第14話 プルーニング

 イバラヒメがシアター東部、六キロの地点で観測されたのは、私と深月さんがデートをしてから十日後の午後一時過ぎのことだった。


 観測課――システム管理課と並んで後方支援部の要――によってもたらされた情報は速やかに私たち、シアターに所属するアクトレスに共有された。

 

 およそ二カ月前に一ノ瀬隊を壊滅させたストレンジャー。

 しかしそれがどういった敵であるのかは、生存した私の証言しか手がかりがなかったこともあり、シアター側の警戒度はこの二カ月で低くなる一方だった。

 一部のアクトレスたちに至っては、本当にそんな新種のストレンジャーがいたのかと疑念を抱いていたという。その一方で鬼灯さんたちアステリアは通常任務をこなしながらイバラヒメの捜索を続行していたというのを私は個人的に知っていた。

 ストレンジャー全般がほとんど神出鬼没と言っていい「生物」であるから、探しても見つからない時は、あたかも世界に存在しないようなものだ。いつの日か、この世界からいなくなるのだろうか。オトハザシリーズが続く限り、その日は訪れないのだと思うと溜息が出る。プレイヤー側だったときは新作を望んでいたのに。


「所属アクトレス全員に、観測データをすぐさま公開とは思い切ったことをするわね。観測課にイバラヒメの捜索に躍起になっていた人がいたのかしら。過度に不安を煽りかねないと思うのだけれど」


 メノウが言う。イバラヒメの出現を教えてくれたのは彼女だった。深月さんと私が例の訓練室にて午後の訓練に臨もうとしていたところにやってきたのだ。傍には枢木さんもいる。

 

 当該ポイント付近で任務にあたっているアクトレスへの警告や一部任務の受発注中止など、イバラヒメの出現の情報共有によってシアターのアクトレスたちの動きにも変化があるだろう。

 仮にイバラヒメによる私たちの暮らす街への強襲が予想された場合には、住民の避難はもちろん、防衛隊と協力するアクトレス部隊の編成も必要だ。

 

「言っておくけど、元から二人とも討伐チームには編成されていないわよ」

「知っている」


 対イバラヒメの討伐編隊に関しては一度目の出現直後に話が持ち上がり、いくつかのトループに声がかかったというのは聞いている。その後、専用の訓練があったかどうかや月日が経過して解散したかまでは知らないけれど。


「なによこれ……本当にストレンジャーなの?」


 私とメノウのやりとりにかまわず、深月さんは端末を取り出して、私よりも先に、観測課が公開したというイバラヒメのデータを参照しているようだった。私は自分の端末を操作するのが億劫に感じて、深月さんの端末を覗き込む。


「嘘……成長している?」


 保護区の外、物資の輸送経路付近を重点的にであるが十キロ圏内を定期的に巡回している観測ドローンの一機が撮影した画像数枚。そこに写っていたイバラヒメの姿は、周りの地形と比較すると、あの時よりも大きくなっているのがわかった。

 ただ単にサイズを増したのではなくその歪な果実は青白く変色している。蔓や茨は、ところどころ不思議な色合いの花を咲かせており、夥しい数のガラスの蝶が周りを飛び交っている。

 あの日よりも、いっそう幻想的で神々しさのある怪物と化しているのだった。


「感知されたマナ濃度から推定されている危険度は、大型ストレンジャーの中でもトップクラス。たとえ戦闘に長けていない種であっても、こいつが保護区の内側まで到達すれば、撃破した際に一般人の身体が耐えられないレベルのマナをまき散らす恐れは十分にある、か。……風花、大丈夫?」


 私は深月さんの言葉に首を横に振ると、画面から目を逸らして深呼吸した。


「そして七園風花の証言では、戦闘が苦手などころかその蔓や茨はいとも容易くアクトレスを切り裂くわけね。イバラヒメにとっては戦いというより遊びみたいに」

「メノウ、風花を刺激しないで」


 深月さんがメノウを睨みつける。


「あら、いつの間にかずいぶんと仲良くなっているのね」

「雨晴さんが知らないだけで二人はもうしっぽりとした仲なんですよぉ!」

「枢木さんは黙っていて。……それであんたはどうしてここに? 私が飛び出さないように見張りでもしにきたの?」


 遅かれ早かれ端末をチェックすればイバラヒメの件は知る。だからメノウがそれだけを教えに私たちのもとには来ない。


「そのとおり、大切な被検体だもの……と冗談はおいておきましょう。そう怖い顔をしないで。イバラヒメとは別件よ。ハルモニアのアップグレードをしにきたの」

「アップグレード?」

「ええ。これまでの戦闘データを基に、あなたの特異なマナをより効率的に運用できる目処が立ったのよ。マナの総量の低さにはあなた自身も困っているでしょ? 深月はスタミナお化けみたいなアクトレスだもの。長期戦になるとデュオとしての連携が難しくなるのは予想していた課題の一つね」

「それは……否定しないけれど」


 深月さんとの実戦を重ねていけば嫌でもわかる。自分と彼女のマナの差が。それがもどかしくなっていたのは事実だ。


「えっとぉ、そういうわけで訓練は一旦やめて、七園ちゃんはハルモニアを雨晴さんにあずけて、デュオ二人でまったりイチャイチャ……って提案しようと思っていたんだけれどねぇ」


 枢木さんが気まずそうに言う。

 イバラヒメが出現したとなれば、落ち着けない。この不安を深月さんが忘れさせてくれる、なんていう展開も想像し難い。日を追うごとに友人同士らしい関係性を築いているが、彼女が人を励ましたり慰めたりは向いていないのはわかる。

 いやいや、彼女を悪く言うつもりはないのだ。これは私の問題だ。下手に彼女に甘えるわけにはいかない。


「今のところイバラヒメの移動速度はかなり緩やかで、ここを目的地に動いているふうでもないわ。とはいえ、警戒するに越したことはない。だからシアター側としてはまずは腕利きの偵察部隊を編成して向かわせるでしょうね。もしかすると既に出撃したかもしれないわ」

「無事に帰ってきてくれればいいけれど……」

「SR保有者が一名しかいなくとも、十二分にこのシアターで有力なトループだった一ノ瀬隊。それを壊滅させた相手に対し、シアター側が半端なアクトレスを派遣するとは思えないわ。だから安心なさいとは言わないけれど、七園風花、あなたが気に病んでも仕方がないことよ」

「……そうね」

 

 淡々とメノウは。私を安心させるつもりはない――――表面上はそうなのに、その言葉の裏側に優しさを見出そうとする自分が憎かった。そんなことない、こいつはマッドサイエンティストなんだと思い直す。

 誰か一人、自分よりも大人である彼女に不満を募らせていないと、どこか冷静でいられないひねくれた子供じみた私がいるのだった。




 端末でこれまでの観測情報を参照すると、既知の大型ストレンジャーであれば月に二度、三度は五キロ圏内に出現しているらしかった。でもイバラヒメがそれらと同等に扱っていいストレンジャーでないのは一目瞭然だろう。


 ゲームだったら、素材・報酬を求めて短期間に何度も何度も大型ストレンジャーたちを討伐しに出撃するよね。よく考えずとも、とんでもないなそれ。


「深月さん……ありがとうございます」

「お茶に一杯付き合うだけで感謝される仲じゃないでしょう?」

「あ、いや、そうなのですが」


 私がメノウにハルモニアをあずけたことで、仮想空間を試用しての訓練は中止となった。そして他の訓練もしないことに話がまとまり解散となったのだ。

 てっきり、深月さんは私を置いてさっさと部屋に戻りでもするかと思いきや、私をカフェテリアに誘ってくれた。


 しかも研究棟傍の第二食堂のほうではなく、第一食堂としてほとんどのアクトレスが日頃から利用しているほうである。

 見知らぬアクトレスが何人もいる。イバラヒメの通達を彼女たちはどう感じたのだろう。浮かない顔をしている子もいれば、まったく気に留めていない様子の子もいる。大規模な作戦が展開されない限りは、彼女たちはこれまで同じように過ごしていくのだろう。小型・中型のストレンジャー相手でも命懸けには相違ないが、やがてそれに慣れてくると彼女たちの中ではストレンジャー退治は日常の一部となっていくのだ。

 

 ちらちらと。

 私たちには好奇の視線が少なからず向けられている。黒鉄さんが有名人であり、しかもいつもは一人であることが多いのに今日は見知らぬアクトレスがいっしょにいるからだ。それとも、彼女たちは私が一ノ瀬隊にたった一日いた、悪い意味で幻の隊員であるのを知っているのかな。


「ここ、よろしいですか?」


 見知らぬ少女が、私と深月さんが向かい合って座っている四人用の丸テーブルへとやってくると声をかけてきた。手に持ったトレイの上にドーナツとドリンク。


 スカーレットカラーの髪を短めのツーサイドアップにしていて、顔立ちはアジア系ではなくヨーロピアン。メタ的なことを言えば、私を含めてこのシアターにいるアクトレスたちの多くがそうだが。私よりは年上だと思われるが、せいぜいが十六から十八。背筋がしゃんとしていて、ついでに言えば服の上からでもその胸の隆起が人並み以上なのが確かにわかる。


「風花、貴女の知り合い?」

「まさか」


 私に生きているアクトレスの知り合いは深月さんと鬼灯さんしかいない。厳密には七園風花として、同じ養成スクールの卒業生が何人か記憶にあるが友人と呼べないし、知り合いと呼ぶのも難しい間柄だ。そして今、目の前にいる少女は該当しない。


「そう。……申し訳ないけれど、他をあたって。席なら空いているでしょう? 今、私はこの子との二人きりの時間を大切にしたいの」

「ちょっ、な、なに言っているんですか!」


 いらぬ誤解を招くような、枢木さんがいたら奇天烈な矯声をあげるような言い回しをする深月さんに私は焦る。一方で、深月さんに同席を断られた少女はまったく物怖じせずに私を見てきた。


「七園風花さんですよね。私は六条アイラとルームメイトだったクラウディア・ヴァイトリングです」

「えっ……」

「同席させてくださいませんか?」


 クラウディアさんが微笑む。深月さんが私に説明を求める眼差しを送ってきている。私が「深月さん、いいですか」と訊ねると「わかったわ」と席を立ちあがろうとした。


「差し支えなければ、黒鉄さんもいてください。おふたりに話がありますから」


 やはり微笑んだままで、しかし有無を言わせぬ圧をクラウディアさんがかけてくる。私としても同様のことをクラウディアさんに申し出るつもりだった。あの日のことを訊かれるにしても、深月さんには話しておいてもいいと思えたし、むしろアイラさんのルームメイトだった人と二人きりにされるのは、正直、気まずさしかなかったのだ。

 

「話って?」


 座り直した深月さんは冷ややかなトーンでクラウディアさんに言う。それを同意と捉えた彼女がトレイを音を殺してテーブルに置き、椅子にゆっくりと腰かけた。


「どうやら順を追って話すより、先に核心部分を話すべきみたいですね」

「ええ、そうしてちょうだい」

「……お、お願いします」


 クラウディアさんは私たちを交互に眺め、彼女自身の胸に手を当てた。


「私たちでトループを結成しませんか?」

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