第17話 逆転
「それじゃ行ってくるね、姉さん」
ドレッサーに立てかけた遺影。その遺影に写る1人の女子高生に、
部屋の照明を消し、リビングから出る。リビングを出てからすぐに右を見れば、玄関が見える。電気は消しているため玄関は暗いが、暗闇には既に慣れ、且つ物の配置も記憶している為、この暗闇の中でも靴を探せる。
尤も、靴は常に脱ぎ捨ててある為、探す必要はそもそも無いのだが。
雪希は暗い玄関の中で、スニーカーを履いた。暫く洗っていない為か、白いはずのスニーカーは黒ずみ、最早灰色になっている。
靴に足を入れ、グイグイと押し込んでいく。靴べらを用いることはない。そもそも家に靴べらが無い。日頃から、足を押し込むように靴を履いているためか、靴の変形具合は著しい。
「さて、と」
トントンと爪先で床を叩き、靴を履き終える。
雪希は玄関に置いていた自転車用ヘルメットを手に取り、ブラウンのボブヘアの上に被せる。ドアの鍵を開け、眠りつつある屋外へ出た。
段差になった玄関から下り、少しだけ歩くと、そこには駐輪用の狭いスペースがある。停められている自転車は1台だけ。その1台は、雪希が所有する自転車である。
雪希の愛車は、海外の人気ブランドのクロスバイク。フレームのカラーはシルバーで、タイヤは赤と黒のツートン。クイックレバーやブレーキシューまでもが色付きのものにカスタマイズされている。
タイヤとフレームを繋げるチェーンロックを外し、サドルバッグに収納。ハンドルバーに装着したライトを点灯させ、雪希は走行を開始した。
昼間は汗を促す高温の空気が漂うが、夜になれば空気も冷たくなり、自転車で走ればその冷たさは顕著になる。
涼しい。汗の滲まない、快適な時間である。
さて、この快適な時間の中で、雪希は街の中を自転車で走り回るのだが、齢16の雪希が一体何故こんなことをしているのか。
そう、夜間担当の色彩少女とは、この雪希を指す。学校には登校せず、皆が寝静まった時間にプロキシーの対処をしているのだ。そしてこの夜間走行こそが、プロキシー出現に対応する為の巡回である。
雪希が巡回を開始するのは、大体0時前後。他の色彩少女達が目覚め、活動開始時間に至るまでの約8時間、雪希は街中の巡回を続ける。
眠くないのか?
眠くはない。
雪希の日常生活は、一般的な女子高生とは違い、昼夜が逆転している。故に雪希が睡魔を覚えるのは夜ではなく、昼間。大抵は11時頃に睡眠を開始し、20時頃に起床する。
昼夜の逆転に体が慣れてしまっているからこそ、明るい時間ほど眠くなる。逆に夜間は目が冴えに冴える。
「……っ!」
雪希は前後のブレーキを使い停車。チラリと左右を見て、理由が判明している異変に気付いた。
風に揺れ、枝から切り離された1枚の枯葉が、空中で止まっていた。蜘蛛の糸に引っかかった訳ではなく、完全に停止しているのだ。
枯葉だけではなく、民家の塀の上から飛び降りようとしている猫も停止している。
さらには、自身以外の音が一切聞こえなくなっている。深夜とは言え国民全員が眠っている訳では無い。必ず誰か、或いは何かが音を立る。
しかし全くの無音。風の音さえも聞こえなくなっている。
「何か用?」
時間の停止。そんな事案を発生させることができるのは、雪希が知る限りただ1人だけ。アイリスである。雪希は既に、この時間停止はアイリスが原因であると理解しているため、露骨な反応は見せず、何処かに居るであろうアイリスに尋ねた。
すると、近くの暗闇の中から徒歩でアイリスが現れ、街灯の真下に立った。薄暗い光に照らされたアイリスの髪は朱色で、少なくとも、雪希が最後にアイリスと会った時とは違う髪色だった。
「髪色、また変えたの?」
「僕の髪色は毎日変わる。その日の気分に合わせてね」
「器用ね、神って」
「不器用でもあるんだよ、神は。さて、そんな話は置いといて……
アイリスが現れる時は、大抵、何か大事な話がある時である。無関係者は絶対に関与できない停止した時間の中で、他の誰にも聞かれることなく会話をしたいという、一種の配慮でもある。
しかし今回アイリスが持ってきた話は、人に会ってほしい、というものであった。
「会うのは構わないけど、目的は?」
「君と友達にでもなりたいんじゃないかな? まあ、会ってくれるならば、この後に水野公園に行って欲しい」
水野公園は、住宅に囲まれた小さな公園である。その公園は雪希の巡回コースであり、頼まれなくとも向かうはずだった。
「私が公園に寄ること前提に話決めてるよね、それ」
「さて、なんのことやら。だが助かったよ。君が会ってくれると言ってくれなければ、危うく僕は土下座謝罪しなければならなかった」
「土下座って……一体何者なの、これから会う人って」
「色彩少女の1人だ。担当する色は緑。年齢は君と同じだが、君と違い、ちゃんと学校へ行っている子だよ」
さらりと、雪希が学校へ言っていないことを揶揄したかのように聞こえたが、普段からアイリスの言動には棘が見え隠れしているため、雪希は最早気にならなかった。
「もう公園には居るの?」
「ああ。自転車と共に待っている」
「車種は?」
「青と黒のロードバイクだった。さすがに車種までは知らない」
「それだけ分かれば十分。これから会いに行くから時間を動かして」
「承知した。では頼むよ」
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