レポート.31「背負うには重すぎない?」

(――どうして、来いと言ったのにすぐ来ない!)


(ゲホッ、ゴホッ…痛い、痛いわ)


 学生時代のハタコ。

 彼女の視線の先には、酒の缶を持つ父と咳き込む母の姿。


「ごめんなさい――!」


 悲鳴のように声を上げ、何があってもハタコは二人の元へと向かう。


 夜になれば聞こえる、壁を通しての父親の怒鳴り声。

 母親の関節が痛むという、すすり泣くような声。


(行かないと、私が何とかしないと…でも)


『こんにちは【死】です』

 

 ドアの向こう、檻の中に新しい死神が落ちる音がした。



「――ハタコさん、相当参っているみたいです」


 フロアはそう伝え、彼女が閉じこもっているドアから手を離す。


「…魔力を伝えばドアの向こうに行けるかと思ったが、上手くはいかないか」


 腕を組むフローに「魔法は当人の願望が反映されやすいからね」と、トーチ。


「彼女が本心から開けたいと思わない限り、出ては来んでしょう」


 そう答えトーチはタバコをくわえるも、上から水が降りびしょ濡れになる。


『あ…すみません。火を使っているのが見えて、気になって。そんなつもりじゃ』


 ドアの向こうから蚊の鳴くような声と共に落ちてくるのはバスタオル。


「あ、こりゃどーも」と口元だけ見える形で布に包まれるトーチ。


「――ドアをへだてたとしても、【場】にいる人たちのことは見えているらしい。フロアくんの報告じゃあ、今日は熱を出したから休む予定だったんだろ?」


 未だバスタオルを外さないトーチの質問に「そうなんですよ」と、フロア。


「でも、成り行きで【場】の魔法が使えると分かって。そのまま、フローさんやサクライ重工の人たちに任せることになってしまって…まさか、こんな出来事が起きて、現場に駆り出されているとは思いもしませんでした」


「――なんだか。こちらが悪いように聞こえるが」と、ため息をつくフロー。


「世界が崩れた時に【場】を使っての避難を提案したのは彼女だ。サクライ重工の面々もノンから侵入されないよう【場】の外部を囲う形で障壁しょうへきを形成しているし、こちらも何もしていないわけではない」


「いや、何かしている、していないじゃなくてさあ…」


 そう言って、横を見るフロアの視線の先には、円陣を組みながらタブレットの画面を叩くサクライ重工の面々。


 彼らは「あ、またブロックされた!」だの、「うお!ここでエラーかよ!」と各々頭を抱え、その間を縫うようにサポート役としてサウスが【場】に移動させた飲み物を配ったり、バッテリーの小型【オーブ】を持って走る様子が見えた。


「ともかく、今回の件も含めて、後で傷病手当と倍の給料を払うことをサクライ重工に確約させるとして…ハタコさん?」


 濡れたタバコを咥えたまま、ドアへと語りかけるトーチ。


「ワンオペだと負担もハンパないでしょう。だからキミの能力を魔力プリンターでコピーして、肩代わりできるようにするから、ちょっと顔だけでも出してくれない?」


 それに「――でも。そうしたら、皆さんに負担が行きますから」とハタコ。


「大丈夫です。皆さんは他のことに集中してください。ちょっと疲れて熱が出ただけですし…私、すぐに動けますから」


『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』


 ついで、次々と落ちてくる死神たち。


「――ハタコ。そのままだとキミの精神が耐えきれず、いずれは空間ごと【魔王】化する可能性がある」と、フローが付け加える。


「熟練の【魔法使い】も魔法を使い続けると消耗する。一人で仕事を抱え続けた結果、誰も全容を解明できず敵に隙をつかれて全て奪われたノースのような例もある。あと数時間前、伝言を最小限にし単身敵地に乗り込んだ女がいたが――」


「…ちょっと待って。それって、私のこと?」と声をあげるアザミ。


「だいいち、ライトもいたから単身じゃなかったし――」


 アザミが文句を言う中で、ふとフロアは思うところがあり「ハタコさん」と、ドアに声をかける。


「…もしかして。昔から、自分の時間が欲しかったんじゃないですか?」


 その発言に顔を上げるトーチ。


「――あの。私、見るつもりはなかったんですが。魔力を探るときにハタコさんの記憶を覗いてしまって…そのときにハタコさんがいつも追われるように、人のためにと走る様子が見えて、今まで自分の時間が無かったのかなって思って」


「私の…記憶?」


『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』


「ごめんなさい、ごめんなさい!」


 途端に檻の中の死神たちが増殖を始め、ハタコが謝りだす。


「我慢しなければならないのに…普通なら、こんな問題は自分で解決できるようにしなければいけないのに」


「ハタコさん、落ち着いてください。私は、ただ――」


『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』『こんにちは【死】です』


 死神たちの声に被さるように、とうとうすすり泣くハタコ。


「私のいる世界は生活もお金もみんなギリギリの状態で。でも、それで普通だと、周りに合わせて我慢するようにと昔から親に教えられてきて。母も私を産んでから辛い人生で、そこから抜けられなくて、周りもそれを許さなくて…」


「許さないって、なんなんですか!」


 フロアの声と同時に聞こえる、ハッと息を呑む声。


「夢や希望を持っても、良いじゃないですか――なんですか?ギリギリの生活が当たり前?そんな世界が普通だなんて、どうして言えるんですか?」


「それは…今まで会ってきた人たちが、みんな口々に」


「その基準が当たり前だと言うのなら、それこそ悪夢ですよ!ギリギリの状態でしか回らない社会のほうが間違っているし、どんな人でも自由に働けないことを許容する社会なんて馬鹿げています」


 ドア越しに息巻くフロアに「…え?」と、絶句するハタコ。


「――考えてもくださいよ。ハタコさんは向こうとこっちの世界を行き来できる立場なんですよ?今でこそちょっと崩壊しかかっていますけど。ハタコさんが協力してくれれば解決できる範疇はんちゅうでもあるんです。その先は自分のしたい仕事に専念してください!」


「――あの、崩壊はちょっとというレベルではない気がしますが」とドアが開き顔を出すハタコ。


「…というか、私。まだ仕事続けても良いんですか?」


 目元が赤いハタコは額に冷却シートを貼っており、マスク越しに息も上がっていることから、だいぶん無理をしていたことが伺えた。


「こんなに乱れちゃったのに、まだここに居続けて良いと?」


 涙目になるハタコに「うん、もっとひどい人はたくさんいるから」とフローを見るトーチ。


「だから、ささっと魔力プリンターに手を置いてハタコさんは一時休戦。仕事をする上では体調を整えることも仕事だし、誰も文句は言わないから」


「――そうですか」と目元を拭い、プリンターの上に手を置くハタコ。


 ついで、背後の檻の中にいた死神が半分以上減り、緊張が切れたのかハタコは床に倒れかけ、とっさにフロアは彼女を支える。


「寝息、立ててますね。このまま寝かせておきます」


 そう言って、部屋のベッドに彼女を連れて行こうとするフロアに「ああ、それはアザミくんに任せておこう」とトーチは指をさす。


「キミには、まだすべき事があるからね」


 ついで、移動魔法でゴーレムが階下に降り立つと「ゴーレム解析をした結果、ノンの魔力を特定することができたわ」とスクエアが端末を見る。


「…ふむ、となると後は魔力を辿れば良いだけか」とフロアを見る、フロー。


「えっ、私――?」


 戸惑うフロアに「魔力の【流れ】を【読む】ことに長け、、奥方の魔力も持っている【魔法使い】はキミを置いて他にはいないしな」とフローは笑顔を向ける。


「――良かったな、この上ない名誉だぞ」


「ふ、え…あの!」


 とっさに、トーチに助けを求めようと顔を向けるフロア。

 それに「まあ、大丈夫でしょ」と、トーチは次に出したタバコに火をつける。


「防御面についてはこちらもサポートするし。魔力が濃くて通信こそできないけれど、仮想世界にいる【聖剣】も同行するから。【場】を作り出せる彼なら魔力の影響なくフロアくんのお供もできる――そうだよね、サウスくん」


 その言葉に大量のコードを持ったサウスは「は?」と顔をあげる。


 ――そして、きっかり一分後。


「うわー」


「ひええええ!」


 二人は、スクエアの展開した移動用の魔法陣により仮想世界と現実の入り混じる空の中へと打ち上げられていた。

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