終話 お願いのお願い

 スバルは暫く何も答えなかった。やがて、右手を持ち上げる。そっと、自分の胸にそれを添えて告げた。

「……私のことが信用出来ないのなら、貴女のその力で、私の心を読めばいい。私には、その覚悟がある」

「……それは不可能ですわ。人へ危害を加えることは出来ないようになっていますの」

 だからこそ、人の心など信用出来ない。全ては利害関係がものを言う。そういう風に育ってきた。

 そうか、とスバルは頷いた。纏う空気は柔らかい。

 ふっと息を吐いて。

「正直なところを申しましょう。確かに私は、『ある目的』があって貴女に近づきました」

「!」

「けれどそれは、星の力を奪うことじゃない。……逆だ」

「……逆、とは?」

「星の巫女をやめさせたい。もう、星の力を使うなと、要求するつもりだ」

「何ですって?」

 思わず聞き返す。

 星の力を……使わせない。そんな要求を持ってくる人間など初めて聞いた。星の力は誰にとっても有用であり、希望だ。アステールの力は、国政どころか宇宙にある星々の関係をも揺るがす。アステールの力があって成り立つ協力関係もあるのだ。そう。アステールの力は「誰か一人のもの」になっても情勢が危うくなるが、「無くなる」ことでも危ぶまれる。

 それを分かっていて、スバルはそんなことを言うのだろうか。

「まぁそれは、今すぐ無理にとは言わない」

「……星の力を使用しないで欲しいという理由は何です?」

 彼は読めない瞳を閉じて、肩をすくめる。その理由は、まだ打ち明ける気はないらしい。

「そしてその要求と、婚約には何の関係もない。婚姻を申し込んだのは……気持ちが抑えられなかったと、もう言ったね。アステール様、貴女に一目惚れだったからだ」

 一つ、前へ進み出る。まるでプロポーズのように、跪く。

 手を取り、こちらが引っ込める間もなく、口づけ。夕焼け色に色付いた彼の顔が、真っ直ぐにアステールを見上げた。

「貴女は損得でものを考えると言いました。しかし私は、違う。貴女のためなら何でも尽くす。見返りも何も要らない」

「っ」

 漸く我に返って手を引く。

 そんなものは口約束だ。どこをどう信用すれば良いと言うのだろうか。見返りを望まない行動など、相手に弱みを作るだけ。

(……そうだ。私は今回スバル様に助けられたことで、また借りを作ってしまったのだったな)

 大丈夫。まだ自分は冷静だ。

 特定の相手を作ってしまえば、世界で戦争が起きる。そのことも念頭にある。浮ついた頭ではない。

 ゆっくりと深呼吸をして。

「スバル様。私はまた貴方に助けられましたわ。何か私に出来ることはあって? ……『星の巫女をやめろ』は、承諾しかねますけれど」

「言いませんよ。そんな要求が出来るほど大層なことはしていないし、何より巻き込んだのはこちら側だし……それよりも、まだそんなことを言うのですか? 私は見返りに何も要らないと」

「これが私の生き方ですので」

 スバルは悲しげに微笑む。その微笑にどこかアステールの心も痛んだが、見ないフリをした。

 仕方ない、と言わんばかりに視線を逸らし、逡巡して数秒。「ではこうしましょう」と彼は再び振り返った。

「貴女が私に何かお願い事をしてください。それが私のお願いです」

「……はい?」

 また、だ。またスバルはこうも、予想だにしなかった言動でアステールのことを戸惑わせる。

「アステールのお願い」が「お願い」。意味は分かるが理解は出来ない。

「貴女に得がないじゃありませんの」

「得ならあります。私が貴女のお願いを叶えることで、貴女からの信頼を得るチャンスが出来るからです」

 言葉も出なかった。ポジティブというか何と言うべきか。彼はまだ、アステールからの「心」を得ることに執心らしい。

 スバルは悪戯っぽく笑うと、両手を腰に当てた。

「さてアステール様? 今さら私の『お願い』が聞けないとは言いませんよね。貴女のお願いを、どうぞ」

 頭を抱えたくなってくる。

 早くも彼は、アステールの扱い方を完全に分かっているようで癪だ。それなのに「お願い」だと託けて婚約を申し込んでこないのも憎らしい。誠実にして、真摯。自分がアステールに与えた「貸し」の大きさに従順な「お願い」をしてくるものだから断れないのだ。

「……分かりました」

 一目惚れをしたと言って求婚をしてきた彼。一方で「星の力を使うな」という要求をその懐に隠し持っていた彼。彼の真意は、まだアステールには図りかねる。

 だから。

「スバル様、貴方はこれから一週間私に付いて、私を守ってください」

 だからこれは、アステールからの精一杯の一歩。スバルに近づくための、スバルを理解するための一歩に他ならなかった。

 スバルは目を見開いた。そんな彼から目を逸らし、腕を組む。

「私はどうやら、誰かから狙われているようですわね。まぁ昔からよくあることでしたが……最近私の前に現れる、『星の力を封じる存在』が厄介です。その存在から、私を守ってくださいまし。一週間近くにいれば……貴方の言う、『スバル様が私からの信頼を得るチャンス』も、たくさんあるでしょう」

 魔女様と呼ばれる男から身を守るため。さらにはその男の正体を探るため。

 そして何より、アステールがスバルの真意を図るため。

 彼は呆けていて一向に答えない。アステールは息を吐いた。

「どうしたのです? まさか出来ないとでも言うのですか?」

「とんでもない! ……畏まりました、アステール様。私は一週間、貴女を守る騎士となりましょう」

 スバルの右目の金色に、夕日が差し込んできらりと光った。その光に、真っ直ぐさに思わず目を細める。

 人と人の関係は、星ではない。彼との関係がこれからどうなっていくのかは、星の動きのように読み取ることは出来ないけれど。

 これが彼との取引だと言うのなら。


 スバルから手が差し出される。アステールはその手を……取った。

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塩対応令嬢アステールは甘くない関係をお望み 冬原水稀 @miz-kak

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