第2章 いにしえの集落

第6話 ククルカと友里根

 まぶたを焼き付ける日差しに晒されて、優作ゆうさくはゆっくりと目を開けた。

 頭がぼんやりとする。手を挙げて照り付ける日差しを遮り、優作はあたりを見回した。

 徐々に回復していく視界には、何故か木々が映り込み、どうやらここが外であることがわかる。


「あれ、なんでこんなところで寝ているんだ……?」


 いまいち現状が掴めない優作は続いて後ろを振り返る。するとそこには見上げるほどの高い崖があり、それを目にした瞬間、ズキリと頭が痛む。……思い出した。


「俺は、崖から落ちて……そうだ、依夜いよは!?」


 自分より先に崖下へ落下した依夜の姿を探す。しかし、あたりを見回しても、どこにも依夜の姿は見当たらなかった。もしかして、どこかに歩いていってしまったのだろうか。しかし、優作の知っている限り、依夜は傍で倒れている優作を置いてどこかに行ってしまうような人間ではない。むしろ、迷わず叩き起こそうとしているはずだ。


「だとしたら、これはどういうことだ?」


 違う場所に落ちた可能性はあるだろうか。優作はもう一度崖を見上げる。憎らしいほど滑らかに反り立つ崖に、引っかかりもなければ、別の場所に逸れていくような凹凸もない。上から落ちれば間違いなくここに落ちるはずだ。だとすれば、別に考えられる可能性としては優作が落ちてくる前に、依夜が自力で発掘現場に戻ったということくらいだ。しかし、そのためには、落下途中で体勢を立て直して、着地時に受け身を取って無事でいる必要がある。そんな芸当が依夜にできるとは思えない。


「俺でも普通に落下して、気絶してしまったわけだしな」


 ましてや優作よりも運動神経のない依夜のことだ。間違いなく落下後は気絶してしまったはずである。


「それにしても、この高さから落ちてよく無事だったよな……」


 優作が見上げた崖は高さにして十メートル以上。普通なら大怪我どころか、最悪死に至る可能性もある高さだった。そう思うと軽く身震いをしてしまう。依夜はちゃんと無事でいるのだろうか。自分が無事だったからといって依夜も無事でいるとは限らない。冷静に現状を見つめられるようになればなるほど、胸の内に不安が広がっていくのを感じる。

 こうしてはいられない。とにかく依夜を探さなければと優作は歩きだす。もしかしたら、落下した勢いで森の中に転がり込んでしまったかもしれない。そう考えて、優作は目の前に広がる森に踏み入ろうとした――。


「動くな!」


 ――まさにその時、怒鳴りつけるような声を浴びせられた。優作は反射的に動きを止め、それから制止を促すように言ってきた声の方にゆっくりと振り返る。

 そこには弓を構え、優作のことをいぶかしみ、睨み付ける女性がいた。その様子は明らかに優作に対して敵意を抱いている。


(誰だ、この人……?)


 弓矢を構えた女性は青みがかった長い髪を毛先のあたりで縛り、一纏めにしていて、見た感じ二十くらいに見える。しかし優作はこんな女性を発掘現場で見かけた記憶はなかった。そして、傍にはもう一人、腰に剣をぶら下げた少女が警戒心をあらわにしながらこちらを見つめていた。赤みがかった茶髪をサイドで結んでいて、ややツリ目の生意気そうな瞳が印象的だった。こちらは優作と同年代くらいのようだったが、やはり見覚えはない。


(それに、何て格好をしているんだ……)


 やけに古風な感じのする、布をつなぎ合わせたような衣装に、ところどころ変な柄が入っていた。そして、弓や剣らしき物まで待ちだしている。彼女たちはいったい何をしていたのだろうか。もしかしてコスプレの撮影会でもしている現場に紛れ込んでしまったのだろうか。


「ここで何をしている?」


 弓矢を構えたままの女性が、優作に問いかけてくる。

 それはこちらのセリフだと思った優作だったが、そんなことを言おうものなら、弓を放ってきそうな雰囲気がありありとうかがえたので、ここは相手の質問に素直に答えておくことにした。


「人を探していて……」

「人だと? いったい誰を探している?」

「えーと、俺と同い年くらいの女の子で、依夜っていうんですけど、知りませんか?」


 ここらへんでコスプレの撮影をしていたのなら、もしかしたら依夜のことを見かけているかもしれないと思って優作は尋ねてみた。


 しかし、依夜の名を聞いた瞬間、目の前の二人の雰囲気が目に見えて変わった。それはもう明らかな敵意の表出であった。

 これはヤバいと本能的に悟った優作は、向けられていた弓矢の軌道からとっさに身体を外す。するとまさにその瞬間、女性が躊躇なく矢を放ってきていた。ビュンっという風切り音と共に背後へと勢いよく飛んでいった矢は傍の木に深々と突き刺さった。


(……まさか、本物なのか?)


 優作が驚いてたじろいだ隙にもう一人の少女の方が、剣を抜き放ち、風を思わせる速さで、瞬く間に距離を詰めてきた。優作が振り返ったときにはすでに首元に刃筋を突き付けられていた。


「動いたら切る」


 まるで刃物のように冷徹な声で、少女は優作の動きを封じた。ひんやりとした鋭利な金属の感触を首筋に感じる。これは作り物などではなく、本物の刃であると優作は直感した。


「貴様は依夜様を狙う、伊奴国いなこくの間者だな?」


 先ほど矢を放ってきた女性が、尋問してくる。


(依夜様……? 間者……?)


 その問いかけには気になる点がいくつかあったが、それを質問で返せるような雰囲気ではない。優作はただ敵意がないことだけは示さねばと思い、必死に否定の言葉を述べる。


「ち、違います! 俺は敵ではありません」

「敵でなければ何故、依夜様を探しているなどと言ったのだ?」


 再び弓矢をつがえた女性が鋭い目つきで優作のことを睨み付けてくる。


(どういうことだ? 依夜を探していると敵? 駄目だ。うまく話がかみ合ってない気がする)


 しかし、二人の様子と口ぶりから、間違いなく依夜のことを知っているのだと確信する。ならこの二人の誤解を解くことができれば、依夜を見つけることだってできるはずだと優作は考えた。


「ククルカ様。こいつ、始末しましょう」


 サイドテールの少女の方が不穏なことを口にした。優作は慌てて弁解しようと試みる。


「俺は、依夜の知人だ。名前は優作、笹木優作だ。依夜なら俺のことがわかるはずだ。聞いてみてくれ!」

「うるさい。あんたの名前なんて聞いてない。さっさと死になさい」

「……待て、友里根ゆりね。その男は今、ユウサクと言ったのか?」


 ククルカと呼ばれていた女性が、優作の首筋に剣を突き付けている少女、友里根に制止を呼びかける。


「その名は……以前、依夜様が口にしていた……」


 ククルカはわずかに考えるような仕草を見せる。


「どうしたんですかククルカ様。こんな怪しい男、さっさと殺した方がいいですよ」


 友里根が優作の首筋に剣を徐々に押し込んでくる。すぐに皮膚は弾力の限界を迎え、その冷たい刃が皮に食い込んだ。優作の首筋に鋭い痛みが走る。


「痛っ……。頼むから、剣を押し付けないでくれ。普通に痛いから」

「うるさい。間者の分際で……」

「友里根。その男を離しなさい」

「え……? ちょっと、ククルカ様! 何言ってるんですか」

「一応、その男を依夜様の元へ連れていく。……発見した場所も場所だからな」

「危険です! この男が依夜様に危害を加えたらどうするんですか?」

「私が責任は取る。何、心配するな。この男は丸腰で、見た限り大した腕ではない。不審な動きを見せたら、すぐに私が始末する」

「まあ、ククルカ様がそういうなら別にいいですけど……。何かあっても、あたしは責任取りませんからね」


 口では了承しつつも、不満そうな表情を浮かべながら、友里根は優作の首筋に添わせていた剣を離す。そして、剣にわずかに付着していた血を布でふき取って鞘に納めた。

 ようやく命の危機を脱したことで、優作は胸を撫で下ろす。加えて話の内容からどうやら優作を依夜の元へと連れていってくれるようなので、後はククルカと友里根と言うらしいこの二人の女性についていけばいい。


 優作は両手を背後で縛られて、二人の住んでいるという集落へと連れていかれることになった。

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