1. 出会い、そして




 晴れて志望校の高校に入学出来た僕は放課後の部活見学で弓道場に訪れた。


 「あれ、キミはあの時の」

 「矢嶋やじま先輩、久し振りです」

 「うん久し振りだね。それはそうと……もう入部するつもりかい?」


 僕の持っているものを見て矢嶋さんは首を傾げる。


 「はい。弓道部に入ります。その……あの時見学してから自分で道具揃えたんです」

 「おぉ、行動力あるねぇキミ」

 「後悔するなら行動してから悔やみたいタチなので」

 「ははっ、そうか。じゃあ入りたまえ。とはいえ、まだ入部を認めたわけじゃないぞ?」

 「わかってます。でもこの弓道場で射ってみたいなって思ってたんです。さすがにそこは我慢します。規則は大事ですから」


 玄関戸を開けつつ中に入る。靴を脱ぎ揃え弓道場に入る。


 「しかしまぁ……段位はどうなんだ?」

 「まだ1級までですね。流石に時期的にも段までは」

 「それでも中学生で1級取れるのは凄いことだ」

 「ありがとうございます」

 「あれ〜? もう入部者がいるの?」


 弓道を始める上では段位や級を取らないとならない取り決めがある。中2の頃に見学して以降、弓道の用語等を叩き込みつつ受験勉強もという両立はオーバーワーク過ぎたと自覚している。矢嶋先輩と話をしつつ荷物を置いていると弓道着に着替えた女子部員が話しかけて来る。


 「あぁ、入部希望だってさ。こんな早くから来るとは思ってみなかったよ。とはいえ、まさか私が卒業後に見かけるとはね」

 「あ、矢嶋先輩はもうご卒業されていたんですね」

 「あぁ。いまはこうしてコーチとして来ているんだ。それはそうと鏑木かぶらぎ君。こちらは女子チームの主将を勤めてる妻木つまぎ香織だ」

 「3年の妻木香織です。よろしくお願いします」


 綺麗な所作でお辞儀をする妻木先輩。僕もその礼に倣う。


 「鏑木琉椰と言います。よろしくお願いします妻木先輩」

 「あ、わたしのことは名前で呼んで良いですよ」

 「えっ? いや、さすがにそれは……」

 「呼んでくださいね?」


 僕はどう返したら良いか分からず矢嶋先輩……いや、矢嶋さんに目を向ける。矢嶋さんは苦笑しながら首を横に振る。どうやら諦めろということらしい。


 「……じ、じゃあ……香織、先輩」

 「ん〜……及第点とします♪」

 「……矢嶋さん、この先輩押し強くありませんか?」

 「いや〜……ギャップって凄いねぇ」


 矢嶋さんの言う通りだ。僕が中2の頃の見学で目を奪われた射型しゃけいをしていたのは紛れもない香織先輩なのだ。


 「……えーと。香織先輩」

 「はーい、なんでしょう?」

 「男子の主将はいるんですか?」

 「あー……実は」


 僕の質問に気まずそうな表情を浮かべる。僕は首を傾げる。


 「男子部員の人数が足りないの。去年までは多かったんだけど……でも大半が先輩方だったから……」

 「あ〜……なるほど。ちなみに今の人数は」

 「4人です」

 「えっ?」

 「4人だ」

 「結構減ってますね」

 「そう! そうなの。やっぱりインパクトに欠けるからなのかなぁ……だから私が主将をやることになったの。本当はやりたくな……いえ、なんでもないわ」


 今この人やりたくなかったって言おうとしたな!? どんどんあの時に見た人との乖離かいり眩暈めまいがしそうだ。


 「まぁ、だがチームとしては動けなくとも個人としてなら出せるから問題はないな。一応部長としての肩書きのやつはいるぞ」

 「あぁ、部長と主将は別なんですね」

 「本当は関くんが主将もするはずだったんだけど、部内で主将にするならっていう推薦で私がね」

 「なるほど。えーとつまり僕が入ればチームとして出れる……ということですか?」


 香織先輩の話を少し聞き流しつつ矢嶋さんに目を向ける。


 「その通りだ。本当はダメなんだが……ちょうど良い。関」

 「あ、はいっ」

 「なんかあった時は頼んだぞ」

 「……は、はぁ」


 あ、関先輩に責任を押し付けたこの人。関と呼ばれた先輩は僕より頭ひとつ分背が高く、黒髪をかなり短く切り揃えた好青年って感じがする先輩だった。その先輩の視線が僕にぶつかる。僕は軽く会釈する。あ、会釈し返した。


 「鏑木君。弓、持って来ていたね。準備してくれるかい」

 「わ、わかりました」


 何をするのだろうか。少し緊張して来た。


 「あぁ、それとそのままだと危ないから制服とベルトを外してくれ」

 「わかりました」


 言われた通りに弓袋ゆぶくろを取り、丁寧に畳み、鞄の上に置く。


 「琉椰くん。上弭うわはず支えるね」

 「あっ、お願いします」


 香織先輩は右手を自分の頭上に持って来て掌をこちらに向けたため、上弭────弓の上部の先端のこと────を香織先輩の掌に乗せ、弓を握る部分に手を当て、下弭しもはず────弓の下部の先端のこと────に輪っかに固めた弦────白い弦輪つるわ────を引っ掛ける。


 「ありがとうございます」

 「うん」


 そのまま弓を持ち、軽く素引きする。素引きをする上で大事なのは音もそうだけれど上弭の部分に当たる弦なのだ。そこが離れすぎずくっつき過ぎず程度な間隔になっている場合まるでカエルのような音にはならない。なっている場合は上弭につけている赤い弦輪を一度解し、再度結ばねばならない。そうしなければ弓を引き、勝手────右手のこと────から離れた際に裏反り起こしてしまう可能性があるのだ。ちなみに裏反りとは上弭の部分が反対側に弦が行くことを指す。


 「大丈夫そうだね」

 「はい。って、近いですよ」

 「あ、ごめんごめん。ついつい夢中になっちゃって」


 少しだけ距離が近く、声をかけられた時にその距離感に気付き、少しだけ離れる。弓の方はこれで良いため弓立ての空いているところに弓を置く。ベストを脱ぎ、鞄の隣に畳んで置いて、ネクタイも取りワイシャツを脱いでその上に畳んで置く。


 「ほうほう。畳み方も綺麗だね。もしかしてA型?」

 「え? あ、あぁ、いえ。叔父が言うには僕はAB型だそうです」

 「ふぅ〜んそうなんだ」


 香織先輩の話を返しつつベルトも取り、適当に丸め解けないようにベルト穴に通して脱いだ制服の上に置く。そして一緒に持って来ていた中くらいの大きさの巾着袋の紐を緩めて下がけを取り出しそれを右手に装着する。その上でゆがけをつける。弽は油分や水分に弱く、こうしてワンクッション置かないとカビなどが生えてしまい始末が大変なのだ。下がけは複数枚あるとそれなりに便利なので一枚洗濯していたら別のものを使うということができるので便利。

 そして弽を付けた後勝手から外れないようにギュッと紐で少しキツく縛り、巻いていく。巻き終わったら何度か手を開いたり握ったりしてみる。うん良いみたいだ。ちなみに強く結びすぎても手首を動かせないことがあるので加減はいる。

 今度は袋からぎり粉と呼ばれる弽の親指部分に付けてそれを擦り合わせることで滑り止めになる粉。そのぎり粉を入れた小瓶を弽の親指に垂らし弽の人差し指と中指で少量付けたぎり粉を何度か擦るとギュッギュッと音がする。これで良いだろう。ぎり粉を入れた小瓶の蓋を閉め袋の中に入れる。


 「あ、何本射るんでしょう?」


 立ち上がり、矢筒に手を伸ばした時にふと気付き矢嶋さんに顔を向ける。


 「4本全部行けるか?」

 「わかりました」


 矢筒のチャックを開けてその中から矢を4本取り出す。矢はなんでも良いわけではなくて、自分の腕の長さプラス自分の拳一個分の長さの矢が一番良い。そうじゃないと弓を引いた時、やじりが手にギリギリだと離した時に怪我をする恐れがあるからだ。


 「坐射ざしゃも見たいけど……取り敢えず立射でやってみて」

 「はい」


 取り出した弓4本を持ち替えて、鏃を勝手で掴む。これもまた作法の一つ。これで準備は万端だ。弓を持ち、弦を外側に回し、外側の腕に付け射位しゃい────弓を射る人が立つ場所のこと────の前に立つ。一度深く深呼吸をしてから構えをとる。勝手をちょうど腰骨にあたる位置に弓手ゆんで────弓を握る左手のこと────を反対の腰骨の位置に当てる。両足は真っ直ぐ閉じた状態にさせ、両肘を外側に開き、上弭は床にギリギリつかないその位置に固定。この姿勢を『執り弓の姿勢』と言う。背筋を伸ばし、一礼した後、射位の三番手に入る。入る時は左足から摺り足で入る。およそ3歩、左足が入った瞬間に足を開いた状態で身体を右に向ける。この足を開くことを足踏みと言い、射法八節の一番目。そして矢4本の内2本を足許に置き2本は持った状態にする。この時も腰を屈めて、そっと音はあまり鳴らさないように置く。この時膝を曲げることはしない。もし袴であれば多少は曲げても分からないと思うが基本的には腰だけでやる。そして勝手に2本手にあることを確認した後に腰を起こす。


 「…………はー」


 一度息を静かに吐く。再度息を吸った後上弭を床に付けて外側の肘に付けていた状態から九十度左に回転させ、弦が下を向くようにする。弓を起こし、左膝に下弭を付ける。これを『胴造り』と言い、弓道に於ける射法八節の二つ目。

 そして勝手を弓の前に持って来て一本弓手の人差し指で受け取り走り羽を上に向くよう調整しつつ矢を番える。この時、矢は羽が外向きに付いている甲矢はやが先だ。中仕掛けと言う矢を番える部分にしっかりと嵌ったことを確認して、一度勝手を腰に戻す。顔を上げ、安土────的がある土で盛り上げられた場所────を見る。そして顔を戻し、再度勝手を番えた矢尻を隠すように勝手を当て、弓手を整える。構えた状態でまた的を見る。これを『弓構え』という射法八節の三つ目。

 一呼吸置いた後にゆっくりとそのまま上にあげる『打起し』────射法八節四つ目────。

 そしてゆっくりと弓手を横に動かしながら手の内を中に入れる。この時どちらかに偏ることはなく、力を左右均等にすることを引分けといい射法八節の五つ目に抵る。


 「……………」


 息を静かに吸いながら勝手を顔の輪郭に沿って半円形にゆっくりと引きながら弓手と共に顔と平行になるよう下ろしていく。この時、両肩に力が入ってはならない。力が入りきらず、入れ過ぎずその状態を保つ。そして完璧に引き切った状態で数秒その状態を固定する『かい』という射法八節の六つ目。

 体感10秒ほど経った後にスッと勝手と弓手をそれぞれ逆方向に伸ばしながら矢を放つ。『離れ』という射法八節の七つ目。ヒュンッと放たれた矢は空を切り、的に吸い込まれるように飛んでいく。タァーンっと音を鳴らしながら的に埋もれていく。それを見ながらも数秒離れをした状態で保つ。『残身ざんしん』または『残心ざんしん』という射法八節最後の八つ目。勿論、射法八節の中にも細かく区分されたものはあるけれどおおまかなものはこの八つだ。

 ただ、『離れ』をした時微かに違和感があったけれど残り3射を行った。








 初めて一年生の琉椰くんの射型を見た。綺麗な射型をしていた、と思う。あんなに落ち着いた射をする人は初めてかもしれない。何かしらのアクシデントが起こった時、誰だって動揺が抑えきれずに普段の射型が取れないことがあるからだ。勿論、私もある。だから少し彼のことが羨ましいと思った。


 (そういえばさっき中学2年生の頃からやってるって言ってたっけ)


 黙々と続ける彼を見ながら思い出す。2年前のあの日。確かに一人来ていた気がした。その時は確か今みたいにそこまで背は高くなかったはずだ。成長期、というやつだろう。今はもう女子のなかでも割と背が高いらしい私よりも背が高い。


 (努力いっぱいしたんだろうなぁ。凄いなぁ琉椰くん)


 あ、というかさっきから名前で呼んでるけど今更かな? まぁ、今更か。次で最後。今の所3射全部があたってる。射型が綺麗な分、しっかりとあたるのだろう。そして最後。もう私は琉椰くんの射型を注視してた。この綺麗な射型を目に焼き付けるためだ。私の目指してる。それに近い気がするから。


 (あ、皆中かいちゅうだ)


 皆中は4射全部的に当てることだ。人によっては全中ぜんちゅうっていう人もいるけど。そう中々出来るものじゃない。『残心』を取った後琉椰くんは『足踏み』の状態から戻しながら右足を下げた。そして『執り弓の姿勢』のまま大前の横を通り抜け斜めに歩いて行った後に礼して再度下がった。


 「……すごい良い射型だったよ琉椰くん」

 「本当ですか?」

 「うん。独学でこんなに上手い人っているんだって感じだった」

 「あはは……ありがとうございます香織先輩」


 ふにゃっと笑った琉椰くんの顔は大人っぽい顔立ちとは真反対に可愛くて私はキュンと来た。


 「実は……あの時香織先輩の射ってるところを見てそこから始めたんです。なんとか自分なりに香織先輩の射型を真似てみたんです」


 他にもやってた人いたのに私の射型見ててくれたんだ。


 「どうして私を見てたのか教えて、くれる?」


 私は興味本位で聞いてみた。琉椰くんは少し気恥ずかしそうにはにかんだままこう言ってくれた。


 「香織先輩の射型がその中でも一番目に焼き付いたからなんです」








 なんかかなり恥ずかしいことを言った気がする。でもまぁ本心だしいっか。


 「コーチ。少し彼に言っても良いですか?」

 「ん? あぁ、構わないよ」


 その時関先輩が矢嶋さんに尋ねてから僕を見た。


 「鏑木……って言ったか?」

 「はい」

 「まずは俺からも言わせてくれ。とても良い射型だった」

 「ありがとうございます」


 関先輩の目を見ながらも関先輩の言う言葉に素直に礼をする。


 「だが、一射目。『離れ』の時に若干だったが、勝手が弓手より力が負け少し弓手より下がっていたな」

 「……やっぱりそうでしたよね」

 「分かっていたのか?」

 「はい。僕も最初の違和感には気付いてました。直ぐに気付けたので良かったです」

 「そうか。自分で分かっているなら良かった。でしゃばった真似だったな」

 「いいえ。関先輩からも違和感を感じてこう言ってくれたと思うのでありがたいです」


 正直言ってくれたことに感謝している。もし、この場の誰も言ってくれなかったら僕はそのまま無かったことにしようと思ったからだ。なので素直に礼を言って弓を置き、弽と下がけを外す。


 「矢を取ってきます」

 「それなら俺が行こう」

 「え、でも」

 「早くベルトを巻くと良い。下がってきてるぞ」

 「えっ、あっ!?」


 関先輩にそう言われて確認すると確かに下がっていた。一応まだシャツで隠れていたので何とかなった。


 「鏑木は少し長いのを使っているんだな」


 僕の矢を回収して戻ってきた関先輩は鏃に付いた土をそれ用のタオルで拭い渡してくる。僕はそれを受け取り、感謝して矢筒の中に入れる。


 「そうなんです。立ち寄ったところのショップの店長さんが先行投資だ〜みたいな感じで少し長めに繕ってもらったんです。今思えばその長さにして正解だったなと思ってます」


 中2の頃は今ほど背が高く無かったし長く使う上でそう見通していたのだろう。今でもほんの少し長いかな程度だけれどそれでも扱い易くて僕は好きだ。


 「良し、関。彼の入部はどうする?」

 「全然大丈夫ですね。これなら将来有望でしょう」


 またとない言葉だ。矢嶋さんにそう言う関先輩の顔は嬉しそうな顔をしていた。


 「そうか。じゃあ鏑木くん。明日から来なさい。だが今回は見学に留めておくこと。良いね?」

 「……はいっ!」









 部活終了後。片付けを手伝い、安土の整備、射位の清掃、道具の確認等見落としがないか確認してから弓道場の鍵を閉める。


 「矢嶋さん。戸締り大丈夫です」

 「そうか。朝練には来るかい?」

 「是非そうさせて貰います」

 「ふふっ、そうか。じゃあ鍵はこのまま関に渡しておけ。関、鍵のことは部長であるキミがしっかりと持っておくんだ」

 「わかりました」


 関先輩に鍵を渡す。


 「それじゃあ、気をつけて帰るんだぞ」

 「はい。ありがとうございました」

 「ありがとうございました」


 矢嶋さんは手を振りつつ去っていくのを礼しながら見送る。


 「……俺たちも帰るか」

 「ですね」


 腰を上げて、鞄を背負い直して校門に向かっていく。他の部員の人たちは片付けをした後は先に帰らせたと聞いた。女子が多かったしそれが妥当なところだろうと思う。


 「……ん? あれは……」

 「え……?」


 校門横で背を預けている人影に僕と関先輩は気づいた。二人して顔を見合わせ首を傾げながら近づく。その人影は知っている人だった。


 「帰っていたんじゃ無かったのか香織」

 「あ、やっときた〜。待ってたんだよ〜」

 「ま、待ってたってこんな暗い時間にですか? というか誰を?」


 春とはいえ夜は如何せん体が冷える。だからジャージのままなのだろう。練習中は結っていた髪も今は下ろしている。そしてその当の本人は関先輩ではなく僕を指差した。僕は目を瞬く。


 「きみだよ琉椰くん」

 「へ? ぼ、僕ですか?」

 「ふむ……鏑木。香織は任せた」

 「え、ちょ、関先輩!?」


 僕に用があるということは自分には無い。そんな感じでサッと横を通り抜けていく。た、淡白な人だ。


 「……えーと……じゃあ、帰りましょうか。家まで送りますよ」

 「え〜いいの?」

 「良いも何もこうして待たせてたみたいですし何よりこの少し暗い道を一人で歩かせるわけに行かないでしょう?」

 「わ〜思った通り優しいんだね」

 「……それはよく分かりませんけど」

 「じゃあお言葉に甘えて一緒に帰ろ琉椰くん」


 くるっと踵を返して歩き始める香織先輩の後を追い、隣を歩く。


 「琉椰くんはさ」

 「は、はい、なんでしょう?」


 唐突に名を呼ばれると少し緊張するな。しかも一緒に歩いている人は横から見ても端正な顔立ちをしている先輩だ。


 「弓道始めようと思ったきっかけはなんだったの? ほら、私の射型が綺麗だった〜って言ってたけど」


 こちらに目を向ける香織先輩とふと目が合う。僕はサッと前に目を逸らして過去の自分を思い出しつつ言葉を選びながら答える。


 「……自分は、僕は中学は帰宅部……というか部活には入ってたんですけど、そこまで意欲的じゃなかったんです。部活は強制的に入らされましたからそれもあったんだと思います。だから高校に入ったなら自分で選びたいなと思って」

 「なるほど〜。それが弓道だったんだ」

 「いえ……その……なんでも良かったんです。自分が選んだらそれはちゃんと果たさなきゃならない義務があります。幸い、運動能力は人並みにはあるので選択肢は多かったです。強制的に入らされたとはいえ、先生方は優しかったので県外の高校のパンフも見させて貰いました。本当にいろんな部活があるもんなんだなと思ったくらいです」


 ただパンフのページを捲る僕は思っていたものは何も無かった。虚無でしか無かった。何かに打ち込めるものは無いのかと思った。


 「でも、その時ふと目に入ったものがあったんです。それが弓道でした。これなら自分でも出来るだろうなと思いました。それと何故かその写真が目に焼き付いて自分の目で見たかった。それであの日見学しに行きました」

 「そっか〜。打ち込めるもの見つかったんだね」

 「はい。それも香織先輩の射型が綺麗だったことが一番大きな理由でしょう」

 「え〜、その時の私の射型なんて酷いものだったよ? それに初めて間もない時だったし見苦しいものだったんじゃ」

 「それはあり得ません」

 「おおぅ、食い気味にくるねぇ」


 香織先輩の言葉を遮るように僕は言う。立ち止まり、香織先輩に顔を向ける。僕の行動に足を止めて、同じように僕の顔を見上げる。


 「香織先輩の射型はとても綺麗でした。背筋も伸びていて、まるでそこだけ時間が止まっているかのようなそんな感じになりました。どんな絵や写真よりも香織先輩の姿が目を離しませんでした。僕の心を離しませんでした。僕は香織先輩のそんな射型がです。他の誰でもない香織先輩が」


 僕の言葉に徐々に顔を赤くさせて僕から目を逸らした。僕は何故そんな顔をするんだろうと疑問に思った。


 「……め、面と向かって言われるのは、恥ずかしいなぁ〜……もう……」

 「……え? その……どうして顔を赤くしてるんですか?」

 「……唐変木」

 「……え?」

 「ち、ちょっとあまり胸を叩かないでくださいよ」

 「ふ、ふんだ。そんなの知らないもん。人の気も知らないでこの……もうっ……ばか」

 「え、えぇ……?」


 ぽこすかと僕の胸を叩いたかと思えば急に頭を預けてきた。一体どういうことなのだろう? 人との関わりは難しいな。特に異性は。


 「……か、香織先輩?」

 「……んっ! な・ま・え」

 「…………さすがにそれは」

 「やだ。名前で呼んで」

 「……………………香織……?」

 「なんで疑問系で言うの〜? ちゃんと呼んでよ琉椰くん」


 そうは言うが呼び捨てなんて呼んだ覚えがない。それも二つも歳上の先輩にだ。僕の理性がやめておけとストップと言っているのだ。つまりは気恥ずかしい。


 「…………はぁ。分かりましたよ……その……香織」

 「〜〜〜〜〜っ!?」

 「そ、そんな顔するならなんで言わせるんですか!? こっちだって名前で呼ぶの恥ずかしいんですからね!?」


 僕は深呼吸してから名前を呼び捨てで呼ぶと耳まで真っ赤にさせて今度は少し強めに胸を叩いてくるではないか。


 「だ、だって、クラスの子とかに名前で呼ばれても平気だったのに琉椰くんが呼ぶとすごいドキドキするんだもん」

 「…………も、もう呼びません。僕がおかしくなりそうだ」

 「あっ……ふへへ。やっぱり敬語は疲れるよね。じゃあ名前で呼ぶのは慣れてもらうとして……私といるときは敬語は無し。それでい?」


 しまった。素が出てしまったか。慌てて口を押さえるが時すでに遅し。まだ顔が赤い香織先輩ははにかんでそう言ってくる。


 「………はぁ。まさか一日で崩れるとは」


 溜息を吐いて頬を掻く。


 「もしかしてずっと敬語のままでいようとしてたの?」

 「そりゃあそうでしょう。憧れの先輩で、それも女子ですよ? 最初からタメ口は礼儀がなってないでしょうに」

 「私は気にしないのになぁ」

 「気にはしなくても外聞が悪いでしょう? それとそろそろ離れてください」

 「また敬語に戻ってる。私がおっけー出したんだもん。タメ口で話してくれるまで離れないもん」

 「ぐっ………わ、分かったよ。これで良い?」

 「えへへ、うんっ」


 その時の香織先輩の笑みはとても可愛らしく花が咲いたような笑顔だった。その笑顔は僕の目をまた離してくれなくて、ずっと心の中が温かい気持ちとどこか苦しい気持ちになった。


 「琉椰くん。私もね、琉椰くんの射型とっても素敵だと思ってるんだ。だからね?」


 上目遣いで見つめてくる。そのほんの少しの距離感に僕は頭を少し後ろに引く。


 「私の隣で見てて欲しいんだ。琉椰くんの憧れてる射型を君のために見せたいんだ。だからずっと私の隣にいて? ね?」


 その言葉は僕の耳からそのまま心の中へと落ちて行った。その言葉はどう取ったほうが良いのだろうか。言葉通りの意味だろうか。それとも────。


 「わかった。か……香織……のことずっと見てるよ」


 名前を呼ぶのはまだ尻込みしてしまうけれどなんとかそう伝える。意味は間違ってない……はずだ。後輩として先輩を支えるのも大事だろう。僕の言葉を聞いて満足げに笑ってさっきよりも密着度の高い抱き付きをしてくる。僕は面食らってその場で動けなかった。言葉の意味は一体なんなのか分からないまま。



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