【完結】婚約破棄された私は昔の約束と共に溺愛される

かずき りり

第1話

霞みがかった淡い景色の中、幼い男の子が立っている。

 私に向かって、何かを言っているようで。


「ーー、ーー…………」

「待って!聞こえないの!」


 何か、とても大事な事だったような気がする。

 けれど、その声が私に届く事はなくて、私は必死に問いかける。


「――――、――――――」

「ねぇ、待って!」


 ――貴方は、誰なの――?




 ◇




「…じ…ょ……ま!…………お嬢様!」

「え?」


 カーテンの隙間から明るい光が差し込み、それが朝を告げているのだと理解した。

 どうやら、いつもの時間に自分で目が覚め無かったのか、ベッドの側には侍女が居て私に声をかけている。


「……大丈夫ですか?」


 幼い頃から私に仕えてくれている侍女のエリーが心配そうな顔で私の様子を伺っている。

 起き上がり、大丈夫だと伝えようとしたら、太ももに水滴が落ちる。

 ふと自分の顔に手を当てると、顔が濡れていることに気がついた。

 ……泣いていたのだろうか……。

 あれは誰だったのだろうか……うろ覚えでしかないけれど、とても切なく苦しい夢だったような気がする……。

 ……夢……なのかな……。


「お嬢様?」

「大丈夫よ」


 エリーの問いかけに答え、ベッドから立ち上がるも、エリーは複雑そうな表情で私に水を差し出してきた。

 長い付き合いだもの。大丈夫かそうではないかなんて、言葉ではない部分で気がついているのだろうと、少し自嘲めいた笑みを浮かべる。

 そんな私の様子に、エリーの方が早く立ち直り、声をかけてくる。


「では!憂いを晴らす程に着飾らせて頂きますから、ご覚悟を!」

「そこまでする必要はないわよ?」

「何を言っているんですか!公爵令嬢であるお嬢様が着飾らずしてどうするのです!!」


 元気に叫ぶエリーの声に、先ほど入ってきたメイド達の表情も頷く。

 たかだか学園の卒業パーティというだけなのだが、やはりパーティはパーティなので、きちんと着飾る必要があるのは確かね……。


「そうね。折角の卒業パーティだもの!着飾りましょう!お願いね」

「はい!」

「お任せください!」


 元気良く侍女達が返事をして、各々の準備を始める。

 エリーがそっと冷やしたタオルを渡してくれたので、目元を冷やす。腫れてしまったら更に手間をかけさせてしまう。

 ……結局、アーサー様からドレスは届かなかった……。

 10年前、第一王子であるアーサー・バデルと宰相でもある父ブラッドリー公爵の娘である私ロザリアとは、お互いが8歳の時に結ばれた婚約で、婚約と同時に第一王子であるアーサー様は立太子した。

 それからずっと、それなりに上手くやっていたと思っていた。


(まさかドレスが届かないなんて……)


 勿論、それを知っている侍女達はそんな事を一言も口にしない。

 いつもと同じように頑張って私を着飾ろうとしてくれる。

 不安と寂しさから、あんな夢を見たのだろうか……。

 自分で手配したアーサー様の色を模したドレスは、とても虚しくも思えてしまった……。




「お嬢様!もう間に合いませんよ!」

「分かりました。出ましょう」


 ドレスが送られてきていない時点で、正直嫌な予感はしていた。

 しかし……まさかエスコートまでもしないとは。

 王太子ともあろう方がこんな事では他の貴族に示しが付かない。

 これ以上待っていては卒業パーティに間に合わなくなるので、御者に声をかけ馬車を出してもらう。

 さすがに出席しないという訳にはいかない。


「なんてこと……!」

「酷い……」


 悲しみ嘆く使用人達に今は声をかけている時間もない。


「勝手な王命で……!」

「お嬢様には……!」


 侍女のエリーと執事のセバスの恨みが篭った声が聞こえる。

 後半がよく聞き取れなかったけれど、そんな事を気にしている場合ではない。

 急ぎ馬車に乗り、会場となる王城へと向かった。




 ◇




 一人で降りる馬車。

 一人で入る会場。

 悲しくて、虚しくて。

 王太子妃教育で培った表情筋で、何事もないように振舞うが、内心はとても傷ついているのだろうか、手が震えるし動悸も激しい。

 何かに胸をギュっと掴まれているような感覚もする。

 周囲がこちらを伺い、何かしら声を潜めて話し、微かな笑い声すらも聞こえているのも分かるが、そちらに気をとられていても仕方ないとばかりに会場の中、足を進める。


 学園に入学してしばらくは仲が良かった令嬢と視線が合うも逸らされる。

 扇で顔を隠していると、暗い気持ちも隠せるようで、そのまま目立たぬ場所を探し壁際に進む。

 涙を流してはいけない。狼狽えてはいけない。

 自分の足場四方全てが崖となっているような感覚と恐怖が包み込んでくる。

 いつからだろう。気がついたら私の周りに居た人は私を避けるようになっていた。

 自分が何かしたのだろうかと、このままではいけないと勉強からマナーから笑顔から気配りから全てを頑張った。

 常に今以上の神経を張り巡らせて生活をしていたのに、状況は変わる事なく日々悪くなっていたようで、アーサー様と毎週行われていたお茶会すら無くなってしまっていたのだ。

 挙句、ドレスも送られずエスコートもされず……。


「ロザリア!!どこに居る!」


 アーサー様の叫ぶ声が会場の中心辺りから聞こえた。


「はい!私はここにおります」


 反射的に答えると、人の波が私とアーサー様を繋ぐように割れた。

 ふいに見えたアーサー様の姿に、私は血の気が引いた。

 私は、アーサー様のサンシャインイエローの髪と深緑の瞳に合わせた薄いイエローのドレスに深緑で蔦の刺繍をしたドレスを纏っている。

 そして私ははちみつ色の髪に紺碧の瞳なのだが……アーサー様が纏っているのはさくら色と薔薇色。

 その色は……声を発しようとして、空気が漏れる音が空を切る。

 冷や汗が背中を伝うのが分かる。手足が冷えて感覚がなくなっていく。


「貴様との婚約を破棄する!」


 会場の真ん中で、会場に居る貴族達へ聞こえるような大声で告げた。

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