第16話 星の巫女の回想~不和~

 アステールに様々な我慢を強いる「星の巫女」としての力の成長は、留まるところを知らなかった。授業と関して城の者の怪我や病気を治す行為も、星の動きを読み取る力も、日に日に強くなる。一方で十歳になる頃には、アケリーやアルベルトたち姉弟との隔絶も大きくなっていった。

「あなたなんてどうせ『星の巫女』の力だけでしょう? 良いわね、トクベツな力があるだけでちやほやされて!!」

 アケリーにはそう陰で罵声を浴びせられることが多くなった。両親や使用人たちの前では言わない。必ず、一対一になったタイミングで言う。姉は狡猾に成長していた。

 事実、アステールが本当に星の巫女の力「だけ」なら良かったのかもしれない。

 実際は違った。天はアステールに二物も三物も与えた。勉学も護身術もすぐに身に着ける優秀さ。教えたらすぐに飲み込む秀才。授業を受け持つ教師も侍女と同じく「星の巫女」としての自分を畏怖しているようだったが、その才能だけは認めてくれていた。純粋に褒めてくれることも珍しくない。

 反対に、アケリーは不出来と言われていた。

 星の巫女であるアステールばかり特別扱いを受ける。

 力を差し引いても優秀なアステールと比較される。

 それが彼女の劣等感に拍車をかけていたに違いない。

「……私はそろそろ寝室に入りますので、これで」

「ふん。逃げるのね。この弱虫」

 姉の劣等感を分かっていたからこそ、アステールは彼女に何も言わなかった。何も言えなかった、が正しい。何を言っても怒られるなら、どう接すればいいのか分からないから。

 自分は姉と仲良くしたいのに、顔を合わせれば嫌な顔をされる。姉のそんな顔を見るのは嫌で、いつしか顔を合わせないように行動するようになった。姉のことは、好きなのに……好き? 本当に? 罵倒を浴びせられる。睨まれる。思い出すだけで苦しくて、胸が痛くて。

 嫌いではなかったはずなのに。

(分からない……分からない)

 友好な人間関係の築き方は、誰も教えてくれなかった。使用人たちも、先生でさえも。この城にいるのは、星の巫女を恐れる者か忌む者ばかりで。

 途方もなく、孤独だった。

 屋敷には沢山の人がいるのに、アステールだけが寒いところにいるように。

「! アルベルト」

 廊下を歩いていると、弟の姿が目に入る。彼ははっとアステールの姿を目にすると……視線を逸らして、逃げるように走り去ってしまった。

 まだ五歳の弟でさえ、あの有様だ。アステールを卑下する長女を見て育ったアルベルトは、すっかり二番目の姉を「無いもの」として扱うようになった。小さい子どもながら、アステールにランクを付けているのだろう。

 立ち止まって喋るに値しない、と。

 小さく、唇を噛み締める。

 胸中に渦巻く灰色の雲は、棘を伴ってアステールを突き刺した。それでもまだ、信じていた。人と人の繋がりいうものを。

 自分が周りと上手くやれないのは、何もかも星の力のせいだ。これがなければ、自分だって。

(私だって、こんな力……持ちたくて持ったわけじゃない!)

 堪らなくなって駆け出した。

 もうこんな力要らない。使いたくもない。使わずにこの先も過ごせるのなら、そうでありたい。そうすれば自分と姉弟は、自分と家の者は。きっと良い関係を築くことが出来ると思うから。

「お父様、お母様! 失礼いたします」

「……」

「あらあら、どうされたのですか、アステール」

 二人の寝室に飛び込む。ノックをして、返事を待たずに早々に。怒られてしまうところだろうが、今の自分に気にする余裕はなかった。

 アステールを出迎えたのは無口な父親のホドスと、母親のヨケイナ。二人で談笑していたのだろう、小さな机に向かい合って座っている彼らの前まで駆け寄って、アステールは両手を組む。

「私……私、悩みがあるのです」

「あら大変……何でも聞きますよ。話してちょうだい」

 娘の不安を取り除くように、柔らかく微笑むヨケイナ。まるで夜に佇む月の光のようだった。眠れない夜、傍にいてくれる光。母はいつも優しく、アステールにとっても安心出来る存在だった。

 対してホドスは厳しい。無口なその口を開いては、ただ「その力に見合う人間となれ」と言うばかりだ。アステールの力を何より重んじている人間であり、これから話す「悩み」にどう反応するのか……若干の緊張を覚える。

 しかし二人が先を促すので、アステールは口を開く。

 深呼吸をして、一言。

「星の巫女としての力を、使いたくありません」

 二人が、同時に目を見開く気配がある。

 すぐに慌てたのはヨケイナだった。

「どうして? 何か嫌なことでもあったのですか?」

 アステールは、使用人たちと自分の間に隔絶があること。それから姉弟たちとの間に不和があること。そしてそれら全てが、自らが有する星の巫女の力故であると考えられることを話した。

 心優しい母の顔が曇っていく。その表情に、少しだけ期待した。彼女は自分に同情してくれている。アステールと気持ちを重ねて、星の力の扱いについて少し考えてくれるのではないか。周りの人間にも、何か言い添えてくれるのではないか……そう、考えたのだ。

「アステール……そう。貴女の環境には問題があったのですね。気が付かずに、ごめんなさい。もっと『星の巫女』として振る舞いやすいよう配慮するべきだったわ」

 しかし。

 彼女の口から発されたのは、自分が思っていたのとは半歩だけ──しかし決定的にズレた言葉だった。

「お、お母様」

「アケリーもアルベルトもね、きっと悪気はないのですよ。アケリーはもうすぐ城ではなく外の教育機関に通うことになります。それに緊張して、貴女に当たってしまうのね。アルベルトは周りのことが見えてくるようになった時期だし、反抗もしたくなる年頃だわ」

「お母様、私は……!!」

「けれど使用人たちの態度は考えものですね。星の巫女は大事にしなさいって私から言っておきますから」

 母の言葉に青ざめる。

 アステールの抱いた違和感。正体は、母が「アステールを星の巫女としての存在中心に考えていること」だった。それも異常な程に。

(違うのに、私は)

 アステール・スピカとして見てもらいたいだけなのに。

 ヨケイナが使用人たちに「アステールをもっと大切にしろ」と忠告したなら、何が起こるだろう。容易に想像がつく。さらにアステールが畏怖の対象となるだけだ。アステールに逆らえば、主人である母、ひいては父にさえ叱られるのだと。

 アステールが望んでいたのは、そんな言い添えではない。

 恐る恐る、続いてホドスを見た。父の表情は、変化がない。細められた視線は厳しく、背筋が伸びる。

「思い上がるな」

 そして、背筋が凍った。

 否、凍ったというよりかは「針金を入れられた」感覚がした。背骨に針金を入れられ、固まり、微動だに出来ない感覚。

「ちょっとあなた、そこまで言わなくても」とヨケイナ。

「いつも言っているはずだ。その力に見合う人間であれ、と。周りの人間がお前に着いてこないのは、お前が未熟だからだよ。お前が凛々しく、着いていくに値する人間であれば、力の有無など関係ない」

「……!!」

 ホドスの声は低く心に圧し掛かった。確かに自分が未熟なのは認めるところだ。そう、だけれど。

「ねぇアステール。お父様はこんなことを言っているけれどね、貴女が大切なのですよ。星の巫女として生きていくために、しっかりとしたひとであってほしいの」

「……っ」

「貴女は星の巫女としてのみ、生きていくのですよ。星の巫女であることそれのみが、貴女の価値なのですからね」

 その言葉は、まるで呪いだった。

 ホドスの声とはまた違った、圧力。胸が潰れて、今にも「アステール」という自分が消えてなくなってしまいそうな重さ、深さ、残酷さ。

 耐えられそうに、なくて。

「……す、少しは……」

「アステール?」

 唇が、震える。

「少しは、わたしの、ことも。考えてほしいですっ……!!」

 針金の入った背中が、漸く動き出した。と、思うと、気付けばアステールは部屋を飛び出していた。

 後ろから何かこちらを呼び止める声が聞こえるけれど、それも耳に届かない。

 皆が皆、自分のことなどどうでも良いのだ。

 そんな気分だった。

 すれ違う使用人たちが驚いている。自分だって驚いていた。こうして全てに反抗して、声を荒げて走り出したことはない。

 ──ぽすん!!

 やがて、何かに受け止められるようにぶつかった。

 人だ。人にぶつかった。けれど今のアステールには、謝る余裕もない。自分より大きな体を避けて、また走りだそうとしたその時、腕を掴まれた。

「貴女がアステール嬢か?」

「そうよ!! それがなぁに!?」

 ……その問いがおかしいことに気付いたのは、自棄のように叫んだ一瞬後だった。


 どうして城の人間が、わざわざアステールの名前を確認するような質問をするのか?


 そう考えた時には、アステールの視界が真っ暗になっていた。

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