第15話 初うどん
「朝一番から、なんじゃこれは……」
シズクが店を出そうといつもの場所に屋台を引いて歩いてくると、古いヨーロッパ映画に出てくる新聞配達員が被っているような帽子を腹の上に乗せて、一人の青年が行儀良く横たわっていた。
お腹が規則的に上下に揺れているので、死んでいるわけではなさそうだ。
しかしそこで寝続けられるのはこれから営業するのに大変迷惑なので、屋台街の店の店主数人に手伝ってもらいながら端に寄せたが起きる気配は全くない。なんとも気持ちよさそうに寝ているのでとりあえず無事に空いたスペースでシズクは屋台を組み立て始めた。
まだ怪我からの復帰して数日。
家を出る前のリグとエリスの心配性が絶賛継続中で、またもやついてきそうな勢いだったのともう少し体を慣らす為にも、まだまだ朝食のみの営業である。
屋台を組み立て終え、さっそく朝食の準備にとりかかる。
今日はなんと、《うどん》である。
午前中しか営業していないので、午後からどうしても時間が空いてしまう。その空き時間に何かを寝かせて作れるようなものにしようと考えた結果、今まで作った事がなかったうどんに挑戦することにしたのだ。
ありがたいことにやはり人気はないが、うどん作りに必要な中力粉に近い小麦粉がこの世界には存在していた。人気がないので仕入れが安くて助かる。
さてうどんはそこそこ時間はかかるが、作り方は比較的簡単だ。
中力粉もどきを水と塩を混ぜたものに合わせた後、生地を一旦寝かせる。その後運動がてらにひたすら踏む。ある程度踏んだら丸めてまた踏む。生地が滑らかになってきたら丸めて冷蔵庫に入れて一晩ほど寝かせる。
朝起きたら冷蔵庫から出して常温に戻し、細切りにする。
あとは屋台で茹でたり冷やしたりするだけだ。
濃いめの出汁に、具は味付き卵、ポワロという名の刻みネギ、豚肉に似たピギー肉の甘辛炒め、前にも作った鳥ハム、手作り天かすの内好きなものを三つトッピングしてもらうようにした。
プラスアルファで天かすと大葉のおにぎり一個付き。
屋台街にある共通の水場で鍋に水を入れお湯を沸かす。
締める為の水は別の鍋に入れて、氷を入れてすでに冷蔵庫の中だ。
「シズク―!」
店の準備が出来ると同時に、エドワルドが走って向かってくるのが見えた。
弾けるような眩しい笑顔で走り寄ってくる姿が大型犬のようで、大の大人だというのになんとも可愛らしいものだとシズクは思ってしまう。
「再開したって聞いてたのに、すぐに来れなくてごめんね」
「全然いいよ。それよりもお昼のお弁当はまだ再開できなくってこっちこそごめんね」
「確かにシズクの作ったお昼ご飯食べれなくて残念だけど、あまり無理して欲しくないから……我慢できるよ」
走り寄ってきた時と同じ眩しい笑顔の攻撃に、目がつぶれそうになるのをこらえながら麺を茹で始めると、店の後ろで寝ている青年が気になるのかエドワルドが物凄く凝視している。
「あ、あの人朝来たらここで寝てたからどかしたんだけど、全然起きなくって」
「危ない人だったらどうするつもりだったの?」
「他の人もいるし、なんか悪い人じゃなさそうだったからさー」
「もう、俺の見てないところでは危なそうなことばっかりして……」
不貞腐れるエドワルドにシズクは今日のメニューを紹介する。
「大丈夫だって。ほら今日は新メニューのうどんだよ。今だけの期間限定にするつもりなんだけど、初めてのメニューだからエドワルドに一番初めに食べてもらえてうれしい」
「新しいメニュー? えっと、んどん?」
「う・ど・ん」
「……うどん?」
「そう、そう。うどん。パスタみたいな麺のことだよ。好きなトッピング三つ選んで上にのせて食べてね」
「ほうほう」
トッピングを選びながらようやく機嫌を直してくれたエドワルドが厳選して選んだのは、ピギー肉の甘辛炒めと味付き卵と刻みネギ、とおにぎりだ。
「このおにぎりは見た事ないね。このおにぎりは茶色いツブツブのが混ざってる……。俺知ってるからね。シズクの作る茶色い色のものは絶対に期待を裏切らないって」
「お褒め頂き光栄です」
麺が茹で上がり、店のそばにある屋台街の水道で一旦締めてから店の冷蔵庫に入っている氷水を上からさっとかけて再度締める。皿に盛り付けて出来上がりだ。
「どうぞ、召し上がれ」
「へへへ。いただきまー……あ゛ーーーーっ!!!」
エドワルドがフォークを手に持とうとした瞬間、なんと屋台の後ろで寝ていた青年が飛び起きて、エドワルドのフォークをさっと奪って出来たてほやほやのうどんを食べ始めてしまったではないか。
「ちょっとー!!」
「これすごく美味しいですね」
「え? ま、まぁね。シズクの作った物に間違いはないからな」
珍しく勢いに気おされながら、エドワルドがシズクに救いを求めるように視線を向けると、すでに新しいものを作ってくれる準備をしてくれているのが見えた。
ほっとして茹で上がるのを待ちながら、隣で音を立てずにフォークに器用に巻きながら上品にうどんを食べている青年をエドワルドは観察する。
年の頃は自分とはあまり変わらなさそうだ。肌艶も良く変に擦れたような風体でもない。髪はとても綺麗に手入れされているようで艶もある。急にうどんを取られてびっくりはしたが、食べ方も綺麗だし立ち居振る舞いが洗練されている。そして着ている洋服も帽子も仕立てがとても良いものに見えた。
「とても美味しかったです。ごちそうになりました」
「いえいえ、お代はいただきますよー」
「あ、そうですね。お金が必要でした……」
屈託笑う青年からしっかりとお代を貰う。
お代を貰ってからすぐにエドワルドにも注文通りのうどんを出したが、その顔は一番初めにうどんを食べることが出来なかった事に対してだろうか、少しだけ不服そうだ。
「あ、これすっごい美味しいよ。シズク! つるつるしてパスタとはまた違う触感で……。味が淡白だからかなぁ、甘辛い肉との相性もすっごい合う! あとやっぱりこのツブツブ入りのおにぎりめちゃくちゃうまい……。うまい……。あ、シズク、このうどんの白いのだけおかわりできる?」
食べる前までは不服そうにしていたが、食べ始めればそれはすぐに笑顔に変わる。
あと少しで食べ終わりそうに見えたエドワルドが、うどん上級者のような替え玉注文をしてきたことにびっくりしつつも、もちろんと返事をしてシズクは新しいうどんをゆで始める。
「あはは。うどんはね、この白くて細長いもののことなんだよ」
「じゃぁ俺が今回食べたのはピギー肉の甘辛炒めのせのうどん、ってこと?」
「それそれ、そんな感じ。メニュー名としては……、ピギー肉の甘辛炒めうどん、味玉のせ。かな」
「おぉ……。なんかカッコイイな。味玉のせの響きもいい」
カッコイイのか? 語呂が?
いったい何に感動したのかはまったくわからなかったが、なんだか妙に通のような顔でご満悦なので良しとする。
じっと二人のやりとりを見ていた、新聞配達員のような帽子をかぶった青年もうどんを指さしてシズクに尋ねた。
「これはいつもあるものなんですかね?」
「あー、これは期間限定で……」
まだ怪我から復帰したばかりで正直人をさばききれる自信もない。通常営業に戻した場合うどんを作る時間があまりとれなくて、うどん自体メニューから外れる可能性もあるから今だけの期間限定品だと説明する。
するとエドワルドも詳しくは説明できないけれど、シズクはつい最近大怪我をしてようやく復帰したところで無理はさせられないのだと青年に説明してくれた。
「そんな大怪我だったのですか? じゃぁ無理は出来ないですねぇ。折角いいもの見つけたと思ったと思ったのですが残念です」
「期間限定だけど、また作る日があるかもしれないのでまた来てくださいよ」
「えぇ、もちろん」
茹で上がったうどんをさらりと水と氷水でもう一度締めてからエドワルドの皿の上に滑らせるように乗せると、それを見ながら嬉しそうに笑っている。幸せそうに食べてくれるエドワルドを見ているとシズクも幸せでついつい笑顔が溢れてしまう。
「替え玉お待ちどうさま。はい、どうぞ。あ、ポワロを少しだけサービスするね」
「わわ! ありがとう」
うどんとネギににたポワロだけの、ほぼ素うどんを物凄い通のような顔で食べてるエドワルドが妙に面白くて、ついつい笑みがこぼれてしまう。
エドワルドとシズクがお互いニコニコしながら何気ない会話を続けているそのやり取りを青年は不思議そうに見ていた。何故なら終始笑顔を絶やさない二人が、水の入ったコップの受け渡しの時や、食べ終わった皿を渡す時になんとなくだが、照れのようなものが見え隠れしているような気がするのだ。
「えっと、お兄さんはお姉さんの作るもの大好きなんですね」
「そりゃぁシズクの作るものは、本当に美味しいから……大好きで……」
「へへ、いつもお店に来てくれて嬉しいよ」
何となく二人のなんというか、そういう独特の世界を感じて青年はそうなんだねぇ。と謎の一言を発してからにかりと笑った。
「私は……えぇと、探偵……? のシャイロです。昨日リエインの街からやってきた私立探偵です。」
「なんで疑問形なんだ?」
エドワルドはジャイロが何故自らの仕事に疑問形なのか気になったが聞こうとしたが、シズクはあまり気にしていないようで、話を進めてしまう。
「新聞配達の人がと思ったら探偵さんなんだ! 私はシズク・シノノメノ。普通のお弁当屋さんです。よろしくね」
リエインはこのユリシスの城下街から馬車で二日ほどの場所にあるユリシス王国の第二都市と言われる街で、港街だということだけはシズクもリグとエリスに聞いて知っていた。
ユリシスにも魚介は入ってくるが、漁港から馬車で二日もかかると持ってこれるものとそうでないものがあるだろう。もしかしたらイクラやタラコのような魚卵もあるかもしれないと思うと一度行ってみたいと思っていたのだ。今度ゆっくり話を聞いてみようとシズクは思っていたが、エドワルドは違う目を持って青年を見ていた。
どこかで会った事があったと思うのだが、どうしても思い出せない。
自分とあまり変わらない年齢で、なかなかに洗練された仕草や喋り方。
どこかで……、どこかでと思うがやはりエドワルドは思い出せなかった。そうこう考えている間にシャイロは立ち上がり丁寧にお辞儀をする。
「また食べに来るね。シズク・シノノメ。エドワルドもね」
そう言ってシャイロは意気揚々とどこかに向かって歩いて行ってしまった。
歩き方が堂に入るというか、何と言ったらいいかわからないが向かいから歩く人が何となく道を譲ってしまうような不思議な歩き方である。
決して威嚇して歩いている、というわけでもないのがシズクには何とも不思議だった。
「ん?」
「どうしたの?」
シャイロにエドワルドは名前を告げたっけ?
三人で話をしている間にもしかしたらシズクが口にしていたかもしれないと思い直し、シズクもエドワルドは不思議な青年シャイロの背中を見送った。
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