第2話 星の巫女
***
空を仰ぐ。藍の染め物を限りなく水で薄めたかのような、なだらかな空色の昼間に見えぬものを見出す。それは目を凝らすように、はたまた、ただ眺めるように。目を細める。睫毛を震わせる。閉じる──……光が明滅する瞼の奥、昼間の星空の瞬きが教えてくれる。
閉じた瞼の裏側に広がる夜空で、星が駆けていく。アステールの手を引くように、行く先へ導いていくれる。ゆっくりと息を吸うと、そのきらめきが胸いっぱいに封じ込められるようだ。そのきらめきが自らの心臓に宿り、熱く燃える。自然と頭に浮かんだ言葉たちを、流すように、口へと出した──……。
「……ここから数週間は晴れ間が続くようだ。気兼ねなく農作に励むといい。ただ日照りには気を付けるように」
「あぁ、ありがとうございます……アステール様……!!」
農夫に対して、アステールは首を横に振った。
「全ては星の導きだ。気にすることはない」
「しかしおかげで、今後の農作業の見通しが立ちましたよ。今年は豊作とは程遠いですから、しっかり緊張感をもって働かねばなりませんし」
「それは何よりだ」
目の前の農民たちは、両手を組んでアステールに祈る。その手は泥だらけタコだらけ。努力の結晶だ、と思う。人情に薄いアステールでも、それくらいの感慨は持ち得る。彼らの手こそが国の繫栄であり、だからこそアステールも惜しみなく手を貸すのである。
今日の依頼は「この先数か月の天気を占ってほしい」とのことだった。
アステールは、国の令嬢である一方、「星の巫女」と呼ばれている。
宇宙に浮かぶ数多の星の力を借りてまじないを行ったり、占星術を行うのを得意とする、選ばれた存在だ。
「いやはや相も変わらずの塩対応。たまりませんな」
「黙りなこのヘンタイジジイ。すみませんアステール様」
「気にするな。言われ慣れている」
否、いい意味で「たまらない」と言われることは少ないが。
「皆アステール様を誤解しているのだ。アステール様はこんなにお優しいのに」
「それは気のせいだ。私は優しくなどない」
「こらアンタ、アステール様の気を悪くさせるんじゃないよ!」
「いいやお優しいね! 優しい人ほど『優しくない』というものだ。事実、こんな片隅のちっぽけな農民のことを気にかけてくださるなど、中々あることではない……」
「それは、私もそう思うけれどね。変な税の取り立てどもはしっかり取り締まってくれるし」
農夫婦はウンウンと頷く。
アステールは眉をしかめた。
「お言葉だが二人とも。私は使える者に手を貸しているだけ。言わば利害の一致だ」
農業がこの国のためにならぬと踏めば、間違いなく自分は彼らを切り捨てるだろう。無法な税の取り立て屋は、確かに同じ貴族であることが多く、取り締まりに一歩踏み出せない者が多い。しかしアステールが臆面もなくそれを取り締まるのは、やはり「利害の一致」でモノを見ているからだった。
農民は国の利であり、それを犯す取り立て屋は害。
一見彼らにとって優しさに見えるそれは全て計算の上で行われていることだ。そういう風に生きてきた。
「城の人たちも、もう少しアルテール様の見方を変えたら良いのになぁ」
「コラ、余計なこと言うんじゃないよッ!」
「ったぁ!?」
「アステール様、本日は本当にありがとうございました」
頭を下げる農夫婦。アステールは頷き、その場を離れた。
歩きながら、考える。近くには雇った護衛が潜んでいることだろう。少しくらいぼーっとしていても問題は無い。
青は遠く空に敷き詰められ、のんびりと鳥が飛来している。風に穏やかに揺れる草花は、今日もこの国が平穏であることを示していた。そよ風。靡く髪。そっと押さえつけて。
(私の見方を……か)
無理だろうな、と思う。
見方を考えなければならないのはアステールだとて同じだ。まずは「利用する」以外で人間のことを考えねばならない。しかし黴のように根付いたこの思考が取れることは、きっとこの先もないのだろう。
『気味の悪い子』
『選ばれた「星の巫女」だからって気取ってるんじゃないかしら』
『占いだか何だかって、呪いも出来るんじゃないの? それで隠れて私たちのこと呪ってるんじゃないかしら』
バカバカしい。
星の巫女の力とは「正確に星の動きを読み取る力」だ。星の力の加護があることは否めないが、他の人に害を及ぼすことなど出来ない。
しかしそうして疎むという感情に囲まれて過ごし、今やこんな性格になってしまった。城の者とアステールが、今さら人格で関係を結ぶことなど不可能。
それに利害の一致でものを考えていたほうが、信頼も出来ると、そう思っている。
『君のことが気に入ったよ』
……首を横に振った。昨日の「アレ」が特殊過ぎただけだ。
「おかえりなさいませ、アステール様」
歓迎も否定もされないシンラの声だ。やはりこの対応が落ち着く。
無表情に、無表情の頷きで返す。
「立て続けにはなりますが、今日は」
「あぁ、夕には立食パーティだったな」
「いえ、それもあるのですが、その……スバル様が」
目を見開いた。
『君のことが気に入ったよ』
先ほど忘れようとした声が頭の中で反芻される。
一瞬呼吸を忘れたが、すぐに、声を押し出した。
「っ追い返せ!」
「申し訳ございませんが、私たちにはどうすることも出来ず……」
ため息をついた。それはそうだろう。シンラはあくまでアステールの侍女であり、客人……スバルは──別の星の者とはいえ──貴族。言うことを聞く筋合いなどない。
キリキリ。脳みその皺を針でなぞられているような痛みが頭に走る。ひどく憂鬱だ。
しかし仕方あるまい。アステールは彼に会いに行くことにした。
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