第6話 非常事態

「痛……腫れているではないか」

 思わず独り言つ。弟に踏まれた部分が、ほのかに赤く染まっていた。

 どうりで歩く度に足が痛むと思っていた。歩けない程では無いものの、幼稚な嫌がらせはそろそろ止めてほしい。

 ふぅ、と息を吐き。

 目を閉じる。

 ──瞼の裏に、紺色の絨毯を敷き詰める。それに砂糖の欠片を零して。……そんな夜空を想像する。星が手招きする。その手を取って、そっと力を分け与えてもらう。星の力は降り、指先へ、胸元へ、そうして、赤く腫れた足の爪先へ──

「……少し、もらい過ぎただろうか」

 次に目を開いた時には、足の傷が完全に治療されていた。人前に出る際に、変な歩き方にならないよう痛みが引いてくれるだけでよかったのだが……今は星の出ている夜だ。いつも以上に力を受け取ってしまったのだろう。

 まぁ、治るに越したことはない。

 アステールは立ち上がり、用意してあった新たな靴に足を通す。

 そうして部屋を出ようとした時。


 ──ガチャ。


 ドアが、開かなかった。

「……」

 ガチャ。ガチャガチャ。何度ドアノブを捻っても開かない。

 咄嗟に浮かんだ。閉じ込められた、と。

「……誰だ。私が部屋に籠っていたのは数分間。そう遠くへは行っていないはず。何が目的だ!」

 ドアの向こうへ語り掛けてみる。しかし答えは無かった。

 もう逃げて行ってしまったのだろうか。一体誰だろう。要求を述べてこないということは、それに関係なくアステールに嫌がらせをしたい人物……それこそアケリーやアルベルトといった姉弟たち。

(どこまで卑怯なのだ、あの者たちは……!)

 しかし今は怒っている暇もない。早くここから出なければ、三十分後──もう十分後にもなろうか──の儀式に間に合わなくなってしまう。

 些細なことに思えるかもしれないが、そうも行かない。信頼とは、約束なのだ。例えば時間を守らない。例えば汚れた服で人前に出る。例えば一度でも小さな約束を破る。それだけで人は思う。

「こんな人物を信用していいのか?」

「自分と課した約束も、破られるのではないか」

 そんな猜疑心を少しでも持たせてしまえば、アステールとしてはお終いだ。星と星の関係を守るためにも、時間には間に合わせなければならない。

 そこに「監禁されていたから」という言い訳も通用しないのだ。何故なら「監禁される程の何かをアステールはしでかしたのか?」という考えにも繋がりかねないからである。

 求められるのは、沈黙されし解決。

 アステールはまず目を閉じた。通常の鍵であれば、星の力を用いて解錠することが出来るかもしれない。

 ……けれど、ドアは何も言わなかった。

「無駄ですよ」

 代わりに、ドアの向こうから声がする。アステールは目を見開いた。男の声だ。それも、聞いたことのない声。

 人に関する記憶力には自信がある。それでも聞き覚えがないということは、完全に面識のない人物ということだろうか。その口ぶりからして、人物はアステールを閉じ込めた犯人。

「ドアには、星の力を封じ込める呪いをかけておきました。貴女お得意の技では出られないでしょう」

「誰の差し金だ? アルベルトか。目的を言いなさい!」

「誰にお仕えしているかは、申し上げることが出来ません。目的なら、貴女も薄々察しているのでは?」

 唇を引き結ぶ。

 というと、やはりアステールへの信頼を失墜させることが目的だろうか。

 こつり、こつり。足音は遠のいていく。引き留めようとしたが、引き留めて素直に止まる阿呆などいないだろう。

(今は、ここから出ることを考えなくては)

 室内と外部で連絡を取るための呪符……は、部屋を見渡してもない。盗まれたのだろう。そうだろうな、と考えた時、チチチと鳴く小鳥の存在がある。部屋で飼っているカナリアだった。彼女に伝書鳩の役割を負わせる……のも期待できない。そもそも窓も開かないよう工作が施されているに違いない。

 試しに窓へ近づいてみる。ガタッ。やはり、手を掛けてみても開くことはなかった。

(ここは三階。もしも開いたなら飛び降りるという方法もあったのだが……)

 着地については、星の力を使えばいい話だったのに。けれど「もしも」の希望観測をしていても仕方がない。

 改めて部屋を見回す。通気口のようなものも、隠し通路も、アステールが知っている限りでは無し。

 アステールは歯噛みした。

 恥ずかしい話だ。これでは「令嬢は星の力のみを頼りにして生きてきたのだな」と笑われても何も言い返せまい。

(落ち着け。儀式一つに出られなかったことで、すぐに他星との関係が終わるわけではない)

 アステールがすべきことは、誠心誠意の謝罪とその後の行動。

 出られないのならばと、その際どうするべきかに思考を移した。

 その時だった。

「アステール様、いらっしゃるのですか?」

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