワルドとシズクには探偵だと言ってしまいましたが、ベルディエット嬢にはすぐにばれてしまいそうでしたので身分をしっかりと明かしたのです」


 それでも怒る理由は今のところ見つからない。

 横を見るとクレドも同じように何でベルディエットを怒らせたのか全く分からないようであった。


「しばらく他愛もない話をしていたのですが、何故か急に怒りだしてしまいまして」

「急に?」

「なんで?」


 なんでなんて私の方が知りたいですっ!と鳴きそうな顔ですがるシャイロには申し訳ないが、エドワルドもクレドも今の会話の中からベルディエットが怒り出す沸点を見つけることが全くできなかった。

 もう一度話を最初から聞こうと口を開いた瞬間、リズミカルにヒールの音を響かせながら、ベルディエットが底冷えするような笑顔と共にこちらに向かってくるのが見えた。


 もう逃げ場はない。


 シャイロは観念するのはまだ早いとばかりエドワルドに隠れるようにその後ろに回った。

 ベルディエットがエドワルドの前でピタリと足を止め、その後ろに隠れていたシャイロを睨む。


「エド、その後ろの男を匿うなら容赦はしません」

「姉様、何があったのですか?」

「ぼぼぼ、僕も知りたいところなんですけれど……」


 この人本当に公国の公子なのかと疑いたくなるほどに、怯えているシャイロであったが、なるほどベルディエットの表情を見れば自分の姉ながら確かに怖い。

 笑みを浮かべているのに、その目は怒りに燃えている。


「シャイロン様、私……東屋での一件忘れたとは言わせませんわ」


 シャイロを射貫くように人にらみするとその理由をようやく口に出したのだった。


「あなた、シズクを自国へ招き入れるつもりだとおっしゃったじゃないですか! 私の大事な友人をこのユリシスから連れ出して攫うだなんて……、絶対に許しません!」


 キリリ!

 胸を張って宣戦布告するようにリットラビア公国公子へびしっと指を指すのだが、理由を聞いたシャイロは説得するように恐る恐るだがベルディエットに話しかけた。


「え? あのう、僕はもしリットラビアの食材に興味があるならば是非お招きしたいな……といった趣旨の話をさせていただいたはずなのですが……」

「…………え!?」

「姉さん……、何を思って勘違いしたのか知らないけれど、シャイロに謝った方がいいんじゃない?」


 ベルディエットは自分の友人が、リットラビア公国の公子に無理矢理連れていかれる盛大な勘違い想像をしてこんな暴挙に出ていたようだ。

 先ほどまで怖い顔で真っすぐ睨んでいたベルディエットだったが、その目が今まであった事を誤魔化すように視線を外した。

 口元を手で隠しながら顔を真っ赤にして謝罪の言葉を述べるとシャイロも謝罪を受け入れてくれたようで、先ほどからの怯えた表情がなくなってる。


 今は穏やかにシャイロとベルディエットとクレドの三人がシズクの話をしながら談笑しているのを見て、姉がシャイロのお命頂戴しなくて本当に良かったとエドワルドは胸を撫で下ろしてた。

 ほっとして手に持っていたワインを一口飲むと、昨日のシズクの温もりを思い出す。


 そして、怖くなった。

 

 あの時みたいに俺の前から急にいなくなったりしたら?

 ……そんなの絶対に嫌だ。


 それは何故なのか。


 いつもよりも鼓動が心の奥で奏でるように強く響いたように感じて、自分のシズクへの気持ちがいったいどんな形をしているのか、少しだけわかったような気がした。

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一介の弁当屋は穏やかな日々を願う 大野 友哉 @moyo0525

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