第16話

「何を!?」


 思わず声を張り上げ、突き放そうと腕に力を入れアーサー様の胸を押すが、ビクともしない。


「まだ皇帝と婚姻式も上げていないという事は、お前はまだただの客人であって婚約者にもなっていないのだろう?あの皇帝は昔からお前を目にかけていたというではないか」


 昔から……?

 昔……私が忘れている約束……?

 思わず胸が痛む。


「そんな奴から奪うのであれば、いっそ子を宿してもらうのが一番手っ取り早い」


 何という事を考えつくのだろう、この人は。

 思わず血の気が引く。

 この人は……駄目だ。色々な意味で駄目だ。

 人としても、王太子としても……。最悪でしかない。


「な……にを……」

「やり直そうと言っている。お前を妻に迎える」

「っ!王族に嫁ぐ条件を知らないのですか!?」


 そう言っている間にドレスの裾は捲り上げられ、胸元もはだけさせられている。


「伯爵家の令嬢だろう?」


 だから何だと言わんばかりに答えるアーサー様が、その手を離す事はない。

 王族に嫁ぐ条件はそれだけではないのに!


「純潔である事も条件です!」


 逃げる為でもあるが、事実でもある。

 王族以外の血を入れるわけにはいかない。

 純潔である事を条件に迎え、その後は限られた男性としか会う事はないし、二人っきりなんて以ての外なのである。

 上位貴族にも当てはめられるが、王族に関しては厳しい制限や監視が施される。

 どうして王太子でもあるアーサー様が知らないのか!

 これが……ディスタ国の王太子なのか……。

 悔しさや悲しさに胸が押しつぶされそうになる。


 その言葉を聞いたアーサー様の手は止まり、唖然とした表情を見せた後に悔しそうな表情をしながら睨みつけ、私の上から退く事なく、その腰に刺してある剣に手をかける。


「ちっ。ならばその顔に傷をつけてやれば皇帝も諦めるだろう」

「な……にを……」


 思わず息を呑む。


「それとも腕を切り落としてやろうか。僕は構わないよ。王太子の地位を確固たるものにするためのお飾りの妃なんだから」

「っ!」


 必死に抵抗を試みるが、アーサー様はびくともしない。

 それどころか、そんな私を見て狂気を宿した瞳で笑っている。


「あんまり暴れると、間違って殺してしまうかもしれないから、やめてほしいんだけど」

「……!」


 真剣な声で発せられた言葉に、背筋が凍る。

 こんなアーサー様なんて知らない……そして、こんな状況に陥った事もない。

 思わず暴れる事も忘れて、このまま意識を失ってしまいたい衝動に駆られる……。

 誰か……。

 誰か助けて……。


 涙が溢れ出す。

 表情を出さず、毅然とするのが貴族の嗜みと言われても。

 相手の裏を読み、顔に出さず世間を渡り歩く術だとしても。

 王太子妃教育では死に逝くその時まで誇り高くいろと教えられてもいたけれど。

 知識と感情は全く別で。流れ出る涙を抑える事は出来ない。


「……すけて……」

「ははっ!駄目だよ」


 アーサー様は私に馬乗りとなったまま、剣先を私に向ける。

 刃先の光に、思わず目を閉じた――ら


 ガッ!!


「―――リア!!!!!」

「っ!?」


 鈍い音が聞こえた後、ティン様の叫び声が聞こえた。

 そしてカランカランと金属が落ちる音。

 ……助かった……?

 目を開けるも涙で視界が潤んでいて、かろうじてティン様のシルエットが分かる。


「貴様!」

「ぐっ!」


 アーサー様の顔面目掛けて、ティン様の足が伸びるのが見える。

 そのまま数メートル吹き飛ばされたアーサー様は、木の幹にぶつかると、そのまま動かない。


「リア!大丈夫か!」


 ティン様の声に安心し、力強い手が私を抱き起こすのに身を任せた。

 震えていて、思ったように力が入らない。睡眠薬の影響もあるかもしれないが、心臓があおって息も苦しい。

 ――怖かった。

 本当に怖かった。


「ふ……っ」


 大丈夫だと伝えたいのに、震えと嗚咽で喋る事が出来ない。

 そんな私を見て、ティン様は力強く抱きしめてくれた事に甘え、その胸の中で涙を流す。


「リア……リア…………」


 存在を確かめるかのような力強さだけれど、大切に扱うような優しさ。

 私の名を呼び続けるティン様の声も身体も僅かながらに震えている事が、触れ合っている箇所から分かった。

 嬉しい。

 愛しい。

 とても……とても大切にされているのが。愛くしまれているのが分かる……。

 恐怖から反転、嬉しさで更に涙が溢れそうになる。


「ありえない!!」


 そんな穏やかな時間を、甲高い叫び声で壊された。

 この声は……。

 思わず顔をあげて声の主を確認しようとしたが、しっかり抱きしめられていた為、ティン様の胸元から顔が少し離れるだけに留まった。

 そんな私に気がついたのか、ティン様は私を少し離すと顔を覗き込み、涙を拭うかのように目元に何度も唇を当てた。


「ティン様!?」


 マルチダ様であろう声の主は放ったらかしの状態で、私の顔を手で包み込むと、しっかりと目線を合わせた。

 そんなティン様の瞳は、とても悲しそうな色を宿している。


「無事で良かった……あやつがリアの部屋に居たから、嫌な予感がして探したんだ……」

「え……?」


 いや、私の部屋?皇后の部屋では……と思いつつも、何故私の部屋に?

 ウォーリア大公閣下はどうしたというのだろう。監視していたのではないのだろうか。

 そこまで思考を巡らせた時、ふとパルロア様の事を思い出した。

 パルロア・ディ・ウォーリア。

 ウォーリア大公閣下の娘……。


「あたしを無視するんじゃないわよ!この天涯孤独な皇帝が!」


 点と点が線で結ばれたかと思った時、マルチダ様の罵声が響いた。


「十一年前!九歳の時に、実の兄に殺されかけたんでしょう?それを助けられたから恩に感じてるだけでしょ!?」


 ……殺されかけた?

 実の兄に?

 ティン様の優しかった瞳に射抜くような冷たさが宿り、マルチダ様を射抜くが、マルチダ様は怯むことなく尚も続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る