第7話 ディザスター
およそ百年前に突如現れ、人類を強襲しはじめたストレンジャー。
既存兵器では歯が立たず、増殖する一途を辿る中で少女たちが人間離れした能力を開花させた。
最初期に覚醒して数多の命を救ったと語り継がれる、伝説的な異能少女。彼女は後に『災禍の晩秋』と名付けられた決戦前に公の場で自身の夢を明かした。彼女がまだどこにでもいる少女であった頃の夢だ。「ドラマや映画、ドキュメンタリーでもバラエティーにでも引っ張りだこな女優さん」と笑顔で話したそうだ。
そしてそれが対ストレンジャーの最高戦力である少女たち、アクトレスの語源となったのだ。
当の彼女はその決戦から戻ってくることはできなかった。
「残念ながら、適合者はあなた一人だけなの」
メノウさんが露骨に肩を落としてみせる。私は完治したに等しい拳を握り、彼女を睨みつけた。
「春香さんたちにも奴らの細胞移植を試みたんですか」
「そんな顔しないでほしいわ。誤解よ、誤解。あなた自身が話したとおり、支援部隊が駆けつけた時点であなた以外の一ノ瀬隊のアクトレスたちは死んでいた。救命の希望が持ちようない有様でね。そう聞いているわ」
「……」
「シアター内のシステム管理本部が、彼女たちの制御輪から定期的に受信しているバイタルシグナルが通常のシグナルごといっぺんにロストしたのを捉えたのよ。当然、緊急事態と判断。それで状況把握のために現場にトループを複数送り込んだわけ。他でもなくあなたの制御輪からのシグナルを頼りにね」
「そこまでは聞きました」
「あら、そう。支援隊が到着時、あなたたちが対峙したストレンジャーはその場を去っていて、今なお見つかっていないというのは?」
私は肯く。それも知っている。
三日前のことだ。シアターの非アクトレス職員たちがこの部屋に来て、そのとき既に話せるほどに回復していた私から事情を聴取したのだ。一ノ瀬隊の壊滅ぶりから、私の話を彼らは疑わなかった。新種でかつ強力なストレンジャーでもなければ、一ノ瀬隊があんな死に方をしないと察したのだ。
職員たちには、先ほどメノウさんに説明したような死に様を詳らかに話せなかった私だ。まだそうするには心が事態に追いついていなかったから。
「あなたの話を参考に当該の植物型ストレンジャーはイバラヒメと名付けられたわ」
いばら姫。
なんと安直を通り越して愚かなネーミングセンスだ。何が姫だ。ふざけないでほしい。あんなのは……災厄そのものではないか。
「シアター関係者にはすぐに情報共有がなされたわ。ひょっとするともう外部に漏洩されているかもしれないわね」
「一般市民にとっての新たな脅威として、ゴシップ記者が紹介でもするんですか」
「どうかしらね。綺麗な女の子たちばかりの一ノ瀬隊にはシアター外にも『ファン』がけっこういたそうだから、いい記事になるんじゃない?」
「あの、雨晴さん」
「なに?」
「私を逆撫でするのはよしてください。たった一日、いいえ、数時間の付き合いだったとしても彼女たちが立派なアクトレスで、そして同時に戦いに否応なしに巻き込まれた女の子たちなのを理解しているつもりです」
「ごめんなさいね。なぜか性悪ってよく言われるの。まいっちゃうわよね」
周囲の人間が、だ。
「……話を戻しますが、ストレンジャーの細胞移植を受けて生存しているのは私だけなんですか」
「ええ、そうよ。安心して、と言っても信じられないだろうけれど、容態はかなり安定しているわ。それに移植と言っても研究室で保管していたものをそのまま使ったわけでもない。あと、身体の大部分は人間そのままよ?」
私はやれやれと首を軽く横に振ると、溜息をついた。
「これまでにも被験体はいたんでしょう? 彼女たちがどんな代償を負うことになり、結果としてどれぐらい生きたか今すぐ教えてください。今すぐこの場で、です」
また意味もなく眼鏡の鼻あてに指を添えて、位置調整してからメノウさんは「それも誤解だわ」と言った。
「つまり?」
「あらゆる神に誓うけれど、これまでの施術はすべて、十日前のあなたのように瀕死に等しいアクトレスにのみ行われたわ。そして息を吹き返して、こうも早い回復を見せたのはあなただけなのよ、七園風花」
「嘘だっ! それはあなたが関わった実験に限定しての話なんでしょう!? この百年間、裏で同様の実験が行われていないほうが不自然です!」
事実、オトハザシリーズの過去作ではその一部が明るみになったのだ。
人類の憎き敵の細胞、そのおかげで自分が、自分だけがこうして生きている事実に、今一度思いをはせた。
異形の怪物たちと殺し合いを続けているうちに自身も怪物と変わらない生き物となる。この手の展開は創作物としてはありふれている。毒を以て毒を制すというのは肯定的な見方で、怪物を増やしているのだから本末転倒とも言えなくない。
いざ当事者になってみて、どれだけ惨いことか思い知る。パワーアップしたのだと割り切れるのなら、それはもう人としての矜持を、そしてアクトレスとしの誇りを失っている。
私は今、何者でこれからどうなるのか、もしも暴走でもしたら誰にどう「処分」されるのか。考えただけで身の毛がよだつ。
「落ち着きなさい。あなたの目には私がどう見えているの? 私は何百年も生きる魔女ではないし、ストレンジャー研究者としてまだ大した功績をあげられていないわ。このシアターお抱えの研究員に、コネでなったの。他の研究機関が過去に裏で行ってきたあれこれがあったとしても、それを私はほとんど知らないわ。特殊蘇生措置の認可だって本当は……」
込み上げてくるのがわかった。ふつふつと。マグマめいた感情が。
落ち着いてなんていられない。半分は八つ当たりだ。今になって自分の無力さが、見ていることしかできなかったあの日の惨劇が、大好きなゲームシリーズに転生したことでどこか浮き立っていた恥ずべき態度が、何もかも、そうだ、すべて嫌になったのだ。怒りと悲しみをぶちまけたくなった。
「黙れっ、あんたなんかに――――んっ!?」
やみくもに暴れはじめる私をメノウさんがその華奢な両腕で抑え込もうとした。
そう思った。抑え込んで説き伏せるのだと。
しかし実際には、彼女は強引に私の唇を奪ってきたのだ、彼女自身の唇で。
「んっ!?」
そして舌まで入れてくる。私はそれを噛み千切ることができずにいる。
頭がじんじんと麻痺してくる心地がする。おかしい。異様だ。美人からの突然のキスに快感を抱いているのではない。まさか……毒?
たっぷり三十秒、あるいはもっとしてから、彼女がその唇を私の口許から離す頃には全身に力が入らなくなっていた。
「はぁ。久しぶりよ、これ使ったの。あなたで三人目。ってどうでもいいわね。また明日か明後日にでも来るわ。それまでに頭を冷やしておきなさい。私はあなたと、これからを話したいのだから」
私は頭を痺れさせたまま、彼女の退室をぼんやりと見送るしかなかった。
メノウさんとの二度目のやりとりを終え、七園風花としてのファーストキスを奪われたその日の夜。消灯済みの部屋で私は仰向けに寝て、天井を眺めていた。もうとっくに暗闇に目が慣れている。
これから、か。
あのオーガラットンの群れを皆で仕留め、初日にして私は彼女たちの仲間として認められた気持ちがあった。
アクトレスとしての日々が始まっていくんだ、という不安混じりの期待感。命がけで戦うことも彼女たちといっしょなら乗り越えていけるかもしれないと思えた。七園風花としての意識としっかり折り合いをつけて、両親の仇であり人類の敵であるストレンジャーたちを狩っていく決心がつきそうだった。
一ノ瀬隊が大事にしているという非戦闘時の「日常」を私も楽しめるんだって。これまではプレイヤーとして見ているだけだった少女たちの美しくも儚く、でも強かでもある日々に一人の役者として加わるんだって……。
ふと、妄想する。
幼馴染同士だという、一ノ瀬春香さんと二上小夏さんはどんな思い出を分かち合っていたんだろう。憎まれ口を叩きつつ、春香さんを信頼する小夏さんはどんな想いを抱いて春香さんの隣に立ち、春香さんはそれにどんな想いで応えていたんだろう。
同じ養成機関を卒業して編入してきた親友同士の三澤秋奈さんと四倉冬子さん。
一見するとおっとり世話焼き系だけれど、実は所属するコミュニティに重い感情を募らせる秋奈さん。マイペースで人見知り、秋奈さんに黙って頬をつかれながら満更でもない様子だった冬子さん。二人はどんな日常を送ってきて、これからはどんな関係を築いていくはずだったのだろう。
春香さんにただならぬ想いを抱いている、そんな振る舞いをみせてくれた五条実花さん。私とは言葉を交わさずじまいだ。あのお嬢様口調が本物なのか、ふりなのかも知らずじまい。
六条アイラさんに至ってはイングランド出身であることしか知らない。苗字からしてどちらかの親がもともとは日本人なのだと思うが、推測止まりで確定できない。
六人ともが美しい少女だった。
紛れもなく彼女たちはアクトレスだった。
その輪に私が加わって、何か新しいことが起こり、新たな日常が待っているはずだった。それなのに――――。
こんなのってないよ。
夜通し悲嘆するのは御免と思い、目を瞑った。
その矢先に、ある名前を思い出す。
鬼灯さん。たしかフルネームで
イバラヒメが特異なストレンジャーであるのは明白で、そして植物型である。このことと、植物からとられている苗字のヒロイン。
あの怪物は鬼灯さんたち主人公パーティーが戦い、打ち破る障害すなわちイベントボスなのではないか。これはこの世界がゲームの筋書きどおりに進んでいる前提での思考だった。
「じゃあ、私たちは……ストーリー上の犠牲者ってことなのかな、ははは……」
渇いた笑い声が部屋に虚しく響いた。
宣言通りに雨晴メノウは翌々日に病室にやってきた。もう敬称いらないよね、この人には。
私の視線はつい彼女の唇に向かう。思えば、前世でだってまともにキスをしたことがなかった私だ。厳密にはゼロではないが……とにかくああいう舌まで入れられた経験はなかった。
ううん、日を跨いで恥ずかしがっている場合ではないよね。
「ノックぐらいしてくださいよ」
「入ってこないで、じゃないの?」
いやらしい笑みをこぼしてメノウが言う。
「一日置いて、冷静さを取り戻したんです。私がここを出て生きるためにはあなたと話す必要があるって」
「あら、この部屋から出してもらえていないの? 下半身がまだ治療中と言っても、車椅子が使えるでしょう?」
メノウは一昨日とは違い、ベッドではなく丸椅子に座る。しかも位置を少しベッドから離して。
「けれど外には出して貰えていない。これは安全上の都合だけではないはず」
「へぇ。考えすぎだと思うわよ、それ。まぁ、遠くに逃げられて困るのは事実だけれど。さて……一昨日の続きといきましょうか。質問していいわよ」
「あなたは私がアクトレスに復帰するのを望んでいるのですか」
「無論よ。戦闘データがほしいもの」
厚顔無恥とはこのことか。メノウは清々しく言ってのけた。
「けれど懸念があるわね。メンタル面に」
「……それは、戦場に対するトラウマということですか」
メノウが失笑する。
「まるで他人事みたいに言うのね。ええ、そうよ。あなたのリハビリを進めて、やっと実戦に向かわせたら一歩も動けないどころか蹲ってしまった、なんてオチも予想されるわ。自分ではどう思う?」
「わかりません」
私もまたきっぱりとそう返した。
「ねぇ、私からも質問していい?」
「なんですか」
「私がどう望んでいるかより、あなたがどう望んでいるかが大切なのよ。つまり聞きたいのは、あなたがまだストレンジャーと戦いたいと欲してるかどうか。それが彼女たちの敵討ちという動機だとしてもね」
私は深呼吸した。
この人と話す際にはそうやって理性的であるのを心掛けるべきなのだ。
「私は……彼女たちの死を背負うには付き合いが短く、そんな資格がないと揶揄されてもおかしくない立場です」
「そうね」
「でもっ! アクトレスになった初日にああも無念な場に身を置き、そして狂人の手によって復活を果たした事実を、ある種の運命として受け入れたいと思うんです。私に課せられた宿命と言ってもいい」
「うーん、そうねぇ、狂人は褒め言葉として受け取っておくとして。なんだか全体的に回りくどいわね。簡潔に言ってほしいわ」
ぶん殴ってやろうかな、この人。
落ち着け、私の敵はこいつじゃない。
「私は戦います」
「おぉ」
「それに彼女たちが願った日常も享受する。欲張りなんです、私は。この世界で、たとえ主人公でなくてもひとりのアクトレスとして生き抜いてみせる。そうしたい。だから、雨晴博士。責任とってください」
「ん? 責任?」
「そう。私を全力をサポートして。あらゆる面で。それがあなたが私を生かした責任。ここでそれを誓ってくれないなら……」
「私を殺してあなたも死ぬ?」
私がこくりと肯くと、彼女は声をあげて笑った。
「いやぁ、一昨日に別れた時はどうなるかと思ったけれど、こうなるとは。これはリハビリプランを練り直さないといけないわね」
そう言って彼女は立ち上がると私にゆらりと近づき、頬にキスしてきた。ディープではないソフトな。
「今のは親愛の証」
「……そういうのはいらない」
「もっと話したいけれど今日はこの後、立て込んでいるの。追って伝達するわ。あなたが再び舞台に立つために必要なことを全部ね」
メノウは飄々とした態度のまま、病室を出ていった。
彼女との三度目のやりとりはこうして終わった。
その数日後、私は正式に退院してシアターの一室を私室としてあてがわれたのだった。
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