第20話 星の巫女の回想~誕生~

 まだ食事時でもない。視線も寄越さずにノックの主を考えていると、「アステール?」と声がした。どうやらヨケイナであるようだ。

「アステール……入るわね」

 返事をする気力もなく、彼女を待つ。キィ、と扉が開く音。駆ける雷光。肩をすくめた。

「……まだ落ち込んでいるの? 貴女、授業にも出ていないし食事もろくにとっていないじゃない……」

「……一人にしてください」

「そうわ行かないわアステール。貴女は国の大事な星の巫女。いつまでも調子を崩されていても困るのよ」

 胸が痛む。母はここでも、アステールに星の巫女であることを強いるのか。

「お母様には分かりませんわ。大切な方を失った、今の私の気持ちが……!」

「えぇ。ここまで落ち込むとは思っていなかったわ」

 ここまで?

 微かに顔を上げる。彼女は、やはり何かを知っているようだ。

「でも、あんな方のために貴女が落ち込むこともないと思うのだけれどねぇ……星の巫女を支える覚悟のない婚約者なんて、こっちから願い下げだとは思わない?」

「な……にを、仰っているのです?」

「アステールは確かに、愛されるに値する自慢の娘だわ。けれど普通の令嬢とは訳が違うの。だから私が紹介してあげたのですよ。別の素敵な令嬢をね」

 ヨケイナが告げた話は、アステールを絶句させるに十分な真実だった。


 ──何でも、母はキースを呼び出す度に「アステールは星の巫女だ。それを将来的に支えていく覚悟があるのか?」と問うていたそうだ。「星の巫女とは、星の力。それを嫁にするとは、星の力を手に入れるということ。正しく扱うことが出来るのか?」「現れるであろう反抗勢力に、耐えることが出来るのか? 時に戦争が起きる可能性があるが、受け止められるのか?」とも。

 一度目にそう尋ねられた時、キースは答えたという。アステールと出会った瞬間からその覚悟は出来ている、と。しかしその一度でヨケイナは満足しなかった。

 知っての通り、何度も彼を呼び出し問い詰めた。

 本当に? 本当にそれが出来るの? 本当に? 本当に?

 何度も何度も。

 何度も何度も何度も会う度に。

 何度も何度も何度も何度も何度も責めるように。


 ぞっとした。

(そんなの、何度も聞かれたら誰もが自信を失っていくに決まっている……!)

「何度も確認したら、とうとうボロが出たわ。『僕には自信がありません』ってね。だからアステールの恋仲から退くことを勧めたのですよ。彼ももう年頃の男性ですからね。代わりの良いところの令嬢を紹介しておいたわ」

 そうして婚約した、という成り行き。

(そういう……ことだったの)

 アステールを好いていてくれたキース。アステールのためだ、と言って頑なにヨケイナとの会話に立ち会わせなかったキース。傷つけたくない、と言ったあの顔。

 嘘ではなかったのだ、と悟る。優しいあの人のことだ。きっと母に押し負け「自信がない」と答えた自分を情けなく思い、恥じたに違いない。だからキースは、別れ際アステールに何も告げられなかった。それにしたって訳は話してほしかったけれど、何もかも嘘では、なかったのだ。嬉しくなる。

 同時に、行き場のない悲憤に震える。気持ちが昂るままに、叫んだ。

「どうして……!? 私たちの関係は私たちのもの。お母様に口出しされる筋合いなどなかったはず! キースは私のことを、きちんと考えてくれていましたわ!」

 背後で雷鳴が駆ける。

 しかしヨケイナは、アステールの叫びにも雷にも一切怯むことなく。

「いいえアステール……分かっていないわ。貴女は星の巫女なの」

 きょとん、とした純粋ささえ湛えた瞳で。

「あなたたちの関係はあなたたちのものだけじゃない。星のものなの。どうして怒っているの? 貴女のためなのよ」

 瞬間、分かってしまった。

 この人は、善意なのだ。心からの善意で、アステールとキースを引き剥がしたのだ。だからこそ、何を言っても無意味なのだと。悟ってしまう。そこでまだ激昂する強情さが、自分にあれば良かった。

 けれどまた、諦めてしまったから。

 黙り込んだアステールの両肩を、ヨケイナが持つ。

「貴女は賢いもの。いつか分かってくれるわよね? 落ち込んでも良いわ。けれどあまり気を揉まないで。せめて食事はしっかり取るのよ」

 雷鳴と共に。

 母は部屋から出ていく。部屋に、アステールと雷雨の咆哮だけが取り残される。

「……」

 アステールは、俯いた。

(……ここでも、星の巫女)

 両手がある。特別な力の宿った、体がある。天の祝福と呼ばれたモノが、自分には巡っている。この力は、こうして何もかも自分から奪うのか。城の人間や姉弟との関係はおろか、好きな人とも引き剥がされて。自分は幸せになどなれないのだろうか。

(私は)

 もううんざりだ。

 傷つきたくない。もう散々だ。

 アステールの青い瞳が、深海のように深く、暗く沈んでいく。時折瞬く雷光すら、その瞳を照らせないままに。

(けれどこの天の祝福はどうすることも出来ない。もう授かってしまった力だ)

 ふらりと立ち上がる。

 ならば。

(せめてこの力で国を支えよう。お父様の言うように、星の巫女として見合う人間になって、そして……国の幸せを、自分の幸せとしよう)

 アステールが幸せになるには、それしかない。

(辛い思いをするくらいなら、情で得る関係ももういらない。人なんて……)

 キースの顔が過る。

 目頭が、熱くなって。

「人なんて、もう信じない……っ」

 心配もいらないだろう。何故ってそもそも、この城にアステールと心から仲良くしようとしてくれる人もいないのだから。

「アステールお嬢様。失礼します。お食事をお持ちしました……お嬢様?」

 次に扉の向こうからシンラがやってくる頃には、雷が止んでいた。

 しんとした雨音の奏でる静寂の中、一人の令嬢が佇んでいる。真っ直ぐ、凛々しく、悲しいほどに揺らがない、一人の少女が。

「……心配をかけたな、シンラ。食べよう」

 アステールの顔からは、温かみが消えていた。

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