第8話 不幸

 舞那は槍の柄を軽く握り、槍を握る右手を耳の近くまで寄せる。脚を肩幅以上に開き、膝を曲げ、体を安定させる。体を安定させ、胴を軽く捻り、背中と腕の筋肉に力を加える。

 その体勢フォームは、槍を用いた投擲の体勢。十数メートル先で脱力して立つ緑のプロキシーは、「これから槍投げします」と言わんばかりの舞那を見つめながら、徐々に膝を曲げていき、走り出す準備を整える。


 ―――この槍が、私の体が教えてくれる。この槍は、確実に貫く。


 プロキシーが地面を蹴り、駆け出す。それと全く同じタイミングで、舞那は体を素早く捻り槍を投げた。

 色彩少女とプロキシーに於ける緑は、攻撃速度と移動速度に優れる。つまりは駆け出したプロキシーの初速も、舞那が投げた槍も、常人では出せない程の速さである。

 しかし、プロキシーに共通した高身長は、進行方向に対する空気抵抗が大きい。逆に、舞那の投げた槍は地表と比較してほぼ水平。槍が進行方向に対して受ける空気抵抗は圧倒的に少ない。

 空気抵抗が少なければ少ないほど、到達できる最高速度は高くなる。

 同じ緑の力を持つ者同士でも、駆け出したプロキシーよりも舞那の槍の方が速い。即ち、前進したプロキシーは、自分よりも速く向かってくる槍を避ける術が無い。


「~っ!!」


 舞那の投げた槍は緑のプロキシーの胸を貫き、前進していたプロキシーの動きを止めた。

 間髪置かず、舞那は駆け、プロキシーに刺した槍の柄を握った。


「はぁぁああああ!!」


 舞那は槍を動かして追撃を加える。

 槍の穂先で皮膚を裂き、肉を抉る。ブチブチ、ぐちゅ、という嫌な音と、硬い肉を断つ極まった不快感が舞那の体に伝わる。

 裂傷部位から、緑の液体が溢れ出る。それはプロキシーの体の中を巡る血液。仮にその血を舐めれば鉄のような味がする。


 ―――杏樹……今日、遊べなかったね。


 既に行った攻撃に、新たな攻撃を加える。槍の穂先がプロキシーの体に触れ、体に"生物を殺す感覚"が伝わる度に、舞那の脳内に杏樹との記憶が蘇る。

 戦いの最中に、対峙する相手との思い出が過ぎる。それはアニメやゲームの中だから起こる話であると思っていた。戦う時は戦い、思い出をリロードするのは戦いの前後であると、そう決めつけていた。

 しかし舞那は理解した。戦いの最中であろうと、思い出は過ぎってしまう。走馬灯のように、次から次へと思い出してしまう。


 ―――私ぃ、久我くが杏樹あんじゅ。木場さんボッチっぽいから構ってあげる。


 それは、杏樹が初めて舞那にかけた言葉。第一印象は最悪だった。何せ会って早々に「ボッチっぽい」と言ってくるような女である。また「構ってあげる」という上から目線な態度。舞那の嫌いなタイプである為、言葉を交わして早々に嫌悪感を抱いた。


 ―――悪いっすけど、私等わたしらこれから予定あるんで。じゃね、お兄さん達。行こ、舞那。


 それは初めて、杏樹が舞那のことを名前で呼んだ日のこと。

 街のアーケード商店街を歩いていた時、チャラい2人組の男にベタなナンパを受けた。そんな舞那を救ったのはクラスのイケメン……等ではなく、第一印象最悪の女子クラスメイト、杏樹だった。

 待ち合わせをしていた友人を装うために、「木場さん」といういつもの呼び名ではなく、「舞那」と名前呼びにした。


 ―――ん? ああ、いいよお礼なんて。お礼言うくらいなら友達になろうよ。


 酷く唐突で、酷くベタな流れだった。しかしそんなベタな展開に絆された舞那は、結果、杏樹を友人として認めた。


 ―――はい、これ舞那に誕プレ! 実用的なヤツなんだから、ボロボロになるまで使ってあげてね!


 去年の12月。舞那の誕生日の前日に、杏樹は舞那にプレゼントを渡した。ショッピングモールに遊びに行った際、舞那が欲しいと呟いていたリュックであった。

 その時のリュックは、通学用ではなく、休日用として用いている。実際、今日も背負ってきている。尤も変身に伴い、私服の衣類や他の所持品と共に姿を消してしまっているのだが。


 ―――進路? んなの決まってるっしょ。テレビに出まくる大物芸能人!


 大物芸能人。そんな夢を掲げていた杏樹だったが、結果的に、夢は叶えられなかった。




「あああああ!!」


 力強い叫びを上げながら、舞那はプロキシーの首に目掛けて槍を振った。


 ―――何で、こんなことになったんだろ。私達。


 ザクッ。

 舞那の槍は、プロキシーの首を切断した。切断面から緑色の血液が噴出し、飛沫しぶきとなり舞那の体を濡らした。


 ―――ヒーローって、こんなにも苦しい思いをしてたんだ……。


 頬を伝い流れる涙の雫が、頬に付着した緑の血液と混ざり、顎の先から緑に染まった涙が零れ落ちた。



「ふっ!」


 青の特色である脚力を活かしてジャンプした龍華は、空中で脚を大きく開く。右脚は空に向かい伸ばされ、左脚は着地に備えて軽く曲げてある。

 ミニスカートを履いていながらも脚を開いたが為に、プロキシーの眼前でショーツとその周辺の肌をさらけ出した。ショーツに関しては他の衣類同様に、変身時に変化している。仮に見られたところで、言わば見せパンのようなものである為あまり問題は無い。

 ただ、ショーツでは隠しきれていない臀部などを見られるのは少々抵抗がある。

 しかしながら龍華は、恥を理由に攻撃の手は緩めたりはしない。


「でいっ!!」


 空に向けて伸ばした脚を、プロキシーの頭部目掛けて振り下ろす。

 渾身の踵落とし。スニーカー越しの踵はプロキシーの頭頂を捉え、形容し難い音を立てながら頭を潰した。

 それはまるで、固めの水風船を潰したかのよう、或いは卵を真上から砕いたかのよう。潰れ、破裂した頭部から、ドロリとした白い血液が噴出し、龍華と周辺の壁、地表の一部を白く染色した。


「あっちは…………終わった、みたいね」


 白のプロキシーを殺した龍華は、緑のプロキシーと舞那の様子を確認する。

 既に戦いは終わっており、首を切断された緑のプロキシーは地表に転がっていた。そして舞那はプロキシーの隣に座り、静かに涙を流していた。

 龍華は軽く溜息をくと、額に滲んだ汗をパーカーの袖で拭い、舞那の隣への歩み寄った。


「戦いに伴うのは悦びや満足感じゃない。心を抉られるような悲しみと胸糞悪い現実に耐える覚悟が無いなら、アクセサリーを手放して、色彩少女を辞めて」


 龍華は踵を返し、舞那に背を向ける。刹那、龍華の体が青い光を放ち、変身前の姿に戻った。たった今放った光は色彩少女の力そのものであり、体内からこの力を取り除くことで人間の姿に戻る。装備していた武器はアクセサリーに戻り、体から放出された光はアクセサリーに吸収される。

 制服姿に戻った龍華は舞那に背を向け、一言。


「戦った直後に涙を流すような人は、戦いに向いてない」


 そう言い放つと、龍華は歩き始めた。

 色彩少女を辞めろ。そう言われ、涙を流したがらも腹を立てた舞那は、歯軋りを鳴らした後に反撃をした。


「友達を死なせたのに平気にしてろって言うの!? 犬飼さんにはこの悲しみが伝わらないの!?」


 舞那の言葉を受けた龍華は、5メートル程度進んだところで立ち止まり、左足を軽く後ろへ引き、90度ほど体を後ろへ動かして舞那の方を見た。


「プロキシーになった母親を自分の手で殺した気分、あなたに分かる?」

「っ!」

「自分だけが不幸の中に居るだなんて考えないで。被害者だって、あなたの友達だけじゃない」


 そう言うと龍華は再び前を向いて歩き始めた。

 龍華の言葉を正面から受けた舞那は、自分の体から力が抜けていくことに気付いた。またその脱力に呼応し、色彩少女としての力も抜け、舞那の変身は解除。槍も元のアクセサリーに戻った。

 プロキシーが死亡し、その死骸が消滅するまでの時間は、個体差あれど大体が1分未満。

 舞那が龍華の言葉の意味を理解する頃には、既に緑のプロキシーの死骸は殆ど液状化し、飛び散った血液と共にアスファルトに染みていた。


 ―――馬鹿みたい、私……。


 ヒーローになれる。色彩少女になるということは、誰かのヒーローになることである。そう考えていた舞那だったが、ヒーローとして"戦う"という壮絶な現実を理解し、羨望に酔っていた自分自身に落胆した。


 ―――私……これから、戦える……?


 たった一度の戦いで、これから戦っていける自信が薄くなった舞那。

 そんな舞那を嘲笑うかのように、生温い風が音を立てて吹いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る