帝国海軍地中海戦記

ひぐらし なく

第1話 雷撃

「右舷二時方向、雷跡」

 見張り員が叫ぶ、目標は船団中央の輸送船だ。

 かわしてくれ、氏家林太郎少佐は祈ると同時に、注意喚起の警笛を鳴らす命令を下している。


 輸送船も気が付いたらしい必死の回避行動をとり始めた。

 幸いにも敵魚雷は輸送船のわずかに後方を通過した。

 本艦の警笛が功を奏したのかもしれない。戦場で生死を分けるものは、ひとえに速さだ。


「対潜戦用意、聴音員、感は」

 一分ほどの沈黙の後に椛島兵曹の声が響く。

「左舷後方、距離約千五百、感あり、潜水艦です」


「面舵一杯、最大戦速、爆雷戦用意」

「信号員、司令に報告、我、対潜戦につく」

 氏家は即座に下命した。


「我、対潜戦につく」

「面舵一杯」

「最大戦速」

「爆雷戦用意」


 艦橋の信号員、操舵員、機関室からの伝声管を通じ機関士、そして水雷士がそれぞれの任務に従って復唱した。


 元はイギリス海軍のH型駆逐艦である「棕櫚しゅろ」は、帝国海軍の艦船と異なり重油専焼だ。帝国海軍ではできない贅沢だ。帝国海軍は石炭と重油の両方を使う混焼である。石炭は国内および大陸で手に入るが重油はそうはいかなかった。



 船体を震わしタービンがうなり艦はみるみる速度を上げていく。

「司令より入電、了解」

「司令了解」


「距離二百、百、五十、十、推定真上」

 椛島が叫ぶ


「水雷長、攻撃開始」

「攻撃開始了解」

間髪入れず水雷長の号令が発せられた。


「爆雷投下用意」

「三、二、一、レッコー」

 深度は八十メートルにセットされている。直撃より下からの衝撃波で敵艦を損傷させる戦術である。


 椛島が耳から聴音器を外す。

 海中からつきあげてくる衝撃に、艦が揺れた。

 水柱が上がる。なかなか派手なもんだなと氏家は頭の片隅で思った。

 彼は日露戦争が終了したのちに兵学校に入学している、つまり、今回の派遣が初めての実戦である。

 しかしながら意外と落ち着いていることに自分でも少々驚いている。



「砲術戦用意、各員は敵艦発見に努めよ」

 水柱が治まり海面を水紋が広がっていく。


 輸送船団の煙突から出る黒煙は、遥かな彼方になっている。

 あちらの護衛は僚艦に任し、以降の「棕櫚」は獲物を追う猟犬に徹することになる。


「左舷後方、七時、九時、魚雷」

 なんてやつだ、逃げずに本艦に戦いを挑むというのか、駆逐艦に向かってくるとは。


「取舵一杯、敵潜は」

「取舵」

「スクリュー音なし」


 逃がしたか、氏家は臍をかんだ。

 地中海のこの海域では海底の高低差による潮流がある。

 敵潜はニュートラルの状態で潮流に乗り、海域離脱を図るつもりだろう、そうなると探知は難しくなる。


 敵戦撃沈よりは無事に船団を護衛することが本来の任務である。

「対潜戦もとい、通常見張りに戻れ」

「本艦は護衛任務に復帰する」

「司令に打電、敵潜撃沈ならず。我、固有任務に復帰する」


「棕櫚」乗組員は、地中海遠征に伴い編成された寄り合い所帯だ。

 氏家は海軍省、航海長、砲術長は佐世保鎮守府、水雷長は舞鶴鎮守府、

 機関長は横須賀鎮守府、それぞれの所属の艦船から集められている。


 下士官兵もまたそれぞれの鎮守府から集められている。

 今回の派遣に対して、英国から貸与された駆逐艦ということもあって、各鎮守府のエースが集められた形だ。


 いわゆるサラエボ事件をきっかけに始まった戦争は、ここにきて激しさを増している。

 英国はUボートによる商船の被害に手を焼き、我が国に対して、日英同盟に基づき海軍艦船の派遣を要請した。


 我が国はそれに応じ、佐藤少将率いる第二特務艦隊を編成し派遣を決定した。。

 艦隊がスエズ運河を通過し、地中海はマルタに到着したのは半年前のことである。


 氏家率いる乗組員は五週間という短期間で「棕櫚」の完熟訓練を終えた。今回の護衛任務が初陣であった。


 貸与艦と言えど旧式ではなく、むしろ聴音器、爆雷は日本艦にも装備されていない最新のものであった。


 いずれ、わが軍にも装備されるであろうこれらの兵器を、先んじて実戦で運用する。そのために選ばれたのが、氏家たちだったのだ。







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