塩対応令嬢アステールは甘くない関係をお望み

冬原水稀

第1話 プロローグ

 ──甘かった。


 カツカツカツ。ヒールの音は早足に廊下を行く。絶え間なく流れゆく彼女の思考がそのまま音になったかのように忙しなかった。歩調に合わせて優美に靡くのは、金色の長い髪。そうして令嬢アステール・スピカは昨日の会合を思い出している。

 甘かった。甘かった甘かった甘かった。

 首を横に振る。あんな関係の築き方は自分らしくもない。一刻も早くどうにかしなければという思いが頭の中を駆け巡る。

「アステール様」

 名前を呼ばれてようやく、彼女の足音も思考も停止した。

 そこには無表情の侍女シンラが、姿勢良く佇んでいる。

 彼女はアステールが一番に利用する侍女だった。自分の満足する報酬が出なければ働かないという守銭奴。しかしそれは裏を返せば、「お金があれば良い働きをする」ことに他ならない。

 その点において、彼女は十分に信頼するに値する。

「お客様でございます」

「貴族か? それとも国民?」

「国民の方でございます」

 静かに頷く。その、無駄も感情もないやり取りに幾らか心が落ち着いた。やはり人間関係など、これくらいがちょうど良い。

 中には使用人や屋敷の者と家族のように接するものがいると言うが、アステールは全くそんな関係は望まなかった。家の者だとて同様に、アステールと仲良くなど望んではいないだろう。

 こんな、塩を全身に塗したような冷たいだけの女に。

 しかしそんな女にしたのはどちらだ。

 だからお互い様。必要以上の会話は為さない、あちらは必要の業務をアステールに提供し、アステールはそれに見合った報酬を支払う。この利害関係が人間関係として至高であり、最も信頼できる。

「今向かう」


 ──こんばんは、アステール様。お初にお目にかかります。


 ……だからこそ、あの者こそがおかしいのだ。アステールは彼を、絶対に受け入れることは無い。

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