第5話 月下の二人

 夜になると優作は、月明かりをしるべに発掘現場を散歩していた。スマートフォンも圏外である発掘現場において夜は暇で仕方がないのだ。夏季休暇中の不摂生がたたって夜型になりつつあった優作にとって、夜八時九時はまだ寝るような時間ではない。全くやってこない睡魔を待つ間、せめてもの暇つぶしとして、こうして目的もなく散策しているのである。


 出がけに父には夜の森は危険だから入るなよと注意されたが、心配しなくても森になんて入るわけがなかった。

 月の明かりさえも覆いつくしてしまう森の中は、深い静寂と暗い闇に包まれていた。ずっと眺めていると足の底から湧き上がってくるような、本能的な恐怖すら感じた。

 こんなところ、頼まれたって入りたくないと優作は思う。気を取り直して、発掘現場のあたりを見回っていると、わずかにうごめく影が見える。もしかしてイノシシでも出たかと優作は身構えた。すると影が優作の接近に気付いてむっくりと立ち上がった。


「ゆうくん……?」

「依夜、だったのか」


 月明かりに照らし出された影の正体は依夜いよだった。


「ゆうくんも眠れないの?」

「まあな。小学生じゃあるまいし、こんなに早く眠れるかって」

「だよね。わたしも眠れないから、ちょっと外を歩こうかなって思って」


 依夜はゆっくりと近寄ってきて、優作の傍に寄り添う。互いにあと一歩、踏み出せば触れ合える距離。そこまでは自然に寄り添うことができるが、その先には中々進めない。それでも、二人の間には、真夏の夜のうっとおしい暑さとはまた別の、そっと触れるような、優しい温もりがあるのを互いに感じていた。


 この、何とも言えない居心地の良さは、どう言葉に表せばいいのだろうか。優作は今のような感情を言い表せる言葉を知らない。恋? いや、何かが違う。これは恋のように焦がれるような感覚ではない。それよりも、もっと何か別の、安らぎとか信頼とか、そういったものに近い気がしていた。


 お互いに言葉を発することなく、静かに、夜空にきらめく星の海を眺める。そんな二人の姿を、黄金こがね色の新円が放つ輝きが闇夜やみよにそっと照らし出していた。


「月が、きれいだな」優作は何とはなしに、見たままの感想を口にする。

「え……!?」対して依夜は闇夜の静寂せいじゃくを破り、驚きの声を上げた。


「どうした?」


 優作はいきなり声を上げた依夜をいぶかしみ、視線を向ける。驚いたような表情で優作を見上げていた依夜は目が合うと、頬を赤く染めてさっと視線を逸らす。何事かと優作が首をかしげていると――。


「えっ、と……ずっと、つ、月はきれいだよ?」依夜は震えるようなか細い声で、絞り出すようにそう言った。


 そして、下を向いたままの依夜は耳まで赤くして、何かにじっと耐えるように、胸の前で白く繊細な手を、強く握りしめていた。


(ひょっとして何か俺の言葉を待っているのか?)


 依夜の様子からそこに思い至る優作。しかし、何を言えばいいのか全く分からない。少しの間考えてみたが何も浮かばなかった優作は、あきらめて普通に会話を続けてみる。


「月だけじゃなく、星も東京で見るよりはっきりと見えていいな。田舎は空気がきれいだからなのかな」


 すると依夜は案の定、当惑の表情をみせた。おそらく想像していた返しではなかったのだろう。そして、がっかりしたような、あるいは安堵したような、苦笑いを浮かべた。そして呟く。「……そうだよね。そうだと思った」


「どうかしたか?」


 優作は、自分が何か外してしまったのだろうなと自覚しながらもあえて、とぼけたようにそう返した。すると、依夜は首を振り、なんでもないと言って再び空を見上げる。

 それからしばらく、宝石のようにきらめく星の海を眺めていた依夜は、もう、いつも通りに戻っていた。


「……きっと、大昔の人たちもここから夜空を眺めていたんだね」

「それ以外に、やることもなかっただろうしな」

「もう、またそんな、ロマンの欠片かけらもないことを言う」


 依夜が少し不満そうに口をとがらせる。しかし、すぐに機嫌を直してクスリと二人は笑い合う。

 それから、しばらく二人で星空を眺めた後、優作は手元の時計が二十二時を回っていることに気付いた。少し夜の空に見入り過ぎていたようだ。


「そろそろ戻るか」と優作が言う。

「そうだね」と依夜が少し名残なごり惜しそうにうなづいた。


 黄金色の新円が浮かぶ星海を背に優作は歩き出す。数歩歩いたのち、優作は何故か自分以外の足音がしないことに気が付き、振り返る。「依夜……?」

 その場に立ち止まったまま、依夜は戻るべきテントのある方とは真逆の発掘現場を見つめていた。


「どうした?」

「いま、あっちの方で何か光ったような気がして……」


 しかし、依夜が指をさす先には何も見えなかった。森と台地の傾斜によって月明かりすら差し込まない闇が、そこにはあった。


「何も見えないぞ?」

「そんなことないよ。たしか、こっちのほうに……」


 依夜は先ほど指で示した場所に向かって歩き出す。暗い、闇の中へ、一歩。また一歩と。

 そんな依夜の後ろ姿を見て、優作は漠然とした不安感が、胸の内に広がっていくのを感じた。何か、よくないことがその先には待っているのではないか。

 優作の直感が警鐘を鳴らす。依夜をその先へ、行かせてはならない。

 優作は依夜を呼び止める。


「ちょっと待て。そっちには行かない方がいい」

「でも、ここら辺に何かあった気が……え?」


 唐突に依夜の足が地面に沈む。否。暗がりゆえに優作からは一瞬そんな風に見えたが、次の瞬間には、依夜の立っている地面一帯が崩壊していくのが視界に映った。


「きゃあ!!」

「な……!? 依夜!」


 優作は駆け出し、依夜に向かって手を伸ばす。しかし、間に合わない。伸ばした手が空を切った直後、崩れ落ちる土砂の轟音と共に依夜は悲鳴を上げながら崖の底へと吸い込まれていった。


「依夜! 畜生っ、何だってんだ!」


 優作は突然の事態にやり場のない悪態をつく。

 駆け寄り、闇に隠されて気づけなかった崖に手を付き、底をのぞき込むが、相変わらず暗くて何も見えない。依夜がどうなってしまったのかは、全く確認ができなかった。無事であれば、何かしら声を発してくるはずだが、それもなく、崖の下は真っ黒な静寂に包まれていた。冗談抜きに状況は相当悪い。早く何とかしないと……。


 焦る優作の手元に何かが触れる。手に取ってみるとそれは薄緑色の勾玉まがためらしきものだった。


「依夜が見たのはこれのことだったのか? ……クソッ、これの所為せいで依夜は!」


 優作は手にした勾玉を崖の底に放り投げようとした。その瞬間、地面についていたもう片方の手元が沈み込む。「え……?」


 バランスを崩した優作は、体勢を整える間もなく、眼前に広がる暗闇へと頭から飲み込まれていった。




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ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

第1章は、このお話で完結となります。


面白いと思ってくださった方、続きが気になった方は、

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モチベ爆上がりします\(^o^)/


第2章からはいよいよ古代にタイムスリップしますので、

ぜひ、読んでいただけると嬉しいです! |ω・`)チラ

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