第2話

 周囲から笑い声が聞こえる。もう隠そうという気もないのだろう。

 嘲笑うような見下した笑い声。

 視界が揺らぐような感覚がする中、踏ん張って前を見据える。


「……どういう事ですか?」

「はっ!お前のような奴を王家に迎え入れられるか!」

「この婚約は王命で結ばれているものです。私が王家に迎えられるのは国王陛下の意思です。」


 背筋を伸ばし、アーサー様の瞳をしっかり見つめる。

 私は人に背を向けなけれならない事などしていない。

 例え、不安や寂しさ、悲しみに襲われていようとも。今は手元にある扇で口元を隠すのが私の精一杯の盾である心の防御でもある。

 手が震えてるのを悟られないように。


「どうだかな。お前みたいな傲慢な令嬢が王太子妃になんてなろうものなら他の貴族達が反発するだろう!」


 傲慢?

 誰とも関わる事もなく、勉強に勤しんでいた私が傲慢なのだろうか。

 それとも、誰とも関わっていなかったからだろうか。

 気が付けば孤立していた私だが、それ自体が傲慢だったせいだと言いたいのか。

 しかし原因に心当たりなんてない。

 俯きそうになるも、歯を食いしばって目線を上げたまま何事もないように振舞う。


「エルガー男爵令嬢のマルチダ嬢を平民上がりだと馬鹿にし、常に見下した態度で嫌がらせをしていたそうじゃないか」

「私はそんな事しておりません!」

「こちらには証言者も居るのだ!下位貴族には高圧的に命令し、服に隠れる場所を殴ったり、物を壊したり!マルチダ嬢に至っては噴水に突き落としたりもしたそうじゃないか!」

「そんな!私はそんな事しておりません!王太子殿下!きちんとお調べください!」


 冤罪だ。

 私は家名に泥を塗るような真似はしないし、人様に背を向けなければならないような事もしていないし、そもそもそんな事はしていない。

 そして何より……私は公爵令嬢のあり方を考え、ずっと勉学に励んでいたのだ。


「王太子殿下。しっかりとお調べ下さい。証言だけではなく証拠をご提示下さいませ」

「証言だけで十分だろう!おい!誰かコイツが無罪だという証言出来る奴はいるか!?」


 血の気が引く。

 ずっと私は孤立していたのだ。しているともしていないとも、誰も見ていない。

 周囲はそんな私の内心を知ってるのかと言いたい程、嘲笑う声が聞こえる。

 悪女、傲慢、我儘。そんな言葉が私の耳に飛び込んで来る。

 思わず周囲に目を向けると、さくら色のふわふわウェーブの髪をして、アーサー様の色であるイエロードレスを纏う女性が目に付いた。


 ――マルチダ・エルガーだ。


 私と視線が合うと、分かりやすく怯え、震えている。

 …………どうして…………。


「ロザリア嬢!視線を下げろ!マルチダ嬢が怯えているではないか!」


 アーサー様はそう怒鳴り、マルチダ様の所へ向かうとマルチダ様を引き寄せ、自分の胸に抱き抱えた。


「王太子殿下!」

「煩い!」


 男女の距離が近すぎる!

 何て破廉恥な!そう思い、注意をするのも臣下の役目と声を出すが、遮られてしまう……。


「距離が近すぎます!それでは不貞を疑われかねません」


 怯えず進言を続けるも、アーサー様は鼻で笑う。


「はっ。僕はマルチダ嬢を婚約者にすると決めたんだ。とやかく言われる筋合いはない」


 ――ありえない。

 どうして誰も止めないの?





 エルガー男爵が愛人の子である平民の娘を引き取ったと言うのは貴族社会で一気に噂として駆け巡った。

 それは、その娘が貴族の学園へ入学するからというのもある。

 いくら養女になったとはいえ、ついこの間まで平民だった人が貴族の学園へ入る事に、周囲は驚き狼狽えた。前代未聞の事でもあったからだ。

 教養などはまだまだだったが、必死に勉強を頑張っている姿を見かけ、その努力が多少なりとも周囲には認められていっていたのは知っているが、多少は多少だった。

 淑女の嗜みは全く出来ていないし、人との距離も近い。

 特に異性に関しては問題になる事も多い……それがよりにもよって王太子殿下であるアーサー様との距離は格別に近かった為、何度か注意をしていた事はある。

 名前を呼び捨ててはいけない。許可なく話してはいけない。無闇に触れてはいけない。

 勉強は少しずつとは言え出来ているようだったが、アーサー様との距離だけは直る事はなかった。


 そして……国の決まりとして、王家に嫁ぐ事が出来るのは伯爵家以上なのだ。

 男爵家であるマルチダ様は嫁ぐ事が出来ない。

 どこか伯爵家以上の家へ養女として入るという手段はあるものの、そもそも半分は平民の血が入っているのだ。

 王家に入れる事は後継争いの火種になりかねないし、血筋を大事にする高位貴族達も黙ってはいない。


 そんな事は当たり前なのに…………。





「王太子殿下、それは……」

「黙れ!この性悪が!お前の顔を見ていると虫唾が走る!」


 悲しみが胸に広がる。動悸が……息が……苦しい。

 涙を出さないよう扇で口元を隠し、必死で歯を食いしばる。

 私が一体何をしたというの……?


「おい!こいつを取り押さえろ!」

「キャッ!」


 思わず短く悲鳴を上げてしまう。

 いきなり腕を掴まれ捻り上げられ取り押さえられたのだ。思わぬ力で膝まづいた時に、足が変な方向へ捻れてしまったのだろう。激痛が走る。

 痛いと泣き叫びたい、痛みが思考を染めるが、残っている公爵令嬢としての矜持で泣いてたまるかと必死に耐える。

 今声を上げてしまえば、きっと涙も出てしまうだろう。


「立て!」


 そんな私の気持ちや状態をよそに、衛兵は声を荒らげ無理やり立たせようとする。

 足が余計に変な方向へ捻じれ、ただただ成すがまま、必死に激痛に耐え、我慢するしか出来なかった。

 気を抜いたら泣いてしまいそうだ。

 悲鳴を上げて気を失ってしまいそうだ。


「何をしている。その手を離せ」


 必死に気を保っていると、威圧感のある声が聞こえ、衛兵の動きが止まった。

 無理矢理な力強い衛兵の手から、暖かく優しい腕に抱えられた気がする。

 足へ無理な負荷はかかっていない。相変わらず激痛は走っているけれども。


「遅くなった、頑張ったな。リア」

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