3. 体調不良はどうしようもない





 朝練中のことだった。自分の矢を全て射った後弓を置きゆがけを外しているとドタッと倒れる音が弓道場に響かせた。そちらに向けば部員が倒れていた。それも香織先輩だった。


 「か、香織!? どうしたの!?」


 脱ぎかけていた弽と下がけをバッと剥ぎ取るように外し置き倒れた香織先輩に駆け寄る。肩を掴めばかなり熱かった。


 「……熱、あるのか」

 「鏑木かぶらぎ。香織は大丈夫なのか?」

 「わかりません。ただその……抱えた瞬間、ものすごく体がほてってるみたいです」


 香織を抱き上げ、前髪を掻き分けて額に手を当てる。顔色も悪く見える。風邪だろうか?


 「一先ひとまず保健室に運ぼう」

 「わかりました。関先輩はこのまま執り仕切ってください。僕が運んでいきます」

 「頼んだ」


 ぐったりとした香織先輩をそのままお姫様抱っこで抱え上げて足早に弓道場を後にする。靴を履き替えるの面倒くさいなと思いつつも靴下のまま廊下歩けば滑って怪我をするかもしれない。面倒とは思いつつも靴を履き替えて保健室に直行する。


 「失礼しますっ」


 戸を開けつつ手前のベッドに向かい、そっと寝かせる。


 「あ、あら、鏑木くん……だったわね。その子は香織ちゃんね。一体どうしたの?」

 「朝練中に倒れたんです」


 僕の慌ただしさにデスクで何やら作業をしていた先生が駆け寄る。


 「怪我は無さそうね。でも酷い熱ね。倒れるまで気付かなかった?」


 比較的優しい口調で聞いてくる。僕は朝、一緒に登校する時のことを思い出す。


 「そういえば……登校してる時も少しだけ顔色が悪そう……だったような気がします。僕が大丈夫? と聞いたんですけど曖昧な感じで流されて……」

 「そう。取り敢えず棚にボウルがあるでしょ? それにお水入れてそこの冷凍庫から氷出してくれる?」

 「分かりました」


 言われたようにガラス棚から銀色のボウルを取り出し、洗面台に向かい、水を張る。少し小さめの冷蔵庫を見てどっちが冷凍庫だろうかとふと考える。


 「あっ……そうだ。あの、先生。冷凍庫はどっちの方なんですか?」

 「一段目よ」

 「ありがとうございます」


 開けると中にブロック上に区分けされたケースがあり、それが氷だと把握して数個そのボウルの中に入れ、残りをしまう。恐らく布巾も必要だろう。ただ何処に布巾入れがあるか分からないため自分のハンカチをボウルに突っ込んで持っていく。


 「持ってきました」

 「ありがとう。あら? これはキミのハンカチ?」

 「はい。何処に布巾がしまってあるのか分からなかったので」

 「使って良いの?」

 「構いません。ところで……香織、先輩が倒れた理由って」


 冷えた水を吸ったハンカチを絞りながら先生が言った。


 「鏑木くん。女の子の日って分かる?」

 「えぇと……確か、月に一度起こる、っていうことは習ってますが」


 先生にそう言われ、授業で教わったことを思い出す。


 「そうね。それで合ってるわ。それでね? 女の子にもるんだけど、女の子の日は人によって程度も変わるのよ」

 「そう……なんですか?」


 それは初めて知った……と思う。少なくとも月一で起こる生理現象で出血する。ということだけは覚えている。


 「多分、香織ちゃんは重い方ね。ただちょ〜っと無理してたみたいね。この事、本人から聞いた?」

 「いいえ。あまりこちらから聞くのもデリカシーに欠けるんじゃないかと思ってて」

 「そう。けど、その顔だと気付いていたらって思ってそうね」

 「……まぁ、はい。もし、学校に行く前に気付いてたら休ませてたと思います」


 僕ってそんなに顔に出やすい人だったかと思いつつ頷き答える。


 「……あ。荷物置いてきたままなので持ってきます。帰らせた方良いですよね」

 「そうねぇ……目が覚めて、まだ体が怠かったりしたら帰らせるべきね。鏑木くんはどうするの?」

 「そのまま休みます。家に送らないといけないですし、体調戻るまで看病します」

 「勉強は大丈夫なの?」

 「まぁ……1日潰れるくらいどうって事ないですよ。そんなことより香織先輩の方が大事ですから」


 僕は一度保健室を後にして弓道場に再度向かった。関先輩には恐らく香織先輩を休ませる事と看病にあたるため自身も休む事、あとは確か香織先輩とクラスが一緒だったはずなので1日分の授業内容を控えておいてほしい事などを伝えて保健室に戻る。


 「失礼します。今戻りました」

 「あら、お帰りなさい。ついさっき目が覚めたばかりよ」


 ベッドに目を向ければポーッと何処か一点を見つめたままの香織が起き上がっていた。ベット脇まで近寄って椅子に座る。


 「香織、体調はどう?」

 「あ、えっと……迷惑、かけた……よね?」


 僕の問いかけにハッと我に返り、バツが悪そうな顔で僕を見る。


 「迷惑だとか思ってない。体調は?」

 「えっと……」


 僕の真剣な眼差しで香織先輩は言いづらそうな反応でうつむく。


 「……正直に言って欲しい。きみが倒れる前に気付くべきだったね」

 「う、ううん。琉椰りゅうやくんは悪くないよ。私が隠してた……だけだし。あはは」


 やはり言い難いのだろうか。それなら仕方ない……のかもしれない。


 「香織ちゃん。鏑木くんが香織ちゃんを運んできてくれたの。とっても心配してたわ」


 そこで思わぬ援護射撃サポートが来た。先生は優しげな笑みでこちらを見ていた。そういえば呼び捨てで呼んでいたけれど……今更過ぎるし良いか。


 「……えっと……ね? その……私、今日女の子の日、で……」

 「……先生から聞いた。人に因って体調が違うってのも」

 「……私、ね? 重い方で……その……朝ね? 薬飲み忘れてて」


 少し支離滅裂しりめつれつなところはあるけれど理解する。僕は頷く。香織先輩はポツポツと話し出す。


 「でも琉椰くんにはそんなの恥ずかしくて言えなくて……だからその……う……ごめん、なさい。隠してて」

 「謝らなくていいよ。僕は男だから女の子特有の苦痛……って言うの? それが分からないからどうすれば良いとかも分からないし言われたら多分めっちゃ心配すると思う。授業で習ったけど血も出るんでしょ?」

 「う、うん。でも薬で抑えられるよ」

 「それを飲み忘れてたと」

 「う……うん」


 華奢きゃしゃな香織先輩が一層小さくなってるように見える。僕は苦笑する。


 「薬は持ち歩いてる?」


 僕の声にふるふると横に振る。


 「……家に置いてる」

 「そっか。じゃあ、帰って薬飲んで横になろう。僕も学校休むから」

 「へ、な、なんで?」


 目を丸くしながら僕をまじまじと見る。


 「なんでって、そりゃあきみの彼氏だからだよ。体調不良の中で一人にさせるわけにもいかないでしょ? 幸い、関先輩にはもしかしたら休むかもしれないって伝えてはいるし1日ぐらい休んだとこで出席日数が足りなくなるわけでもないし平気だよ」

 「うぅ……でも……」

 「でもじゃないよ。そういう時こそ甘えなよ。ね?」

 「……いいの?」

 「うん。体調良くなるまでしっかりるよ。あ、先生。出席日数の欠席って何日可能です?」

 「えーと、ざっと30日くらいは平気ねー。チラッと調べたけど二人とも皆勤賞なのね。偉いわね」


 ふむ。まぁ、土日祝と祭日を抜きにすれば意外と多い欠席可能日数だ。1日2日休んでも問題ないだろう。


 「てなわけだし、早速帰って横になろう? 今でも大分無理してるでしょ?」

 「そ……れは……ん」


 咄嗟とっさに否定しようとするけどすぐに肯定するように小さく頷く。


 「そういう事なので欠席許可書貰っても良いですか?」

 「書いておくわね。香織ちゃんは体調不良、鏑木くんは家庭の事情で良いわね」

 「え、そんなことで良いんですか?」

 「ふふっ、良いのよこんなので。さ、ほら早くお家に送ってあげなさい。あとはわたしの方から言っておくから」

 「ありがとうございます先生。香織、歩ける?」


 僕は先生の厚意に甘え、深く礼をしてから香織先輩に聞く。すると小さく横に振った。


 「……多分無理かも」

 「分かった」


 僕は椅子から立ち上がって香織先輩に背中を向ける。


 「そのまま体乗せて」

 「うん」


 少し遠慮があるけれど背中に香織先輩がおぶさる。香織先輩がしっかり背中に乗ったのを確認してそっと立ち上がる。


 「……平気?」

 「全然大丈夫。それじゃあありがとうございました先生。失礼します」

 「ありがとう先生」

 「えぇ、お大事にね」


 軽く一礼して保健室を出る。


 「……ほんとに重くない? 無理してない?」

 「してないよ。それに女の子一人持てるくらいには鍛えてるから香織の方こそそのまま委ねてなよ」

 「……ごめんね。心配かけて」

 「ん。もう謝らなくていいよ。よっと。あ、僕の中履き下駄箱に入れてくれる?」

 「ここ?」

 「そう。そこ」

 「はい」

 「ありがと」


 外履きはそのままにしてたので足を突っ込み、何度か爪先をトントンとする。


 「私の靴は?」

 「あ、弓道場に置いたままだ。少し焦ってたな。もう少し周りに目を配らなきゃな」

 「あははそっか。じゃあ弓道場行こ」

 「わかった」


 弓道場のある方向に指を指す香織先輩に頷き、再度また弓道場に向かって靴を取りに行く。


 「おぉ、鏑木、香織。忘れ物か?」

 「はい。香織の靴忘れてたので」

 「そうか。体調は大丈夫じゃ無さそうだな。無理はするなよ」

 「ん、ありがとう関くん」

 「気をつけて帰れよ」

 「分かりました。ありがとうございます関先輩」


 なんだか関先輩は面倒見のいいお母さんって感じがするなと失礼なことを思ったことは内緒だ。


 「ねぇ、琉椰くん」

 「うん?」


 帰り道。香織先輩をおんぶしたまま校門を出て少し歩くとギュッと少しだけ密着して来た。香織先輩の中で少し安心してきたのかな。


 「……隠しててごめんね?」

 「ん。言えなかったことはしょうがないよ」

 「ううん違うの。その……琉椰くんは彼氏なのにさ? 私、琉椰くんのこと頼りにするって決めてたのに、いざこんなことになったら中々言えなくて……嫌いになった?」

 「こんな事でなるわけないじゃん」

 「…………ほんと?」

 「ほんと」

 「……うぅ、優しすぎるよ……」


 ぎゅぅっと首筋に顔を埋めながらさらに抱き締めてくる。僕は前を見ながら苦笑する。


 「彼氏なんだからこれくらいの事で嫌いになったり幻滅したりしないよ。生理現象は誰だって人に伝えるのには躊躇ためらいがあるもんだと思ってるしさ。それに朝見た時に顔色悪いのに気付いてたけど、何も言わなかった僕にも責任あるしこの件はどっちもどっちってことで」

 「…………ん」

 「だから、こんな事で悲しくなったりしなくていいんだよ」


 香織先輩が顔をつけて密着していた部分が濡れていた事には気付いた。小さく声を漏らす香織先輩は嗚咽おえつを洩らしていた。精神的にも不調をきたすのかなと思いつつも次からはちゃんと言おうと心に決めた。








 香織先輩の家に着いて、彼女に鍵を開けてもらい中に入る。鍵をかけてから香織先輩の部屋に向かう。ジャージのままだけど……着替えさせようかどうか迷うな。って着替えよりも先に薬だ。


 「っと、薬は何処にあるの?」

 「私の机に入ってるよ」

 「ん、分かった」


 部屋に入って香織先輩をベッドに座らせてから机に近づく。


 「何処に入ってるの?」

 「平たい方の引き出しに入れてたと思う」

 「……あ〜。あ、多分これかな?」


 言われた通り引き出しを引くと、生理薬の小箱を手に取る。それを香織先輩に見せる。香織先輩はコクっと頷く。


 「ん、それ〜」

 「良かった。お水持ってくるからちょっと待ってて」

 「ん、まってる」


 香織先輩に手渡して少しだけ急ぎ早しでキッチンに向かう。程なくして部屋に戻ってコップに入れた水を渡す。


 「ジャージのままだけど着替えはどうする?」

 「このままでいーやー。なんか着替えるのめんどくさいし」

 「ははっ、そっか。もう横になる?」

 「ん。少しだけ寝ようかなぁ」

 「分かった。おやすみ香織」


 薬を飲んだのを確認してコップを受け取り、横になったのを確認する。


 「ねぇ……琉椰くん」

 「んー?」


 キッチンに置いてこようとドアノブに手を掛けた時に声を掛けられる。


 「まだ行っちゃヤ」

 「…………はは、分かった。どうしてたらいい?」

 「ん」


 コップをベッド横のローテーブルに置いてベッド脇に向かい合うように座る。顔の下まで上げた布団の中から右手を出してきた。


 「……にぎってほしいな」

 「分かった」


 そっと手を握る。香織先輩は指を絡めてきて、にへっとだらしなく笑う。


 「それとね?」

 「うん?」

 「おやすみのちゅーもして?」

 「分かった」


 軽く身を乗り出して唇を重ねる。それで満足したようでそのまま少ししてから寝息を立て始めた。香織先輩の寝顔を見ながらも程々のところでコップ片付けてこようと思うけれど僕自身繋いだ手を離す気にはなれなかった。そしてどれくらい眺めていたか忘れたけれど途中から僕は意識を飛ばしていた。








 どれくらい眠ってただろう。こういう日はお薬飲んでてもよく見る悪い夢を見ることもなく、ふと目が覚めた。薬を飲んだことも幸いしてまだダルさはあるけどさっきよりは幾分マシな感じだ。


 「……ぁ」


 ポーッとした寝惚ねぼまなこに映るのは私の右手を握ったまま枕元に顔を突っ伏して眠ってる琉椰くんだった。もしかしてずっと握っててくれたの? なんて思ったけどそんなわけ無い……よね?


 「…………好き、だなぁ」


 寝る前、私は我儘わがまま言った……と思う。だからこうして手を握っててくれてたんだ。それがどんなに嬉しいかわからないだろう。私はいつもこんな感じになると誰かに甘えたくなる。それもたくさん。重い女だって思われて無いかな? めんどくさい女だって思われて無いかな? それが少し怖い。でも琉椰くんのことだから笑って「大丈夫」って言うんだろうなぁ。私を不安にさせないように接してくれてるのかな。そんな優しさに今も胸がきゅぅって締め付けるように痛い。けれどそれと同時に好きって気持ちがいっぱい溢れてくる。


 ──────頭撫でたら起きちゃうかな。


 ふとそう思って左手を伸ばしかける。


 「……ん、ん」


 その時もぞっと琉椰くんは身動みじろぎした。私はなぜかハッとして、出しかけた左手を止める。少しどころか結構悩んだと思う。だけど琉椰くんのサラリとした黒髪にそっと触れる。ピクッと彼のまぶたが震えるけど起きることはなくて、そろりそろりと優しく撫でる。


 ちょっとだけ痛んでる、かな。そういえば髪の手入れは面倒だからあまりしてないって言ってたっけ。今度私が使ってるヘアオイルとか使わせてもいいかな。


 「……んん、ん……? あ、おはよ……香織」

 「あ……起こし、ちゃった? ごめんね起こしちゃって」


 頭を撫で続けてたら琉椰くんが起きちゃった。琉椰くんはまだ目覚めきってないふにゃっとした顔で首を振った。


 「大丈夫。いつの間にか寝てたみたいだし。それに……もう少し撫でていいよ。僕も香織に撫でられるの好きだから」


 そう言って少しだけ身を乗り出してポスっと私の肩に頭を落とした。寝惚けてる時の琉椰くんはとっても可愛いなぁ。私も思わずにへっとだらしなく笑って抱き締めるように彼の後頭部を撫でた。


 「…………」

 「……あ、耳、赤くなってる。目、覚めた?」

 「………うん。その……恥ずかしいからもう少しこのままで」

 「あっはは、ん。いいよ」


 琉椰くんが目が覚めてくると耳まで赤くして寝惚けてた時の言動を恥ずかしんだ。そういうところも私は好き。


 「そろそろ……起きる?」

 「……うん。香織は着替えなきゃでしょ?」

 「あ、そういえばそうだった」


 私は上半身を起こして部活で決めて部費で買ったジャージだったと思い出す。


 「体調はどう?」

 「ん、少し楽になったかも。でもまだダルいかなぁ」

 「そっか。着替えてる間何か作ってくるね。食欲は?」

 「ん〜……そこそこ?」

 「はは、そこそこか。分かった。待ってて」


 彼が立ち上がると同時にパサっと羽織っていた毛布が落ちた。


 「……あれ? 香織がかけてくれたの?」

 「へ? ううん。私さっき起きたばっかだから違うかな」

 「あー、じゃあ霞澄かすみさんかな」

 「多分そうかも?」


 机に置いてる時計を見たら夕方をちょっと過ぎたくらいだった。霞澄も帰ってきてる時間だったっけ。


 「それじゃあ待っててね」

 「は〜い」


 琉椰くんは毛布を綺麗に畳んでから部屋を出てった。私はベッドから降りてクローゼットに向かう。寝汗もかいて少し心地悪い。下着、替えようかな。


 「……あ。コレも替えとこ」


 ジャージを脱いで少しだけ大きめなスウェットと替えの下着を取り出す。ブラを替えた後にショーツを脱いだらナプキンに血がやっぱりついてて自分の体ながらも少しだけ嫌悪感が出た。ぺりぺりと剥がしてパッパと畳んで新しいのを替えのショーツに付けてから履く。寝る前に薬飲んだけど……まだいっか。スウェットも着て、クローゼットの扉を閉めてからジャージと下着とナプキンを持って一階に降りる。


 『りゅーやお兄ちゃん何作ってるの〜?』


 脱衣所に置いてる洗濯機に向かうとリビングからそう声が聞こえる。やっぱり帰ってきてたんだ霞澄。


 『んー……実はまだ悩んでるんだ。香織の今の体調でも問題なく食べれて且つ、重くない料理って何かなって』


 あっはは。深く考えなくてもいいのに。ほんと、琉椰くんのそんな優しさについ笑ってしまう。


 『おかゆとかどう?』

 『あ〜お粥か。確かにアリかもね。ねぇ、霞澄さん。香織って何か苦手な食べ物ある?』

 『ん〜ん。あんまりなかったと思う』

 『じゃあ……あ、鮭フレークあるね。じゃあ無難ぶなんに鮭のお粥で良いかな』

 『わたしも手伝う〜!』

 『そう? じゃあお願いしようかな』

 『は〜いっ』


 霞澄とも仲良さそうで安心したなぁ。でも、普段はこんなこと考えないのに、ほんの少しだけ嫌なことを考えちゃった。そんなことないのに。


 「……これだからこういう日、ヤダなぁ……」


 ゴミ箱にナプキンを捨てて洗濯機を回しながらそう独りちる。こんなことを考えるから少し泣きそうにもなる。だけど私は我慢して部屋に戻る。








 出来上がったお粥を盆に乗せて香織先輩の部屋に行く。


 「香織、出来たよ。入るね」

 『ん、いいよー』


 なんだか声が落ち込んでる気がするけどどうかしたのかな? そう思いつつ部屋に入る。


 「鮭のお粥作ってきたんだ。霞澄さんにも味見してもらって意外と上手く出来たよ」

 「そっか。私、なんでも良かったのに〜」

 「まぁ、そういう日だから少しでもお腹に溜まりやすいものでも良いかなって」

 「ふふっ、そっか。ね、早く食べたいから置いて置いて」

 「うん」


 香織先輩が座ってる方に盆を置いて、小振りの鍋蓋を濡れタオルで上げる。するとモワッと湯気が立ち昇る。


 「ほわぁ〜美味しそ〜!」

 「おわんあるからよそうよ?」

 「ん、お願いしていい?」


 僕は頷いておたまでお椀にお粥を入れる。


 「はい」

 「ありがと〜。それじゃあ、いただきま〜す」


 手を合わせてからスプーンを手に取って何度か息を吹きかけてから口に入れる。


 「どう?」

 「ん〜! 美味しい〜!」

 「ふふっ、良かった口にあって」


 美味しそうに笑う香織先輩を見て安心する。ほんと口にあって良かった。あまり料理をしないから結構心配だったんだ。けどこの顔を見て安心した。これから練習しておこうと思ったしそれに部屋に入る前の少し落ち込んだような声じゃなくなったのも良かった。


 「ね、琉椰くん」

 「ん〜?」

 「はい、あーん」

 「……あ、あー」


 香織先輩のために作ったからスプーンに掬われたお粥を向けられて少し驚いたけど口に付けて少しだけ口の中で味わってから飲み込む。少し熱くてせそうになったけど。


 「ね、美味しいでしょ?」

 「ん、うん。我ながら力作だね」


 お粥って……凶器だなと感じた瞬間だった。








 それから程なくしてお粥を食べ終えて食器を諸々もろもろ片付けてきた。香織先輩は手伝うと言ってくれたからしまうのをやってもらった。


 「ね、琉椰くん。あのね」

 「うん?」


 部屋に戻ると、ベッドを背凭せもたれにして座り、爪先をぷらぷらと遊ばせながら香織先輩は言う。


 「さっきね、嫌なこと考えてたの」

 「嫌なこと?」

 「あ、普段はそんなことあんまり考えないんだよ? でもその……うん」


 嫌なこと……か。どんなことを思ったんだろうかと気になった。


 「琉椰くんと霞澄が仲良くて彼女としてもお姉ちゃんとしても嬉しいのに、霞澄に……妹に取られちゃうんじゃないかって」

 「…………えっ?」


 それは予想外だった。僕が誰に? 霞澄さんに?


 「それは……」

 「無いのは分かってるの。分かってるんだけど……嫌だよね。その……こんな日だから考えたくなくても考えちゃうんだ」

 「そっ……か」


 どう返したら良いのだろう。僕は香織先輩が好きなことは本当だ。だけど口で言ったって心から安心は出来るのかな。人付き合いというのは本当に難しい。


 「……香織」

 「ご、ごめんね。こんな話して」

 「そう……考えるのも無理ないよ。さっきスマホで調べたんだ。女の子の日は精神的にも不安定になりやすいってあって彼氏として安心させるならどうしようかなって。でも考えても正解なんて分かるわけないし、不安なんてあって当然だと思う」


 僕自身、香織先輩の彼氏として相応しいこと出来てるか分からない。無論大事にしてる気持ちはある。


 「だからさ。

 「えっ?」

 「どれが正解か分からないなら、沢山間違えてそれで学んでけばいい。今まで人と関わり合いをあまりしてない僕が言うのもなんだけどさ」


 だから。


 「それに……もし不安になったらこうすれば良いと思う」

 「……あっ」


 そっと香織先輩を抱き締める。


 「……僕は香織が笑ってる顔が大好きなんだ。楽しそうにしてるのが一番好きなんだ。だからもしそうなったらこうして行動で示してみる、ってのも良いと思うんだ。こうしたい、こうされたいって。今はちょっと不安定で怖いよね? けど僕は憧れだった香織と付き合えて嬉しい。香織は?」


 小さく小刻みに震える彼女の背中を優しくあやすように撫でる。少しだけ嗚咽が聞こえる。


 「……好きっ……大好きだよ……! こんなに優しいし、私の我儘聞いてくれるし、私甘えん坊で寂しがり屋できっと……きっといつか愛想尽かして琉椰くんが離れちゃうんじゃないかって思ったときも……あ、あったし……それに」

 「うん。うん」

 「それに……琉椰くん顔も良いし、スタイルも良いし声良いし良い匂いだし、他の人にモテてそうだし……私、嫌な女してないかなって………う、何言ってんだろ私。私でも分かんないけど……でもっ」


 バッと顔を上げて涙で揺れる瞳で僕を見る。


 「うん」

 「私は琉椰くんが好きなの。誰よりも一番きみが好き。大好き。離したくないくらい好き。ずっと一緒にいたいくらい大好き。だから……離れてかないで」


 僕はゆっくり頷く。頷いてそっと目から零れる雫を親指で拭う。


 「僕は離れないよ」

 「ほんと?」

 「うん。離れるつもりもないし、微塵も起きないほど香織のこと溺愛してる。僕自身初めての恋なんだ。色々不安にさせることあると思うけど、でも僕はきみのそばにいるつもりだよ」


 コツンと額を合わせ合う。瞬間、ぎゅぅっと強く香織先輩が僕の背中に回した両腕に力が入るほど抱き締める。


 「…………して」

 「……うん?」

 「……キス、して?」


 潤んだ瞳で見つめられ、そう言われる。僕はその願いを受け入れて彼女の唇に自分の唇を落とした。


 「んっ……!」


 これまで幾度となく何度も重ねたけれどそれまで以上に胸が締め付けられるほど甘く、愛おしい感情に襲われる。


 「んっ、ぁ……ちゅ……ん、ぁ」


 重ねる度に洩れる香織先輩の甘い吐息。その声も相まって頭がぼんやりとしてくる。一度離れようと唇を離せば香織先輩の方から重ねられる。まるで僕の咥内こうないを彼女に染めようとするように舌を入れてくる。ゾクリと背筋が震える。けれど全然嫌な感覚じゃなくて、甘く痺れるような感覚。そうして重ねる内に僕の身にのしかかるような体勢になって、僕は頭をベッド淵に置いて大人な蕩けるキスをする。


 「……はぁ………これ以上はちょっと」

 「やだ……もっとキスしたい」

 「え、ちょ!? んんっ」


 一度離れて大きく息を吸うとまた塞がれて気付かない内に僕の唇の端から唾液が溢れる。どっちの唾液かはわからない。けれどいつの間にかそんな長いキスをずっとしていた。


 「ん……はぁ……はぁ、一旦休け、いっ!? え、ちょっと何して」


 唇を離せば香織先輩は濡れそぼった唇で右の首筋にキスをしてほんの少しだけ吸う。初めての感覚に僕は驚いて変な声を上げる。しかもそこは人にも見える場所だ。


 「ちゅ……何って私のものなんだーってあと付けてるの。キスマークって言うんだって」

 「だ、だからってそこは人に見える……あぁ、なるほど……そういう」

 「んふふ。これで他の女の子は寄って来ないよね。ねぇ、私にも付けて? 私も欲しいの」

 「出来るかどうか分かんないけど……」

 「ん、それでも」


 つつっとスウェットの襟を広げる。綺麗な白くて細い首筋が露わになる。それと同時に恐らく下着だろう。その肩紐も少し見える。けれどそちらには目を向けないよう注力しつつその露わになった首筋に口をつける。


 「んっ、ぁっ……んん、ほんとにちょっと、擽ったい……かも……はぅっ」

 「……ちゅ……ん……これで、出来た……のかな」


 少しだけ首筋に吸い付いて、離れる。口付けしたとこは微かに赤くなっていた。


 「えへへ。嬉しい……ねぇ、琉椰くん」

 「うん?」

 「……一緒にお風呂、はいろ?」

 「……………さすがにそれはちょっと僕の精神が耐えられないかな」


 かなりグラっと来たけれど流石にまだ早いんじゃと香織先輩のそのお願いだけは断った僕だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る