第7話 紗月国

 やけに深く染み渡るような、濃密な草木の匂いを感じながら、優作ゆうさくは森の中を歩かされていた。林道はあまり整備が行き届いていないのか、凹凸が激しく、たまに地面から顔を出した大樹の根に足を取られそうになる。

 最初の内は、つまづいたりするたびに不審な動きかと疑われて友里根ゆりねに剣と突きつけられていたが、何度も繰り返すうちにどんくさいだけだと思われたようで、転びそうになっても構われなくなった。ただ、その度にまたかというため息をつかれることになったが。


「あんた、間者のくせに鈍臭すぎ」友里根が呆れたようにそうぼやいた。

「だから、俺は間者じゃないって」

「じゃあ、何者なのよ」

「普通の高校生だよ」

「コウコウセイ……? 何よそれ」

「え……? 高校生は高校生だけど……知らないのか」

「知るわけないじゃない。そんなの、聞いたこともないわ」


 友里根は不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。

 高校生を知らないって、そんなことがあり得るのか。いや、そもそもおまえもどう見たって高校生くらいじゃないか。


 やはり、どこかがおかしい。もしかしたら――なんて、突飛押しもない考えが一瞬頭をよぎるが、すぐさま否定する。そんなことが現実に起こりうるわけがない。それならまだこれが夢であるという方が、よほど現実味がある。


「ほら、着いたわよ。ここが紗月国さつきこくの中心」

「紗月国?」

依夜いよ様が治めている国よ。間者のくせに忍び込んだ国の名前も知らないわけ?」

「だから俺は間者じゃ……え、なんだよ、これ……」


 森を抜けた先、目の前に広がっていたのは山間にあって自然と調和した人々の営みであった。川の流れに沿うように田んぼが形成され、田舎のような牧歌的な雰囲気がただよう田園風景。それに絶妙にマッチした、葦などの植物で屋根をいた家屋かおくが並ぶ。そのほとんどが日本史の教科書で見覚えのある菅笠すげがさを並べたような、竪穴式住居である。そして高台へと続く先には環濠かんごうが巡らされており、ぐるりと丘を囲んでいた。


「映画の撮影場……ってわけじゃないよな。さすがに」


 行き交う人々は、皆、昔の人が身に着けていたような衣装をまとっている。だが、妙に馴染んでいてとてもエキストラには見えない。挨拶を交し合う人、ものを運ぶ人、子を連れて歩く人。演技などではない、この地に根差した何かを感じる。ここから見える人々は、紛れもなくここで生活しているのだと、そう思わされる雰囲気があった。

 もしかしてここは優作たちが発掘調査していた月を崇める国なのではないか。優作の中でその考えは徐々に膨れ上がっていった。


「何集落の様子をまじまじ観察してるのよ。もしかして内情を調べてるわけ?」

「そんなんじゃない。ただ……」

「ただ、何よ?」

「マジでタイムスリップしちまったんだなって思って」

「はあ? まじ? たいむ……ちょっとあんた、何言ってんのよ?」


 友里根が優作の方を向いて眉を顰める。

 言葉は一応通じているようではあるが、中にはこの時代では使われていない言葉もあり、それに関してはいまいち意味が通じていないようだ。マジは本当にという意味で通じるだろうが、タイムスリップは時間遡行とかで通じるのか。いや、そもそもこの時代に時間遡行なんて概念があるとは思えない。


「黙ってないで何か言いなさいよ」

「ああ、ええっと、どうやら俺は遠い未来の世界からやってきたらしい」

「……あんた、頭大丈夫?」


 友里根にはまたしても呆れたような顔をされた。それに対してずっと黙っていたククルカが何やら探るような視線を向けてきた。


「その見慣れぬ服装は、貴様のいた場所のものか?」


 ククルカはじろじろと穴が開きそうなほど、優作のジャージ姿を観察していた。


「そうだけど……もしかして、俺が未来から来たって話、信じてくれるのか?」

「……いや、そのような戯言は真に受けない。ただ、手が込んでいるなと感心していた。わが国も衣類の生産は他国に引けを取らないと思っていたが、その衣はわが国以上の技術力で作られているようだ。貴様の祖国はわが国よりも大きいのか?」


 優作はその問いにどう返答した物かと考える。


(俺の祖国って……ここも日本だよな。だったらここも一応祖国なんだけど、たぶんそういう事じゃないんだろうな。何て言ったらいいか。国の大きさか……)


「人が一億人はいるかな」

「な……馬鹿な。あり得ん」

「え……?」

「この列島の地すべてを集めても、いや、半島……それでも足りぬ。半島を越えた先、大陸の大国をすべて手中に治めたとしても、それほどの人はいないぞ。私をたばかるな」

「あ、そうか」


 もしここが優作の想像通り発掘調査していた国で、弥生時代か、古墳時代辺りなのだとすると、同時代の中国、三国志で一番大きな魏ですら五百万程度しか人がいないとされている。もちろん当時の人口把握がどれほど正確になされていたのかは不明だが、それでも一億という数字はこの時代としては多すぎた。


「すまん、間違えた。一千万超えたぐらいかな」

「一千万……大陸にあったしん国の民が、それくらいはいたと聞いたことはあるが、まさか貴様はそこから……」

「まあ、そこらへんはおいおいということで」


 さすがに一億はやりすぎなので、優作は東京の人口をすこし少なめに言っておいた。


(しかし、本当に俺はタイムスリップしてしまったんだな)


 ククルカと友里根に促されて優作は集落の中に足を踏み入れていく。

 広々とした空間には車も、自転車すら走っていない。空を見上げても電信柱が視界に映りこむこともなかった。人々の様子を見てみると、数人がかりで家を建てていたり、あるところでは市のようなものも開かれたりしている所も見受けられた。優作はそんな集落の様子を興味深く観察しながら歩いていく。

 そして、ククルカや友里根の姿を見ると集落を行き交う人は道を開けて頭を垂れる。おそらく身分制のようなものが定着しているのだろうと推察された。二人に連れられているだけの優作は恭しく頭を下げられると、その様子に恐縮してしまう。だが、二人が通りすぎた後、後ろをついて歩くジャージ姿の優作は、人々から例外なく奇異の視線を向けられていた。


(なんか恥ずかしいな……)


 集落を抜けると環濠に囲われたエリアに差し掛かる。返し木の一角に門のようなものが見え、そこには鎧を身にまとった兵士が二人立っていた。槍と盾が標準装備らしい。腰には剣を下げており、弓は持っていない。


「ククルカ様、友里根様。お務めご苦労様です」


 兵士たちは二人に慰労の言葉を投げかけた後、優作の方へと視線を向けた。


「して、そちらは……伊奴国いなこくの間者ですか?」

「いや、どうやら違うようだ。依夜様のことを知っているようだったので、確認のためにここまで連れてきた」

「そうでしたか。では中へどうぞ」


 兵士たち二人が鐘のようなものを鳴らすと開門された。優作は二人に連れられて門の中へと足を踏み入れる。環濠で囲われた丘の上は、どうやら居住と貯蔵がメインらしかった。田んぼはなく、竪穴式住居と高床式の倉庫がたくさん並んでいる。そして奥にはひときわ大きな高床式の建物と、その隣に何やら祭事を行うような建物が見えた。その両方に月をかたどった紋章入りの旗がひらひらと風に揺れていた。


「これから貴様を依夜様に会わせるが……妙な真似をしたらわかっているな?」


 ククルカがドスの効いた声で脅しをかけてくる。


「わかってるって。妙なことなんてしないって」


 さっき弓矢を射掛けられたように、今度はその腰の剣で斬り掛かられでもしたら、たまらない。優作は依夜に会うことができれば、さっさと元の時代に戻る方法を探して帰ろうと思っていた。

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