第19話 ポリューション
ディザスタークラスと認定されたイバラヒメと、シアターの三トループの衝突から九日が経過した。
「こうも休まらない日々が続くと、黒百合ノ会での内輪揉めなんて、小娘たちのお遊びだったことに気づかされます」
名称未定の私たちのトループの仮ロビーとして与えられた部屋、小さなテーブルで私の向かいに座っているクラウディアさんが手指の爪をパチンパチンと切りながら愚痴をこぼした。
「これでは、さながら籠城戦です」
「ヴァイトリングさん、静かにしていなさい。風花は疲れているわ。貴女の悲観的な態度に付き合わされるのは可哀想よ」
離れたところにある二人掛けのソファに、一人で座っている深月さんがそう言った。未だにお互いが苗字(ファミリーネーム)呼びだ。
「そ、そんなことないですよ? クラウディアさんの不安はもっともなことだと思いますし……。でも終わりはありますから」
「ですが七園さんもご存知でしょう? バリアの再起動にかかる日数は当初、七日と公表されていました。長くかかると見越しての七日だと。それを二日もオーバーしているんです」
「ちがうわ。公表があったのは一日経過してからだった。だからまだ一日しか延長されていないわよ」
「では黒鉄さん、今日にはバリアは再起動するという知らせはありましたか? いいえ、ありません。……っ! 深く切り過ぎてしまいました。はぁ」
三日前までは笑顔で「頑張りましょう」と口にしていたクラウディアさんの疲れた顔を目にするのは心苦しかった。私の隣に腰掛けている深月さんだって顔には出ていないが、疲労が溜まっているのは同じだ。ううん、同じではない。いくらマナ総量が多いからって連戦につぐ連戦で、私たちの分まで率先して前線で戦闘しているのだからその疲れは相当なものであるはずだ。
イバラヒメが大型を超越する等級であるディザスタークラスと認定された理由。それはその「果実」の破壊と同時に大規模なマナ汚染を発生させたからだった。
あの時、私とクラウディアさんが窓越しに目にしたあの光柱こそが、マナエクスプロージョン、ようはストレンジャーに蓄えられたマナの大爆発現象だった。
それにより交戦した三トループのうち、セクメトと鷹の目隊から犠牲者が数名出てしまった。かつて対峙した経験のある私からすれば、あの爆発に至るまで誰も欠けずにイバラヒメとの戦闘を継続していたという報告には敬服するばかりである。
そしてアステリアの武神こと周防琴葉さんが爆発の直前に皆にマナ障壁をつくるよう勧告し、自身はその利き腕を代償に破裂寸前の果実をなるべく上方へと打ち上げたことで犠牲者が数名で済んだのことだった。
それで終われば彼女たちは言わば英雄としてシアターに迎えられてハッピーエンドであったのだが、マナ汚染は私たちの暮らす保護区内にまで及んでしまった。
ストレンジャーたちの発生及び接近を阻害する広域バリアが機能停止し、すぐに境界部に暮らす住民の避難や防衛隊による緊急バリケードの追加設置等々、行政とシアターによって措置がとられた。そしてなにより、エリア毎のアクトレスたちの割り振り、派遣が決まったのである。
メノウによれば通常のストレンジャーのマナではバリアが作動しなくなるようなことにはならないそうで、この汚染はイバラヒメという特異な種によってもたらされた災厄と見るべきとのことだった。
そのメノウとは九日前に会ったきりだ。メノウはともかく、今となっては枢木さんの薄味の料理が恋しい。
イバラヒメを討伐するポイントの変更であったり、それを達成する前にバリアが正常に稼働し続けるための策を講じたりなど、後になってシアター側の作戦の正当性に関して、住民ひいては行政からの審問があり、それは今なお和解とは言えない状態にある。それでも公表したとおりの日数でバリアが再起動すれば事態の収束に繋がっただろうが、クラウディアさんの言うとおりまだ再起動はできていないのが現実だ。
英雄視されるどころか、一部からは元凶のように見られている三トループのアクトレスであったが、そんな彼女たちは今日までほとんど休まずに戦闘を繰り返している。無論、私たち他のアクトレスが悠長にしていられるわけもなく、外征任務に出ているトループたちも引き戻される形で、対ストレンジャー戦力をかき集めて広範囲に防衛線が敷かれているのだった。
「七園さん、シアターに帰ることができたら、まともなトループロビーを与えてもらえるよう雨晴博士に交渉してくださいませんか?」
「わ、私ですか?」
そうなのだ。私たちが今いるのはシアター内ではない。この仮ロビーとして使っている部屋は、シアター西部の保護区境界部付近の建物の一室なのである。古い建物で内装はボロボロだ。
例の三トループが、ストレンジャーたちの発生と侵攻が最も激しいシアター東の境界部に陣取って戦っている一方で、私たちは西部の一エリアを担当することになった。東部に比べれば弱い小型ストレンジャーばかりとの戦いと言っても、昼も夜も出撃を繰り返さないといけない環境というのは不慣れで、身体がついていかない。
「ええと、参考までに黒百合ノ会のロビーはどんなふうだったんです?」
「よく聞いてくださいました。リーダーがティーセットにはうるさいお嬢様なので、それを最高の形で使用できるようにと、椅子やテーブルもポケットマネーで購入してくださり……」
「ずいぶんと楽しそうに話すのね」
「黒鉄さん? 私は七園さんに訊かれたから答えたまでで、べつに古巣に戻りたいとは思っていないですよ? ええ、そうですとも。おふたりとの戦闘はいささかスリリングなときもありますが、ギスギスはしていませんし、のびのびさせてもらっていますからね」
「それ、褒め言葉として受け取っていいんですよね……?」
このクラウディアさんの笑顔はどっちだ。深月さんも刺激するようなことを言わないでいいのに。
「えーっと……あの二人、遅いですね」
私は三十分前に閉じられたまま、開かれる気配のないドアを見て言った。
この仮ロビーを一時的な拠点にしているアクトレスは私たち以外に二人いて、正式ではないが、合わせて五人でのトループとしてシアター本部では処理されている。
十九歳と十六歳の姉妹で、姉が
涼音さんは元々、ガンモードによる遠距離射撃を得意とする、言うなれば秋奈さんに近い戦闘スタイルをもったフリーのアクトレスだ。フリーと言っても武神や深月さんのような一人でもどうにかなるタイプで活動してきたのではなく、いくつかのトループが、遠距離攻撃による支援が有効な任務を受注した際に同行するのが多かったそうである
また、後輩アクトレスたちに実戦の中でガンモードの指導を行ってもきたらしい。
そんな涼音さんが複数のトループに誘われつつも断ってきたのは妹の芽瑠さんに理由があり、彼女はメカニックからアクトレスになって日の浅い子なのである。なお同様の経歴のアクトレスはオトハザシリーズでも毎回登場している。少数派であるがそれほど珍しい事例ではない。
芽瑠さんがメカニックとしてシアターの工房に配属されて以来、生活力のない彼女のために涼音さんが付きっきりで世話をすることが多く、それはトループ活動に支障をきたすからと彼女はフリーのアクトレスになったのである。
でも、もとより素質のあった芽瑠さんがアクトレスに転身してからも世話を焼いているという話だから、どちらかが、あるいは両方がシスコンの気があるのかもしれない。いや、そうであれ。そういうの嫌いじゃないから。姉妹百合もいける。
「風花……またそんな顔をして。何を考えているの?」
「ふふふ、私にはわかります。あの逢坂姉妹が二人きりでしていることを想像したのですよね? 七園さんにはどうもそういう嗜好が――――」
「な、何を言っているんですか! 私は、そのっ、えっと、ほら、芽瑠さんが私たちの≪神託≫をメンテナンスしてくれたり、クソまず料理しか作れないクラウディアさんに代わって料理当番を引き受けてくれている涼音さんに多大な感謝をしているだけでっ!」
「ク、クソ……!? 私は戦闘訓練ばかりでお料理を勉強する機会がなかっただけです! 先日は失敗してしまいましたが、やればできる子です! それに黒鉄さんだって切って炒めるぐらいしかできないじゃないですか!」
「深月さんのそれはチャームポイントですから!」
「なぜ!?」
「風花」
「あっ。す、すみません。騒がしくしちゃって」
「ずるいわ」
「はい?」
「どうして知り合って十日足らずのこの人と、そうも仲睦まじく喧嘩できて、私とはしてくれないの?」
「仲睦まじく喧嘩って意味わからないですよ!?」
「それはまぁ、最初の頃はつっけんどんな態度だったかもしれないけれど……」
疲労で自分を取り繕う余裕がなくなったのか、深月さんはいつもぴんと張っている背筋を丸めて溜息をつきはじめた。いつもは凛々しい美人がそういう気だるげにしているのも絵になるな。
アンニュイな深月さんを鑑賞していると、クラウディアさんがひそひそ声で私に話しかけてくる。
「つっけんどんって久しぶりに聞いた気がします。七園さん、お疲れの黒鉄さんをきちんと労ってあげるべきではありませんか」
「そうは言っても私に何ができるんですか」
「たとえばですね、黒百合ノ会では疲れていたり悩んでいたりするメンバーに、親しいメンバーが抱擁をしながら、あれこれ話を聞くという『とげ抜き』と呼ばれる伝統的所作があります」
「……そんなのがあるから、爛れた関係に発展するんじゃないんですか」
「そ、そんなことありません。現に私は今も操を守り続けています!」
なにが伝統的所作だ。たしかに見る分には目の保養になりそうだけれど。アクトレス、みんな可愛いし。
「風花、その人とじゃれ合っていないで、こっちに来なさい」
妖しい目つきをした深月さんが私に声をかけてきた。クラウディアさんがべしっと軽く私の肩を叩いて、移動を促す。私がソファに近づくと、真ん中に座っていた深月さんは私のために空けてくれる。そこに座ると、私に肩をあずけてきた。
「……抱きしめるのも抱きしめられるのも恥ずかしいけれど、これぐらいならいいわよね」
聞こえていたんだ。耳がいいんだな、深月さん。
いや、そんなことよりも―――――なんで何度も戦場に出ているのに、この人からはこうもいい香りがするんだろう。
「このまま少し仮眠をとるわ。風花も、とれるときに休息を充分にとりなさい。いいわね?」
「は、はい。でも深月さん」
こんなふうにまるで電車で眠るふうじゃなくて、仮眠をとるならベッドにと私が言おうとした矢先、彼女はすっかり目を閉じ、そして寝息を立てていた。甘い重みを身体の片側に感じながら、ストレンジャーたちが空気を読んでくれるのを切に願った。
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