2. 噂は噂。現実にすれば噂じゃないよね




 早朝、学校に向け歩いていると、後ろからポンと叩かれる。そして隣に来た人がいた。


 「おはよ〜琉椰りゅうやくん」

 「お、おはよう。って寝癖あるよ」

 「え、うそ。どこ〜?」

 「ここ」


 そっと寝癖のある部分に触れて撫で下ろす。


 「わぁ、ほんとだ。おかしいなぁ。梳かしたはずなんだけどなぁ」

 「鏡で見えなかったんだと思うよ」

 「多分そうかも? ん、なおった?」

 「うん」

 「えへへ、ありがと」


 触って分かったのは香織先輩の髪はとても触り心地良かったということ。それと頭が小さかったこと。形が良くてずっと撫でていたい気持ちになった。


 「もうおわり?」

 「え、いや……うん」


 さすがに寝癖が直ったというのにそれ以後も撫で続けるのはおかしいだろう。だからそんな顔はしないで欲しい。


 「……もっとして欲しかったな」

 「…………」


 聞かなかったことにしよう。というかこれじゃあどっちが先輩か後輩か分からないなと思った。とはいえ、香織先輩とはそこまで背の差は無い。少しだけ香織先輩のほうが低いくらいだ。そういえば最後に測ったのって確か……なんぼだったっけ。


 「ね、琉椰くん」

 「あ、は……うん。なに?」


 ふと名前を呼ばれてはいと返しそうになるのを抑えて、素で答える。


 「お昼教室に行っても良い?」

 「え、う、うん。僕は別に良いけど……香織せ……香織の方こそどうして?」

 「一緒に食べたいな〜って」

 「あぁ、なるほど。うん。分かった。それじゃあどこかで食べる?」

 「空いてる教室とかあるかな〜?」

 「昼に職員室行って鍵借りられれば行けると思う」

 「わ、もう熟知してるんだ」

 「なんかそんな感じのことを聞いたから」


 昼に空き教室でご飯食べても良いか的な質問を受けて担任は出来るが後始末はしっかりするよう言っていたことを薄らぼんやりと覚えている。


 「じゃあお昼また会お」

 「うん」


 弓道場について朝練をした後にそれぞれ教室に向かった。そしてその日からほぼほぼ毎日一緒に何処かの空き教室でお昼ご飯を食べる日が始まった。










 高校生活も早一ヶ月が過ぎようとしていたある日。


 「なぁ、鏑木かぶらぎ

 「どうかした? 赤坂くん」


 前の席の男子から声を掛けられた。たまに話をする程度で僕はあまり物を喋らないけれどそこまで暗くはないためか時折そうして絡まれることが多い。


 「前から三年の先輩と一緒に居るよな」

 「あぁ、香織先輩のこと?」

 「あぁ。そんでお前らって付き合ってるのか?」

 「へ? え、なにいきなり」

 「実は一緒に帰ってるとこ見たっていうのがあってな」


 なんでも、手を繋いでいるとこを見たとか抱き合ってたとか色々あるらしい。確かにそんなことをした覚えはあるけれど、なんともまぁ噂が好きだこと。


 「そんでどうなんだ?」

 「うーん……今は話せないかな。僕からは答えれない……ってのが僕の答えなんだけど、納得は……してくれないよねうん。その顔見たら分かるよ」

 「あったりめぇだろ〜? お前、顔もいいし性格も良いだろ? そんでもって弓道だっけ? それやってるってんで意外と噂されてるんだぞ?」

 「そうだったんだ。知らなかったな」

 「お前、興味示さなねぇもんなぁ」

 「だって所詮噂話でしょ? 噂には尾鰭おひれがつくものだってのは当然だし、それに噂される当人がどう思うか考えたら興味なんて示すことは出来ないよ」


 トントンとノートと教科書を揃えながら言う。それを机に入れて次の授業の準備をする。


 「真面目だねぇお前は」

 「真面目……とは違うんじゃない? これでも意外と不真面目なとこあるし」

 「何処がだよ」


 僕の返しに笑いながら前を向く赤坂くん。本当なのになぁ。始業チャイムと同時に教師が入ってくる。昼休みまであと二つ授業を熟さなくちゃ。







 「鏑木〜。先輩が来てんぞ」

 「あぁ、うん。ありがと」


 昼休み。日本史の授業のノートに少し書き込みを入れてからそれをしまって立ち上がる。鞄を持って教室から出る。


 「もしかして何かしてた?」

 「え、あぁ、いや……ちょっとノートに書き込みしてただけ。何処か鍵借りれた?」

 「うん。視聴覚の」

 「わかった。行こう」


 ガヤガヤとしてる分タメ口で行きやすい。まぁ、視聴覚のあるとこまで静かになるから周りに気を配るけれど。


 「ついた〜」


 ガチャと鍵を開け戸を開けながら中に入る。僕もその後に続く。戸を閉めると少し薄暗い。遮光カーテンの隙間から陽の光が入ってくる。


 「カーテンちょっと開けよっか」

 「うん」


 真ん中のカーテンを片方だけ開ける。そしてその目の前の席に向かい合って座る。


 「いつも思うけど琉椰くんってそれで足りるの?」


 鞄から少し小さめの巾着袋を取り出す。その中から朝適当に握った鮭フレーク入りのおにぎりを取り出す。


 「まぁ……夜にも食べるし今はこれくらいで良いかなって。あんまり食べ過ぎても午後に身が入らなくなりそうだし」

 「そっか。じゃあ……はい、あーん」

 「え、いや……」

 「い・い・か・ら……ね?」

 「……」


 二個ある卵焼きの一つを箸で摘み、左手をお皿のようにして僕の前に出してくる。しかもそれ自分も使う箸でしょ?間接キスになるじゃん。と断ろうとするけれど、押しの強い香織先輩に折れるしかなく、仕方なく口を開ける。


 「どう? 美味しい?」


 なるべく箸につけないよう注意しつつ食べて何度か咀嚼したのちに飲み込む。ほんの少しだけ考えてから素直に言ったほうが良い気がした。


 「……少し塩っ辛い気がする」

 「あちゃ〜今日は失敗しちゃってたか〜」

 「これ、香織が?」

 「うん。お母さん帰ってくるの夜遅いから私が妹の分まで作ってるんだ」

 「妹さんいるんだ」

 「そーだよー。見てみる?」


 そう言ってスマホを取り出して見せてくる。確かに似てはいるけれど雰囲気が違う。


 「………明るそうな子だね」

 「えへへ、そうでしょ。私の自慢の妹なんだ〜」

 「それは良かった。僕は一人っ子だからそういうのはよく分からないんだ」

 「じゃあ今日お家来る?」

 「えっ!? い、いきなりじゃないかな!?」

 「ふふ、大丈夫だよ。妹も懐いてくれるよ」

 「しかも決定されてる……はぁ。少しの間だけだよ?」

 「えへへ〜。そういう優しいとこ私大好きだな〜」

 「……優しいというより振り回されてる気が」

 「うん? 何か言った?」

 「イイエナニモ」


 言葉を濁しつつけれど香織先輩の朗らかな空気や話し方で終始楽しかった。


 「あ、ねぇ琉椰くん」

 「うん?」

 「噂……しってる?」


 どの噂なのか察しがついた。僕は頷く。


 「その……公表、しちゃおっか?」

 「………そうしちゃうと香織に迷惑がかかるだろ? だったら今はしない方が……って隣にいてってそういう意味だったの?」

 「………今更なの? というよりどうして気付かなかったの?」


 かなり悲しげな顔をされた。今になってようやく理解したからだ。あの時二人で帰った時に言っていた「隣にいて」とはそういうことだったのだ。


 「ごめん。その……今まで浮いた話一つも無かったし、それに分からなかった」

 「もしかして腕に抱き付いても気付かなかったの?」

 「う、うん。その……そういう甘えてくる一種のものだと」

 「うぅ〜……そうだけど〜……! もうっ、ばかみたいじゃん私一人で舞い上がってて」

 「ご、ごめん」


 ぷくっと膨れっ面で睨まれる。僕は息を呑んで謝罪する。


 「目、閉じて」

 「え?」

 「良いから閉じて?」

 「わ、わかった」


 口調は優しいけれど有無も言わせない感じがあり、僕は素直に応じて目を閉じる。すると唇に柔らかな感触がした。それに驚いて目を開ける。


 「………!?」

 「……もう、閉じててって言ったのに」


 触れる程度のキスだった。けれどそれは初めてのキスで僕自身頭が追いつかなかった。


 「あ、顔真っ赤」

 「あ、え……いや……それは君だって」

 「だって初めてだもん」

 「うっ……」


 何処か気まずい雰囲気が流れる。


 「……これで分かった?」


 ふとそんな雰囲気を壊すように香織先輩がそう呟く。そっと自分の唇に手を触れてどうにか思考力を落ち着かせる。


 「…………うん。その……も、もう一回して、良いかな」

 「……ふふ、うん。今度はそっちからしてくれる?」

 「う、うん」


 椅子から腰を上げ身を乗り上げてそっと香織先輩の唇に自分の唇を落とす。


 「んっ……」


 彼女の唇からそんな声が漏れる。僕自身得もいわれぬ感覚に襲われた。ただ唇と唇を重ねただけなのに、そこからじんわりと熱くなってくる感覚。これを人は幸せと呼ぶのだろう。それを僕は知らない。知らないながらも僕はこの気持ちに整理をつける。


 「……どう?」

 「……うん。すごく、良い」


 ゆっくり離れてから彼女にそう問われて僕ははにかむ。


 「私はね、琉椰くんとするとすごい嬉しいの。一緒にいるだけで心がふわふわするし、もっといたいよ〜ってなるし、初めてだけどこうしてキスもしてより好き、って思ったんだ」

 「そっか……これが……好きって気持ちなんだ」

 「どう? 悪く、ないでしょ?」


 しっとりとする胸の奥深くを抑えるように手を置く。僕はゆっくりと頷く。


 「香織」

 「ん? なーに琉椰くん」

 「……好きだよ」

 「………っ! も、もう……そんなの反則だよ」


 ボッと顔を赤くさせて顔の前で両手を出して顔を隠すようにわたわたさせる香織先輩。僕はその様子がおかしくて少し笑う。


 「色々初めてだからさ、ぎこちないとこもあるけど……よかったらこれからは僕の彼女になって……くれないかな?」

 「うぅ〜……それ私が言いたかったのに〜……!」


 香織先輩は目の前で面白いほど百面相する。コロコロ変わるその表情がどうしてか愛らしく思う。


 「もうっ。琉椰くん立って」

 「あ、う、うん」


 言われる通り立ち上がる。


 「こっち来て」


 机の横を通り抜け、香織先輩の隣に立つ。


 「もう少し寄って?」

 「こう?」

 「ん」


 彼女のすぐそばまで来ると僕の腰に腕を回してぐりぐりと額を押し付けてくる。


 「……私以外の子に目移りしない?」

 「香織だけが好きだよ」

 「ちゃんと言って」

 「目移りしない」

 「私がぎゅってさせてって言ったらさせてくれる?」

 「……場所にもよるかな」

 「やだ。何処でもして」

 「…………分かった」

 「私の我儘わがままちゃんと聞いてて」

 「うん」

 「私が好きなのは琉椰くんだけなんだからね?」

 「分かってる」

 「だから」


 押し付けていた顔を上げ、僕の顔を見上げる。僕はその顔を目を見つめる。


 「ずっと私を愛して欲しいな」

 「うん。ずっと香織を愛すよ」

 「ほんと?」

 「うん」

 「約束だよ?」

 「うん」

 「離れたらやだよ?」

 「離れないよ。僕はずっと香織の隣にいるよ」


 そっと優しく彼女の頭を撫でる。すっと目を細めて心地良さそうな顔をする。


 「……少しだけ屈んで?」

 「うん」


 そう言われるまま片膝をついて向かい合う。


 「もう一回……キス、しよ?」

 「分かった」


 するりと今度は僕の首に両腕を回して、顔を近づけてくる。僕は頭を少しだけ右に傾けて無意識で彼女の背中に手を回す。細く華奢な香織の背中は温かくそれでいて女の子特有の柔らかさがした。


 「……んっ」


 カタンと椅子の音と共に唇が再度重なる。ぎゅうっと香織の抱きしめる力が強まる。その想いに応えるようにぎゅっと強くけれど痛くないように抱き締める。


 「……ぷはぁ……キス、気持ち良いね」

 「……うん。なんか……ふわふわするね」

 「あはっ、確かに。幸せ〜って感じだよね」

 「そっか。これが幸せ、なんだ」

 「うん。そうだよ。もっとしよ?」

 「うん」


 ちゅっと音が響く。そしてどちらか先かは分からない。けれど僕の口内にぬるりとしたものが侵入した。香織の舌だと分かった。チロチロと僕の舌や歯茎を舌先で探るように舐めるのはほんの少しこそばゆい。けれど、そんな不器用なキスだけれど僕は受け止めて絡め取る。ただのキスだけなのに満ち足りた気分がする。これが恋という感情なのだと理解した。甘く蕩けるような感覚に痺れる感覚と共に名残惜しいように唇は離れていく。


 「………ふへへ、大人のチューしちゃった」

 「これが……そうなんだ」

 「クセになりそうだね」

 「はは、確かにそうだね」


 抱き締めていた体も名残惜しいように離れる。ついさっきまであった温もりが僕の心を締め付ける。痛い。だけど苦しい痛みじゃない。


 「そ、そろそろ……戻ろっか」

 「あ、う、うん。そうだね」

 「ね」

 「うん?」

 「今日、お家来てよ?」

 「……うん。分かった」

 「えへへ、やったね♪」


 カーテンを戻して忘れ物や汚してないか確認してから視聴覚室を後にして鍵を職員室に戻す。クラスに戻る前に香織のクラスの教室まで送ってあげてから戻る。その時先輩方に多少質問責めにあったけど、その場は関先輩のおかげでなんとかなった。







 部活も終わり、香織と夜道を歩く。


 「わひゃ〜夜になったらちょっと寒いね〜」


 そう言いながら腕に抱き付いてくる。その上指を絡めて恋人繋ぎをする。少しだけ歩きにくいけれどそこは気にしない。


 「そうだね。けど冬に比べて断然マシになったと思うよ」

 「あ〜確かに。そうだ。琉椰くんは足袋たびは持ってる?」

 「足袋? うん。道着買った時に一緒に買ったけど」

 「じゃあ冬はそれが重宝するね」

 「あぁ、だね」


 冬の弓道は本当に鍛錬だと思う。裸足だと冬の冷気に最悪、かじかんで足の感覚が無いように感じるからだ。足袋を履いていたとてさほど変わりはしないと思うけど。


 「そういえば琉椰くんって誕生日いつ?」

 「誕生日?」

 「うん誕生日」

 「10月の31だよ」

 「ハロウィンの日なんだ」

 「うん。でもそこまで気にしたことなかったな」

 「そうなの?」

 「うん。誕生日だからってあーだこーだはした覚えがないかな」


 覚えてる限りでもそんなことをした覚えがない。叔父さんたちには養って貰ってるだけでありがたいから文句は言っていないしあるわけもない。


 「そっか。じゃあ……楽しみにしててね」

 「うん。分かった。それで香織はいつなの?」

 「私? 私はね〜バレンタインなんだ〜」


 2月14日か。覚えやすいな。


 「じゃあ……頑張っておくよ」

 「あはは、無理しないでね?」

 「分かってる。無理しない範囲で考えておくよ」

 「約束だよ?」

 「うん」


 そう他愛もない話をしながらいつも見慣れた通りを歩く。すると彼女の家が見えてきた。


 「もう着いちゃった。やっぱり一緒に帰ってると早いなぁ」

 「けど今日は家の中に入って良いんでしょ?」

 「うんっ。一緒に晩御飯食べて〜それで一緒に添い寝もして〜」

 「え? いや、ちょっと待って?」

 「うん? どうしたの〜?」

 「そ、添い寝……というか泊まること聞いてないんだけど?」

 「あ〜……あはは……言ったらダメって言われそうだったから」


 彼女の言葉に頭を抱える。確かに年端も行かない異性の家に泊まり込むだなんて公序良俗こうじょりょうぞく的に良いことだとは思えない。香織先輩と出会った当初であれば確実に拒否していただろう。だけど。


 「…………別に拒否はしないよ」

 「ほんと?」

 「うん。僕に出来ることなら香織に尽くすって決めたから」

 「えへへ、そっか。そっか〜……えへ」


 けれど香織先輩が求めているものがあるなら僕はそれに応えるだけだと思ってる。


 「それじゃあ行こ」

 「あ、うん」


 香織先輩に手を引かれるまま門扉を通り、香織先輩は鞄から鍵を取り出して鍵を開けて中に入る。


 「入っていいよ〜」

 「お、お邪魔します」


 促されるまま扉を潜る。


 「あ、おかえり〜お姉ちゃ……ってお姉ちゃんが男連れ込んでる!?」


 真っ直ぐに伸びた廊下の右側の扉からひょこっと一人の女の子が顔を出した。写真を見ていたため妹さんだと分かった。その子は僕に目を向けるとかなり驚いた顔をした。


 「紹介するね〜霞澄かすみ。鏑木琉椰くんって言うんだ。一年生で私と同じ部活の子で私の……彼氏なんだ」

 「えっ、あっ、よ、よろしくお願いします」

 「よ、よろしく……」


 唐突の自己紹介で僕は見たことはあるにせよ、少し緊張しながら会釈する。妹さん……霞澄さん? はちょっとだけ僕をじっと見る。


 「琉椰くん。お昼に見せたから分かってると思うけど妹の霞澄って言うの。琉椰くんの一個下なんだ」

 「へぇ……ということは受験生なんだ」

 「う、うん……その……鏑木……さん? は、お姉ちゃんの彼氏……なんだよね」

 「うん……あ、じゃなくてはい。というより今日付き合ったばかりですけど」

 「あ、べ、別に敬語じゃなくて良いよ。その……初めてお姉ちゃんが男の人家に呼んだからさ」


 なるほど。そういうことだったのか。って、紹介した後に靴脱いで上がろうとするとかこの空気をどうにかしてくれないかな!?


 「えと……上がって良いよ」

 「あ、う、うん」


 霞澄さんからも了承を得たので僕も靴を脱いで癖でしゃがんで靴を揃える。


 「鏑木さんもお姉ちゃんみたいに揃えるんだね」

 「え? あ、あぁ……うん。癖でね」


 僕の行いに感慨深そうに頷いて少しだけ緊張していた顔が和らいだようで写真と同じくらいの笑顔を浮かべる。


 「お姉ちゃん。どうして急に鏑木さんを家に呼んだの?」

 「え〜、だっていつも送ってくれるし、お礼がしたかったんだ〜」


 あぁ、そういえばそうだった。けどそれが理由じゃない気がするけど。まぁいいか。


 「ふぅん、そっか。あ、お姉ちゃん。晩御飯なに〜?」


 どうやら香織先輩が入って行ったとこはリビングのようだ。パタパタと霞澄さんが後を追って入って行った。僕もその後に続いて入る。


 「……あ、鞄何処に置いといたらいい?」

 「ん〜? あ、適当にソファの上にでも置いていいよ〜」

 「分かった」


 ジャージのままエプロンを着ける香織先輩の姿はなんというか……様になってた。なんというか……主婦? はちょっと違うか。まぁ……とても似合ってた。ソファに鞄を置き、傍に座りながらその姿を見つめる。


 「ん〜何作ろうかなぁ……二人は何か食べたいものある〜?」

 「わたしはお姉ちゃんの得意料理が食べたいかも!」

 「得意料理? 香織はなんの料理が得意なの?」

 「ふふ〜ん。お姉ちゃんね、オムライスが得意なんだよ!」


 へぇ、オムライスか。ん? オムライス?


 「そ、それってとろっとろの半熟?」

 「お、鏑木さんはもしかして半熟のオムライスが好きなの〜?」


 くるっと僕を見ながらによによする霞澄さん。その顔を見て僕は何故か恥ずかしくなり顔を背ける。


 「……そうだよ」


 僕が言い終わるか否かの時に左頬を突かれる。そちらに目を向ければ、霞澄さんだった。


 「……な、何かな」

 「え〜鏑木さんって可愛いとこあるんだな〜って」

 「だ、だからって僕の頬を突かなくて良くないかなぁ……香織も見てないで止めておくれよ……」


 さすがに歳下の女の子にこうして弄られるのには些か精神が保たない。そのため香織先輩に助けを乞う。


 「え〜でも、琉椰くん私がもしそんなことしても拒絶しないでしょ?」

 「いや、まぁ……って、そういうことじゃ」

 「鏑木さんやっさし〜! ねね、お兄ちゃんって呼んでいい? お兄ちゃんいたらこんなふうなのかなって思って」

 「……好きに呼んでいいよ。だから頬突っつくのやめようね?」

 「は〜い」

 「あ、もう仲良くなってる。ふふっ」


 いや、ふふっじゃないのよ。霞澄さんほんとに明るい子で少しだけ僕は疲れちゃったよ。元気吸われてるのかな?


 「……って霞澄さん? なんで僕の膝の上に座るの?」

 「え〜だってお兄ちゃんだから?」

 「意味が分からない……」

 「むぅ……だめ?」

 「……いや、だめではないけど……」

 「じゃあ、良いよね?」


 上目遣いで見てくるなんてあざといなこの子と思ったけれど、もとより断らない僕が悪いのだ。仕方あるまい。


 「全然いいよ」

 「わっ。えへへ、やった」


 僕も妹を持っていたならこうなのだろうかと霞澄さんの頭を撫でながら思い馳せていた。


 「ご飯、出来たよ」

 「わ〜! すごい! ほんとにとろとろオムライスだ〜! すごいよりゅーやお兄ちゃん!」

 「はは、うん。香織のオムライス美味しそうだね」


 テーブルに置かれたオムライスを見て大はしゃぎする霞澄さんに同意する。


 「口に合うと良いな……なんて」

 「それじゃあ……いただきます」

 「いただきま〜す!」


 ソファから立ち上がり、カーペットの上に正座して食べる。スプーンを一口大に切り分け、口に入れた瞬間ケチャップライスと絡み合うように半熟卵が蕩ける。


 「……どう、かな?」

 「………美味しい」

 「んっ! おいし〜!」


 僕と霞澄さんの反応を見て不安げな顔が一気に嬉しそうな笑顔に変わった。


 「お姉ちゃんも食べなよ〜」

 「あ、うん。そうだね。いただきます」


 僕はただ黙々と食べていたけれど香織先輩と霞澄さんは和気藹々わきあいあいと会話しながら食べていて、僕は心做しか温かな感じを覚えつつ二人の会話を聞き時には相槌を打ったり、会話に参加したりした。








 夕食後、霞澄さんを先に入浴させた。その間洗い物を手伝い、香織先輩の課題している姿を見ていた。


 「あ、そっか。琉椰くんはまだ出されてないんだっけ課題」

 「あぁ、いや、学校にいる時に暇を見つけて片付けてたからね」


 そう。授業休み等で出された課題を全て片付けた。今のところ出された教科が二教科だけだからすぐに終わった。


 「え〜、それじゃあ私が教え甲斐ないじゃん」


 むぅ〜と頬を膨らませて軽く睨む。僕は苦笑して謝罪する。


 「ごめん。じゃあ今度からは香織の前でやってもいい? もし分からないところあったら教えて欲しい」

 「うんっ。まっかせて〜!」


 僕がそう提案するとすぐに頷いて今度は胸を張りながら笑った。本当にコロコロ変わるな。そういうとこが可愛い。


 「今やってるのはどういうやつなの?」

 「あ、これ? これね〜」


 ノートに目を向けて少しだけ距離が近くなる。今やっているのは数学のようだ。僕はあまり好きじゃないというか苦手な教科だ。現に香織先輩から聞いているだけで頭痛がする気がしている。


 「あはっ、ひっどい顔だよ〜。ここシワすごいことなってる」

 「え、そう?」


 眉間に香織先輩が人差し指の指先でぐりぐりと揉み解すように指を回す。


 「やっぱり数学苦手な人多いんだね」

 「まぁ……基礎さえ分かってれば良いんだけど聞いてる限りだと呪文すぎて訳が分からない」

 「ははっ、まぁ、まだ習ってないとこだろうけどそれすっごいわかる。ね、琉椰くんの得意な教科ってなに?」

 「得意な教科か……無難に日本史、世界史、古文、現文とかかな。今のところはだけど」

 「わ、文系さんなんだね」

 「といっても歴史は中学で習ったところの復習に近いけどね」


 頬杖をつきながら香織先輩が書き込んでいるノートを見る。丸みのある可愛らしい文字の数列。そして整理されている書き方。見やすいな。


 「……字、可愛いな」

 「それ、友達にも言われたな〜」

 「えっ、あ、声に出てた?」

 「へ? 独り言だったの?」


 どうやら思っていたことがそのまま口に出していたらしい。少し恥ずかしい。


 「き、聞かなかったことに……は出来ないよね」

 「ふふっ、うん。琉椰くんってば可愛いなぁ」

 「えぇ、今の何処に可愛い要素あったの?」

 「え〜、まぁ、思ってたこと口に出ちゃってたとこ?」

 「うぐ……まぁ悪い気は……しなくもないけど」


 香織先輩から可愛いと言われると悪い気はしない。しないのだが。


 「……他の人に言われたら少し嫌な感じだな」

 「ふぅんそっか。琉椰くんも男の子なんだね」

 「まぁ……そりゃあ可愛いよりかっこいいって言われたいよねうん」

 「ふふっ、そっか。ね、もう少し近寄っていいよ」

 「え、でもそれじゃあ書きにくいんじゃ」

 「良いから。ね? もっとそばにいたいの私が」

 「分かった」


 香織先輩にそう言われたら頷く他あるまい。少しだけ距離を縮めて、肩が触れ合うかどうかの曖昧な近さまで近寄る。


 「……正座、辛くない? 大丈夫?」

 「あ〜……うん。今はまだ大丈夫かな。やっぱり跪坐きざの状態を維持してる方が辛いから」

 「あはっ、確かに。アレ、足の裏攣りそうになるんだよねー」

 「分かる。こう……足の裏の土踏まずの部分から横線をピッて引いた感じでちょうどそこの部分が痛くなるんだよね。後単純に足が、というより膝が震えてくる」

 「そう。ほんとそれなの」


 互いに弓道で感じてることを共感し合う。跪坐は正座の状態から左膝を床から僅か5センチとかほぼほぼ床と接着していない状態を維持することを言うのだ。その時顔を見合わせて、距離の近さに僕は目を見開く。香織先輩はほんの少しだけ息を吸って顔を傾けて近づけてくる。僕も同じように反対側に傾けて顔を近づけさせる。唇が触れそうな時にパタパタとリビングに入ってくる足音が聞こえて扉がガチャリと開いた。


 「お風呂上がったよ〜!」

 「……あ、そ、そうなんだ。おかえり霞澄」


 リビングに入ってくるなりそう言ってキッチンに向かうのを目で確認する。その時にハッとして顔を離す。


 「じゃ、じゃあ、次入っておいでよ琉椰くん」

 「え、僕で良いの?」

 「うん。私以外と長風呂だから、先に入って」

 「分かった。じゃあ行ってくるよ」

 「ん、いってらっしゃい」


 僕は立ち上がり、事前に聞いていた浴室に向かう。








 琉椰くんをお風呂に入らせて私は課題と向き合う。


 「りゅーやお兄ちゃん入りに行ったんだ」

 「うん。霞澄は宿題終わったの?」

 「ふふ〜ん。ばっちし」

 「ふふっ、そっか」


 霞澄は冷凍庫から棒アイスを持ってきてソファに座るなり食べ始める。


 「あ、それ私も食べたかったやつじゃない」

 「ん〜? あ、だいじょーぶだよ。まだあるよ」

 「ちゃんと残しておきなさいよ〜」

 「ん〜」


 私も霞澄も好きな味のアイスは一緒でチョコミントのアイスをよく食べる。


 「良しっ、課題終わりっと」

 「お疲れさま〜お姉ちゃん」

 「ありがと霞澄」


 軽く伸びをした後にノートと教科書とペンを鞄の中にしまう。


 「ね、お姉ちゃん」

 「ん〜? なーに霞澄」

 「お姉ちゃんってりゅーやお兄ちゃんのどこが好きになったの?」

 「……ぅえ? な、なに急に」

 「え〜だって今までお姉ちゃんにそーいった話聞かなかったもん。だから気になったんだ〜」

 「そ、そう……まぁ、そうよね。うん」


 そう。私だって今まで好きになった人がいない。はっきりと意識したのは琉椰くんが初めてだ。


 「……そうね。まずは射型しゃけいがとっても綺麗なところ」

 「あ、同じ部活に入ってるって言ってたもんね。へぇ〜射型綺麗なんだ」

 「えぇ、一年生の中でもとっても綺麗なの。コーチも褒めていたくらいだし」

 「え、すごいじゃん」

 「ふふっ、そうなんだ〜。琉椰くんってば、霞澄の頃から始めたみたいなの。だーれも教えてくれない時から今の琉椰くんがあるの」


 それもこれも部活見学で見たおかげだと聞いた。


 「それでね。琉椰くんはとっても礼儀正しいの。物も大事にするし、周りを良く見てるし、教えるのも上手ね。あとは〜優しくて、私の我儘を嫌な顔しないで受け止めてくれるし、顔も良いし、それにぎゅってしたらとってもあったかいの。あ、こうして考えたら琉椰くんの全部が好きね」


 私は思いつく限りのことを指で数えながら言う。その度に霞澄は頷いてくれる。


 「なーるほどね〜。りゅーやお兄ちゃんって確かに優しいからモテてそうだよね」

 「多分そうだと思う。と言ってもあんまりそういった噂聞かないけどね」


 というかそういうのは聞きたくない。ひとつ聞いただけでもやっとしたのが生まれちゃうから。


 「ね、お姉ちゃん」

 「……なに?」


 私のこの嫌な思いをしまいこみながら霞澄の声に首を傾げる。


 「りゅーやお兄ちゃん離したらダメだよ?」


 なんだそんなことか。


 「当たり前でしょ? 私は琉椰くんのこと大好きなんだもん。嫌いになるわけないし、離したくないんだから」

 「そっかそっか〜。それじゃあわたしは部屋に行ってるね〜。おやすみ、お姉ちゃん」

 「うん。おやすみ霞澄」







 「あれ、霞澄さんは?」


 シャワーを借り、十数分で戻ってきたら霞澄さんはいなくなってた。


 「もう寝るって言って部屋に行ったよ」

 「あぁ、そうなんだ。お風呂、ありがとう」

 「お湯熱くなかった?」

 「うん。ちょうど良かったよ」

 「そっか。じゃあ私入りに行くから先にお部屋に行っててくれる? 二階行ったら名札で分かると思うから」

 「ん、分かった」


 香織先輩は立ち上がってリビングの扉前に立つと僕の方を向く。するとするりと両腕を僕の首筋に伸ばして少しだけ背伸びをしてキスをした。


 「……寝ないで待ってて?」

 「………うん、分かった」


 僕の返答ににへらっと笑って抱擁を解こうと香織先輩が離れる。


 「待って」

 「ふぇ?」


 けど僕はまだ離れたくなかった。離れかけた彼女の腰をグッと左腕で掴んで自分から唇を重ねる。


 「ん、っ……ぁ……」

 「……ん……ごめん。急にして」


 数秒重ねてからそっと離れる。ぽーっとした顔で僕を香織先輩を無性に抱き締めたくなるけど我慢する。


 「……ハッ……ん……んん。だ、大丈夫。けど……たまにはこんなキスもアリ……かも?」


 ふにゃりと破顔する香織先輩に目が離せない。コロコロ変わる彼女の顔は見ていて飽きないそんな惹きつける何かがある気がする。気が付けばリビングから香織先輩はいなくなってた。


 「……………人を好きになるって良いかもしれないな」


 そう独りち、言われたように二階に上がり香織先輩の部屋を見つけてその中で待った。香織先輩の部屋は整頓されていて枕元には可愛らしいペンギンのぬいぐるみが置いてあった。殺風景な僕の家や部屋に比べてとても居心地の良い女の子らしい部屋だった。



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