第10話 海戦

「駆逐艦ジョナサン帰投してきました」

 無事だったか、氏家はとりあえず胸をなでおろした。

 ノーマン中佐は「棕櫚」救援に駆け付けた後、もう一度輸送船団の護衛に戻っていた。


 不発だったものの、艦のどてっぱらに魚雷が当たったのだ、駆逐艦の装甲は思った以上に薄い。一応の検査は受けなければならない。

 船団の護衛は気になったものの、「棕櫚」は先に帰投していた。


 氏家は被弾したのはこれが初めてだった。それでも実のところ肝は冷やしたが、恐怖を感じたというほどのことはなかった。それは過去の経験がものを言ったのだろうと思っていた。


 駆逐艦長としての実戦は今回の派遣が初めてであったが、氏家は、昨年の『ユトランド海戦』に参加している。

 当時英国戦艦「クイーンメリー」には観戦武官として下村帝国海軍中佐が乗艦していたが、氏家は観戦武官としてではなく、駆逐艦に戦闘員として乗艦していた。


 海軍上層部において地中海派遣がほぼ確定したころに、英国海軍の駆逐艦に派遣されていた。かの国からの駆逐艦貸与が、こちらもほば決まっていたからである。


 氏家には下船の機会もあったが、彼は実戦に参加することを望んだ。実弾の飛び交う中でなければ得られない操船技術もあるだろうと考えたのだ。


 海戦は両軍指揮官の思惑から大きくずれ、主力艦同士の全面的な戦いになった。

 ロシアとの日本海海戦には参加できなかった氏家にとって、主力艦同士の戦闘はまったく経験のないものだった。


 先頭の詳細は、駆逐艦の艦橋ではほぼわからない、司令よりの無線、手旗や発光信号それら断片的な情報しか知ることはできない。


 わかっているのは自艦に向けて発射される砲弾や、魚雷の数だけだ。

 戦艦の主砲弾が舷側に着弾した時は恐怖で血が逆流する思いをした。舷側に巨大な水柱が上がり艦が大きく傾いた。直撃を食らえば真っ二つに轟沈されるだろう。


 駆逐艦のとりえは高速と機動性だけだった。

「少佐、君なら、どうするね」

 ドイツ軍の軽巡洋艦が逃走を企てていた。


「肉薄雷撃あるのみ」

 駆逐艦艦長ターナー中佐は苦笑した。

「オーケー、操船は君に任せる、やってみたまえ」


「以後本職指揮を執る」

 氏家はターナーに敬礼すると凛とした声を放った。

「進路サウスバイサウスイースト、機関全速右舷魚雷発射管用意」


 駆逐艦がピッチングを繰り返す

「距離三千五百」

 軽巡洋艦から砲撃が始まっている。回避を繰り返す自艦の左右に水柱が上がる。氏家は不思議と恐怖を感じなかった。


 先に受けた戦艦の主砲による攻撃がすでに神経を麻痺させていたのかもしれない。

「距離二千」

「てーっ」

 氏家はつい日本語で叫んだ。言葉はわからぬが気合は通じたらしい。

 三本の魚雷はやや扇形に広がりながら、軽巡洋艦に向かっていった。


「命中」

 軽巡洋艦の左舷に火柱が上がると同時に見張り員が叫ぶ。

 それでも、敵艦は行足を止めない。

「取舵一杯」

「砲術長、再び雷撃に移る、発射点算出」


「僚艦、肉薄しています」

 氏家の攻撃に負けてはならじと思ったのだろう、僚艦が魚雷を発射した。


「命中、敵艦沈みつつあります」

 獲物をとられたような思いはあったが仕方ない、この戦いは英国海軍のものだ。


「ターナー中佐、敵兵の救助に向かいたいのですが」

「よかろう少佐、許可する。見事な攻撃だった」


 氏家が指揮したことは公式記録には一切残ってはいなかったが、主砲弾をかいくぐる経験が、このところの先頭に影響を与えていることは確実だった。




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