一介の弁当屋は穏やかな日々を願う

大野 友哉

第1話 プロローグ

「おはよう! 今日の朝ごはんは海藻のまぜご飯とヤム芋の豚肉巻きだよ。あととん汁あるけど飲む?」


「とんじるって?」


「具だくさんのお味噌汁かな」


「本当? 飲む飲む! シズクの作るミソシル好きなんだよなぁ」


「そう言ってもらえると嬉しいなぁ」




 ここはメルカド ユリシス。


 ユリシス王国の城下町にある市場である。




 なんでも揃うこの市場は、伝統工芸を売っている店もあれば、新鮮な食料を売る店もある。もちろんその場で食べる屋台スタイルの店も並び、観光客も訪れるが城下町に住む人々の生活にも支えているとても賑やかな市場だ。




 その中に、「ヴォーノ ボックス」と言うこの場所には似合わないリアカー型の屋台がある。


 可愛らしいマルシェ屋台ではなく、ラーメンやおでんの屋台のような形のリアカー型の屋台で、上にはこの街ではさらに見たことのない惣菜が何点か並ぶ。




 卵焼き、唐揚げ、白身魚のフライ、揚げ出し豆腐、ゴボウのきんぴら……。


 日によって違うが、どれもお弁当のおかずである。




「ベントウバコは洗ってきたから、これに入れてもらえるんだっけ? ドンブリにするかおにぎりと二品?」


「そうそう。じゃぁ、お弁当代から値引きか、好きな具もう一品。どっちにする?」


「そりゃもちろん、もう一品に決まってる。じゃぁ今日のおかずは……」




 お弁当のおかずを真剣な顔で吟味している彼、最近通うようになったエドワルド・アブソリュー・セリオン。この店の常連客である。




 その彼が持っているのはヴォーノ・ボックスの特製保温弁当箱。屋台に中に残っていた最後の一つを先日シズクは助けてもらったお礼にと、彼にプレゼントしたのである。


 この世界では絶対に存在しない素材でできているステンレスの弁当箱で、シズクの魔道具の一つだと伝えてある。




「でもさ、ほんと気をつけてよ?」




 おかずを選びながらもエドワルドが言う。




 シズク自身もこの世界にやって来て一年。店を出し始めて半年ほど。ユリシスの城下町の簡単な案内ぐらいはできる程度に道を覚え、つい一月ほど前にたまたま観光客に道を尋ねられた。




 無事に観光客の案内を終えて戻ると、シズクの商売道具の屋台が見知らぬ男達に盗難されそうになっていたのだ。周りの店の人達も巻き込んで乱闘騒ぎになりそうになる寸前、盗難グループの一人に突き飛ばされ、派手に転んだところをたまたま赴任したてで研修の為に街の巡回をしていたエドワルドに助けたられたのが二人の出会いである。




「アイツら、別の街で指名手配されてたくせに堂々と盗みを働こうとしてさ。まぁ、シズクのご飯の匂いに誘われちゃったのは致し方ないとは思うよ? でも作ってくれるシズク本人がいないんじゃ意味ないっての……っと今日はこれ! 初めて見るやつだよね?」




 不思議なことに屋台自体はシズク以外に天面下の食材などが入っているスペースを開けることもできないし、そもそも盗難にあっても翌朝には自分のそばに自動で戻ってくる盗難完全無効機能が働いているのでそこまで心配していなかった。


 


 正直突き飛ばされた時には頭が真っ白にになってトラウマがフラッシュバックしそうになったが、心を込めて作った食事がただ乱暴に盗まれるのが嫌で、シズクは必死に抵抗していたのだ。




 しかし、そんな事情など何も知らなくても、本気でそれはもう必死にシズクとシズクが大事にしているこの屋台をエドワルドは守ってくれた。本当に感謝してもしきれない。




 あれからシズクのことが心配なのか、エドワルドは数日に一度はなんだかんだと理由を付けて店に足を運んでくれて、楽しそうに弁当の中身を決め、雑談しながら朝食を食べて出かけていく。


 そうしているうちに盗難騒ぎの時の怖かった気持ちも、こうも毎日笑わせてくれているとびっくりするほど和らいできているような気がする。




「お目が高いね! 新商品のちくわの磯辺揚げだよ。気に入ってもらえるといいな。さ、朝ごはんも冷めないうちにどうぞー」


「ちくわ?」


「そう、ちくわ!」




 磯辺揚げは食べてもらえればきっと好きになってもらえると思うのだが、それよりも今は遅刻する前にちゃんと朝食を食べてもらわなくてはいけない。




「こんなに美味しかったら、どこかのレストランから勧誘来ちゃうんじゃない?」


「あははは、そんなことあるわけないよー。美味しいものは貪欲に追求したいけど、一介のお弁当屋だし、なんかこう穏やかに楽しく毎日を暮らしたいじゃん?」


「それは俺もそう思う! でも万が一勧誘が来ても断ってよ? 俺、シズクの朝ごはんとお弁当がなかったらいやだからさ」


「断るし、まずそんなの来ないから大丈夫ー」




 エドワルドが朝食を食べている間も楽しくおしゃべりしつつシズクはお弁当箱におかずを詰めておにぎりを二つ、専用のランチトートに入れる。




「はぁー。このミソシルは心の芯からあったまる気がする」




 ふぅふぅと味噌汁を冷ましながら、スプーンを器用に使って味噌汁を飲み、おにぎりをがぶりとかぶりついた。




「良い食べっぷり!」


「固苦しく食べるよりこうやって話しながら食べたりする方が楽しくて好きなんだよね」


「確かに誰かと話しながら食べると、楽しいもんね」


「そうそう。それがシズクのご飯だともっと楽しくなっちゃうよ」


「エドワルドはお世辞が上手だなぁー」


「お世辞なんかじゃないって」




 お互いが満面の笑みを向けると、おーいと遠くからシズクを呼ぶ声がする。




「エリス!」


「シズク! これ忘れてるわよ。本当におっちょこちょいなんだから」


「別に大丈夫だったのに。でもありがとう」




 そう言って家に忘れてきてしまったトングの入った袋を渡してくれた。




 シズクを呼んでいた声の主はエリス。


 一年前にこの世界にやってきたシズクに良くしてくれたばかりか、現在も家に居候させてくれている女性である。




「こっちに用事があったからな。ついでに飯でも食わせてくれや」




 もう一人一緒に歩いてきたのはエリスの夫、リグ。


 なかなか人気のこの街の鍛冶職人だ。




「えー、忙しいのにごめん。ほんとありがと。エリスもリグもいっぱい食べてしっかりお仕事してね!」


「このお二人はシズクの知り合い?」


「知り合いと言うか、すっごいお世話になっている人たちで……」




 と、エドワルドとシズクのやり取りを聞いていたリグが、急に機嫌が悪くなったかのように不躾に声をかけた。




「あんた、うちのシズクにちょっかい出してんじゃないだろうな。どこの誰だか知らんがうちのシズクに、もしなんかしたら……、お貴族様だったとしてもオレ達が黙ってないからな」




 エドワルドと和気あいあいと話をしていたのを知らない二人は、先ほどの飯を食わせろなんて優しい声色でシズクに話しかけていたのとは一転してドスの利いた声で脅しをかけると、エリスもシズクの肩をがっちりと抱き寄せて守る姿勢を崩さない。


 


「もう、リグもエリスも勘違いしないでよー。エドワルドはこの街の近衛さんで……。ほら、この前話したじゃん。屋台盗まれそうになった時に助けてくれた人だよ。そんな怖い顔なんてしないで二人もちゃんとお礼を言ってっ! ほら、お礼言って!」




 派手に怒られたリグとエリスだが、やはり警戒心は取れない。


 ちょっとだけ緊張しながら、エドワルドは姿勢を正して丁寧に挨拶する。




「シズクと仲良くさせていただいています。セリオン家三男、エドワルド・アブソリュー・セリオンです。先日近衛騎士団所属となりましたが、今は近衛騎士団の規則に従い警ら隊で見習い中です」




 と全部を説明する前に、目の前のリグとエリスが目が飛び出そうなぐらい大きく見開き頭を下げた。




「セリオン? あの?」


「えっと、そのセリオンで間違ってはいないですが、出来れば普通に話して欲しいです。俺自身はまだ、ただの見習いなんで」


「お、おう。お言葉に甘えてそうさせてもらう。貴族と直接話したことなんてねぇからよ……、礼儀なんてわからねぇから大目に見てくれ。さっきは悪かったな。それから、こいつのこと守ってくれてありがとうな。俺達からもちゃんと礼しに行かなくちゃってシズクにも言ってたんだけどよ、名前しかしらねぇって言うし……」


「本当にそう言うところ抜けてる子で。セリオン家のご子息に助けていただいてたなんて……。本当にありがとうございました」




 ありがとうと言いながら頭を下げるリグとエリスだが、あまり表情が晴れない表情なのがシズクは気になった。




 理由を聞いたことはなかったが、二人があまり貴族にいい印象を持っていない事は、シズクもこの一年で何となく感じてはいた。


 ただ、エドワルドに向ける感謝は本物だし、いつもの毛嫌いよりはいくらかマシな反応ではあった。




「いえ、あの時はシズクが怪我をしてしまって……。俺がもっと早く見つけていれば怪我なんかさせなかったんですけれど。こちらこそお二人の娘さんをもっと早く助けてあげられなくてすみませんでした」




 びしっと頭を下げるエドワルドを、じっと見つめるリグとエリスとシズクだったが、どうしてもそうではないと訂正したい。シズクは少しバツが悪そうにエドワルドに告げた。




「私は二人の娘ではないです……」


「え? だってうちの子ってリグさんが言って……」


「縁あってね、うちにいてもらってるのよ」




 泣きそうに笑うエリスを見たリグは、笑わせるように大袈裟に、しかし優しくシズクの頭を撫でた。




「娘みたいなもんだろ? なぁ、シズク」


「娘にしてはちょっと大きすぎやしない?」


「シズクは俺と同じぐらいなんじゃないの?」




 話をしているうちに、そろそろエドワルドもここを離れないと仕事に間に合わなくなってしまう時間になってしまった。




「あら、私達も店に戻らないと」


「おぅ。そうだな。じゃぁシズク。頑張れよ」


「はぁーい。二人も頑張ってね!」




 リグとエリスを見送って、弁当を入れたランチトートをエドワルドに手渡す。




「はい、今日のお弁当。またお弁当箱洗って持ってきて。気を付けてね。行ってらっしゃい。エドワルド」


「ありがとう。シズク。行ってきます」




 ここは、ユリシス王国王都ユリシスの王城から広がる城下町の一翼にある市場メルカド ユリシス。




 日本でリアカー式屋台の弁当屋ヴォーノ ボックスを営んでいた東雲雫が、その屋台と共に一年前に転生してやってきた街。

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