第13話 コミュニケーション
黒鉄さんからデートを提案された翌日の午前十時前。
待ち合わせ場所として指定された駅前の広場で、黒鉄さんは噴水近くのベンチに腰掛けて文庫本を読んでいた。余裕をもって十五分前に到着したつもりが、当たり前のように先に彼女がいるのはきまりが悪かった。
通り過ぎる人々の多くが黒鉄さんをちらりと見やったり、思わず二度見したりしている。この世界においても彼女の銀髪は珍しい部類であるし、かなりの美少女であるから、ただ本を読んでいるだけで目を引き、心を奪いさえしてしまうのだろう。
下心をもった誰かが声をかけてこないのは、黒鉄さんが私と同じく、私服ではなく制服姿であるからだと思われる。
ストレンジャーを狩る者、アクトレス。そうだと街の人たち皆が認知しており、その任務に迂闊に関わってはいけないと肝に銘じているのだ。もちろん、アクトレス全員が四六時中、警戒態勢にあるのではなく、休日にはそこらの女子と変わらない遊び方をする人もいることを彼らだってなんとなくは知っているはずだ。
しかし……。改めて、黒鉄さんを見やるに、圧倒的に話しかけにくい。
彼女の待ち人である私でもだ。使命を持ってその場に待機しつつ、優雅に読書している風体の黒鉄深月は不可侵だった。
「えーっと……く、黒鉄さん。お待たせしました」
自分を奮い立たせて声をかける。すると、彼女はパタンと本を閉じてバッグにしまい、すっと立ち上がる。
「大丈夫。たった今来たところよ」
無表情でそう返してきた。
「本、何ページぐらい読みました?」
「ざっと三十頁ぐらいかしら。それがどうかしたの?」
どうかした、ではない。
たった今来たばかりで読めるページ数ではない。
「七園さん」
「はい?」
「似合っているわね、その服」
「いつもの制服ですが」
「いつもどおり似合っているわ」
「はぁ」
「さぁ、いきましょうか。そうね、迷子にならないよう腕を組んでいい?」
「そんな人ごみありますかね」
「手をつなぐほうがよかった?」
「ちょっとストップしてくれますか」
表情を一切変えずに、話を進め、歩も進めようとする黒鉄さんを止める。
「あの、また枢木さんに妙なことを吹き込まれでもしました?」
「七園さん。デート中に他の女の話をするだなんて。ええと、なんだったかしら。そう、妬けちゃうわね。ええ、妬けてしまうわよ?」
「まったくそんな気配ないですが!?」
黒鉄さんは下顎に指を添え、思案する素振りをした。あれ、リップグロス塗っている? 思わずその唇に視線を向けていた私であったが、黒鉄さんが指を顎から離して、眉根をひそめた。
「七園さん? ひょっとしてキスしたいの?」
「は!?」
「それはデートの初めではなく途中や終わりにそういう雰囲気になったら半ば勢いでするものなんでしょう? まだ早いわね。それに正直、私はメノウのSRでしか経験がないから、あなたを満足させられる自信がないわ」
「いや、なに言っちゃっているんですか。誰に何をどう聞いたんです?」
しばし私たちは見つめ合う。
私から逸らしてしまう。美人が過ぎるぞ、この人。くっ、なんで私の顔、熱くなっちゃっているんだ。
黒鉄さんはあたかも降参といったふうに両手を軽く上げ、下ろした。
「さすがの洞察力ね。デュオとして誇らしいわ」
「えぇ……?」
「たしかに私は今回のデート作戦に関して、ルームメイトから助言を得たわ。なぜか彼女はいつもより数倍も饒舌になって昨夜いろいろ教えてくれたの。思えば、あの子とあんなに話したのは初めてのことね。今日も出かける直前に、使いかけのリップを貸してくれて、なんだったら彼女が塗ってくれたのだけれど……衛生面を考慮すると断るべきだったかしらね」
ルームメイトいたのか。
考えてみれば、黒鉄さんは今でこそメノウの研究室預かりの立場だが、シアターに入所した時点、すなわちアクトレスとして正式に登録された当初は将来有望な人材だったのだ。
シアターの慣例として年齢や人柄、そして能力相性によってルームメイトは決定されるはずなので、彼女のルームメイトというのもまた、トップアクトレスを見込まれている同年代の逸材なのかもしれない。
「七園さん? そんなに衝撃を受けているの? 私だって、無関心……いえ、あまり明るくない分野については他者から教授してもらうよう心掛けているのよ。本作戦を通じて、あなたとより連携しやすく、戦場でフォローし合える仲になりたいと思っているの」
今、無関心って言ったぞ。デートについて無関心ってことだよね。興味津々のほうが嫌だけれど。
それに――――。
「はは……作戦、なんですね。そうですよね、はい」
「疲れた顔しているわね。そうだわ。私の膝、使う?」
「使いません」
「そう。そういえば、事前にこの周辺をネットで調べたら、休憩三時間で……」
「黒鉄さん! べつに私、身体は疲れていないですから! えっと、ほら、どこか行きましょうよ。もしかしなくても何か計画があるんじゃないですか?」
「ええ、まずは映画に行きましょう。上映中は無理に会話する必要がないのはありがたいわ。観賞後は自然と共通の話題ができるから、よく知らない相手でも話を続けられるのもいいわよね」
この人、一言も二言も多い。しかも嬉しそうに言ってくる。
「わ、わかりました。ちなみに今さっきまで何を読んでいたんです?」
「高校生の女の子が主人公の恋愛小説。余命宣告された幼馴染の男の子と恋愛するみたい。今のところ、奇跡的に助かる見込みはないわね」
「……誰かに勧められて?」
「ええ。ルームメイトが本好きで貸してくれたの。でも私にはこれ、合っていないみたい。読み通そうとは思っているわ。礼儀としてね」
アクトレスだから合っていないのか、黒鉄さんだから合っていないのかは考えないようにした。
演者を変えて毎年上映していそうな、流行りの恋愛映画を観終えると、既に正午過ぎとなっていた。
どうしてあんな展開で二時間も尺をとらないといけないのだろう。端折ったら、一時間で事足りる気がする。これには黒鉄さんも同意してくれた。
私たちは昼食をとることにした。映画館を出てすぐのところでその感想を延々と立ち話するのもあんまりだろう。
「この時間帯はどこも人が多いから、どこかのお店で何かテイクアウトして公園で食べる。それでいい?」
「そうしましょう、いい天気ですもんね」
近くに大きな自然公園があるのは知っていた。そこはそこで休日には人が大勢いるが、狭い空間でひしめき合うといった感じではない。
「アクトレスが休日に公園で食べるに相応しいものに心当たりってある?」
「いえ、ありませんね。無難にハンバーガーにしておきます?」
すぐそこにこの世界での有名チェーン店の看板があった。
「初デートでは多少なりとも値が張るお店の……」
「黒鉄さんはハンバーガー、嫌いですか?」
今更、デートらしさ云々と言われても面倒なので私は口を挟む。
「一度しか食べたことがないの。味は普通だったわ。想定内ね」
「へぇ、そうなんですね」
「前のトループで、一度だけ休日に街を散策したときのことよ。食べたことがないって言ったらなぜか納得されたのを覚えているわ。私をどこかの箱入りお嬢様だって本気で思っていた人もいた」
「まぁ、外見だけならそう思われてもしかたないような……」
「実際には、今はもう陥落した都市の孤児院育ちだというのに」
「私は知っていましたよ」
口にして、これはわざわざ言うことではないのではと省みた。黒鉄さんはわずかに驚いた顔をしてみせて「そうなの?」と訊いてくる。
「メノウから聞いていませんか? 私は黒鉄さんと同じ養成スクールの出身なんです。まぁ、この地域出身のアクトレスだと三人に一人はそうですが。年齢は近くてもマナクラスが違うので話したことありませんでしたけれど、黒鉄さんほどの有名人だと噂は耳に入ってきました。出自についても」
私の答えに黒鉄さんはしばし、じっと私を見つめて黙っていた。そうしてから小さく溜息をついた。
「私、七園さんに情報面でかなり後れをとっているみたい。そう、あなたもあそこの出身だったのね。確認しておけばよかったわ。もしかして私についてできる限りの情報収集は済んでいるの? デュオとしての意識はあなたのほうが高いのかもね」
今度は私が溜息をつく番だった。
「仮にそうでも、デートをするって発想はありませんでした。あの、黒鉄さん。もしよければ、私のことは風花って呼んでくれませんか。そして私はあなたを深月さんって呼ぶ。どうでしょう?」
「呼称によって何か変わるの?」
「ええ、変わりますとも。アクトレスのデュオとしてどうこうは知りませんが、私としては純粋に仲良くなりたい気持ちがありますから」
黒鉄さんは小首をかしげる。
「ああ、大丈夫です。そういうの、そちらが望んでいないのは察しています。でも……いえ、だからこそなのかな。なんか悔しくなっちゃって」
「よくわからないわ」
「早い話、私は黒鉄さんと戦術上のパートナーのみではなく、友人という関係なりたいんです。私の個人的な野望を叶える第一歩として」
「野望?」
「はい。私、戦うだけの兵器みたいな存在は御免ですから。どこにでもいる女の子として人生楽しみたいんです。戦って死ぬ瞬間に、日常を楽しんでおけばよかったなって後悔したくないんです。ええい、もらっていけよこの命、私は女優としてもただの女の子としても楽しんだんだぞ、こんちくしょうめ!って感じが、ある意味で理想ですかね」
黒鉄さんの顔は「よくわからないわ」のままだった。
私たちはハンバーガーショップで適当なメニュー、売れ筋と思しきハンバーガーにポテト、ドリンクを注文し、テイクアウトして公園へと歩いて向かった。
黒鉄さんは何か考え込んでいるようで、黙っている。それだけで絵になるのだから、私も下手に話しかけないでいた。
「ねぇ、風花」
おあつらえ向きの二人掛けベンチに腰を下ろすと、黒鉄さんはそう切り出した。
いきなり名前で呼んできた。さっきの要望は暗に却下されたものだと思っていたので面食らった。ハンバーガーを食べようとしている場合じゃない。
「な、なんでしょう」
「笑わないで聞いて」
「はい」
「私もね、普通を望んだことはあるわ。アクトレスとしての素質に目覚めていなかった、ただの孤児であった頃に。普通の暮らし、普通の家族、普通の友達、普通の……幸せ。それにアクトレス候補生になってからも何度か街を往く人たちを羨んだこともあった。でも……アクトレスになってからはそういうのなかったわ。そういう気持ち、なくしたのを気づいていなかった」
黒鉄さんは目の前に広がる芝生、そこで遊ぶ家族たちを眺めでもしながら話した。そして話に区切りをつけてから隣にいる私を一瞥して反応をうかがうのだった。
「全然笑えませんよ」
「いいえ、ここからよ。あのね、つまりこういうことなの」
彼女の視線が私に向く。
「私、今日のデートを本当にしたかったんだなって」
「へ?」
「よりよいデュオになるため、だなんて嘘っぱち。メノウがこの私なんかと親しくなれそうな子と引き合わせてくれて、それで今日は……普通を楽しみたかったんだと思う」
私は予想外の告白に、言葉を詰まらせた。
「そうは見えなかったでしょう? 笑っちゃうわよね」
そう言って微笑んだ黒鉄さんは綺麗だった。
月並みに何か花にでも喩えるのが馬鹿馬鹿しいほど綺麗で、見蕩れる。前世では画面越しでしかこういう美少女の微笑みを向けられない人生だったこともあり、くらりときてしまう。逸る鼓動を気取られないように私は、どうにか笑ってみせた。
「ええ、笑ってしまいます。同じ気持ちだったのにすれ違っていたなんて」
「そうね。ねぇ、もしよかったらお姉様って呼んでくれてもいいのよ?」
「今の話の流れでそうなりますかね。深月さんって呼びます。呼ばせてください」
「ふふ、よきにはからえ」
言動が怪しいが、彼女なりに高揚している証拠なのかな。
私は彼女の代わりにオーダーしたハンバーガーを彼女に渡す。紙袋から溢れてくる匂いは食欲をそそるが、可憐な女子二人のデートにはミスマッチだな、なんてことを思う。
食後、私たちはデート後半戦を自然体で楽しんだのだった。
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