第3話 オラクル
春香さんが背負っていた荷物をゆっくりと床に下ろす。中に小柄な吸血鬼でも眠っていそうな棺の形をしたケースだ。カチッとロックを解除した。
「こちらへどうぞ、お姫様」
一度は私がソファから立つのを止めた彼女が、私に手を差し伸べる。まるでダンスにでも誘うみたいに。
昨日までの七園風花であればその手をとるなんて考えもしなかっただろうが、私はというと反射的にその手をとり、ゆらりと立ちあがっていた。
触れてみてそれが紛うことなくアクトレスの手だとわかる。見かけは美しいのみだが、その手触りは硬く、怪物たちと戦うために武器を日常的に振るっているのだと悟った。
「わざわざ工房まで出向いてもらうのもご足労だと思ってね。許可を貰って運んできたんだ。工房には後ほど案内するけれど、そこで受けとると他の施設を案内中、荷物になるからさ。さぁ、開いて」
春香さんは掴んでいた私の手をそのケースの蓋に添えると、手をそっと離した。私はごくりと息を呑み、そしてケースを開く。中に横たわっていたのは、アクトレスたちが扱う対ストレンジャー装備である≪
「ロングブレイド……」
そこに眠る≪神託≫がロングブレイドタイプだとすぐにわかった。
ほとんどすべてのハンティングアクションゲームで、プレイヤーが選択できる武器には複数の種類があるものだが、オトハザでもそうである。そのうちロングブレイドはもっとも癖のないタイプで、初心者でも使いやすいと言える。ゲーム内の設定でもアクトレスの間で最も広く使われているタイプなのだ。
その全長は私がどうにかまっすぐ背負えるぐらいであり、小柄なアクトレスでは文字通り身の丈にあっていない長さだった。シリーズによって設定サイズに若干差があるが、いずれにしても少女が携帯するには無理がある大きさには違いない。
ふと気になって部屋の中を見回す。この控え室には見たところ、他の団員の≪神託≫はなかった。もしかするとゲーム世界っぽく異空間に収納しているんだろうか?
ううん、記憶を参照してみても、そんな「魔法」はなさそうだ。出撃の際には装備を整えるための部屋があるのだろう。
「報告書によれば、スクールでは専らこのタイプの武器で訓練していたんだろう? 訓練用装備と本物の≪神託≫は勝手が違うが、そのうち嫌でも慣れるさ」
春香さんの話を耳に入れつつ、私は中腰の姿勢からさらに膝を折って≪神託≫の表面に怖々と触れた。ロングブレイドと言ってもその外観は並の刀剣とは全然違う。
アクトレスのマナに共鳴して力を発揮するコア部分に加え、いくつかのパーツが取り付けられており、機械仕掛けと呼ぶに相応しいなりをしていた。配色が黒と銀ってのは可愛げがないな。
「ええと、ガンモードにも対応可能なんでしょうか」
「うん? 当然じゃないか。いくら新人でも旧世代のシングルタスクの≪神託≫を支給するシアターなんてもうないよ。それに射撃テストの結果だって悪くないよね」
「そ、そうでした」
ガンモード、それは通常は近接武器である≪神託≫を中遠距離武器に変形させた形態だ。オトハザでこの変形システムが実装されたのは三作目から。一作目と二作目は一度の戦闘でどちらか片方の形態しか扱えなかった。
ガンモードは専用弾薬にマナを込めて使用する他、マナをそのまま放出して戦うもので、後者については弾数無限であり、ゲームシステムとしては持ち込んだ弾薬がなくなっても戦い続けることができる措置だった。
とはいえ、今の私では無限に撃ち続けるなんてもってのほかで、マナそのものを弾にして放出し続ければすぐにマナが底を尽きて倒れてしまう。
「一ノ瀬隊長、ここで≪神託≫との契約を行うつもりなのですか?」
そう訊ねる秋奈さんを見やると心配そうな表情をしていた。
「何か問題でも?」
「何かって……隊長もご存知のとおり、アクトレスによっては契約時に心身ともに大きな負荷がかかって気絶や暴走に至る場合もあります。ですから、そういったことが起きてもいい環境で行うのが通例ですよね」
「そのとおりだ。だから私がこうしてここにいるのさ、何があってもいいように。大事な仲間を助けるのは仲間である私、いや、私たちであるべきだ。ちがうかい?」
爽やかに笑う春香さんに秋奈さんは押し黙って、かと思えば「もう……しかたのない人ですね」といった慈愛を感じさせる顔になる。一方で冬子さんは眉根を寄せており、秋奈さんたちのやりとりは面白くなさそうだった。
ははーん、これはあれだな。親友が年上の美人に気を取られていて拗ねちゃっているのか。可愛い子だなぁ。
思えば≪神託≫の契約の際にトラブルが発生する描写はシリーズ恒例だ。そしてトラブルからアクトレス同士の絆が生まれるのもまた常なのだ。たとえば三作目の中盤で主人公が属するトループに新メンバーがやってきたときは……。
「七園、どうした急に締まりのない顔をして。契約前から≪神託≫の気にあてられたというのか」
「えっ!? い、いえ。ちがいます、武者震いです」
「そんなふうには見えなかったが」
「あと風花でいいですよ」
強引に話題を逸した。
「わかった。で、どうする? もちろん、風花の意思を尊重するよ」
「します、契約。私がここにきたのはこれを使って奴らを討つためですから」
さらりとそんな台詞が出てきた。それが七園風花としての強い意志の表れであるのがわかった。そうだよね、ストレンジャーたちを滅ぼし、世界を平和にするためにアクトレスになったんだもんね、私。
「そうか。やり方はわかっているね?」
「ええ、習いました」
私は≪神託≫のコア部分に手をかざし、そこへマナを注ぐ。もともとのマナの質と量が貧弱な私が≪神託≫の初回起動に必要なマナをそこに注ぎきるまで三分もかかってしまつた。
途中で「ふわあ」と欠伸をした冬子さんの口を秋奈さんが素早く手で覆って、もがもがとさせていた。春香さんは身を屈めて私と視点を同じにし、そばにいるだけで何も言わない。しかしそこにいてくれるだけで不思議と安心感があった。
ようやくコア内部にゆらめいていた光が安定して強く輝きはじめると、私の手から全身へと熱がじわじわと伝わっていく。やがて炎とは明らかに違う、しかし燃えるような熱さに支配されて思わずコアから手を離そうとした。
そこに春香さんが手をあててきて、ぐっと私の手をコアへと抑え込む。彼女のマナは感じない。この≪神託≫には契約者である私のマナしか供給してはならないからだ。つまり春香さんは純粋に身体的な力だけで私の手を抑え込んでいるわけだった。そんな春香さんの手がマナ焼けするのがわかり、彼女を見た。微笑んでいる。大丈夫、とその目が言つていた。
一瞬の閃光――――部屋全体を照らしたそれは≪神託≫のコアが臨界点に達したのを意味し、契約完了の合図であった。急速に熱が冷めていく、けれどそれと同時に視界がぼやけて、座っているのに身体のバランスが保てなくなる。
「おおっと。ふふ、よくやったね、風花」
私が床に伏すのを春香さんが阻止する。私は目をぎゅっと閉じて「その手、大丈夫ですか」と掠れた声で訊いた。春香さんは「これぐらいすぐに治せるさ」と笑った。
「ならよかったです……ありがとうございました」
「どういたしまして」
すぐ近くからした声の優しさとその吐息にドキッとする。
「秋奈、冬子。そのソファからどいて。とりあえずそこに寝かそう。私の見立てでは十五分もすれば元どおりだよ。小夏の時と違って腕一本で抑え込めたから」
はて。小夏って誰だろう。
私はそんなことを思いながら、自分の身体が宙に浮くのがわかった。いや、そうではない。抱きかかえられたのだ、春香さんに。私は目を閉じたまま、身を任せた。そして、この人が私のカプ相手だったらなと、またしても前世での記憶に頼ったことを思った。ここがオトハザの世界で、それがどこまで「ゲームらしく」機能しているかはわからず、そして私がどういったポジションなのかも不明瞭であるのに。
結局のところ、私の意識はまだかつての七園風花と混濁したままだった。切り離すことはできないのだろう。ソファに寝かせられた私は自分の首筋に触れる。そこには包帯状になった制御輪がある。これ、違和感なくなってきたな。
浅い眠りから覚めると部屋の中に知らない少女の姿があった。春香さんと立って何か話している。背丈が小さく、声が甲高い。私はおもむろに起き上がり、状況把握に努めた。秋奈さんと冬子さんは私が寝かせられていたのとは別の肘掛け付きのソファに横並びで腰掛けていた。
「目が覚めましたか、風花さん」
どういう経緯なのか冬子さんの頬を指でつんつんとしていた秋奈さんがそれを中断して、ソファから立ち上がり私に近寄ってきた。それに春香さんたちも話をやめてこちらを見る。
「は、はい」
「調子はどうですか?」
「えっと……いつでも出撃できます」
秋奈さんは私の答えに苦笑したが、春香さんが「それはけっこう」と言ってくれた。
「紹介しよう。ここにいるのが――――」
「
早口でまくし立てられて唖然とする。
とにかくこのパステルピンク色で癖のあるショートボブをした身長150センチ足らずの子が、春香さんに並々ならぬ感情を抱いているというのがわかった。あと推測だが実花という名前の女の子が残りの五か六の子なのだろう。
「あー……すまないね、風花。私とこのちんちくりんは幼馴染なんだ。口は悪いが頭や性根はいいやつだよ」
「余計なことを二つも言っているんじゃないわよ!」
がうがうと小夏さんが春香さんに威嚇している。ペットと飼い主……いやいや、そうではない。今、彼女は幼馴染と言ったではないか。ああっ、幼馴染! それはなんという甘い響きなのだろう。
オトハザシリーズのみならず、その手の百合ものでは名カップリングが数多く……待て待て、こんな妄想していたらまた面に出てしまう。
「風花、またニヤニヤしている」
手遅れだったみたいだ、冬子さんがじとっとした眼差しを向けてきた。私が何か弁明しようとした矢先、何かアラームのような音がした。目覚ましやあるいは着信音。春香さんがサッと携帯端末を取り出して画面を見やった。
「どうしたのよ」
声のトーンを落としてそう訊いたのは小夏さんだった。私含めて、皆が少なくとも朗報ではないのを春香さんの眉の動きで察した。
「応援要請だ」
「っ!? もしかしてそれは」
「うん、実花とアイラからシアター経由で。パトロール中に小型ストレンジャー数体と遭遇、一体を取りのがして追跡後に中型を発見。交戦中に同型ストレンジャーが二体出現したらしい。運が悪いのか、それとも」
「罠だったか、ですね」
春香さんの言葉を継いだ秋奈さんは唇を噛んでいた。
「さっさと行くわよ! あの二人なら大型一体ぐらいなら食い止められても中型三体となると、わからないわ!」
小夏さんがダンっと足踏みして言う。じっとしていられない様子だ。
「ねぇ、風花。さっきの言葉は本当かい?」
春香さんは極めて冷静な調子で私にそう言ってのけた。私は「え?」と思わず聞き返す。
「ちょっと、春香! 何考えているのよ! この子を連れて行っても足手まといになるだけに決まっているでしょ!」
「落ち着いて、小夏。二人は戦闘を中断している。今は安全地帯で待機状態だそうだ。つまり私たちと合流し、当該のストレンジャーたちを一掃する作戦なんだよ。相手が非好戦的で索敵に長けていなかったのが幸いだね」
「だからこの子を見学させようって? はっ、ふざけないでよ。戦況がいつ変わるかわからないわ。新米ちゃんの指導はまた後日! 行くわよ、秋奈、冬子!」
そのとき私の身体が勝手に動いた。強い感情に突き動かされているのだ。七園風花が抱き続けているストレンジャーへの憎悪に。
私はソファをすっくと離れ、壁際に置かれていたケース、再度かけられたそのロックを解除し、中から≪神託≫を取り出した。その重みは微量のマナを注ぐだけでひどく軽くなった。身体の一部を動かすみたいに動かせると思えるほどに。
立ち位置からして、誰にも当たらない。そうわかっていてもなお、自分がそのロングブレイドをその場で展開し軽やかに振り回してみせたことに私自身が驚いていた。そして昨日までの風花に急かされる感覚に襲われながら、こちらを睨んでいる小夏さんを見据えて私は言う。
「いきます。同行を許可してください。私も血染めの舞台上で踊る狩人……一人のアクトレスですから」
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