第21話 想うほどに、離れていく距離

「あれ、私は……んっ」


 依夜いよは起き上がろうとすると身体にかすかな痛みを感じた。どうやら会議の後、椅子に座り込んだまま眠ってしまったようだった。そのため身体に若干のけだるさが張り付いている。


「はぁ……やはり戦は避けられないのか」


 依夜は昨日の会議の内容を思い返しながらため息を吐く。

 今や列島諸国において最大勢力を誇る倭国連合やまとれんごうがこの紗月国さつきこくに攻め寄せれば、ひとたまりもないだろう。根本的な国力差に加え、今の紗月国はまともに戦ができるような状況にはない。国内を占める五つの氏族はまとまりを欠き、王家に対しても非協力的だ。


「もっともそれは、私の力不足もあるのだろうが……」


 王族を中心に一つにまとまることができない現状では、たとえ戦になったとしても勝ち目はない。だが、だからと言って、隣国の現状を見る限り、戦いを避けることは難しいだろう。

 そして、戦うとなれば、王族である依夜が国の代表として軍を率いなければならない。確実に負けるとわかっている戦に赴かねばならず、もしかしたら戦場で死んでしまうかもしれない。


(そんな戦に、ゆうくんを巻き込むわけにはいかない)


 依夜は優作が少しでも安全にいられるようにと、護衛団の所属にしながら、武術の訓練を免除し、また、自分の護衛の当番からも外した。本当のところは護衛の当番だけは組み入れて、一緒にいたいと思ったが、それで優作が危険な目に遭ってしまったらと思い、依夜は我慢した。

 そして、戦が避けられないとわかった今となっては、その判断は正しかったように思う。武術の訓練も行わないため、戦力にならない優作は有事の際には後方に配置されることになり、戦争に巻き込まれる心配は少ない。

 そんなことを考えていると、不意に訓練場の方から矢の突き立つ小気味のよい音が聞こえてきた。


「まだ夜も明けきらぬ早朝から鍛錬とは……熱心な者もいるのだな。私も気分転換に剣でも振るいに行くか」


 依夜は立ち上がると、誰かが弓の鍛錬を行っている訓練場へ向けて歩き出した。


(誰かは知らないが、こんな時間から鍛錬に励んでいるのだ。王族として何かねぎらいの言葉を掛けた方がいいだろうか)


 依夜はそんなことを考えながら訓練場へと足を踏み入れようとして、すんでの所で立ち止まった。その先に見えた者たちが予想外の人物だったため、依夜はとっさに木陰に身を隠した。


(何故ゆうくんが、友里根と一緒に弓の鍛錬を行っているんだ……?)


 武術の鍛錬はしなくていいと言ったはずなのに、優作はいったい何をやっているのか。しかもよりによって女性の護衛団員と二人きりで。……女の子と、二人きりで。


 そんなことを依夜が考えている間にも優作と友里根は弓の鍛錬をしながら親しげに会話をしている。いったい二人はいつの間にそんなに仲良くなったのか。

 依夜が優作と離れていた数日の間に、優作は友里根とすっかり親密な仲になってしまっていた。そんな二人の姿を見ていると胸の辺りが苦しくなってくる。


(私も、許されるなら、今すぐにでもゆうくんのそばに駆け寄って、心ゆくまで話をしたい。だけど……)


 今や依夜はこの国の王族として、民を率いる重責を担う者である。さらに今は国家存亡の危機に瀕した状況下であるため、そのような私事に時間を割くことなど許されない。

 依夜は溢れそうになる想いを押さえ込んで、再び二人の様子をのぞき込む。


「でも、どうして武術の鍛錬なんか……」


 自分の知っている優作は、武術の鍛錬なんて自ら進んでやるようなタイプではない。基本は面倒くさがりなのだ。それなのに、わざわざやるということは誰かに誘われたから、という以外に理由が思いつかない。


(友里根に誘われたのか。……余計なことを)


 優作が武術の鍛錬に取り組んで強くなってしまったら、いずれやってくる倭国連合との戦争に駆り出されてしまうではないか。それは駄目だ。優作を危険な目に遭わせるわけにはいかないと、依夜は首を振る。


(ゆうくんのためにも、武術の鍛錬はやめさせなければ……)


 依夜は優作が鍛錬を終えて訓練場から出てくるところを待ち、声を掛ける。


「……どういうつもりだ?」


 友里根と親しげに鍛錬を行っていたのを苦々しく思いながら見続けていたため、少し語調が強くなってしまった。依夜は言ってからしまったと思ったが、すでに口にしてしまった言葉は戻らない。案の定優作は少し不機嫌そうな顔になる。


「どういうつもりって、何がだよ」

「何故、武術の鍛錬などしているのだ?」

「そんなの強くなりたいからに決まってるからだろ」

「必要ない」

「は……?」


 優作が当惑したような表情を浮かべる。


「何でだよ。強くならないとおまえの護衛になれないんだろ。だから俺は……」


 優作の言葉に、依夜は、はっとした表情を浮かべた。


(もしかして、ゆうくんは私の護衛に付きたくて、鍛錬をしていたのか……)


 依夜は優作が自分の護衛になるために、こんなに朝早くから鍛錬に取り組んでいたと聞いて素直に嬉しいと思った。自分のために努力をしてくれていたと思うだけで、心が満たされていくのがわかる。

 このまま優作が強くなって、護衛としてかたわらで支えてくれるなら、それはどんなに素晴らしいことか。優作がそばにいてくれれば、依夜はこの先どんな困難が待ち受けていようとも、乗り越えられる気がした。しかし……それでも、優作には危険な目に遭ってほしくないという想いの方がわずかにまさった。


「……おまえの護衛など不要だ」


 依夜は優作と一緒にいたいという気持ちを精一杯抑え込んで、敢えて突き放すようにそう言った。もう、優作が依夜の護衛に付こうなんて考えを持たないように。


「何だよそれ……」


 依夜の言葉を受けた優作はいきどおりをあらわにした。


「俺にだって、おまえを守ることくらいできる!」

「自惚れるな。つい先日までただの高校生だった者が、戦場で誰か守れるなどと思うな!」


 優作の言葉を受けて、つい依夜は声を荒げてしまう。戦場で、誰かを守るということは決して簡単なことではない。そのことを、実際に身を持って知っているが故に出てしまった言葉だったが、優作には違う意味で受け取られてしまった。


「……そこまで言うかよ。そうまでして、俺のことを避けたいのか」

「え……いや、そうではない。私はただ――」

「……もういい」


 勘違いを正そうとする依夜の言葉は、優作に遮られる。


「そこまで俺のことを避けたいって言うんなら、もうおまえのことなんて知らない。……だから、おまえも俺のことはほっといてくれ。俺は俺のやりたいようにやるから」


 そう言って優作は、依夜の傍を通り過ぎていく。


「ま――」


 依夜は去りゆく優作に手を伸ばし掛けて、めた。


(……これで、いいんだ。これなら、ゆうくんは私の護衛をしようとは思わないはず)


 依夜は首から下げた、お守りである翡翠の勾玉を握りしめる。これで本当によかったのだろうかという思いはあるが、優作が危険な目に遭わないのであれば、それは正しい選択だったのだと自分に言い聞かせた。しかし――、


(私はきっと、ゆうくんに嫌われてしまったのだろうな……)


 そう思っただけで泣きたくなるほど、胸が苦しく締め付けられる。それでも、優作が生きて、近くにいてくれるだけで、依夜は満足しようと思った。もう二度と会えないと思っていたのに、無謀ないくさに挑む前に、もう一度会うことができたのだ。それだけで満足しよう。満足……しなくては。


 依夜は目元を拭い、訓練場に向けて歩き出す。

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