第16話 影響

「艦長、司令部から電報です」

「砲術長」

 氏家から電報用紙を受け取った佐野大尉の表情は、はっきりと青ざめた。


「どうされますか」

「どうもこうもない、船団護衛を打ち切り帰投するわけにもいくまい」

 輸送船団にも護衛の艦船にも、基地の惨状は知らされているに違いない。

 直掩ではないにしても、「棕櫚」が護衛から離れるというのは、船団にとって不安を増すことになるだろう。


 マルセイユまではまだ一日以上の時間がかかる。それに「棕櫚」が基地に帰投しても、できることはないに違いない。

 氏家が今なすべきことは、輸送船団を確実にマルセイユまで送り届けることだ。


 氏家は艦内マイクをとった。

「艦長より達する、艦長より達する。昨日ひと、ご時、基地に敵潜が奇襲をかけ、在泊艦船に若干の被害が出た模様。本艦はマルセイユ到着後、予定を変更し当地において二日の休養補給後帰投する。本件につき、彼の地での、流言飛語に注意のこと」


「押っ取り刀で駆け付けると、かえって待ち伏せに会うかもしれん。ここは逆に英気を養おう、君たちもな」


 戦艦ならばいざ知らず、駆逐艦程度の船で、情報を秘匿することはできない。ならば積極的に開示する方が、むしろ乗組員の士気は上がる。


 予想通り艦橋の下士官兵には気力がみなぎった。もっとも急に降ってわいた、マルセイユでの二泊が嬉しいという方が本音かもしれない。


 おそらくマルセイユにも情報は伝わっている。いや、むしろドイツの間諜たちが積極的に利用している可能性があった。

 この時代、他国では貴族出身の士官と、平民出身の下士官兵では一般教養に格段の差があった。


 それに対して、基礎教養の高い帝国海軍の下士官兵には英語のみならず仏語に堪能なものもいる。それが逆にあだとなる可能性があるために、氏家はあえて注意を喚起したのだ。


 マルタの基地は、まだ混乱の極みにあった。何をおいても、港の入り口に擱座したフランス艦を移動させねばならない。雷撃による負傷者も救護しなければならない。

 周辺の警戒に人手を割く余裕が司令部にはなかった。


 氏家が危惧したとおり、敵潜はいた。補給のため基地に帰投したギュンターと交代に投入されたUボートによって、英国海軍の駆逐艦が沈められていた。

 そういった意味でも、氏家の判断は正しかったと言えるかもしれない。


 ただ撃沈された英艦の指揮官を責めるわけにもいかないだろう。彼らにすれば僚艦が被害を受けている、危険は承知していたとしても帰投するのが人情かもしれない。


 氏家にしても、帝国海軍の艦船が被害にあっていたら、状況はどうだったかわからない。

 どちらにしてもこの前の間諜の件と言い、英国海軍はご難続きのようだ。


 マルセイユでの休暇は、氏家の思惑以上に伸びることになった。

 連合国にとっては少なくない被害が出ていることが理由だ。

 船団の護衛に従事する船が足りないということで、護衛してきた船をまたアレキサンドリアまで送ることになったのだ。


 その結果「棕櫚」は久々に輸送船団の直掩につくことになった。

 船隊指揮は、氏家と異種格闘戦を行ったノーマン中佐が執る。

「中佐のお手並み拝見と行きますか」

 佐野の軽口に艦橋が沸いた。

 お調子者ではあるが、戦場ではこの性格は悪いことではないらしい。








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