第8話 ハルモニア
一ノ瀬隊が解散となったことから、私はトループ無所属のフリーアクトレスとなった。私の扱いは、表向きは雨晴研究室の協力の下で療養中だ。
けれども実際には、身体機能は全快済みである。埋め込まれたストレンジャーの細胞の力によって。
メノウと私を除き、この件を知っているのはオペを担当したアクトレス専門医とそれを手伝った数名、それからシアター上層部にいるというメノウの協力者。「彼女たちとは健全な関係よ、とてもね」とメノウは私に言っていたが、詳しく教えるつもりはないようだった。
退院後は当面、メノウが作成したリハビリテーション・プランに沿って日々を送ることとなった。メノウの研究室には彼女以外のスタッフは二人しか配属されておらず、助手というより使い走りになっている人ともう一人はメノウ曰く上層部から送り込まれた監視役だった。
私は療養していることになっているため、なるべく人目を避けての訓練や食事をしなければならない。シアター内には五十名弱が一度に利用できる食堂があるそうだが、私はまだそこへ行くことが許されていない。
リハビリというよりも、
「そもそも、このシアターのアクトレス在籍数ってどれほどなんですか」
私は与えられた自分一人の部屋――それはアクトレスとして登録を果たしたあの日から住むことになっていた部屋とは別だ。そちらは他のアクトレスと相部屋だったと聞く――で、夕食をとりながら
彼女がメノウの研究室所属の例の助手兼使い走りであり、今は私の世話役も兼任している二十歳の女性だ。栗色の髪を短く切り揃えていて、やや垂れ目である以外は顔にこれといって特徴はない。ただし、例にもれず美人だ。今まさに食べている具の少ないクリームシチューも彼女の手作りだった。
「今更な質問だねぇ」
「周囲に興味を持つ余裕がなかったんです」
「それもそうだねぇ」
おっとりとした口調で返してくる。メノウと比べると毒気がないのはいいけれど、どうも会話がゆったりしすぎる傾向がある。前向きに考えると、今の私に必要な穏やかさなのかもしれない。
「七園ちゃんが持っている端末でシアターの情報は把握できると思うよぉ。とくに制限ってかけられていないはずだから。でも、ダメだよぉ、自分の正体を掲示板にでも書き込んで吹聴する真似は」
正体、ね。
身体にストレンジャー混ざっていますって、そんなの言えないよね。冗談にしてはたちが悪く、冗談でないのだからもっと悪い。
「しませんよ。どうしてわざわざ敵を作らないといけないんですか」
「だよねぇ」
私は行儀が悪いかなと思いつつもシチューを食べつつ、端末を操作した。たしかにシアターの基本情報は誰でも参照でき、アクトレスであればもう少し詳しく知ることができるようだった。ここ一週間は意識的に暇な時間を作らないように生活していたから、こうやって前世で言うところのスマホいじりって全然していなかったな。
「へぇ……六十人ちょっともいるんですね。そのうちトループ無所属はたったの五人かぁ。三人だけのトループもあるんだ」
「どこのシアターでもアクトレスの生存率をあげるためにチームワークを強く推奨しているよぉ。精鋭ソロを集めていることで有名なシアターも世界にはあるけど、それは例外的存在だねぇ」
オトハザシリーズを紐解けば、個人としての戦力がまさしく一騎当千と称されるレベルのアクトレスもいたが、私が今いる時代においてはそれほどのアクトレスはいないようだ。主人公である鬼灯未理がそうした存在となる可能性はあるかな。
私は端末上で、アクトレスの大まかなプロフィールリストから鬼灯さんを検索してみる。本人たちが公開に同意している程度のデータしか掲載されていないが、年齢や所属トループは判明した。私の一つ上で十六歳、そして所属トループは「アストレア」か。意味はわからないが主人公っぽい語感だ。
「ところで七園ちゃん。私からも聞きたいことがあるんだけどぉ、いいかな?」
「え、なんですか」
私は一旦、端末を操作するのをやめて枢木さんを見た。いつもどおり彼女も私と食事を共にしている。
「雨晴さんと会えなくて寂しい?」
「は?」
メノウと最後に直接会ったのは退院日だ。それから一週間会っていない。端末を使った短いビデオ通話を数度してはいる。メノウの研究の細部は知らないが、どうやら工房チームとも関係が深く、個々のアクトレスに最適な《
しかもそちらの方面ではそれなりの信頼があるので、シアターの多くの人間にとってはマッドサイエンティストとは思われていないのが実状だった。
で、そんな彼女と会えずに私が寂しがっているかと言えばノーだ。
「いきなりなに言い出すんですか」
「だってねぇ、雨晴さん言っていたよぉ。七園ちゃんは『責任とってください』って詰め寄ったんでしょう? しかも誓いの口付けもしたって。きゃぁー」
きゃあじゃない。ううむ、ひょっとして枢木さんはあれか、オトハザシリーズで言えばプレイヤーの代弁者みたいな存在なのだろうか。女の子同士の絡みを見て、黄色い声をあげるタイプの。
「微塵も寂しがっていませんよ。そういえば……あのおかしなキスは、彼女の
「おおー、やっぱりしたんだねぇ。そうだよぉ、私は話にしか聞いたことないけど」
SR。それは言ってしまえば他ゲームでのスキルに相当する。
アクトレス全員が所持しているわけではなく、マナクラスが上位であるほどに所持率の高いものだ。過去作を参考にすると、身体強化系や敵味方への感応系がある。しかしキスというのは、正直、品位に欠いている気がする。戦場では使いづらいし。
「あ、心配しないでぇ。そんなに使い勝手がよくないから、誰にでもかまわずしているものじゃないって言っていたよぉ。鎮静効果に加え、相手を一時的に麻痺させるSRだけれど、そうさせたい相手がキスを簡単に受け入れることってまずないし」
「……そうですね」
べつに私だってあの時、甘んじてキスを受け入れたわけではない。想定外のアクションに対応できなかったというだけだ。うわ、思い出すとけっこう恥ずかしい。
「ふふふ、これは秘密にしておいてって言われたんだけどねぇ、明日の昼頃に雨晴さんが七園ちゃんに会いに来るからねぇ」
「ただ会いに来るのに秘密も何もないでしょう? 目的は何ですか。作用の検証不十分な薬品投与じゃないでしょうね」
「ちがう、ちがうよぉ。素敵なプレゼントがあるんだってぇ」
にこにことする枢木さん。そのプレゼントが何であるかまでは彼女も知らされていないようだった。なんだそれ。ろくでもないものでしかないと思う。
「そう拗ねないでよ、七園ちゃん」
「拗ねていないです。あの、枢木さんはあの人に弱味を握られでもしているんですか。少なくとも今している業務は枢木さんが研究室で望んでいるものではないですよね?」
「えぇ~? そんなことないって。どうせ殺処分するモルモットより、可愛い七園ちゃんのお世話のほうが好きだよぉ」
「…………」
「冗談、冗談」
結局、枢木さんがメノウの助手をしている経緯はわからなかったが、もしかするとこの人はこの人で頭のネジが何本かぶっ飛んでいる人なのかもしれない。
枢木さんが言ったとおり、メノウは翌日の昼過ぎ、私が戦闘訓練をしている時にふらりとやってきていた。
ちなみにアクトレスの戦闘訓練は大きく分けて三種類。
なんてことない、その一つは運動部の基礎練習めいたものだ。筋力トレーニングや持久走、それから《神託》の素振り等々。
二種類目はマナコントロールのトレーニング。絵面としてはストレッチやヨガと大差なく、特殊な器具を使うこともないので地味だ。今のところ私のマナの質と量は負傷前と比較すると変化した実感がまるでない。
本音を明かせば、期待していた節はあった。ストレンジャーの細胞移植によって特級のマナクラスに覚醒して、あの忌々しいイバラヒメを難なく駆逐してやれるアクトレスになるのを。しかし物事はそう進んでいないみたいだ。
そして三種類目は仮想空間での訓練。出現する仮想ストレンジャーを相手に戦う。ずいぶんとハイテクノロジーだが、どういう仕組みになっているのか、毎回セッティングしてくれる枢木さんもよくわかっていない。これはそういうものなんだと、深く考えないことにした。ゲームでは「過去に倒した敵と仮想空間で再戦する」というのはよくあるシステムだもんね。
「いい動きしているじゃない」
仮想空間での訓練が一区切りついて元の状態の部屋になってから、メノウが私にそう言って近づいてきた。
「……所詮は偽物だから。それに本物であっても、普通の獣モデルのストレンジャー相手だったら怯みはしないと思う」
「ふふ、冷静な分析ね。知由、例のブツが部屋の前にあるから持ってきて」
「はぁい」
枢木さんが嬉々として答え、その場を離れる。
「今日は白衣じゃないのね」
「ええ、ここは病棟じゃないもの」
メノウは黒を基調としたオフショルダーのワンピースドレスを纏っていた。スカートは丈こそ長いが、深くスリットが入っている。もともと持っている雰囲気と相まって色香をまき散らしている。夜の蝶という言葉が浮かんで、いやいやと打ち消した。
「そういうあなたこそ、新しい制服でしょう? どう、着心地は?」
「見かけよりちゃんと機能性がある」
新しいと言ってもあの日与えられた制服と同型だ。その日のうちにボロボロになってしまったゆえに、新品を再び無償で支給されたに過ぎない。アクトレスとなれば暮らすのに必要な物品は購入費用はシアター持ちで、その他の娯楽用品は毎月振り込まれる給与を使って買えばいい。
「訓練時の詳細なデータは、毎日確認しているわ」
「あんたからすると、特別な力に目覚めてはいなさそうで残念?」
「あら、耐久力はまだ測定しないでしょう」
「……する気なの?」
「可能性の一例を挙げただけよ。SRの中には身体の回復能力を一時的に超常的レベルまで引き上げ、短時間で怪我を治療するものもあるわよね。そうした能力をひょっとするとあなたは手に入れたかもしれない」
「他には?」
「さあ。でも、あなたが気づいていないことで私が気づいたことがあったわ。それで私はあなたのためにアレを用意したの」
メノウが指差したのは枢木さんがはぁはぁと息を切らしながら運んできた大きな箱だった。棺を思わせるそれを私は三週間ほど前にも目にしている。
「私の《神託》?」
「そのとおり、特注品よ」
退院した日にメノウから「あなたに合ったものを製造する気だから」と言われていたのを思い出す。これまでは訓練用の《神託》、やはりロンブレイドタイプのそれを使っていた私だった。
さっそく棺を開き、中に納められたそれを検分する。奇抜な形状の代物かと身構えて開いたものの、入っていたのは一見すると普通のロングレブレイドだった。よくよく見れば、付属しているパーツは、例の大破したものと異なる。
カラーリングは白と黒。可愛くはないが上品で楽器や美術品のような趣がある。これが異形の怪物を討つための武器なのは揺るぎない事実であるが、そこにある美は認めざるを得ない。オトハザシリーズのコアなファンの中には推しアクトレスの《神託》を等身大で手作りしている猛者もいたっけ。
「何か通常とは違う仕様があるの?」
「ええ。先に説明しておくわね。じゃないと、敬語もやめたうえにツンツンしているあなたは契約してくれないだろうから」
「わぁ。雨晴さん、愉しそうだねぇ」
そう言う枢木さんもである。
メノウは脇に抱えていたタブレットを操作し、その画面を私に示す。目の前にあるロンブレイドの画像と文字列がびっしりと表示されている。日本語じゃないし。
「《神託》に関する基礎構造学や応用制御工学の知識はどれぐらいあるかしら」
「要点だけ話してもらえると非常に助かる」
「ええ、わかったわ。まずこの《神託》の名前はハルモニア。何をどう調和するかというと、あなたのマナに微弱ながら観測された特異な波動とストレンジャーの体表から発される波動なのよ」
「波動と言われても」
本来は科学的な用語であっても、どことなくスピリチュアルな響きだ。
「うーん……ようするに今のあなたのマナには、対ストレンジャー戦略においてこれまでにないアプローチができる素質が備わっているわけ」
「それってたとえば、私のマナを纏った《神託》は他の人のマナを纏ったそれと比べて、何倍もの攻撃力があるといった素質?」
「殺傷能力を数値化した場合の倍率で考えるのはナンセンスね。でも敢えて答えるなら、現状、それほどの効果をあげられる見込みは薄いわ」
メノウが言うには、これはロングブレイドであってロングブレイドではない、新タイプの《神託》であるとみなしてくれたほうがいいとのことだった。
「さぁ、契約しなさい。拒絶反応は極めて小さいはずよ。それで契約の後は、出発の準備をするの」
「え?」
「保護区の外に行くのよ。性能は実戦で検証するものだわ。あなたのアクトレスとしての資質についてもね。がっかりさせないでよ、私の可愛い子猫ちゃん」
メノウがウィンクする。
枢木さんが「きゃぁ」と歓声をあげる。「子猫」ではなく「モルモット」ではないかと疑いの眼差しを向けたが、たとえそれをそのまま口に出しても「そうとも言えるわね」と返されるだけなんだろうな。
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