第14話 進むべき先

 今日はヴォーノ キッキンの久しぶりの営業だ。




 怪我からの復帰後第一日目。まだ始まってもいないというのに家を出る前からリグとエリスの心配が頂点に達していて、またもやついてきそうな勢いだったのと体を慣らす為、今日からしばらく営業時間は午前中だけ。


 それでも久しぶりの開店に張り切りすぎて、思ったよりも早くシズクが店の場所に到着すると、こんなに朝早いというのにベルディエットが一人佇んでいた。


 いや、一人ではない。周りを見渡すとお付の人がいっぱい遠巻きに見ているのがわかる。さすがお嬢様である。




「エドワルドは? 一緒に来なかったの?」


「あの子は今日は夜勤っていっていたかしら……。終わったら来るかもしれませんけれど、ちょっとわかりませんわね」


「ふーん。今日から再会だって言ったから、来てくれると思ったのになぁ」




 がちゃがちゃと一人で屋台を組み立てているのを、感心するようにしばらくベルディエットは見ていたが、好奇心の強い彼女がいつまでも座って見ていられるわけがなく、とうとう立ち上がって何か手伝うことはないかと周りをうろうろし始めてしまった。




「何かお手伝いできることはありまして?」


「ないよー。もう終わったからね、朝ごはん食べる?」


「いただきますわ……」




 ベルディエットは今日シズクが店を再開すると聞いて、いてもたっても居られず朝早く家を出てきたそうだ。


 うつむくベルディエットの表情は冴えない。


 自分の傷のことをまだ気にして単身乗り込んできたのだと、目に見えてわかる。




「あのさ、傷はそのうち薄くなるし、ベルディエットがそんな顔してる方がいやだよ?」


「えぇ……」


「うーん。ベルディエットのせいじゃないしさ」


「わかっているのですが……」




 どうしても表情の冴えないベルディエットの前に今朝の朝食を置く。


 


 久しぶりの朝食営業のメニューに選んだのは、あまり体に負担にならないように簡単に作れるワンプレートにした。おにぎりは刻み大葉でさっぱりと、卵焼きに人参しりしり、スパイスで味付けした鳥ハム、ほうれんそうのお浸しとヘルシーで作り置きも簡単なメニューを選んだ。




「食べてくれる?」


「えぇ、いただきますわ……。あら。シズク……」




 プレートを前に食べ始めようとしたベルディエットが、屋台から見える路地にいる少女に目を止めた。


 年の頃は十二、三歳ぐらいだろうか。衣服はところどころ擦り切れて、靴を履いていない。髪は伸びたい放題で整えられている様子もない。




「あの子……」




 ユリシスは比較的裕福な国で、城下街もその周辺もとても治安がいい。しかし治安が良かろうと貧富のはある。




 この国にも、貧富の差があることをベルディエットは知っている。ユリシスには孤児院もあるし、教会では炊き出しなどもして困窮している人々に何もしていないというわけではないことも。


 しかしその伸ばした手が困窮している全ての家族に行き渡っていない事もまた事実だ。


 人口の多さにそれは仕方のない事だと思いながらも、ありのままの様子は目から見える場所からは隠されていたのだと、今日目の当たりにしてベルディエットは改めて気付かされた。




「こちらに来るかしら」


「うちには来ないかな」


「何故?」




 順番に回ってくるのかしら?とベルディエットがその少女を注視していると、ちらりとヴォーノ・ボックスを見たあと、こちらから少し離れた隣の屋台にゆっくり歩いて行くのが見えた。


 初めて来た屋台街では、どういったものが売っているのかベルディエットには全く分からなかったが、向かって行った先の屋台で何かをもらって帰っていくのが見えた。




「うちは断ってるから」


「なんですってー!!!」




 ふと聞こえたシズクの声にベルディエットは驚いた。


 驚いて、屋台街に響き渡るような声を出してしまうほどに……。




 あの心優しいシズクが、幼気な少女に施しをしないなどと信じられなかったからだ。




「あの少女には施しをしないのですか?」


「しないね」




 短い言葉ながら、きっぱりとした物言いに再び驚く。


 何故なのか。持っているものが持っていないものに施しを行うのはあくまで貴族的な考えなのだろうか。いや、そんなことはないはずだ。シズクがそんな非人道的な人間ではないと思いたくてさらに詰め寄る。




「何故ですの? 弱者を守るのは大人の務めではなくて?」


「何故って……」




 うーんと一つ唸ってから、シズクはぽつりと言った。




「大人の務めなら、あの子がちゃんと進める様に大人が道を作ってあげなくちゃだめだと思う」


「それはそうですわ。そのために施しが必要なのではないですか!」


「うーん」




 さらに頭を掻きながら唸るシズクの煮え切らない声にベルディエットは納得できず、またつい声を荒げてしまう。


 しかしシズクは少女の事は気にしていないわけではなく、もらっていた店を確認するとほっと息を吐いて、早く食べてとベルディエットに朝食を進めてくる。




 初めて口にする屋台のシズクの朝食は、どれもこれもベルディエットには目新しい。


 白い米に爽やかな香味の葉が混ざってさっぱりと食べることが出来る。卵焼きというものは心がほっとするような甘さ。キャロッテが細かく刻まれ油で炒めたものはキャロッテ本来の甘さが引き立ちたくさん食べられる。鳥肉の蒸したようなものは少しピリ辛な味付けでつい食が進んでしまう。エピナールを何かで茹でたようなものは口に入れるとじゅわりと美味しい味が溢れた。


 どれもこれも初めて食べたベルディエットにも美味しく、シズクの人柄のように優しい味が溢れる一皿だと思う。




 こんなに美味しい物であれば、きっとあの子も喜ぶはずだとプレートごと手に持って立ち上がった。




「……。この朝食をあの子に渡してきます」


「駄目だってば!」


「だから何故なのですか!」




 何故そこまで施すことを拒否されるのかまったく説明されず、先ほどから何度も何度も駄目だという。いったい施すことの何がいけないのか。




 イライラが頂点に達し、ベルディエットは先ほどよりもさらに大きな声を出してしまった。


 その声を聞いた周りの屋台の人達が二人を心配そうにちらちら見ながら様子を窺っている。シズクは平気平気と大きく手を振って何事もないことをアピールした。




「ねぇ、ベルディエットはなぜあの子に施しをしようと思うの?」




 質問に質問で返された。


 ベルディエットは簡単なだと言わんばかりに意気揚々と語る。




「弱者に手を伸ばすことは貴族の義務でしてよ。それに貴族でなくてもあのような小さな子なら尚更でしょう」




 そう。守ってあげなければならないのである。


 ベルディエットは今の今までそう思っていた。


 幼い頃からユリシスの貴族として弱者を守ることは当たり前と教わって来たし、貴族令嬢として教会での慈善活動も真面目に信念を持って取り組んでいるつもりだと。




「食べることが出来ないなら施しをしてあげるのが、大人というものではないかしら」




 胸を張ってベルディエットはシズクに言ったが、シズクはと言えば困ったような顔でベルディエットを凝視していた。




「今回ご飯をあげてさ、明日はどうするの?」


「明日?」


「そう、明日から」


 


 その次? ベルディエットは次を考える。


 与えられるなら次も与えればいいのだと。




「また施せばいいのではないのかしら」


「その後は?」


「え……その後……?」


「何回かだけで終わり?」


「あ……」




 そう言われたベルディエットはやっと目が覚めたような気がした。


 明日や明後日ではない。今後ずっとベルディエットやその他の誰がが面倒を見てくれるのか?




 そうではないのだ。


 数回だけ施しても、彼女の人生はこれからずっと続くのだ。


 


 もしかしたらその数回の施しによって救われる人もいるかもしれない。


 しかしそうでない人はどうなる。その数回だけ何かを施したとしていったい何の救いがあるのかと。心の奥で漠然と感じていた事が言葉となってベルディエットの心を抉る。


 




「ずっともらってばっかりじゃ、これから施しを受けて生きていくことが彼女の普通になっちゃう。施しがもらえなかった時に、たとえば何かをもらうために何でもするようになっちゃうかもしれないじゃん。女の子なんだからさ、悪い奴に付け込まれて一生消えない何かをされる可能性もゼロじゃないよね」


「そんなこと……」




 ……ないとは言い切れないではないか。


 わかった気になっていた、傲慢になっていた自分が恥ずかしい。


 私は、たった数回だけ何かを与えて、勝手に良いことをした気になっているだけだ。と。




 貴族としてのどうあるべきか、一般市民を守るだなんて言っておきながら、ただ分かっているつもりになっていただけだったと今更ながらに思い知らされる。




 実際今シズクに突き付けられた言葉を、本当の意味でいままでちゃんと考えた事がなかったのだと。




「この屋台街は治安も良いし、変なこと要求する人もいないけど、違うところにいったら分からないよね。男の子も女の子も一食の見返りに何されるかわかったもんじゃない。だからやみくもにちょうだいって言うんじゃなくて、人を見る目を養って、働くことをちゃんと覚えて労働したお金でご飯が食べられるってここで学んでるんだよ」




 ようやくシズクはベルディエットに種明かしをした。




 この屋台街全体で食べることに困窮している児童に、店を手伝ってもらってその労働の対価として賄いを出していると。屋台の主それぞれに役割があり、シズクは人畜無害そうな優しそうな人なのに、実はそうじゃない人という設定なのだということ。ただ教会の畑仕事を手伝っていると、たまに面が割れてしまうことがあるのが困りごとのようだ。




「それがこの屋台街のやり方なんだって。ちょっと荒っぽいやり方だとは思うけど、いいなって思って賛同してる」


「荒っぽいだなんて……そんなこと、ありませんわ」




 施すだけではなく、その先を見据えて街全体で考えることが大事なのだ。




 そして今まではただそうあるべきと言われて取り組んできただけの慈善活動のさらに進むべき先が、今の言葉で真っすぐに光って見えたようにベルディエットは思えた。




「私の貴族としての矜持はここから始まりますわ」


「え? なに急に。だからご飯はあの子にはあげずにちゃんとベルディエットが食べてよ?」


「えぇ、もちろんです。私もすました顔で食べることにしますわ」


「ははっ! なり切るねー」




 孤児院にいる親の居ない子供も、貧困に苦しむ家族にも、何か手に職を持たせられるような訓練所を作ろう。貧富の差をなくすことは難しいことは分かるが、いくら貧しくともある程度の学や手に職があれば仕事に就くことも今よりは難しくはないだろうし、さらにセリオンの名がついていれば雇う側も安心感も得られるだろうか。そのためにはセリオンの名に恥じない教養を身につけてもらわなくてもいけない。




 一人悶々と考えていたシズクの傷のことも、本人は気にしていないときっぱりいっているではないか。いつまでもウジウジしていたら、愛想尽かされて友人ですらいてもらえなくなってしまうかもしれない。




 生涯の友として恥じない道を歩きたい。




 ベルディエットは高揚する気持ちを抑えることが出来ず、珍しく手でおにぎりを掴んで頬いっぱいに頬張った。




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 この後、ベルディエットがセリオン家の事業として職業訓練所と学校を作ることに尽力し、生涯の伴侶に出会うのはまた別の話である。

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