6. 手の内は明かしてよ
「那須先輩」
弓を置いてから那須先輩に話しかける。那須先輩は男子にしては髪が少し長く、左側が右より長めのアシンメトリーにしていて、時折ピン留めしているのを見かける。
「あーもしかして何かあった感じ?」
僕の声に振り向いてそう苦笑する。僕は小さく頷く。
「そうですね。『離れ』が普段より早かったかなと」
「そうだったのか……早気は気を付けてたんだけどな〜。ありがとリュウくん」
「いえいえ」
那須先輩は僕のことを愛称で呼ぶ。そう呼ばれたのは初めてだけれど。
「関くん。
香織先輩はあれ以降マネージャーとして
「リュウくんはあの後なんかあった?」
「へ? あー……今は香織と過ごしてますね。今じゃあ左手で食べるのにも慣れてて人間ってすごいなって思いながら時折介護してますね」
「へぇ〜、てっきりもう一緒に暮らしてんのかなって思ってた」
「え、どうしてです?」
一緒に射場横に出る。常備されているサンダルを履いて安土横に向かう。
「だってほらいつも一緒に帰ってんじゃん?」
「あ〜、確かにそうですね。それならそう思われても仕方ないですね」
那須先輩の言葉に合点が行き頷く。
「でしょ? だから一緒に暮らしてないことにびっくりした」
「そんなにですか?」
「いや〜いつもあんなにべったりしてるしヤることヤってたりしてんのかなーって……あ、いや、ごめん。これは流石にデリカシー無さすぎた」
唐突に謝罪する那須先輩に僕ははにかみ、首を横に振る。
「良いですよ別に。それにまだキスから先はしてません。香織にもこの先の進路あるでしょうから」
「はー、ほんとリュウくんって彼氏としてちゃんとしてんだねぇ」
感心したような声で肩を叩かれる。
「それってどういう」
『回収お願ーい』
射位から香織先輩がそう声を上げるのを皮切りに向かいの方からも数人部員が安土に入る。手分けして安土や的に刺さった矢を取っていく。取った後は素早く安土から離れて雑巾で矢についた土を綺麗に剥ぎ取る。
「さっきの話だけどさ」
「あ、はい」
「もっと見ててあげた方いいよ」
「……え?」
★
「おかえり〜お姉ちゃん、りゅーやお兄ちゃん」
「ただいま〜
「ただいま」
リビングに入って鞄を置いてからキッチンに入る。
「二人とも、何が食べたい?」
「うーん……私はうどん食べてみたいかも」
「わたしは何でもいーよー!」
「何でもが困るんだよなぁ……」
霞澄さんの言葉に苦笑する。何でも良いという言葉が一番正解が分からない。気分が変わったらこれじゃない! ってのがあるからだ。けれどまぁ香織先輩が提案してくれたしそれにしよう。
「うどんだね。
僕は手を洗ってからあーしようこうしようと一人でキッチンの中をあっちこっちと忙しなく動く。
「りゅーやお兄ちゃん、すっかり主夫さんだねお姉ちゃん」
「ふふっ、うん…………」
「……………」
僕の姿を見ながら姉妹二人は僕の邪魔にならないようにこしょこしょ話に花を咲かせ始めた。
(那須先輩の言っていたこと……どういう意味なんだろう。香織、何かあったのかな)
★
夕食後、香織先輩と霞澄さんはお風呂に入っていった。僕は食器の後片付けを済ませてから洗濯をする。僕一人で住んでいた時は柔軟剤だとか気にしたことはなかったけど、香織先輩から漂ってくる香りは香水ではないのだということを最近知った。僕はあまりテレビを見ない────というよりテレビは置いていないためこうして香織先輩の家に来ないと見ることは滅多にない────のだが、有名な洗濯用洗剤メーカーの柔軟剤らしい。なんでも、買う時は全員の好みの匂いが一致したものを買うとのことだ。制服のシャツの襟に漂白剤を垂らし、適度に畳んでから洗濯ネットに入れてチャックがしっかり閉まったことを確認してから洗濯機に入れる。その後に洗剤と柔軟剤を適量投入してから回す。
『あ、お姉ちゃん、またおっきくなった?』
『え〜、そう?』
二人とも。僕はまだ外にいるんだ。その話ダダ漏れなんだけど。いや、そもそもそのタイミングで僕が来たことが間違いだったか。洗濯機も回したことだしとっととリビングに戻ろう。
「…………はぁ。これじゃあ精神が社会的に死んでしまうな」
リビングに戻ってからそう独り
「………………課題するか」
「…………痛っ」
強引に思考を戻すために頬を叩いてテーブルに額をぶつける。頬はヒリヒリと額はジンジンと痛い。体を起こして鞄からクリアファイルとノートと筆箱を取り出して黙々と課題に取り組む。まだ学生のうちは公私を弁えなきゃな。それに。
「…………どうしたら良いんだろうな」
今度は那須先輩に言われた言葉が課題に取り組んでから少し経って
『もっと見ててあげた方いいよ』
とは一体どういうことなのだろう。だいぶいつもの調子の香織先輩に戻っていると思う。普段の授業風景は分からないけど、部活の時や昼休みの時は比較的普通なのだ。それとも、僕が気付いていないだけで香織先輩はそんな僕に気付いて欲しいのだろうか。それとも那須先輩がただ勘がいいだけなのだろうか。
「…………難しいな」
「難しいってどこが難しいの?」
「へ? おわっ!? え、いつの間に!?」
湯上がりの香織先輩がいつの間にか隣にいた。近くに来るまで気付かなくて素直に驚いた。
「ついさっき上がったばっかりなんだよ〜」
まだ少し濡れた髪を晒しながらほわっとした笑みを浮かべる香織先輩。こうして見ても何も違和感は感じない。
「そ、そっか。僕が集中しすぎてただけか」
「ふふっ、そうかも。それでそれで? どこが難しいの?」
ずずいと身を乗り出してきて、毛先から水滴が垂れ、それが寄った瞬間に僕のシャツに落ちる。それと同時に湯上がりのためかいつもよりも良い匂いが
「あっ、え、っと……ここなんだけど」
「ん〜? あ〜これ? 英語は私も苦手だなぁ」
「英語は本当に分かんないよね」
「わかる。やっぱり
「中間が平均より少し上ぐらいだったからね。大分苦手教科かな。って、髪乾かしてきなよ。風邪引くよ?」
「今霞澄が使ってるんだ〜」
「あぁ、なるほどね。それじゃあタオルで拭うからこっち座って」
「は〜い」
シャーペンを置いて少しだけテーブルから離れて座り直して膝の上を叩く。香織先輩は僕の膝の上に座る。僕は香織先輩の首に掛けていたタオルを手に取り、優しくタオルで髪の毛を挟むように拭う。
「お風呂の湯加減どうだった?」
「すごいちょうど良かった〜」
「それなら良かった。ね、琉椰くん」
「ん〜? どした?」
ふと、香織先輩は後ろに顔を向ける。僕は手を止めて首を傾げる。香織先輩は少しだけ言い淀むような沈黙の後前に向き直る。
「ん〜ん、やっぱりなんでもない」
「そう……?」
何か言いたかったのだろうか。人の機微にそこまで聡くない僕は少しだけモヤッとした。何かあるなら言って欲しい。けどその思いは香織先輩も同じだろう。僕には気付かなかったけれど香織先輩もまた何か思うことがあって言おうとしてたことを言わなかったのだから。だから僕は待っていよう。香織先輩が自分の口から話してくれる時まで。だから今は。
「……………」
「………」
抱き締めることだけはさせて欲しいな。力になることの難しさがあるなんてこの時の僕は自分の無力さに
「……琉椰くん濡れちゃうよ?」
「良いよ別に。僕もシャワー浴びるしさ。だから少しこうさせて」
「…………ん」
しっとりとまだ濡れている髪が頬を濡らす。けどそんなことには構わずに僕は後ろから抱き締める。きっと香織先輩は僕の考えてること分かってるんだろうなと思った。香織先輩も
(だからいつかは手の内は明かしてほしい)
♡
時折一人になると思うことがある。琉椰くんはあれ以降がんばってるのがわかる。その姿を見るうちにどうしてなんだろう。すごいモヤモヤした気持ちが出てくる。だから。
「それなら良かった。ね、琉椰くん」
「ん〜? どした?」
お風呂から上がった後リビングに行ってみたら琉椰くんは課題してて私の髪を濡れたままだとダメだよって教えてくれていつもは霞澄の特等席の膝の上に座る。ぽふぽふとタオル越しに撫でてくれる彼の手付きはとても優しくてほっとする。だから琉椰くんの顔を見上げるけど言って良いのかわからない。そのまま口に出しちゃえば良いのに言えなくて、
「ん〜ん、やっぱりなんでもない」
「そう……?」
躊躇った挙句に言えなくて、顔を逸らしちゃった。琉椰くんにはバレてない……かな?
「……琉椰くん濡れちゃうよ?」
「良いよ別に。僕もシャワー浴びるしさ。だから少しこうさせて」
胸を抑えた私の後ろからギュッと少しだけ強く抱き締めてきた。まだ私の髪は濡れてるから琉椰くんも濡れちゃうのにそれも構わずにどこか苦しそうな声で言いながらさらに密着してきた。あぁ、やっぱり琉椰くんはわかってるんだ。ごめんね心配させちゃって。でも待ってて?
────手の内はいつか明かすから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます