第9話 罠

「船団との距離は」

「約三万です」


 水平線上に黒煙が何本か上っている。

 帝国海軍駆逐艦「棕櫚」は今日も輸送船団から距離を置いて航行していた。


 船団を狙う敵潜を直掩艦と挟撃する作戦をとっている。

 このところこの作戦が功を奏し、撃沈一隻を含む成果を上げていた。


「艦長、スクリュー音です、本艦前方、一万五千」

 聴音員の椛島兵曹がよく通る声で叫ぶ。

「輸送船団に打電、敵潜発見、我攻撃に移る」


「対潜戦闘用意」

 管内の各部署から、復唱が帰る。実戦が兵の練度を上げている。平時の訓練だはここまでの上達は望めない、氏家は自艦の能力に自信を得つつあった。


「敵潜、機関停止、ロストしました」

 焦ることはなかった、水中にいるだけで彼らは酸素を浪費していく。いずれ動き出さないわけにはいかなかった。


 三十分が過ぎた。

「艦長敵潜動きました。本艦後方距離五千です」

「後方、別の艦か」

「不明ですが、スクリュー音は一機です」


 同一艦ではありえない動きだ。

 何となく嫌な予感がする、が、敵潜は追わねばならない。

「面舵一杯、全速前進」

「敵潜出力を上げています」


 逃げても無駄である、水中での最大速力は十ノット弱、こちらは優に三十ノットだ。

「爆雷投下用意」

「機関停止、ロストしました」


 距離二千で敵潜の行方はわからなくなった。

「左舷十時、魚雷です。本艦に向かっています」

「急速回避取舵一杯」


「離脱する、最大戦速進路ひと、ひと、まる」

「七時方向、魚雷です」

「馬鹿な」

 氏家は思わず口走った。


 敵潜は前方を逃げているはずだ、後方からの雷撃。つまり本艦は敵潜に取り込まれているということだ。

「司令部に打電、本艦敵潜の波状攻撃を受く、離脱を図る」

 どうやら、狩るつもりが狩られる側になったということらしい。


 脇の下に汗がにじむ。

「五時、魚雷です」

「十一時、魚雷」

 逃げられんどうかわしても、どちらかが当たることになる。


「後進一杯」

 船がきしむ、最大戦速から後進一杯、機関が壊れても不思議ではない

「左舷魚雷通過」

「右舷避けられません」


「総員耐衝撃姿勢」

 ゴーンという鐘をつくような不気味な音が艦内に響いた。

「右舷中央、魚雷命中。不発です」


 艦橋のそこかしこで安どのため息が漏れた。

 ドイツ製の魚雷はまま不発があると聞いたが、実際に経験するのは初めてだった。


「応急班被害報告」

「取舵一杯、目標後方敵潜」

 おそらく後方が指揮船だろう、このまま逃がすわけにはいかない。


「艦長米海軍です、先日の連中がこちらに向かっているそうです」

 ありがたい、一隻でも応援が増えれば何とかなるはずだ。


「スクリュー音三隻、逃げています」

 三隻だと「棕櫚」のためにか、俺たちも有名になったということか、氏家は少しばかり愉快になった。


「敵潜、魚雷発射管を開きました」

 このこの期に及んでも、まだ戦う医師をなくしていないらしい、敵ながらあっぱれだと思う。

「二時、魚雷です」

「取舵、本艦敵潜上を通過後、爆雷攻撃に移る。先ほどのお礼をしてやれ」


 このところ調子がよかったこともあって、氏家も乗組員もおごりがあったように思う。今回は運が味方をしてくれたが、次回はどうなるかはわからない。

 氏家は気持ちを新たにした。

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