第7話 やはり令嬢なのですね

 ドアの向こうから、別の声がした。それは、誰よりも聞き慣れた声。

 冷たい温度に安堵した。シンラだ。

「どうされたのです? もう儀式の時間が迫っております」

「シンラ。そちらからドアを開けてみてくれ。開けられるか?」

 しばらくの沈黙がある。

 おそらく訝しげな顔をしているに違いない。ドアが開くか、などと。何を当たり前のことを、と。

 アステールはアステールで「もしかしたら外側からなら開くのではないか」という希望を持っていたのだが、それはすぐさま打ち砕かれることとなる。ガチ、という音と共に、シンラもその異常事態に気づいたようだった。

「……アステール様、これは」

「何者かに閉じ込められた。申し訳ないが、誰かを呼んできてはくれまいか」

「承知いたしました。すぐに」

 二人目の足音を見送る。

 シンラは何より信頼出来る侍女だ。鍵師や一級の呪い師を呼びに行ってくれるだろう。

 部屋の時計を見る。今部屋を出たとして、走れば間に合うというところだろうか。しかしすぐに呼びにいけないことを考えて「多少の遅刻」か。

(閉じ込められたことは明かさず、私の不注意で遅刻したことにする方が最善か……)

 こつ、こつ。

(不信を抱かれたならば、それは回復していくしかない)

 こつ、こつ……。

 音に顔を上げる。三人目の足音だ。いや、シンラだとしたら二人目か。それにしては早くないだろうか。

 足音はドアの前で立ち止まる気配がする。

「シンラか?」

「アステール様?」

 目を見開いた。

 その声には、また、覚えがある。しかしシンラではない。

 夜に奏でるバイオリンのように優美で艶のあるその声。アステールが今何より近づきがたい男の声。彼の言っていたことを思い出す。今夜の立食パーティに参加する、と。

「その声……スバル、様?」

「城内を歩いていたら、こちらから侍女の方が慌てて走ってくるのを見たものですから来たのです。一体何があったのです」

「それは……」

 一瞬言い淀む。スバル……客人に打ち明けていいものだろうか。

 そんなアステールを察してか、スバルが続けざまに言う。

「他の者には内密にしておきます」

「言葉だけの約束など、信用は出来ません」

「非常事態なのでしょう。察するに、貴女はここから出られないとお見受けしました」

「……っ」

「貴女の言う『利害関係の約束』が必要なのであれば……そうだな、こうしましょう。私はこのことを内密にしておきます。その代わり、一つ私のお願いを聞いてくださいますか」

 心臓が、大きく鳴る。

 お願いを聞く……それは、あの、婚姻がどうのという話だろうか。そうであったならばやはりアステールには受け入れ難い話なのだが。

 カチ、コチ、秒針が急かす。

 アステールの気持ちか、責務か。

 どちらを取るかと聞かれたらそれは。

 令嬢は一度俯き、それから顔を上げた。

「このドアが開かないのです。貴方に、何か出来るのですか」

 その青の瞳は、凛としている。

 真っ直ぐな声に対して、ドアの向こうからも「えぇ」とすぐに返事が来た。

「ただ、貴女がそこから一歩下がるだけで構いません。離れていてください、アステール様」

 何をするのか分からない。だがアステールは頷き、一歩下がった。

 この男は、約束を提示しアステールはそれを受け入れた。

 その交換条件が成立したのなら、アステールにスバルを疑う理由などない。

「良いですわよ!!」

 アステールが叫んだその時。


 バッキィッ!!!!


 大きな音が。

 鼓膜を突き破るように響いた。その音が。光景が。あまりに非現実だったものだから。アステールは一瞬認識が追い付かなかった。

 スバルが持っていた剣で、単純にドアをぶち破ったのだということに。

「ふぅ……ふふ、気がお強い貴女も、やはり令嬢なのですね。力で突破しようという考えには至らない」

「あ、あ、貴方」

「あぁご安心ください。後で修繕費はもちろんお支払いしますよ」

 ドアの向こう。

 木々の残骸を乗り越え、スバルは笑った。

 夜色の瞳と、金色の瞳を優しく細めて。

 それから、手を差し伸べられる。

「急ぎましょう」

 呆然としていたアステールはそこで我に返る。

 急いでいたからか、本当に「何とか」してくれたことへの感謝が胸にあったからなのか……アステールは、スバルの手を迷わず取ったのだった。

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