レポート.10「あれは昼下がりのこと」
「――これは、止まらないかもしれないな」
第三防衛線近く、丘の上から眺めるヤスシ氏の言葉に一同はざわつく。
「待ってください。第二陣の時点で、回収オーブはすでに三千個に達しています。計算ゴーレムで叩きましたが、ここで食い止められると予測が――」
「予測はあくまで予測。これはエンジニアをしていた俺の経験とカンだ」
ついで、パイプ椅子にかけていた上着に袖を通し、秘書に声をかける。
「返納課を通して街に避難命令を出してくれ。それと記者会見のためにホテルを押さえろ。復興用の損害賠償も含めてこちらが責任を取る形で辞任すれば、向こうの人々も納得してくれるはずだ」
そう言って、歩き出そうとするヤスシに「社長。まだ終わっていませんよ」と、後ろからアザミが声をかける。
「その言葉は返納課とギルドの実力では力不足だと取れますが?」
ヤスシは振り返ると「では、この状況に何か打開策があると?」と、今まさに突破されようとしている防衛線を指さす。
同時に【森】の巨体によって大量のオーブが崩れ、先んじた【魔獣】の侵入に苦戦するギルドの【勇者】たち。
「ええ、今まさに――」
その時、上空から外装を魔力で覆った一台の車が落ちてくる。
運転しているのはサウスであり、後部座席にはトーチとフロア。
ついで、ボンネットに乗っていたフローは車から離れると巨大な【森】の先端――カタツムリの触覚の真ん中へと降り立った。
「奥様。聞いておられますか?私はエルフのフローです」
直に触れると取り込まれるため、魔力で覆った手で触覚に触れるフロー。
声は、届いているのかいないのか。自身の背丈よりはるかに高いオーブの壁を未だ崩しつつ、『奥様』と呼ばれた【森】はそのまま前へと進もうとする。
「たった今、奥様が向かわれようとしております甘味処の場所がわかりました。
その名前は『甘味処・甘露亭』」
その名前をフローが口にした瞬間、一瞬だが【森】の動きが鈍る。
「ん、やるならここでしょ」
ついで、車ごと頭部に降り立ったトーチは【森】の触覚へと杖を向け――
*
――それは、ひどく暑い日のこと。
奥方はふうふう息を切らせ、ひたすらアスファルトの坂道をのぼっていた。
(どうして、人間の住む国はこんなに暑いのかしら?)
夫の都合で来たとある街。
用事は忘れてしまったけれど、時間があるのならと散歩に出た矢先。
(目立たないよう、人の姿を取ってしまったことが今更ながらに悔やまれるわ。喉も乾くし、お腹も空く…まったく、人の体とは不便なものね)
そんな折、坂を登った先で一軒の店を見つける。
――入り口に下がった布には波の絵に見慣れぬ一文字。
小さなガラス玉に紐と紙をぶら下げた飾りから「チリン」と軽い音がする。
(おもしろい、森にこんな娯楽はなかったわ)
中に入って帽子を取ると「いらっしゃいませ」と小さな老婆が頭を下げる。
「何か、お召し上がりになりますか?」
それに彼女は少し迷うも、先ほど下がっていた布を思い出し「あの、あれなんですけど――」と指をさす。
それに老婆は「ああ、かき氷ですか」と合点し、外の開けた場所の席に彼女をつれていく。
「しばらくお待ちください」と頭を下げる老婆。
(…礼儀正しい、ここで何が出るのかしら)
少し、ワクワクしながら出されたお茶を飲んでいると涼しい風が顔を撫でる。
開けた視界の先にはゆるやかに川が流れ、そこでようやく自身が店からせりだして建てられたテラス席にいることに気がつく。
「こちら、抹茶かき氷になります」
見れば、そこにあるのは山盛りの氷に緑の液体をかけたもの。
上に載せられているのは蒸した小豆なのはわかるが、液体が何か分からず、おそるおそる添えられたスプーンを手に取り、一口だけ口に入れてみる。
「――!」
シャリっとした食感の後に来る、ほんのりとした苦味と甘み。
そこに小豆の味も加わり、絶妙なハーモニーを奏でる。
「…お気に召したようで」
どこか嬉しそうな老婆の声に、スプーンを動かす手が進む。
(美味しい…でもどこか懐かしい感じがする)
気がつけば、目の前のガラスの容れ物は空になり、ゆるゆると注がれた二杯目の茶を飲み干し、嘆息する。
「とても、美味しかったですわ」
あとで従者にお金を払うことを約束し、席を立つ彼女。
店の外まで送ると老婆は深々と頭を下げ、こう続けた。
「またのお越しを、お待ちしております」
涼やかに鳴る、風鈴と名のついたガラス玉。
その懐かしい雰囲気に「ええ、また来ます」と彼女は答え――
『甘味処・甘露亭』の女将にエルフの奥方は小さく微笑んでみせた。
*
「――アカン、視界が死ぬほど回る」
『甘味処・甘露亭』からそう遠くない森林公園。
停車した車の後部座席で仰向けになって天を仰ぐのは先ほどまでエルフの奥方の依代となっていたフロアその人であり、近場の店でスポーツドリンクを買ってきたサウスは「そんなに依代ってしんどいものなの?」とフロアに尋ねる。
「しんどいかって…おい、マジでそんなこと聞く?」
あえぐフロアに「そりゃあ、しんどいよ」と、中継でエルフの森に帰っていく奥方の姿を眺めつつ、トーチは返事をする。
「オーブで魔力を吸収されていたとはいえ、数千年もの魔力と記憶を一気に取り込むことになったのだもの。一時的ではあったけれど、並の魔法使いならひと月は寝込むような代物だね」
「でしょ、わかった?」と叫ぶフロアだったが、再び来た奥方の記憶の波に翻弄され「あ…やべえ、意識が飛ぶ、飛んじゃうぅ!」と席の上をのたうちまわる。
「…白目剥いてる。確かにやばいかも」
その様子にどん引くサウスに「どれ」と仕事が終わったのでサウスに買わせたコンビニスイーツをボンネットの上で食べていたフローが見る。
「ふむ、この程度なら魔力の流れを移動させるだけで解消するだろう」
ついで、ブランマンジェの入っていた空の容器にスプーンを突っ込むとフロアの手首を握り、何かをぷつぷつ呟く。
「…これでよし。どうだ、具合は?」
それにフロアは「う…ぐぐ、ひでえ悪夢」と言いつつ、自身の腕を見て「ん?」と声を続ける。
「何、この腕輪」
見れば、フロアの腕には植物を巻いたような腕輪がついており、それは自身の皮膚から生えているように見える。
「奥方の記憶と魔力をそこに移動させた。人の肉体では耐え切れるものではないからな、肉体の一部を利用して埋め込む形にしておいた」
「え、ちょ、これ外れない。一体化してるんですけど…!」
パニックになるフロアに「問題ない」とフローは続ける。
「逆に、無理に外そうとすれば奥方のように膨れ上がった魔力の肉体で暴走することになる。精神の安定を図り、肉体の循環を良くすれば目的に応じた形で魔力を使うこともできるから、悪い話ではないはずだが――?」
「悪いわい、ええい。どうなっちまったんだよ、私の体は」
「んー。まあ、うまく使えば奥方の魔力も利用できるってことだしさ。それまで様子見ってことにしておこうよ」とフローに目を向けるトーチ。
「それに、もし万一暴走ってことになったら、彼も駆けつけてくれるだろうし」
その言葉に「確かに、この子供の中に高貴な奥方の記憶と魔力があるからな。時折、こちらに寄った時に様子を診ておこう」とフローは立ち上がる。
「では、そろそろ奥方が無事に森へと辿り着けるよう、同行することにするか」
「帰るのね――じゃあ次来た時にタバコよろしく」
「ああ、わかった」
そう言い残し、食べ終わったデザートの空をビニール袋で丁寧に包み、車内に置いて立ち去るフロー。
「ああ、ストップ」
そのトーチの言葉に「なんだ?」と少し不機嫌そうにフローは振り返る。
「次、またエルフの奥方が来るかもしれないでしょう。そのときに、歌詞にこう付け加えておいて」
ついでトーチは口を開き、こう続ける。
「『かき氷はやっぱり甘露亭』って、さ」
「ふむ…覚えておこう」
そしてフローは風のように立ち去り「CMソングかよ」と、思わずフロアはつぶやいてしまっていた。
*
「――無事、帰っていくようだな」
第三陣から離れる【森】を眺めつつ、ヤスシは席から立ち上がる。
「やはり、こちらも技術的な面でまだまだ。防衛線は突破され、返納課やギルドの足を引っ張ることとなってしまった」
それに「…いえ、違いますよ」と今しがた【魔獣】の討伐を終えた【ギルドマスター】のルイスが報告にやってくる。
「あの防衛線のおかげでこちらも最小限の被害ですみました。怪我人もほぼなく魔力を溜めたオーブも大量に手に入り、この国はより活気付きますよ」
「…そうでしょうか」
顔を上げる若きサクライ重工の現社長に「それに、ヤスシにはまだ先がある」と、次回に向けた防衛線の図面を引きつつ、ドワーフのゴーリンが答える。
「精進し、次はもっと魔力を圧縮できる製品を作っていけば良いだけさ」
「それに、返納課もギルドも喜んで協力しますよ」
アザミがノームのカリンを連れ、付け加える。
「これからはより民官両方で綿密に連携をし、今後の対策に備えましょう」
「…そうですね」
丘の上で顔を上げるヤスシ。
「次世代のためにも、まだ引くことはできませんね」
――そんな、夕日を浴びる一行の端にあるテント内でハスラーはうめく。
「くっそー、なんだってんだよ。エルフって一体何なんだよー!」
ぎっくり腰のせいで動けず、医療用テントに響く悲痛な声。
夕日を浴びる一向は、そんなハスラーの叫び声に一切気づくことはなかった。
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