第10話 ヒロイックキュート

 ハルモニアを使って初の実戦に臨んだその翌日、私は朝食を済ませてから待ち合わせ場所へと赴いた。

 

 私や枢木さん、それにメノウの住居スペースがあるのは、シアター内でも研究棟と呼ばれるエリアであり、アクトレスたちが暮らす寮や、トループ・ロビーが集まっている建物とは別だ。ちなみにこれまで枢木さんの手配で私が仮想空間での訓練をしてきた部屋もまた研究棟の一室であるが、そこは通常のアクトレスが使用する部屋ではない。


「ここでいいんだよね……?」

 

 待ち合わせ場所として設定されたのは、研究棟から出て一、二分歩いたところにある平屋の建物で、中は小規模のカフェテリアになっていた。

 研究棟の内装と違ってこちらは洒落ている。何枚かの西洋絵画にエスニックな置物、静かに流れるBGM。枢木さんが言うには、第二食堂として扱われている施設だ。普段はアクトレスではない研究員の溜まり場になっているのだとか。

 たしかに午前九時現在、座席についている人たちの恰好はアクトレス制服ではなかった。


 その空間に一人だけアクトレス制服を着こんで座っている少女がいた。正確には私も着ているのだから二人きりと言うべきか。

 少女は私を見つけるてぱっと笑顔を咲かせかと思えば、ぶんぶんと首を横に振ると真面目な顔つきになった。そして立ち上がり、小走りで私に近づいてきた。


「あなたが一ノ瀬隊の……」

「はい、七園風花です。ええと、鬼灯未理ほおずきみりさんですよね?」


 やや小柄で、セミロングの髪はライトブラウン。そして前世の私がイラストとして目にしたのと同じく、あるいはあのとき小夏さんが教えてくれたように、左目だけ淡い橙色をしている。オッドアイ。前世でもカラコンをしている人を見かけることはあったが、こうして天然物とに出くわしたのは初めてだった。

 

 異彩を放つとはまさにこのことかと感心する。春香さんから感じ取ったカリスマとは別のオーラ、言わば主人公オーラをこの少女は纏っている。


「そ、そんなにじっと見られると照れちゃうなぁ、あはは……」

 

 可愛らしい声と可憐な仕草で鬼灯さんがそう言う。


「失礼しました。どうぞ私のことは風花と呼んでください」

「そう? それじゃ私のことは未理でいいよ。年もたった一つしか変わらないし」


 昨夜、メノウが連絡をしてきて私と引き合わせたがったアクトレスが、ここにいる鬼灯さんだった。元々は鬼灯さんの所属するトループであるアステリアの全員で私の話を聞きたがっていたのを、メノウが規制してくれて彼女一人との面会という形になったのだった。

 それにしてもアステリアって語感はいかにも主人公のチームっぽい。


「風花ちゃんは、朝食もう食べた?」

「ええ、すでに」

「それなら、食後に何か飲み物でも。あ、私の奢りで!」

「ありがとうございます」


 落ち着かない様子の鬼灯さんだ。

 

 私から早くイバラヒメのこと聞きたがっている。しかし露骨にそれを口にするのはデリカシーがないと考えている顔。私の姿を目にしたときに笑みをぱっと咲かせたことを考慮すると、普段はもっと明るくて話したがり屋の、誰とでも打ち解けられる子なんだろう。

 

 主人公らしいなと思った。まぁ、ゲームの理想的な主人公像なんてのはプレイヤーそれぞれだから、こうじゃないといけないってのはないけれどね。


 鬼灯さんが二人分のアイスレモンティーをカウンターで受けとって、テーブルまで運んできてくれた。もう春が終わって初夏に入ったのを感じさせる朝にうってつけの飲み物だった。


「えっとね、その……身体のほうは、もう充分に動かせるの?」

「雨晴博士からはどう聞いているんです?」

「意識不明の重体というのはシアター側の早とちりで、奇跡的に大きな怪我はなかった、でもメンタル面のケアが必要なので療養を継続しているって」

「そのとおりですよ」


 私は努めて、にこりと彼女に笑いかけた。メノウの話に合わせておくべきだろう。


「アクトレスとしての復帰はまだ未定ですが、身体ならもう平気です。復帰と言ってもあれは登録初日のことでしたが」

「そう、なんだよね。……私がどういう目的で風花ちゃんに会いたがっていたか、きっと雨晴博士から聞いているよね」

「もちろんです。イバラヒメの件ですよね」


 私がそう言うと鬼灯さんは黙って肯いた。

 

 リラックスして聞いてほしいな。こちらとしても陰鬱な話しぶりであの日のことを思い出すのは勘弁したい。ただの世間話のように一ノ瀬隊の壊滅を話せる日など来なくていい。でもそのことと、いつまで経っても深刻そうに、嗚咽を漏らし、正気を失って話すだなんて当の彼女たちも望みはしまい。


「私から話すね」

「え? 未理さんから?」

「うん。実は私……過去にそのイバラヒメと同じと思われるストレンジャーに遭遇しているんだ。幼い頃、アクトレスとしての素質に目覚めていなかったときに」


 私は驚き半分、そしてもう半分は納得するのだった。

 主人公と因縁を持つシナリオ上でも重要なストレンジャー。そうであるからこそ、イバラヒメはああも他の種類と一線を画した姿と力なのだと。


「私はね、山奥にあった小さな村の唯一の生き残りなの。イバラヒメと名付けられたあのストレンジャーが私の村を潰し、皆を殺した。私から何もかもを奪い去ったんだ」


 鬼灯さんは俯かずに顔を上げたまま話してくれた。悲しみや怒り、悔しさを隠さず、まっすぐにぶつけてくる。


「当時、私は保護してくれたシアターの大人たちにイバラヒメのことを話した。でも、彼らはそれを新種のストレンジャーとして登録することはなかったの。責めるつもりはないよ。しょうがないって。錯綜して、きちんと伝えられなかったから。あの最悪の日から、まともに口が利けるようになるまで一年以上かかったんだ。今だって、記憶がちぐはぐ」


 私もまた鬼灯さんから目を逸らせずにいた。

 イバラヒメによって終わりを迎えた村の生き残り。そんな出自であるからこそ、奴のどんな些細な手がかりでも欲して、今ここにいるのだろうか。


「あっ……。ごめんね、いきなりこんな話」

「い、いえ」

「疼いたんだ、この目が」

「え?」


 鬼灯さんがその橙の左目を片手でそっと覆う。


「一ノ瀬隊のシグナルロストを受けての救援に、私たちアステリアも向かうことになったの。そのとき、この左目がそれまでにない熱を帯びて、疼いていた。この左目はね、イバラヒメとの遭遇の後で染まったものなんだ」

「それはつまり、イバラヒメの攻撃を受けた影響で?」

「……わからない。でも関係あると思う。今のところ、特別な能力はなくて、視力も右と変わらないんだよね」


 SRスペシャルロールの覚醒。

 私はそう直感した。鬼灯さんの橙に染まった左目はおそらくSRに結びついていると。鬼灯さんたちアステリアがイバラヒメと対峙することになった際、たぶん彼女は主人公としての力に真の意味で目覚める。

 そういう筋書きゲームシナリオを私は頭で思い描いた。


 彼女が目から手を離して、ストローで飲み物を啜る。


「あのね、風花ちゃん」


 喉を潤した彼女から発せられた声に決意の色が乗る。


「私たちアステリアは結成からまだたった二か月のトループで、一ノ瀬隊と比べたら連携はまだまだ。それでもリーダーの琴葉さんを中心に日々、訓練を続けているんだ。何が言いたいかっていうと……私たちは一ノ瀬隊の人たちの死とその想いを無駄になんてしない。全部背負って戦えはしないかもしれないし、そんな資格ないのかもしれない。でもね! このままで終わらないから。私は、ううん、私たちは必ずイバラヒメを討伐する。悲しみの連鎖を断ってみせるから。今日はそのことを伝えに来たんだ」


 私はぎゅっと唇を噛んだ。

 なに勘違いしていたんだ、私は。

 わかっているはずなんだ、鬼灯さんだって。私からイバラヒメの情報を多くは得られないって。

 そうだよ、彼女は手がかりを求めてきたんじゃない。決意表明をするために。一ノ瀬隊の生き残りと会って話して、覚悟を決めるためにここにいるんだ。


「一方的に話してごめんね」

「……ないでください」

「えっ」

「謝らないでください!」


 つい声を荒げてしまった。気まずい空気。私はその酸味のある液体を喉にぐーっと流し込んで気持ちを鎮める。


「眩しいですね、未理さんは」


 自然とそんな台詞が私から零れていた。


「眩しいって、私が?」

「はい。私はまだそんなふうにあのストレンジャーとの再戦を考えられていません。むしろ、どこか他人事のようになっていました」


 アクトレスとしての再始動。メノウによって実現したその先にイバラヒメともう一度出くわす未来も想像できたはずだが、知らないふりをしていた。

 それでいいって。私は主人公でないのだから。ああいった異様な存在、災禍とは関わらないモブアクトレスでいいのだと高を括っていた節があった。


「風花ちゃん……」

「もしも、私の心と体が満足に動かせるようになったその時は――――アステリアに加えてもらえますか?」


 私の言葉に鬼灯さんが「うん!」と笑った。やっぱり眩しいな。

 そして彼女が右手を、いや、小指を差し出してくる。


「約束しよっか。大丈夫、みんなには私が説明する。風花ちゃんがアクトレスとして戦場ステージにまた立てるようになったあかつきには、私たちアステリアの一員として迎え入れるって!」


 指切りげんまん。絡めとった彼女の小指の柔らかさは間違いなく少女のそれで、妙にくすぐったく、そしてドキドキとした。


「はい、約束します。私は――――」

「待ちなさい」

 

 私の背後から聞き覚えのある声が降ってきた。鬼灯さんと繋いだ小指を反射的に離して、私は座ったまま振り返る。

 

 そこにメノウがいた。


「鬼灯未理、勝手な取り決めをしないでもらいたいわね」


 私の視線を躱して、メノウは鬼灯さんへと話しかける。


「すみません。でも……」

「悪いけれど七園風花は当面、どこのトループにも所属させないわ」

「あんたにそんな決定権があるとは初耳だけれど?」


 メノウなりに考えての発言なのをわかっていても、無粋にも乙女たちの契りを妨げたのはいただけない。


「あら、そうだったかしら」


 何食わぬ顔で返すメノウ。鬼灯さんを見やれば困り顔だった。

 メノウが私の髪に触れ、手櫛を通す。それだけでも周囲の人間が見れば、関係性を詮索したがるものなのに、あろうことかメノウは私の左耳を露わにするとそこに軽くキスをした。


「じゃあ、この可愛い耳にしっかり聞かせないといけないわね」

「え……ええっ?」


 瞬く間に赤面した鬼灯さんがその頬に両手をあて、目を丸くして私たちを交互に眺める。メノウにされるがままなのが不本意な私は、席を立ってメノウの頬に平手打ちを一発かましてやろうかと思った。

 しかし席を立ったまではいいが、メノウが「しばらくの間よ。いつまでも縛り付けるつもりはないわ」とすまし顔で言うので、私は怒気がそがれ、溜息をつくだけにしておいた。

 痴話喧嘩の噂でもされたらかなわない、ここは大人の対応をしておこう。


「未理さん」

「な、なにかな?」

「待っていてくださいとは言いません。ですが、私はアステリアへの入団を諦めたわけではありませんよ。それと改めてお伝えしておくと、イバラヒメに関しては現在シアターで共有されている以外の情報を私は持っていないです」

「……うん、わかったよ」


 鬼灯さんも立ち上がった。前髪をさっと整えて彼女は言う。


「雨晴博士、風花ちゃんのことをよろしくお願いします。って、私が言うのも変な感じですが」

「ええ、任せておきなさい」

「それでは。またね、風花ちゃん」


 ぺこりと頭を下げた鬼灯さんは空になった二つのグラスを持ってその場から去った。するとメノウは鬼灯さんが座っていた席に腰を下ろして、私も座り直すよう手で促した。けれど私は立ったままで彼女に訊ねる。


「ずっと近くで聞いていたの?」

「まさか。正直なところ、今日あなたたちが会うのもすっかり忘れていたわ。私が決めたのだけれどね。徹夜明けで軽く胃に何か入れようと思ってここに来たの」

「だからって普通、盗み聞きしない」

「情報収集の重要性は知っているのよ。それで、あなたは本気でアステリアに入りたいのかしら」

「……嘘だと思うんですか?」

「その場の勢い、いえ、鬼灯未理に魅了されての決心に見えたわよ」

「魅了?」

「あの子の純真さはあなたにとってある意味で脅威ね」


 メノウが言わんとしていることが掴めない。私はやれやれと肩を竦めて、その場を立ち去ろうとした。でもメノウが「ああ、待って」と引きとめる。


「まだ何か?」

「つれないわね。さっき言ったとおり、もうしばらくはトループに入らずに私のもとで動いてもらう。けれど、デュオを組んでもらおうと検討しているの」

「デュオって誰と?」


 通例、アクトレス二人組はトループ扱いされない。そしてコンビとは言わずにデュオと称される。旧作においては、各地を転々としている流浪のアクトレス二人組に対して使われていた。


「あなたも知っている人よ」


 欠伸を噛み殺しながらメノウはそう言った。

 

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