第8話 どうしてこんなことに

***


(どうして……どうしてこんなことに……?)

 困惑と戸惑いが、行き場なくアステールの頭の中をぐるぐると回っている。

 自分の右手には紅茶。目の前の机上には茶菓子。自分の纏う服は、ここに来るまでに着てきたものとは変わっている。自分の趣味ではない、優美な赤いドレスだ。そして向かいの席に座っているのは、アステールとは裏腹、落ち着いた調子で優雅にお茶を飲んでいるスバル。

 青い瞳からの視線に気づいたのか、スバルはにこっと微笑んだ。

「どうされましたか、アステール様。私の家の茶は美味しいことで有名なのです。ぜひ一口。毒などは入っておりませんよ」

「え、えぇ……」

 アステールは頷いて、カップに口を付けた。確かに美味しい。美味しいけれど、こんな状況でもなければもっと味を感じられただろうに。

 ここは、アケボシ家の庭園──彼が言うには「秘密の花園」。

 護衛も付けずにたったの二人きりで、何故か茶を嗜んでいた。



 ──遡ること三時間前。

 スバルのお陰で、何とか儀式には遅刻という形で執り行うことが出来た。詫びに少々のパフォーマンスでもしてみせたらば、客人たちは満足げで。極めつけにそのあと一人一人に挨拶して回ることで事なきを得た。

 そこまでは何てことない。何てことはないのだ。

 アステールの頭を占めているのは全く別のことで。

『一つ私のお願いを聞いてくださいますか』

 そう約束を交わしたスバル。「後日、お話に伺います」と言われてしまい、立食パーティ中にはその内容を知ることが出来なかった。寝室でベッドに寝転びながら、「お願い」を考える夜。考えすぎて眠れなかったなど、恥ずかしくて誰にも言えまい。

(やはり婚姻の話? それとも『星の巫女』の力を欲しているか……)

 出来れば後者であってほしい。が、それは以前「レアディスには自給に足る科学力を備えている」と言われてしまったばかりだ。となるとやはり、と考えてしまう。

 咄嗟に約束を受け入れてしまったが、どうなってしまうのだろう。

 こんな形で婚姻が決まってしまうのだろうか。

 縁談の話は、今まで散々父母が断ってきた。理由は単純。彼らが「アステールの気持ちを大切にした縁を結んでほしい」というスタンスであったということ。それから「星の巫女として一人前になってからでも遅くはない」ということだった。

 父母は星の巫女としてのアステールに固執しているのだから。

(こんな形で婚姻が決まったと知れたら、お父様とお母様はどう思うだろうか)

 くよくよ考えても仕方がないと分かっていても、思考は止められなかった。一瞬星の力を借りて占おうかとも思ったが、こんな私情に使用するのも馬鹿げていると思い直す。

 しかし約束を反故にするアステールではない。

 しっかりと向き合おう、とアステールは凛としてドレスを整える。

 これからその「お願い」を聞くため、スバルと待ち合わせていた。場所はスピカ家の門の前。ここまで迎えに来てくれるという。背後には護衛が控えており、辺りを見回していた。

「アステール様、いらっしゃったようです」

 やがて護衛の一人がそう囁きかけてくる。視線の方向に目をやると、馬で駆けるスバルの姿があった。

 アステールの前で馬を止め、降りると恭しくお辞儀をしてみせる。

「こんにちは、アステール様。今日もお会いできて嬉しく思います」

「……ごきげんよう」

 膝を軽く折り曲げて返す。

「それで……お願いというのは何ですの?」

「まぁそう慌てずに。立ち話も何でしょう。場所を移動しませんか?」

「構いませんが……」

 一体どこへ、と言おうとした時、スバルが背後の護衛に尋ねた。

「このお城のポータルはどこにある?」

 え。と二人の護衛は戸惑った様子だ。アステールも同様だった。

 ポータル、とは、地面に設置された魔法陣上の土台のことだ。ポータルには、かつて世界に存在した「魔法」を研究者が紐解いて唯一復元に成功した移動・転移の魔術がかかっており、そこに立つだけで瞬時に他の場所に移動することが出来るのである。今、他の星との交流が叶うのはまさにこの移動・転移魔法ポータルのおかげであり、主に惑星間の移動に用いられている。基本的に一つの城につき一つは装備されているのが通常だ。

 もちろんアステールの家も例外ではない。この城には入ってすぐの大広間にそれが設置されている。

 そう伝えると、スバルはアステールを振り返った。

「そうか。じゃあ行きましょう」

「行くって、どこへ?」

 爛々と瞳が光り、彼は微笑む。

「レアディスです。今日は私の屋敷に、貴女をご招待したい」

 考える間もなく、スバルが令嬢の手を引いた。

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