第20話 満月
「バタフライエフェクト、というものを知っているかい?」
深夜2時。河川公園のベンチに座ったアイリスは、隣に座る
首を横に振る香楠を横目で見つめ、アイリスは発言を続けた。
「例えば、A国に生えた花の上で、1匹の蝶が羽ばたいたとする。その羽の動きには、極僅かながらも空気の波が生じる。肌でも感じない程度の小さな風だ。しかし、その風が周りの空気を巻き込み、徐々に、それでいて確実に大きくなり、やがてはB国に吹き荒れる強風になる。つまりは、気にも留めないような極めて小さな事柄が、巡り巡って、最終的に大きな変化を齎すというものだよ」
「……それがどうかしたの?」
「この世界にも、やがて大きな変化が訪れる。木場舞那の死が阻止され、生存した未来に至った今、既にシナリオは狂いつつある」
アイリス曰く、舞那は既に、イレギュラーな存在。舞那が日向子、沙織と共にプロキシーと戦った日に、本来ならばあの戦いの場で死ぬはずだった、らしい。
しかし透明人間とも言うべき謎の介入により、舞那の死亡は阻止。結果、本来この日のこの時間に存在するはずがない筈の舞那が、未だ生きている。
「"アズナ"の介入が、そのバタフライエフェクトに繋がってる……ってこと?」
「そう。事実、廣瀬雪希は孤独に戦い続けるシナリオだったが、木場舞那と友人になり、孤独ではなくなった。あの日、たった1人の"天使"が介入したが故に、僕も、そして君も知らない世界に入ってしまった。香楠、もしも君がこの状況に眉を顰めるなら、僕はこの世界を消したって構わないが?」
淡々と、いつもの口調で話すアイリスが、「世界を消したって構わない」と言った。もしもここで香楠が「消して」と言えば、恐らくアイリスは、本当にこの世界を消してしまうのだろう。
しかし香楠は、この世界を消したいなどとは考えない。それどころか、
「アイリスも私も知らない物語になったんでしょ? そんなの、最後まで楽しまないと損だよ」
寧ろ、今の状況を誰よりも楽しんでいる。新しい絵本のページを開いた子供のように、純粋な笑顔で。
そんな笑顔を見てしまえば、世界を消そうなどという言葉を再度吐くことはできない。しかしながら、アイリスはその笑顔を待っていたと言わんばかりに微笑んだ。
「物語を楽しむ香楠を見ていると、何だか僕まで楽しみを抱いてしまうよ」
「なになにぃ? それって愛の告白ぅ?」
「愛の告白ならば、もっと別のシチュエーションが好みだね、僕は。少なくとも、戦いの時を待つ今の状況は好みじゃない」
アイリスの意見に、香楠も「まあ、それもそうか」と同意し、不意に夜空を見つめた。
「今日、満月なんだね」
「ああ。さて、この月の下で、廣瀬雪希と木場舞那はプロキシーと戦うのだろうが、どうなるのだろうね」
「雪希が舞那に向かって、月が綺麗ですねって言っちゃったりして」
「彼女達は夏目漱石に遠く及ばないよ」
浅く緩やかに流れる川の音にも、道路を走る車の音にも、肌を冷やす風の音にも興味を示さず、アイリスと香楠は、2人だけの時間を満喫していた。
◇◇◇
自転車に乗って走る舞那と雪希。巡回中であることを忘れない程度に、共通の趣味の話題をベースに、ほぼ常時会話をしている。
その最中、舞那は考えていた。雪希に、龍華との関係性を尋ねるべきか、と。
理央や撫子曰く、雪希と龍華は知人。友人とは聞いていない。もしも雪希が龍華の友人であるのならば、これを機に、龍華とも友人になれるよう努力したいと思っている。
そしてもしも、龍華と再会できたならば、強くある為に努力をしている自分を証明したい。もう二度と、色彩少女を辞めろとは言わせない為に、プロキシーと戦い生き延びてきた事実を見せつけてやりたい。
しかしながら、もしも雪希と龍華が友人ではなかった場合……或いは、知人ではあっても不仲な知人である場合、龍華の話題を出した途端に、雪希が不機嫌な顔を見せるかもしれない。
機嫌を損ねさせるような発言は控えたい。日頃から、数少ない友人達との関係を壊したくないと考える舞那は、決断を伴うような発言から逃げてきた。今回は逃げるべきか、否か、そんなことを深く考えながらも、雪希と会話をする口調は軽く、いつもの表情を維持した。
「……そういや、雪希……」
「なに?」
発言に、ここまで勇気が必要なのか。舞那は唾を飲み込みながら、言葉がいかに重く鋭利なのかを理解した。
「と、友達、とかって、さ……私以外に居たり、する、の?」
言えた!
言えた!
やっと言えた!
「あぁ……まあ、居るには居るけど、もう暫く会ってない。少なくとも私の生活が昼夜逆転してからは一度も……」
「そ、そう……。その、もしかして、色彩少女の友達とかって居たりする?」
「……まぁ向こうがまだ、私のことを友達と思ってくれてたらの話だけど。1人だけ、青を担当してるのが居る」
雪希の発言から察するに、雪希と龍華は友人であったのだろう。何かしらが原因で、2人の関係性が軟化したのかもしれない。
もしも色彩少女になるよりも前からの付き合いであれば、色彩少女になったという事実が、関係の軟化を促したのだろうか。
「龍華……青の色彩少女に会ったの?」
「う、うん……私が色彩少女になった日に」
「そっか……」
瞬間的に舞那は理解した。この話題は出すべきではなかったと。
数少ない友人とだけ、限りなく本心に近い会話をする。そして友人以外と会話をする時には、相手の目や仕草を見て、常に顔色を窺いながら発言をする。そんな日々を過ごしているからこそ、舞那は、龍華のことを話題にした場合の雪希の反応を即座に理解した。
龍華の話題に触れた場合、雪希は、不機嫌とは言わないが、あまりいい気分にはならないらしい。
ここで雪希の機嫌を悪くさせるのは、舞那的にも都合が悪い。
何か都合のいいことを、雪希の機嫌を良好な方向へ向かわせる何かいい一言を。わずか1秒の間に、10秒にも匹敵する体感時間を経た舞那。
「っ!」
「プロキシーね……都合がいい」
極めて不謹慎ではあるが、舞那的には、かなり都合がいい出来事であった。
タイミングを計ったように、舞那と雪希の脳内に、河川敷の景色が映し出された。プロキシー出現時に起きる同調がこんなにも都合がいいと思えたのは、間違い無く、後にも先にもこの瞬間だけであろう。
とは言ったものの、何故か、雪希の方が「都合がいい」と発した。
「ぶった斬ってスッキリしよ……行くよ、舞那」
ハンドルのグリップを強く握る雪希の目は鋭く、未だ見えぬ距離に居るプロキシーを強く見据えていた。
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